の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ピー・ター・コン祭り (3)

2014年08月15日 | ルーイ
■「ワット・ポーン・チャイ」に精霊たちが集まってきます。
「ピー・ター・コン」期間中は霊媒師によって精霊が寺院内に入れるように祈祷されています。




パレードを終えた少女たちです。







精霊のお面の意匠は年々派手になって行くようです。









「ピー・トン・ルアン」は人里に下り、非常に疲れ切っています。

竹筒は水、それとも酒でしょうか・・・。


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女の子が興味をもってはいけません。







小僧さんたちもピー・ター・コンが気になります。









何を話しているのでしょう。





仏塔の前に集まった精霊たちです。











このお面はヤシの葉を使っていません。やはり大きなヤシの葉を探すのが大変なのでしょう。
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■境内で休息中の精霊たちです。


























こちらは娘を旦那に任して、奥さんが参加していました。
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■夜は市場裏に舞台が設置されショーが催されます。








ダンサーです。





舞台の下では精霊が踊っています。





舞台裏にも精霊がいます。





この人たちは「ピー」ではありません。

ピー・ター・コン祭り (2)

2014年08月14日 | ルーイ


■ピー・ター・コン・パレードは第二日目の午前10時からスタートです。
地区役場からワット・ポーン・チャイまでのケーオ・アサー通り(国道2114号線)、750mで催されます。
まずは来賓の挨拶、地元学生の踊り披露があって、パレードはスタートします。
「パー・ウェットサンドン・サドック」(ヴェサンタラ・ジャータカ)からウェットサンドンの帰国です。妻マディーと二人の子供を載せた御車が先頭です。その後に「パー・デーン」の精霊(幽霊)軍団が続きます。

【「パー・ウェットサンドン・サドック」は2014年5月28日にアップしました「イサーンのシム(布薩堂)・ワット パ レライ」、ピー・ター・コンの精霊(幽霊)は「パー・デーン ナーン・アイ」は2014年7月4日の「バン・ファイ・タラーイ・ラーン(クット・ワー)3」を参照してください】
(写真とパレードの順序は一致していません。)

午前8時40分、パレードの会場へ出かけます。

チビッ子たちも集まってきました。

■10時50分、まだ始まりません。いつものことですが、時間を気にしないのが、この国のいいところです。
開始を待っている人たちを撮影します。






「パー・ウェットサンドン」と妻「マッディー」、二人の子供たちです。

娘です。

















昨年までの説明では「ジャングルの土人」となっていました。タイ北部からラオスの山中には他民族との接触、定住を拒絶した狩猟採集民族「ピー・トン・ルアン」がいます。「黄色い葉の精霊」と言う意味で数百名の部族です。
タイでは近年の森林開発で食料や居住場所が無くなり、定住を余儀なくされているようです。

黒さ比べです。

「ピー・トン・ルアン」の一団です。

やっと始まりました。午前11時7分です。













イサーンのシムで見た壁画と同じです。「パー・ウェットサンドン」を先頭に領民が踊りながら付いて行きます。ダーンサーイでは精霊も行列に加わります。









「バイ・シー」が先頭です。
プログラムの中には「バイ・シー・パー・ウェット」というのが霊媒師の家で行われるようです。ウェットサンドンを呼び出す儀式となっています。


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「パー・ウェットサンドン」一家が何組も登場します。


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小中学校のグランドにはスタート待ちのグループがたくさん残っています。



女性は高校生です。このお化けはレッド・カードでしょう。
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帰国する「パー・ウェットサンドン」と家族です。象ではなく御車に乗ります。











「ウェットサンドン」一家です。

























新タイプの精霊です。



















狭い道路でパレードと観光客が混じりあって記念撮影をしています。精霊たちも快く記念撮影に応じていますし、お決まりのポーズで応えています。従ってパレードは前に進むことができません。

スポンサー付の精霊もいるようです。







パレードを終え、帰路に就くチビッ子精霊ともすれ違います。









「ピー・トン・ルアン」の一団です。







道路脇で試供品を配っていた清涼飲料水のキャンペーン・ガールです。





















ワット・ポーン・チャイに到着です。


ピー・ター・コン祭り (1)

2014年08月13日 | ルーイ

「ルーイ県」はタイ東北部の北西端に位置し、面積の7割が山と森林です。県北部はメコン川とメコン川支流のフアン川がラオスとの国境となっています。「ター・リー」のフアン川にはタイ=ラオス友好橋が架かっており、ラオスとの往来が可能です。

国境の川「フアン川」です。川の左がタイ、右がラオスです。

タイ側の国境ゲートです。

「ルアン・パ・バーン」まで363kmの道路標識がタイ国内側に立っています。他にもラオスの「ケーン・ターオ」7km、「シャイヤ・ブーリ」229kmの道路標識があります。

「ター・リー」からフアン川沿いの国道2195号線を西へ38km進み、国道2114号線を27km南下すると周囲を山に囲まれた「ダーン・サーイ」の町に入ります。
バンコクからだとサラブリーを経て国道21号線をひたすら北上し「ロム・サク」で左折し山間部を走り480kmで「ダーン・サーイ」です。
辺境の地、陸の孤島ともいうべき盆地の小さな町ですが、アユタヤ時代には町の真ん中を流れるマン川がラーン・サーン王国との境界線となって関所が設置されていました。1560年に両国王は不可侵条約を結び、マン川西岸の丘陵にラオ様式のプラタート・シー・ソンラック仏塔を建立、石碑を残しています。

さて今回は、そんな「ダーン・サーイ」で催される精霊信仰の色濃い「ピー・ター・コン祭り」(ブン・ルアン)を見に行きました。辺境の奇祭として有名になり、祭り期間中はたくさんの観光客が小さな町にあふれます。
写真は1969年の「ピー・ター・コン」です。
「ピー」は精霊、幽霊、お化け等の意味、「ター」は付いて来る、「コン」は人で「人に付いて来る精霊(お化け)の祭り」となります。写真に写っているのが精霊たちですが、「お化け」と言った方が適正です。

現在の「お化け」たちです。

「ダーン・サーイ」の住民は話し言葉や習慣から19世紀にルアン・パ・バーンから移住した人たちだろうと考えられています。
精霊がついて行く人とは、「パー・ウェットサンドンの帰国」です。精霊たちは「バン・ファイ」で負けた「パー・デーン」が「ナーン・アイ」を連れ去った「パヤ・ナーク」軍と戦った幽霊軍団です。
ちなみに、お祭りで霊媒師「チャオ・ポー・クアン」が「ワット・ポン・チャイ」まで乗るのは「バン・ファイ」です。

今年の「ピー・ター・コン祭り」(ブン・ルアン)は、6月27、28、29日と開催されました。
「ブン・ルアン」の日取りは精霊のお告げで決まるようですが、最近は精霊も村のことを考えて観光客が来やすい週末を指定するようです。
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夜明け前にバンコクを出発します。

途中の町、ロム・サクの名物はタイの素麺「カノム・チーン」です。
朝食と早い昼食を兼ねて食べて行きます。
「サーラッ・ルア・ロム」です。奥に「マカーム」の加工工場があります

店の前に大きな「マカーム」です。

食事は「カノム・チーン・サーラッ」と言う店名です。

店内です。



「カノム・チーン」は練った小麦粉を沸いた鍋にトコロテン方式で押し出し湯がきます。
湯がいたものを冷水で締め、出汁を付けて頂きます。タイの素麺です。

麺を湯がき終え盛り付けをしています。注文によって取り分けて行きます。



メニューです。



手前の鉢が麺つゆになります。
「ナム・ピック」、「ケーン・パー」、「カティ」と呼ぶ三種類が出てきます。好みによって麺にかけます。

「パック・カ・ドーン」、タイの漬物です。

木の枝にたくさんの酸い実をつける「マヨーム」です。

食後出発です。ダーン・サーイまでは60kmです。

ペチャブーンを過ぎるとダーン・サーイへ向かうオートバイが増え、ロム・サクあたりで隊列となって道路をふさぎます。
皆、ピー・ター・コン祭りに行くそうで、その後「プー・ルア」で宿泊するようです。

ダーン・サーイへ入る最後の峠にピー・ター・コンの面が立っています。

峠から見下ろすダーン・サーイの町です。

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■ダーン・サーイの町に到着です。
マン川の畔にあるこのグループは、まだ「ピーター・コン」のお面の制作中です。
毎年新しいデザインでお面を作ります。各グループで基本形態を統一して、少しづつ個性を変えています。
顔はヤシの葉の付け根の太い部分を削って加工し、頭には餅米を蒸す竹籠を縫い付けます。大きな鼻はコルク材を用いて軽くしています。
顔が収まる大きなヤシの葉を毎年探すのが大変な作業のようです。

話は飛びますが、わが故郷でも毎年の祭礼に山へ入り神木となる椿を切り出します。幹の太さは茶碗大と決められておりますが、藪や山中で八方に枝の張った椿を毎年探すのが大変な苦労であったことを思い出しました。







みんな真剣な眼差しで仕上の彩色中です。









完成です。笑みが浮かびます。



衣装も「お化け」に着替えました。



「お化け」のリーダーです。



「お化け」が町の中へ出掛けて行きます。「ピー・ター・コン」の始まりです。

ドーク・ケーオ

2014年08月07日 | 織物

「タイ・ユアン」の「パー・チョク」の模様で上から二段目の大きな菱形「プラー・ノック」の間にある小さな菱形を「ドーク・ケーオ」の花と紹介しましたが、「ドーク・ケーオ」は開花すると6~7cmの大きさになり模様のイメージとはかけ離れていました。

「ドーク・ケーオ」です。

同じ仲間で「ドーク・ケーオ・ムック・ダー」です。今満開で、強い芳香を放って、ミツバチやアリを誘っています。
めしべは緑色をしてかなり小さいです。

そこで少し調べてみると、「ドーク・ピクン」に辿り着きました。この花はラーンパーンでは「ドーク・サーンドン」、チェンマイでは「ドーク・ケーオ」と呼ばれているようです。スコータイ以南では「ドーク・ピクン」です。

2cmにも満たない小さなはなです。

北部から連行されてきた「タイ・ユアン」の人たちが「ドーク・ピクン」を「ドーク・ケーオ」と呼んでも何ら不思議なことではありません。

花には薬効効果があって、乾燥後に煎じて飲めば、解熱、息切れ動悸、喘息等々と万能薬に近い効能があるようです。実、葉、枝などもそれぞれ血行促進、利尿作用などと薬効があります。
また、花をデザインした装身具や衣類、陶磁器もたくさん作られています。

■サンカローク窯の「ドーク・ピクン」で800年前からデザイン化されていました。



■スコータイ窯の「ドーク・ピクン」模様です。


底面は「ドーク・ピクン」ではありません。窯道具が融着しています。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(6)

2014年08月04日 | ラーチャブリー

「遺跡番号18」は「ワット・クローン・スワンキーリ」の奥にあります。

お寺の敷地内にある「バン・クー・ブア博物館」です。
クー・ブアの住民組織が設立した博物館で、1階は「クー・ブア環濠遺跡」からの出土品、蝋人形による博物館設立の過程やタイ・ユアン族の生活様式を展示、2階はタイ・ユアン族の織物、パー・チョクを中心にラーチャブリーに居住する少数民の衣類が展示されています。
クー・ブアのタイ・ユアン族は1804年、タイ北部のチェン・セーンから奴隷として連行されてきた人々が始まりです。





階段を下りて行きます。

1階の展示室です。「クー・ブア遺跡」の出土品が展示されています。

ドヴァラヴァティー仏の複製品です。

こちらも複製品のようです。

発掘品です。

漆喰製の菩薩像です。











小品の漆喰製頭部です。




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地域の民具が展示されています。

「バン・クー・ブア博物館」建設の会議中です。



妊婦と産婆さん、お産です。






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再び2階へ上がってきました。

2階は「タイ・ユアン」族の織物を中心に展示されています。

織模様の見本帳です。

「ティーン・チョク」を用いた「パー・シン」(筒スカート)が展示されています。





「パー・シン」は基本3部位から成り、裾部分が「ティーン・シン」、真ん中で一番幅の広い「トア・シン」、そして上部の腰部分の「フア・シン」から成り立ち、写真の品は「フア・シン」が赤色の「パー・デーン」と白色の「パー・カオ」そして継ぎ部分の白色の小さな布「パーオ(テープ・パー・シー・カオ)」で構成された伝統的なものです。









引き出しの中にも古布が保管されています。

















「タイ・ユアン」の部族です。
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クー・ブアの織物を販売している区役所の敷地内にある「ラーチャブリー・タイ・ユアン協同組合」の運営するOTOPへ寄ってみました。



クー・ブア遊覧の記念に安いものがあれば買おうと思ったのですが、2人の美女が穿いている「パー・シン」で17,000バーツの値札が付いています。



「ティーン・チョク」だけなら安かろうと棚から出してもらったのですが、どれも15,000バーツです。
「パー・シン」が17,000バーツで「ティーン・チョク」がこの値段は高すぎるのでは・・・との申し入れに対して13,000バーツまで値下げると言うことでした。



全幅をチョク織りされた生地です。
すごく気に入ったのですが19,000バーツ。製作期間は8ヶ月ですが、高すぎます。
来客のタイ人の女性一行が価格交渉をしていましたが、一切値下げしないようです。

一般の店にも寄ってみました。
多少価格は安いようです。


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織物工場を覗いてみました。経糸を用意しています。

伝統工芸と呼んでいいのか分かりませんが、若い女性は従事していません。技法が伝承されず、いずれ消えていく運命にあるようです。



こちらの女性がチョクを織っています。「コン・メン」と呼ぶヤマアラシの毛で出来た針を使い、模様に合わせて経糸を拾い、色糸を通していきます。彼女の話では1日に4、5cmしか織れないそうです。



織物の上に載っているのが「コン・メン」です。

こちらでは水色の生地を織っています。





手間暇のかかる織物です。

模様として織り込む緯糸です。
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結局お土産に一品購入してしまいました。

それぞれ模様に名前が付いています。

「フア・シン」と「トア・シン」の縫い合わせを「コット・フア・メンダー」と呼びます。
「メンダー」(タガメ)です。

「トア・シン」の模様です。
一番上が「コー・リョウ・チョーン・カン」、次のナーガ模様のような大きなジグザグは「クー・ソン・シア」、その上下にあるある花を「ドーク・チャーン」。
中央部の菱形は「プラー・ノック」二羽の鳥が横向きで魚の形をしている所から命名されたようです。その間の小さな菱形は「ドーク・ケーオ」と呼びます。
「ドーク・ケーオ」の花です。



「ティン・チョク」です。



「コン・メン」です。
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■帰路は「メー・クローン」沿いの道路を「サムット・ソンクラーム」から国道35号線に出てバンコクへ戻ります。
ソム・オー(ザボン)を買うため「バン・ノイ水上マーケット」へ寄りました。

「陳森合博物館」があるので覗きます。以前は倍の広さで展示していたのですが、縮小して再開館したようです。



中国製の壺です。コンテナーとしてタイに入って来ました。

メー・クローン川沿いで焼かれた土器鍋です。

こちらはシンブリーの壺です。

国道沿いで「リンチー」を購入、粒の大きいが1kgで360円です。市場で買うよりは割高です。