震災から約1年が経とうとしています
八戸は他の地域よりも被害は少なかったとはいえ、
家を失った人や、塩害で田や畑が使えなくなった人、
浸水による、家屋の修理・家財の調達に四苦八苦している人など、
今もなお、苦しんでいる方々存在します。
ヨガのMiki先生の主催で、「リレートーク 被災地の今 これから」が行われました。
カフェ「茶らぁん」さんに行きまして、野田村の民宿「苫屋」さんの奥様、久美子さんと、
塩竈から非難していきている阿部さん親子さんのお話を伺うことができました。
津波の影響がなかった阿部さんが、子育てしているママたちが避難所で苦しい思いを
しているから、と立ち上がった「ママの手」サークルの話。
支援物資を仕分けするお手伝いから始まり、おむつかぶれのひどい赤ちゃん対象の、
各地を回っての「おしりバス」 の活動の話、
夏祭りを企画した話、手作り品を販売して資金にした話など、
被災地で活動して、被災者の方々を支えてきたパワーに、尊敬します。
何かしないと!っと思った、阿部さん。彼女は、ヨガの先生をしていたそうです。
そのご縁で、きっと助かった、助けられたと思っている方々がたくさんいらっしゃるに違いありません。
ご自分も、小さい子を抱えながら、自分のことは後回しで
活動してきたその姿に、脱帽です。今も、被災地の方の手作り品を販売しながら、支援しています。
野田村の久美子さんも、地震ではとても揺れたけれど、山のほうだったので津波の
被害は免れました。
そして、彼女なりの先見の銘で、避難所や仮設住宅に通い、
手仕事をすることを、しかも、みなで一緒に集まって手仕事をすることを進めていきます。
外に出られず、泣いてばかりいる暮らしに、少しでも光を・・・と願ったからです。
仮設住宅に入った人、アパートを借りて仮設を出た人、
津波の被害が少なかった家、火災などの二次災害にあった人。。。
いろんな立場の人たちの中で、差別が生まれる現状。。。
究極なのは、「なんで生きてしまったんだろう?」という、
亡くなった人や遺族への、後ろめたさ・・・。
これらが、複雑に絡まって、みな、暗く、塞ぎこんでしまったといいます。
そこへ、光を届けたかった久美子さんと、久美子さんの仲間たち。
一年がたとうして、「ようやく、ありがとうと言える自分になれた。」と、
仮設住宅の方が話してくれたと、それが嬉しかったと、話している久美子さんは、
安堵と、そして、心の復興にはまだまだ時間がかかる・・・という
未来を見据えた目をしていました。
大きな大きなことでしたよね。
あのあと、ひどい被害に遭ってはいない私たちにでさえ、
心の揺れや、体の不調はありました。
皆さんは、少しは癒されてきましたか?
あのとき 思ったこと
あのとき 感じたこと
それらを みんなで言葉にして 涙を一緒に流す時間が
きっと、 これからどんどん 必要になっていくと 思います。
八戸は他の地域よりも被害は少なかったとはいえ、
家を失った人や、塩害で田や畑が使えなくなった人、
浸水による、家屋の修理・家財の調達に四苦八苦している人など、
今もなお、苦しんでいる方々存在します。
ヨガのMiki先生の主催で、「リレートーク 被災地の今 これから」が行われました。
カフェ「茶らぁん」さんに行きまして、野田村の民宿「苫屋」さんの奥様、久美子さんと、
塩竈から非難していきている阿部さん親子さんのお話を伺うことができました。
津波の影響がなかった阿部さんが、子育てしているママたちが避難所で苦しい思いを
しているから、と立ち上がった「ママの手」サークルの話。
支援物資を仕分けするお手伝いから始まり、おむつかぶれのひどい赤ちゃん対象の、
各地を回っての「おしりバス」 の活動の話、
夏祭りを企画した話、手作り品を販売して資金にした話など、
被災地で活動して、被災者の方々を支えてきたパワーに、尊敬します。
何かしないと!っと思った、阿部さん。彼女は、ヨガの先生をしていたそうです。
そのご縁で、きっと助かった、助けられたと思っている方々がたくさんいらっしゃるに違いありません。
ご自分も、小さい子を抱えながら、自分のことは後回しで
活動してきたその姿に、脱帽です。今も、被災地の方の手作り品を販売しながら、支援しています。
野田村の久美子さんも、地震ではとても揺れたけれど、山のほうだったので津波の
被害は免れました。
そして、彼女なりの先見の銘で、避難所や仮設住宅に通い、
手仕事をすることを、しかも、みなで一緒に集まって手仕事をすることを進めていきます。
外に出られず、泣いてばかりいる暮らしに、少しでも光を・・・と願ったからです。
仮設住宅に入った人、アパートを借りて仮設を出た人、
津波の被害が少なかった家、火災などの二次災害にあった人。。。
いろんな立場の人たちの中で、差別が生まれる現状。。。
究極なのは、「なんで生きてしまったんだろう?」という、
亡くなった人や遺族への、後ろめたさ・・・。
これらが、複雑に絡まって、みな、暗く、塞ぎこんでしまったといいます。
そこへ、光を届けたかった久美子さんと、久美子さんの仲間たち。
一年がたとうして、「ようやく、ありがとうと言える自分になれた。」と、
仮設住宅の方が話してくれたと、それが嬉しかったと、話している久美子さんは、
安堵と、そして、心の復興にはまだまだ時間がかかる・・・という
未来を見据えた目をしていました。
大きな大きなことでしたよね。
あのあと、ひどい被害に遭ってはいない私たちにでさえ、
心の揺れや、体の不調はありました。
皆さんは、少しは癒されてきましたか?
あのとき 思ったこと
あのとき 感じたこと
それらを みんなで言葉にして 涙を一緒に流す時間が
きっと、 これからどんどん 必要になっていくと 思います。