月夜のショットはこんな感じだったけど、
夕焼けはこんなに美しく撮れます。
Lumix携帯(P03C)。
結構ステキでしょ。
朝顔といえば源氏物語、
源氏物語といえばドナルド・キーン先生、というわけで、、、
はるか昔の思い出。。。
家にホームステイしていたDarcyの話。
なかなかの才媛だった彼女は、約1年の日本留学の後故郷に戻り、
NYのコロンビア大(バーナードカレッジ)に進学しました。
日本で学んだナマの日本語を生かそうと日本語を選択したのですが、
当時コロンビアで日本語の教鞭をとっておられたのが、
ドナルド・キーン先生(上写真)。
親日家を自称する先生が、愛する国の国語を独自の教育方針で教えておられていたそうなのですが、
教養部の日本語コースから、とても高い期待値の下カリキュラムを構成されていたようで、
結局彼女も、自らの専攻の「History」との勉強時間の折り合いが付かず、残念ながらドロップせざるを得なかったそうです。
キーン先生が、学部しかも初級日本語のコースを担当されておられたことにもびっくりですが、
(アメリカでは、ノーベル賞受賞者人でも結構普通に教鞭に立つらしい)
研究や文筆活動でご多忙なはずのキーン先生が、学部生の指導にも
情熱を込め厳格に授業をされているということに、
当時とても驚くと同時に、著名な先生に教えてもらえる学生を羨ましく思ったものでした。
(日本でTVとかに積極的に出てる先生って、大学の広告塔になることが仕事で、
教えることには熱心じゃない先生って多いでしょ?あくまでも一般論ですが)
その、日本と日本文化をこよなく愛する、キーン先生が来日されました。
残りの人生は日本でと、今回は永住を決意の上。
御年89歳。
来日時のコメント。
「中尊寺(岩手県)を訪ねたいです」、
「雲の合間から見えた日本の畑はとても美しいと思いました」、
「「奥の細道」に登場する各地を訪れたとき、特に東北地方に親しみを感じたのですが、
松島も相当ひどく津波にやられてしまいました」、
(被災者の方々に対しては)、
「希望があれば乗り越えられます。
終戦後の東京は同じような状況でした。東北でも同じ奇跡は可能だと思います」
お言葉の端々に日本への愛を感じます。
日本の復興を強く期待した熱い思いが込められた、心からのメッセージ。
国籍を移してまで生涯を日本人として生き抜こうとした強い決意と覚悟。
キーン先生をそこまで動かす原動力となった、わが国の文化と歴史。
この国に生まれおちた1人の人間として自分の国に誇りを持ち、
微力ではあるけれども、
この国でこの国のために生きていきたい、
そんなことを静かに決意した日曜の午後だったのでした。
(国粋主義者ではないが、溢れんばかりの愛国心は持っています)