この度の震災で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りし、
今なお困難な生活を余儀なくされている被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
毎日繰り返し報道されている、想像を絶する壊滅した街やいまだ尚見つからないご家族を探すため
名前を呼びながら街を無我夢中で歩き回る人の姿を見て、何の被害もなかった自分の話をするのは
抵抗があるのですが、日本全国を震撼させ、確実に多くの人の人生観をも変えることになるだろう
この日のことを、自分への記録の意味で書いておきたいと思います。
2011年3月11日。晴れ。午後2時46分。
金曜日の午後。まったりと勤務中、前に座る同僚の「今揺れた?」の声。
神戸のときは、名古屋から近かったせいもあり、ドーンという音と共に縦に揺れた強い衝撃を思うと、
名古屋で感じる今回の地震の大きさは「中」で、たとえ大型だとしても震源とはかなり離れているような
揺れ始めてから、比較的長い横揺れが(今思えば)数十分断続的に続いたような印象。
揺れる度に隣りのチームの女性の「怖い!」と叫ぶ声がシーンとしたオフィスに響き、緊張が走る。
「落ち着こう」とみんなで気持ちを確認しつつも横揺れが続く中、「ゲップが出始めた」とか、
「船酔いみたい」とというつぶやきが各所から聞こえてくる。
静まり返った15階のオフィスが左右に揺れる度にギシッギシッとしなる不気味な音。
エレベーターは全基ストップ。
みんな静かに、内心ドキドキしながらぼちぼち仕事を続けているとき、
別の同僚が、NHKのネットニュースで配信された津波の映像を見つけ、
日本のどこかで起こっている災害の深刻さを徐々に認識、
みんなが多少の緊張感を持って各々家族の安否確認をし始めた。
線路を見下ろし電車の稼動を確認する人あり、北部を見つめ異常を探す人あり、
周辺がざわつくまま、定時退社、JRも定刻に発車しいつも通り帰宅した。
あれから1週間経ち、何の不自由もなく普通に生活できていることに改めて感謝、
これからも自分ができることをこつこつやっていきたいと思っています。
再度ここで、この度の震災で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りし、
今なお困難な生活を余儀なくされている被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
また、復旧に向け様々な救援活動を遂行されている方々に敬意を表します。
ささやかな後方支援しかできませんが、これからもこの気持ちを忘れず、
一人でも多くの方の命が救われるよう祈り続けたいと思っています。
「希望の歌~交響曲第九番~」FULL