私の生活環境の中には音楽が流れている。
私自身、毎日、人様の前で歌も歌う。
けれど実は個人的にはまだ一人で音楽は聞けないでいる。
そうなって3年半が経った。
それまでの私は活字と音楽がなかったら
生きていけない人だった。
厳密に言えば、聞ける曲と聞けない曲があり、
でもそれも一人では聴けないと言うか、
一人では聴きたくないというか。
思い出のある曲はなおさらに。
だから音楽が流れているのは仕事場か、
一緒に居る人が音楽を聴いているとき。
その流れてくる曲の中に「テルーの唄」がある。
そう、この夏公開されたジブリの映画
「ゲド戦記」の挿入歌。
私はこの唄がとても気に入っている。
声も歌詞も曲も何もかもお気に入り。
何度も流れてくるからすっかり覚えてしまった。
私は詩が大好きで、いろんな人の詩を読む。
中でも萩原朔太郎のこの詩は
お気に入りのひとつだった。
こころ 萩原朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
この「こころ」と言う詩をテーマに
「テルーの唄」は書かれたそうだ。
この詩はわたしのこころに呼応している。
この秋、夕暮れにひとり、この詩を想い、
わたしは何度もこの唄を口ずさむに違いない。
テルーの唄
夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる
鷹はきっと悲しかろう
音も途絶えた風の中 空をつかんだその翼
休めることはできなくて
心を何にたとえよう 鷹のようなこの心
心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを
雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている
花はきっと切なかろう
色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを
愛でてくれる手もなくて
心を何にたとえよう 花のようなこの心
心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを
人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど
絶えて物言うこともなく
心を何にたとえよう 一人道行くこの心
心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを
私自身、毎日、人様の前で歌も歌う。
けれど実は個人的にはまだ一人で音楽は聞けないでいる。
そうなって3年半が経った。
それまでの私は活字と音楽がなかったら
生きていけない人だった。
厳密に言えば、聞ける曲と聞けない曲があり、
でもそれも一人では聴けないと言うか、
一人では聴きたくないというか。
思い出のある曲はなおさらに。
だから音楽が流れているのは仕事場か、
一緒に居る人が音楽を聴いているとき。
その流れてくる曲の中に「テルーの唄」がある。
そう、この夏公開されたジブリの映画
「ゲド戦記」の挿入歌。
私はこの唄がとても気に入っている。
声も歌詞も曲も何もかもお気に入り。
何度も流れてくるからすっかり覚えてしまった。
私は詩が大好きで、いろんな人の詩を読む。
中でも萩原朔太郎のこの詩は
お気に入りのひとつだった。
こころ 萩原朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
この「こころ」と言う詩をテーマに
「テルーの唄」は書かれたそうだ。
この詩はわたしのこころに呼応している。
この秋、夕暮れにひとり、この詩を想い、
わたしは何度もこの唄を口ずさむに違いない。
テルーの唄
夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる
鷹はきっと悲しかろう
音も途絶えた風の中 空をつかんだその翼
休めることはできなくて
心を何にたとえよう 鷹のようなこの心
心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを
雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている
花はきっと切なかろう
色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを
愛でてくれる手もなくて
心を何にたとえよう 花のようなこの心
心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを
人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど
絶えて物言うこともなく
心を何にたとえよう 一人道行くこの心
心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを