ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

母は言う それでも言う

2007年05月24日 | これも自分あれも自分
今朝のことだった。
サーヤはなんだかご機嫌がよくない。
朝はたいがいの人が機嫌はよくないものかもしれないが、サーヤのご機嫌ナナメの原因は、たいがいいつも、朝食メニューにある。

朝食に上る野菜たち。
今日は、ほうれん草とたまねぎとハムの出汁つゆ炒め。そして、トマト。
言いたくはないが、給料日前で冷蔵庫にあるものといえば、限られている。そして、たいてい野菜はほうれん草が余っているんだな、これが。
このほうれん草というのが、どうもキライらしく、朝一番に口に入れるものがよりによってこれかよ!!!という怒りがあらわなサーヤ。
私はそんな表情には目も触れず、食卓に出す。
むすっとしたサーヤが椅子に座ろうとするのを制し、「箸、用意してぇ。」と手伝いを要請する。ぷんぷんの様子のまま、箸を取りに来る。そして、「あ~あ、ほうれん草かぁ。」とブツブツ言って背を向けた。

さぁ、食べようねぇ!
普段どおりに明るく振舞う私と、相対照的なサーヤの不機嫌な「いただきます」。しかも小声。
ほうれん草が大好きな私は、ほうれん草からパクパクいただく。それを見て、あからさまに嫌そうな顔をし、夕べの残りの竹の子ご飯に、のりを巻いて食べるサーヤは、箸の使い方まで乱暴だった。
すると、私の頭の中で声がする。
おーおーおー、何様のつもりだ!?竹の子ご飯に罪はねーべー!!
しかし、しかしだ。
最近読んだ本に書いてあったじゃないか。
「どうして○○ができないの!?」と叱るんじゃなく、上手に叱る方法が!

一呼吸置いて、私は発した。次の言葉を。
「サーヤ、見て。すんごい気持ちのいい朝だよ。雲ひとつ無い、真っ青な空だよ。こんな朝に、サーヤと朝ごはんが食べれてママは幸せだよ。
新しい朝じゃない。新しいんだよ。毎日、朝は新しくやってくるのに、文句言って下ばかりうつむいてる朝から始まる一日と、明るく上を向いてありがたいと思って始める一日と、サーヤはどっちがいいと思う?
ママね、サーヤと一緒に朝ごはん食べれるだけで幸せなんよ。サーヤが文句を言っていても、ママはサーヤが大好きだよ。大好きだからさ、楽しく食べようよ。」

いや、こんな言葉がよく出たな、朝から・・・、と思う。
某テレビ局のみんなの歌で、「新しい朝」ってのがあった。この歌、サーヤもエリーも大好きで、3人でよく歌ってた。そのことを思い出したのと、前の晩に読んだ本のフレーズ「誉めたことを言った後に、“でも”を付けてしまうと、前に言ったはずの誉め言葉がすべて帳消しになってしまう。」というのを記憶していたということも、今朝の会話の参考になったのかもしれない。
“でも”や“しかし”ではなく、“だから”とか“そして”を付けるといい、とも書いてあった。
だから、「サーヤのことが大好き」の後にくるのは、「でも、どうして文句ばかり言うの?」ではなく、「だから楽しく食べよう!」なのだ。

これでサーヤのご機嫌は直り、一緒にほうれん草をムシャムシャ食べながら、サーヤの足りなくなったのりに、ママのを一枚あげて、ようやく落ち着いたのである。
ふうう。よかった。安堵。

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