妖艶な美しさを持つ花と称され、「美人の眠り」「艶麗」の花言葉を持ち、美人の代名詞と形容される美しい花があります。
その花は「ハナカイドウ(花海棠)」です。
ハナカイドウは、バラ科リンゴ属に属し、春を代表する花の一つとも言われています。
そのハナカイドウが先日、満開になりましたのでご紹介します。
カイドウ(海棠)の原産地は中国で、日本には江戸時代初期に渡来しました。
カイドウには、花が美しい「ハナカイドウ」と実が大きな「ミカイドウ(実海棠)」があります。
我が家のカイドウは「ハナカイドウ」です。
「ハナカイドウ(花海棠)」は春を代表する花の一つで、中国では唐の時代の絶世の美女・楊貴妃に因んで「睡花」とか「眠りの花」とも言われているそうです。
このハナカイドウ、その美しい淡いピンクの花が、ほのかに酒気を帯びた絶世の美女のうたた寝顔に例えられています。
その故事は、玄宗皇帝の妃・楊貴妃(719年~756年)が急に帝に呼ばれて、前夜の酔いも醒めないまま、そして髪も乱れたままで現れたため、帝はその様を海棠の花にたとえて、「海棠(かいどう )睡(ねむり) 未(いま)だ 足らず」と言ったことからと伝えられています。
この美しい海棠は楊貴妃自身も好んだと伝えられています。
山口県長門市には楊貴妃伝説が伝えられています。長門市HPよりご紹介します。
「楊貴妃伝説」(長門市HPより)
日本で云えば奈良朝の昔、唐の国では天宝15年(756年)7月のことじゃったげな。向津具(むかつく)半島の岬の西側に唐渡口(とうどぐち)ちゅう所があってな、そこへ空艫舟(うつろぶね)が流れ着いたげな。 舟の中にはな、長い漂流でやつれておられたが、たいそう気品のおありなさる、それはそれは美しい女人が横たわっておられたそうな。
お側の侍女が申すに「このお方は唐の天子、玄宗皇帝の愛妃楊貴妃と申される。安禄山の反乱により処刑されるところを、皇帝のお嘆きを見るに忍びないで近衛隊長が密かにお命を助け、この舟で逃れさせ、ここまで流れ着きました。」と涙ながらに云うたそうな。
息も絶え絶えの楊貴妃を里人たちは手厚く看護しましたがの、そのかいものう間もなく息を引き取られたげな。そこで里人たちは、西の海が見える久津の丘の上にねんごろに葬ったそうな。それが今、二尊院の境内にある楊貴妃の墓と伝えられておる五輪の塔でのう。
いつとなく「楊貴妃の墓に参ると願い事が成就する」というのでの、多くの人が参詣するようになったと申しますいの。
・二尊院には楊貴妃伝説と五輪の塔が建っています。(ネットより)
(参考)
「安史の乱」
安史の乱とは、755年~763年、唐の玄宗の末年から起こった安禄山(唐代の軍人)父子・史思明(ししめい:安禄山の部下)父子の反乱です。
乱後、節度使(地方組織の名称)の自立化が進み、唐は衰退に向かったのです。
私が住まいする住宅地内の5号公園のサクラが満開となっていましたが、一昨日の強風によって散り始めました。
桜の花は、春の暖かな日ざしを受けて蕾を急速にふくらませ、いっせいに花を開かせたかと思うと、こんどは春嵐をまともに受けて散ってしまいます。
世の中の移り変わりの激しいことを、桜の花の散りやすいことに例えて詠まれた俳句があります。
今日は江戸時代の俳人大島蓼太(おおしまりょうた)の句をご紹介します。
・住宅地内、5号公園のサクラです。
江戸時代の俳人、大島蓼太は「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という俳句を詠んでいます。
この句は、三日間外出しなかったら桜の花がすっかり咲きそろっている、即ち、いつの間にか桜が咲いていたということを詠んだものなのですが、それが現在では「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と、「に」が「の」に誤伝されて使用されています。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」になると、作者の意に反して、三日見ない間に散ってしまう桜となりますが、現在では、世の中の移り変わりの激しいことを、桜の花の散りやすいことに例えて、この句が使用されているということです。
今、新型コロナウイルスが世界に蔓延しています。
日本でも昨日、感染者が4000人を突破しました。
一向に収まる気配のないコロナの感染防止のため、安倍総理大臣は今日、緊急事態宣言を発令するそうです。
この宣言は法律に基づいた不要不急の外出自粛となるので、多少不便が生じるかもしれませが、早期終息のため、国民一人一人がこの宣言の内容を遵守しなければなりません。
新型コロナの感染者は我が町、熊取町でも2名確認されました。
「3日見ぬサクラ」どころではなく、3日経つと1000人を超える感染者が確認される勢いです。
全国の皆さん、手洗い、うがい、咳エチケットを守り、3密(密室、密集、密接)を避けてください。
あなたやあなたの家族を守るため、そして他人にうつさないためにも感染にはくれぐれもご注意ください。
たんぽぽ
あぜ道の草刈りをしてると、たくさんのたんぽぽの花が話しかけてきます。
「私たちを刈らないで!」
「花の後、綿毛をつくるので、それまで待ってくださ~い」
「おねがい!」
雑草の中のタンポポの花を見ていると、このように語りかけているように感じます。
今日は可愛い花タンポポについてご紹介します。
・雑草の中に咲いているタンポポです。
道端や荒れ地、土手、畦など、至るところに黄色のかわいい花を咲かせるタンポポは、日本中で見られる春のポピュラーな花です。
成長するとふわふわの綿毛に変わるので、小さい頃にフーッとその綿毛を吹き飛ばして遊んだ人も多いのではないでしょうか。
いま、私の畑のあぜ道にもたくさんのたんぽぽの花が咲いています。
可愛いくて綺麗な花なので刈り取るには忍びないのですが、ほかの雑草が伸びているので仕方なく、タンポポの願いを振り切って刈りました。
「名前の由来」
タンポポ(蒲公英)はキク科タンポポ属の多年草です。
名前の由来は、諸説あります。
・その一つは、種の冠毛(かんもう)が丸く集まっている様子が、綿を丸めて布などで包んだ「たんぽ」に似ていることから、「たんぽ穂」と名づけられたと
いう説。
・他には、田んぼのあぜ道などによく生えていることから、昔は「田菜」と呼ばれていて、その「たな」が「たん」に変化し、綿毛がほほけるという特徴を
表す「ほほ」と結びついてたんぽぽになったという説。
・更に、タンポポの茎の両端を細かく裂くと、反り返って鼓のような形になることから「鼓草(つつみぐさ)」と呼ばれていて、鼓をたたいたときの「タンタン、
ポンポン」という音がタンポポの名前の由来になったという説もあります。
・花が終わって綿毛になったタンポポです。
「食用としてのタンポポ」
現在ではあまり食用としては使われていませんが、明治時代までは若い葉を湯がいてお浸しや胡麻和えにしたり、更に、花を天ぷらにしたり、根できんぴらを作ったりして食べられていたようです。
また、現在でも、根を刻んで乾燥させて煎った、たんぽぽコーヒーを出している喫茶店もあるということです。
・綿毛が飛んでなくなったタンポポです。
「セイヨウたんぽぽとの違い」
日本にはカントウタンポポなど、在来種が10種類ほどありましたが、明治時代にセイヨウタンポポの種子が持ち込まれたことをきっかけにどんどん繁殖し、今では都市近辺で見られるのはほとんどがセイヨウタンポポだそうです。
日本のタンポポと西洋タンポポの違いは、花のすぐ真下の部分、総苞(そうほう)と呼ばれる花びらをまとめる部分に違いがあります。
即ち、下の画像のように花のすぐ真下の総苞(そうほう)と呼ばれる花びらをまとめる部分が、西洋たんぽぽは反り返っていますが 日本タンポポは閉じています。
諺に「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る(いちげついぬる、にげつにげる、さんげつさる)」があります。
これは、正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものです。
この諺通り 、本当に1月から3月は経つのが早く感じられ、令和2年は早くも1/4が過ぎ去りました。
しかし、一日の長さは今も昔も、また季節や年によって変わるものではなく、更に、時間も老若男女を問わず万民に平等に与えられています。
それだけに僅かな時間も無駄にすることなく、一日一日を有意義に、そして有効に活用しなければいけません。
時間を有効に活用と言えば、子供の頃、次の漢詩を習ったと思います。
少年易老學難成(少年老い易く学成り難し)
一寸光陰不可輕(一寸の光陰軽んずべからず)
未覺池塘春草夢(未だ覚めず地塘春草(ちとうしゅんそう)の夢)
階前梧葉已秋聲(階前の梧葉(ごよう)己(すで)に秋声)
(語訳)
少年が年老いていくのはあっという間だが、 学問がモノになるのは大変難しい。
だから、わずかな時間も惜しんで一生懸命に勉強すべきなのだ。
春に池のほとりに草がゆらぐのを見ながらうつらうつらと夢を見ていたかと思うと、
庭先のアオギリはもう秋の気配を帯びている
これは中国南宋の儒学者・朱熹(しゅき:朱子 1130年~1200年)が詠んだとされています。
「一寸の光陰軽んずべからず」(わずかな時間も惜しんで一生懸命に勉強すべき)と詠んでいるように、例えわずかな時間でも無駄にすることなく、一日一日を大切に、そして有意義に過ごし、悔いのない毎日を過ごしたいですね。
今日から令和2年度が始まります。
例年だと、各会社では新入社員が集っての入社式を行い、新社会人の門出を祝うなどの明るい話題で賑わいますが、今年は行政からの「3つの密(密集、密着、密閉)」を避ける行動要請を受けて自粛する事業所が増えるのではないでしょうか?
また今日はエイプリルフールで嘘が許される日でもありますが、それも「冗談なんかを言っている場合か!」と怒鳴られそうな、何となく沈んだ空気を感じる4月1日となりそうです。
それも、これも全てが新型コロナウイルスの感染拡大によるものであり、とても残念です。
残念と言えば、先日は全国の老若男女に人気があったコメディアンの志村けんさんがコロナ肺炎によってお亡くなりになりました。
改めてコロナウイルスの怖さを感じた次第です。
一日も早くコロナ感染の恐怖が解消し、元の活気ある経済活動ができるようになって欲しいものです。
「4月1日の読み方」
ところで、人名に今日の日にち、「4月1日さん」があるようです。
何と読むのかご存じでしょうか?
実は、4月1日と書いて「わたぬき」と読むそうです。
その謂れは、4月1日になると綿の入っている着物を脱いであわせの着物に着替えるからだそうです。
江戸時代までは、衣替えの季節は旧暦4月1日だったようで、この日に冬用の綿入れから綿を抜いた衣に替えることから「わたぬき」と言う言葉が生れたと言うことです。
4月1日と書いて「わたぬき」と読む名前の人は全国で10名ほどおられるようです。
「現在の衣替え」
なお、現在では衣替えは6月1日ですが、参考までにこの日になった経緯を書くと、これは、明治になって役所が作ったマニュアルの中で決められたことからのようです。
明治になって、日本人が近代化の中でにわかに洋服を着るようになりましたが、どのように着るのかその着方が判らない人が続出したことから、役所が洋服の着方についてのマニュアルを作りました。
その中に、「衣替えは6月1日とする。」といった内容が記されていたようであり、そこから「6月1日は衣替え」という常識が生まれ、現在に至っているということです。