今のところで働き始めてからもう五ヶ月目になる。
金曜日、土曜日と休んでしまった。。。こころの調子が悪くて。
体調が悪かったり、用事があったりしてお休みを頂いた事はあったが、どんなにメンタルな部分が苦しいと思っても、歯を食いしばって頑張ってきた。
でも、今回は駄目だった。別段PTSDの症状があまりにもひどく出たとかではない。
ただ、静かに静かに日の差さない水底にいるような、そんな気持ちでいる。
静かな悲しみとでも言うようなものがさざ波のようにせまってくるその波に足止めをされて動けなくなった。
いつもなら「ここで休んだら…」とか「お金が…」とか考えていっていたと思う。
でも今回は違った。ただ静かに「今日は行かずにおこう」と思った。
私は3年半前、命よりも大切な人を突然死という形で失った。
嘘みたいな出来事だった。
その人は、私にとって、誰よりも私を理解し受け止めてくれた人だった。
その頃も、たぶん今も、たった一人、恋愛とか親子愛とか、形ではなく、本当の意味で心から私を愛してくれた人だった。
そうして、私にとっても、向けられる愛を疑いなく信じることの出来た人だった。
その人が亡くなった時間のほんの3時間前まで、私たちは話をし、一緒にお弁当を食べて笑っていた。
眠る間もないくらい忙しかったその頃、その人は最後まで私の身体を気遣ってくれて、すこしでも眠るようにと、その夜、わたしのしていた仕事を引き継いで変わってくれたのだ。
私たちはその頃、やっと念願の夢を現実にする場所を手に入れて、そこで一生懸命に私たちの信じる世界を作っている最中だった。
そこはこの世で一番わたしの好きなものがそろっている「天国」で、そこ以上の場所はなかった。
大好きな人たちがいて、大好きな仕事が誰にも邪魔されず、思う存分出来る。
それを喜んでくれる人が集う、愛にあふれたところだった。
その天国でわたしの一番大切なもののなかの一番愛したものが一瞬にして消えてしまった。
ソウルメイトはその店の舞台の上で突然に命の終わりを迎えた。
最後に会って3時間後の事。
それから、わたしは10日ちかく眠らなかった。全然眠くならないし、苦しくもなかった。ある日、いきなり目の前がゆがんでくにゃくにゃに見えて、初めて「あ、身体がもう駄目なんだ」と分かった。でも全然辛くなかった。
生きる気力がないとき、(その時はそんなことも何も考えなかったけど)、人間は痛みや苦しみは感じないものなんだなあと思った。
それから何も感じなくなった。感情はある。でも心はなにも感じていない。だから何を見ても聞いても本当にきれいだと思うことも、嬉しい事も、楽しい事も分からなかった。
ただ、生きているから笑ったりする機能を使ってただけで。
実は悲しい事も最初の一年は上手く分からなかった。上手く言えないけど。
ただ、その大切な人と共通するものには触れることが出来なくなった。
10年という長い年月を共にしたその人だったから、この住んでいる場所で思い出のないところなんてなかった。私は街を歩けなくなってしまった。
そして大切な人と一緒に、それまでの自分も失ってしまった。
命も仕事も名前も何もかも。
そして、わたしは全く知らない土地に移り、暮らすことになった。
でも、もともとやれることしかやってこなかったから、ただ生きてると、あたしって本当にそれしか出来なかったんだなあって事がよおく自分で分かった。
それしか出来ないんだから、そこに帰らなきゃいけないって漠然と思って、東京に帰ってきたのだった。
そこでしか生きられないって分かったから。
でも帰ってきたけど、生き方はやっぱり同じで、思いはあっても大切なものには全く触れる事が出来なかった。
何よりも大好きなのに、大切なのに、見ることも触る事も出来ない。
悲しかった。ただ、痛みと深く暗い悲しみが訪れるようになった。
今も良くあることだが、朝起きるとなぜここにいるのかさっぱり分からない。
この現実はどうしても想像しなかったところにあって、全く持って理解できない。
何故?と思っていると、失ったものを思い出す。それらが今は手元にない事に気が付いてしまう。
すると次は真っ暗な孤独と悲しさが恐ろしい勢いでせまってくる。
なにもかも失ってしまったという孤独は壮絶なものだ。
ひたすらに孤独と恐怖が襲ってくる、だれも助けてくれない。助けてくれることの出来るたった一人の人はもういないのだから。
なによりそれが怖かった。そしてそれらは今もわたしの傍にある。
このブログを書き始めた頃位から、悲しい、寂しい、怖いと思ってる自分が見えるようになった。
周りの人々が自分を助けようとしてる事も理解できるようになった。
だから、きっとこれじゃあいけないんだ、と思い、ネガティヴなことは書くまいと、優しい気持ちで穏やかに暮らしたいと、このブログを書き始めた。
そうするとなぜか穏やかな暮らしが待っていた。たぶん望んでいるものではなかったんだけど。でもそれに気づく余裕もなかった。
不思議だが人を信じたりすることも出来るようになった。
信じるというか、心を少し開けるようになったと言うことだろうか?
失くしてしまったと思った感情がある一瞬だけは戻ってくるという衝撃的な出来事にも恵まれた。
すると今まで生きてきて誰にも言えないで来たネガティヴなことや悲しい事が、特定の人には少しづつ話せるようになった。
その代わり、時折訪れる深い悲しみや孤独や痛みがもっと分かるようになった。それは本当に苦しかった。
そんな時間が一年と少し続いたある日、わたしはやっと話せるようにまでになった心許した人から信じられない様な言葉と行動を突きつけられた。
その人はわたしの病状を受け止めてくれた数少ない人だった。
人を信じられない自分だが、それでももともと「信じることからはじめよう」とする性格で一度信じたらそれは絶対だった。
だからそういう人が心変わりすることは心の奥底でかなりショックだったらしい。
それがきっかけでPTSDの症状が顕著に現れるようになり、やっと取り戻したかに見えた通常の生活が出来なくなった。全く人と関われなくなってしまったのである。
人様に話せば、なんだそんなことか、人なんてそんなもんだよって事かもしれないが…。
実際、そういう状況は辛かった。生活がどんどん脅かされていく、恐怖だった。
でもそこから一年、いろんな人の手助けがあって、やっと動けるようになり、問題を抱えたままながらも仕事まで出来るようになった。
閉ざしていた心もまた少しづつ開けるようになって来たところだった。
ところが、だ、この中休みである。
恵まれて、この状況で仕事を得て、ここまで来た。その間、いろんな人に出会い、協力を受けて、もともとやっていた世界にももう一度帰れることになった。
ああ、これで、迷惑をかけてきた人にも「元気になってきました」って言える。
やっと働けるようになってきましたっていう事が出来る、って思ってた矢先の今日。
この中休みの原因は、客観的に言うなら、もちろんわたしの弱さにあるんだろう。
今の職場でわたしはとても良くしてもらっている。
そうして、わたしはそれをとても嬉しいと感じていた。
だから自分に出来る一生懸命さを持って誠実に頑張ろうと思ってきた。
わたしは病気を抱えている。その状況は自分ではどうしようもない事もある、だからその事を伝えてきた。
その流れの中で、聞かれるままに自分の事を話した。出来るだけの誠意を持って正直に。
なぜならわたしの病気の原因がその人生の中にあるからだ。
自分でも特異すぎて対応できず病気になるくらいの歩みなのだから、他人からすれば夢のような嘘のような話であることも分かっている。だから理解されない事も疑われる事も知っている。
それでも、相手の笑顔にわたしは希望を持って話す。そうしなければ話せない。
しかし、信じてもらうことは難しい。最初は誰でも「可哀想に…」と言った気持ちがあるのだろう。話の内容云々よりその気持ちで対応をしてくれる。
受け入れられれば、こちらは安心し落ち着いて行動が出来る、病気の片鱗も見えない。
外科的な病気じゃないから、傷はまったく相手から見えていない。
となると、人はこの人は病気というが本当か?と疑ったりする。傷が見えないから、それを探って見つけようとする。
それでも相手に見えなければ「うそなんじゃない?」「だから精神病は困る」と攻撃してくる。
でも、紛れもなくわたしは傷を持ったまま生きているのだ。
相手に見えずとも攻撃は直接傷に当たった。ましてや攻撃している人は自分が信用した人であるケースが多い。信じている人からの攻撃は痛くて辛い。
何とかして、和解しようとするが、見えない傷には気が付いてもらえない。
じわじわ傷は広がって、血だらけになって、あまりの痛さに立てなくなった。
ある人が「あなたの生き方は通常の理解域の範疇を越えるのだから、理解されようってのが間違いだよ。理解されなくて当たり前と思うようにしたほうがいい」と言った。
分かっている、そんなことは分かっている。十分承知している。
でも、やっぱり信じて欲しい人に信じてもらえないことはとても辛い。わたしにはとても悲しいことだった。
他人にはどううつっても、わたしには実際に起きた現実なのだから。
正直に生きようとしたらそれを伝えるしかないのである。
仕事場でその人はより所だった。理解してもらえずとも、りかいを示してくれているという事が嬉しかったし、安心だった。
ところが昔、精神科のナースであったというその人は「病気=頭や心がおかしい」と考える人なのかもしれない。
「おかしい人」が喋る事は「おかしい事」でしかなかったんだと思う。
たぶんその人にとっては、そう感じ、考えることが当たり前の感情で間違いのない正しい事だから、わたしがその人の言動で痛みを感じているなんて思いもよらない事だったろう。
その証拠に本当によく面倒を見てくださるのだ。もし、傷つけているとか馬鹿にしてるとかそういう意識があったら、そういう風にはしてくださらないだろう。
相手から見たら、いきなり湧いて出た水みたいにびっくりに違いない。
わたしはそのことも良く分かっている。だから感謝もしてるし、頑張れた。
その人はわたしを理解したいといった。自分には良く理解できない事もあるが信じてないというわけじゃないと言った。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの価値観の中で一生懸命生きている、だから人の人生をとやかく言うべきでないと言ってくれた。
それをわたしは言葉のままに受け止めようとした。ところが、この何ヶ月か、その人はそう言った端からわたしの言う事を疑っていた。最初からすべて。彼女自身は気づかなかったろうが、わたしにはそれが良く分かってしまった。
その人は屈託のない性格で自分のすることに非はないと思っているタイプの人だから、本当に何も気づかなかったに違いない。
わたしがはなすと「信じてないわけじゃないけど聞けば聞くほどおかしいのよね。あなた病気だから自分でも言ってる事が分からないのでしょう?」と笑う。
その言葉がわたしをすべて否定している事なんか気がつかない。
「切って治る病気はいい。でも切っても治らない病気の人はあわれだ」とわたしを見て言う。
それがどれだけ病を辛く思っている人間に痛い言葉であるか知らないで。
病状の事で仕事に少しでも不利な事があると、それが病気からくるもので、とても辛い事であるとどんなに説明しても、性格的なものでそうなるとしかとってもらえない。
例えばわたしがとても親しくしている人を知る人が他に居たとして、その人の事を聞かれて話すとしよう。例えばその人の事を聞かれて答える。その人はわたしを信じているといいながら、他から聞いた事と内容が違うと信じてると言う傍から「話が違う、だれだれはこう言っていた」とわたしに言う。何を言ってもわたしの方が嘘なのだ。
信じてもらえないって言うのは本当に悲しい事だった。わたしには。
やっと戻れた自分の世界、やっとの思いで生きていく場所を見つけて、そのために一生懸命生きているわたしに、その内容を訪ねては毎日のように「お金にもならないものに何の意味があるの?」「ただの趣味?」と笑われる。向こうはきっと正しい事を言ってるだけで悪気なんてなければ、それが人を悲しませてるなんて思いもよらないのだろう。だからわたしも何も言わない。
ただその奥底で理解してもらうのは難しいだろうな、と想いながらもやっぱり、この精神状況でやっと得た場所を笑われるのは、汚されるようで悲しい。
生活もいっぱいいっぱいの癖にお金も知名度も気にせず、ただ真っ直ぐに演じていく事でお客様との関係を築いていこう、そういうスタンスで芸術活動していこうとするわたし達の姿は事はとてもこっけいにうつるのだろうとは思うけれど。
そういう言葉の波に揺られているうちにわたしは酔ってしまった。
岸に上がって呆然としていたら、兄ちゃんがまあ一休みしたらいいさ、とにかく酔いをさましなよというので今は防波堤に座って波を見ている。
昨日までは気持ち悪くて寝込んでいたけど。
今は風に吹かれながらわたしを酔わせた波を見ている。
わたしは波に正直に酔いましたと言いました。
波は何も言わずにわたしを船から降ろしてくれました。
だから言いました、酔ってしまったので酔いがおさまったらまた船に乗ります、と。
波がどう思ったかは分からないけれど。
ただもう一回これだけ酔ってしまったので今度は免疫が出来ている事だろう。
きっと今度はもう少し荒波でも酔わずに居られるかもしれない。
金曜日、土曜日と休んでしまった。。。こころの調子が悪くて。
体調が悪かったり、用事があったりしてお休みを頂いた事はあったが、どんなにメンタルな部分が苦しいと思っても、歯を食いしばって頑張ってきた。
でも、今回は駄目だった。別段PTSDの症状があまりにもひどく出たとかではない。
ただ、静かに静かに日の差さない水底にいるような、そんな気持ちでいる。
静かな悲しみとでも言うようなものがさざ波のようにせまってくるその波に足止めをされて動けなくなった。
いつもなら「ここで休んだら…」とか「お金が…」とか考えていっていたと思う。
でも今回は違った。ただ静かに「今日は行かずにおこう」と思った。
私は3年半前、命よりも大切な人を突然死という形で失った。
嘘みたいな出来事だった。
その人は、私にとって、誰よりも私を理解し受け止めてくれた人だった。
その頃も、たぶん今も、たった一人、恋愛とか親子愛とか、形ではなく、本当の意味で心から私を愛してくれた人だった。
そうして、私にとっても、向けられる愛を疑いなく信じることの出来た人だった。
その人が亡くなった時間のほんの3時間前まで、私たちは話をし、一緒にお弁当を食べて笑っていた。
眠る間もないくらい忙しかったその頃、その人は最後まで私の身体を気遣ってくれて、すこしでも眠るようにと、その夜、わたしのしていた仕事を引き継いで変わってくれたのだ。
私たちはその頃、やっと念願の夢を現実にする場所を手に入れて、そこで一生懸命に私たちの信じる世界を作っている最中だった。
そこはこの世で一番わたしの好きなものがそろっている「天国」で、そこ以上の場所はなかった。
大好きな人たちがいて、大好きな仕事が誰にも邪魔されず、思う存分出来る。
それを喜んでくれる人が集う、愛にあふれたところだった。
その天国でわたしの一番大切なもののなかの一番愛したものが一瞬にして消えてしまった。
ソウルメイトはその店の舞台の上で突然に命の終わりを迎えた。
最後に会って3時間後の事。
それから、わたしは10日ちかく眠らなかった。全然眠くならないし、苦しくもなかった。ある日、いきなり目の前がゆがんでくにゃくにゃに見えて、初めて「あ、身体がもう駄目なんだ」と分かった。でも全然辛くなかった。
生きる気力がないとき、(その時はそんなことも何も考えなかったけど)、人間は痛みや苦しみは感じないものなんだなあと思った。
それから何も感じなくなった。感情はある。でも心はなにも感じていない。だから何を見ても聞いても本当にきれいだと思うことも、嬉しい事も、楽しい事も分からなかった。
ただ、生きているから笑ったりする機能を使ってただけで。
実は悲しい事も最初の一年は上手く分からなかった。上手く言えないけど。
ただ、その大切な人と共通するものには触れることが出来なくなった。
10年という長い年月を共にしたその人だったから、この住んでいる場所で思い出のないところなんてなかった。私は街を歩けなくなってしまった。
そして大切な人と一緒に、それまでの自分も失ってしまった。
命も仕事も名前も何もかも。
そして、わたしは全く知らない土地に移り、暮らすことになった。
でも、もともとやれることしかやってこなかったから、ただ生きてると、あたしって本当にそれしか出来なかったんだなあって事がよおく自分で分かった。
それしか出来ないんだから、そこに帰らなきゃいけないって漠然と思って、東京に帰ってきたのだった。
そこでしか生きられないって分かったから。
でも帰ってきたけど、生き方はやっぱり同じで、思いはあっても大切なものには全く触れる事が出来なかった。
何よりも大好きなのに、大切なのに、見ることも触る事も出来ない。
悲しかった。ただ、痛みと深く暗い悲しみが訪れるようになった。
今も良くあることだが、朝起きるとなぜここにいるのかさっぱり分からない。
この現実はどうしても想像しなかったところにあって、全く持って理解できない。
何故?と思っていると、失ったものを思い出す。それらが今は手元にない事に気が付いてしまう。
すると次は真っ暗な孤独と悲しさが恐ろしい勢いでせまってくる。
なにもかも失ってしまったという孤独は壮絶なものだ。
ひたすらに孤独と恐怖が襲ってくる、だれも助けてくれない。助けてくれることの出来るたった一人の人はもういないのだから。
なによりそれが怖かった。そしてそれらは今もわたしの傍にある。
このブログを書き始めた頃位から、悲しい、寂しい、怖いと思ってる自分が見えるようになった。
周りの人々が自分を助けようとしてる事も理解できるようになった。
だから、きっとこれじゃあいけないんだ、と思い、ネガティヴなことは書くまいと、優しい気持ちで穏やかに暮らしたいと、このブログを書き始めた。
そうするとなぜか穏やかな暮らしが待っていた。たぶん望んでいるものではなかったんだけど。でもそれに気づく余裕もなかった。
不思議だが人を信じたりすることも出来るようになった。
信じるというか、心を少し開けるようになったと言うことだろうか?
失くしてしまったと思った感情がある一瞬だけは戻ってくるという衝撃的な出来事にも恵まれた。
すると今まで生きてきて誰にも言えないで来たネガティヴなことや悲しい事が、特定の人には少しづつ話せるようになった。
その代わり、時折訪れる深い悲しみや孤独や痛みがもっと分かるようになった。それは本当に苦しかった。
そんな時間が一年と少し続いたある日、わたしはやっと話せるようにまでになった心許した人から信じられない様な言葉と行動を突きつけられた。
その人はわたしの病状を受け止めてくれた数少ない人だった。
人を信じられない自分だが、それでももともと「信じることからはじめよう」とする性格で一度信じたらそれは絶対だった。
だからそういう人が心変わりすることは心の奥底でかなりショックだったらしい。
それがきっかけでPTSDの症状が顕著に現れるようになり、やっと取り戻したかに見えた通常の生活が出来なくなった。全く人と関われなくなってしまったのである。
人様に話せば、なんだそんなことか、人なんてそんなもんだよって事かもしれないが…。
実際、そういう状況は辛かった。生活がどんどん脅かされていく、恐怖だった。
でもそこから一年、いろんな人の手助けがあって、やっと動けるようになり、問題を抱えたままながらも仕事まで出来るようになった。
閉ざしていた心もまた少しづつ開けるようになって来たところだった。
ところが、だ、この中休みである。
恵まれて、この状況で仕事を得て、ここまで来た。その間、いろんな人に出会い、協力を受けて、もともとやっていた世界にももう一度帰れることになった。
ああ、これで、迷惑をかけてきた人にも「元気になってきました」って言える。
やっと働けるようになってきましたっていう事が出来る、って思ってた矢先の今日。
この中休みの原因は、客観的に言うなら、もちろんわたしの弱さにあるんだろう。
今の職場でわたしはとても良くしてもらっている。
そうして、わたしはそれをとても嬉しいと感じていた。
だから自分に出来る一生懸命さを持って誠実に頑張ろうと思ってきた。
わたしは病気を抱えている。その状況は自分ではどうしようもない事もある、だからその事を伝えてきた。
その流れの中で、聞かれるままに自分の事を話した。出来るだけの誠意を持って正直に。
なぜならわたしの病気の原因がその人生の中にあるからだ。
自分でも特異すぎて対応できず病気になるくらいの歩みなのだから、他人からすれば夢のような嘘のような話であることも分かっている。だから理解されない事も疑われる事も知っている。
それでも、相手の笑顔にわたしは希望を持って話す。そうしなければ話せない。
しかし、信じてもらうことは難しい。最初は誰でも「可哀想に…」と言った気持ちがあるのだろう。話の内容云々よりその気持ちで対応をしてくれる。
受け入れられれば、こちらは安心し落ち着いて行動が出来る、病気の片鱗も見えない。
外科的な病気じゃないから、傷はまったく相手から見えていない。
となると、人はこの人は病気というが本当か?と疑ったりする。傷が見えないから、それを探って見つけようとする。
それでも相手に見えなければ「うそなんじゃない?」「だから精神病は困る」と攻撃してくる。
でも、紛れもなくわたしは傷を持ったまま生きているのだ。
相手に見えずとも攻撃は直接傷に当たった。ましてや攻撃している人は自分が信用した人であるケースが多い。信じている人からの攻撃は痛くて辛い。
何とかして、和解しようとするが、見えない傷には気が付いてもらえない。
じわじわ傷は広がって、血だらけになって、あまりの痛さに立てなくなった。
ある人が「あなたの生き方は通常の理解域の範疇を越えるのだから、理解されようってのが間違いだよ。理解されなくて当たり前と思うようにしたほうがいい」と言った。
分かっている、そんなことは分かっている。十分承知している。
でも、やっぱり信じて欲しい人に信じてもらえないことはとても辛い。わたしにはとても悲しいことだった。
他人にはどううつっても、わたしには実際に起きた現実なのだから。
正直に生きようとしたらそれを伝えるしかないのである。
仕事場でその人はより所だった。理解してもらえずとも、りかいを示してくれているという事が嬉しかったし、安心だった。
ところが昔、精神科のナースであったというその人は「病気=頭や心がおかしい」と考える人なのかもしれない。
「おかしい人」が喋る事は「おかしい事」でしかなかったんだと思う。
たぶんその人にとっては、そう感じ、考えることが当たり前の感情で間違いのない正しい事だから、わたしがその人の言動で痛みを感じているなんて思いもよらない事だったろう。
その証拠に本当によく面倒を見てくださるのだ。もし、傷つけているとか馬鹿にしてるとかそういう意識があったら、そういう風にはしてくださらないだろう。
相手から見たら、いきなり湧いて出た水みたいにびっくりに違いない。
わたしはそのことも良く分かっている。だから感謝もしてるし、頑張れた。
その人はわたしを理解したいといった。自分には良く理解できない事もあるが信じてないというわけじゃないと言った。
人にはそれぞれの人生があり、それぞれの価値観の中で一生懸命生きている、だから人の人生をとやかく言うべきでないと言ってくれた。
それをわたしは言葉のままに受け止めようとした。ところが、この何ヶ月か、その人はそう言った端からわたしの言う事を疑っていた。最初からすべて。彼女自身は気づかなかったろうが、わたしにはそれが良く分かってしまった。
その人は屈託のない性格で自分のすることに非はないと思っているタイプの人だから、本当に何も気づかなかったに違いない。
わたしがはなすと「信じてないわけじゃないけど聞けば聞くほどおかしいのよね。あなた病気だから自分でも言ってる事が分からないのでしょう?」と笑う。
その言葉がわたしをすべて否定している事なんか気がつかない。
「切って治る病気はいい。でも切っても治らない病気の人はあわれだ」とわたしを見て言う。
それがどれだけ病を辛く思っている人間に痛い言葉であるか知らないで。
病状の事で仕事に少しでも不利な事があると、それが病気からくるもので、とても辛い事であるとどんなに説明しても、性格的なものでそうなるとしかとってもらえない。
例えばわたしがとても親しくしている人を知る人が他に居たとして、その人の事を聞かれて話すとしよう。例えばその人の事を聞かれて答える。その人はわたしを信じているといいながら、他から聞いた事と内容が違うと信じてると言う傍から「話が違う、だれだれはこう言っていた」とわたしに言う。何を言ってもわたしの方が嘘なのだ。
信じてもらえないって言うのは本当に悲しい事だった。わたしには。
やっと戻れた自分の世界、やっとの思いで生きていく場所を見つけて、そのために一生懸命生きているわたしに、その内容を訪ねては毎日のように「お金にもならないものに何の意味があるの?」「ただの趣味?」と笑われる。向こうはきっと正しい事を言ってるだけで悪気なんてなければ、それが人を悲しませてるなんて思いもよらないのだろう。だからわたしも何も言わない。
ただその奥底で理解してもらうのは難しいだろうな、と想いながらもやっぱり、この精神状況でやっと得た場所を笑われるのは、汚されるようで悲しい。
生活もいっぱいいっぱいの癖にお金も知名度も気にせず、ただ真っ直ぐに演じていく事でお客様との関係を築いていこう、そういうスタンスで芸術活動していこうとするわたし達の姿は事はとてもこっけいにうつるのだろうとは思うけれど。
そういう言葉の波に揺られているうちにわたしは酔ってしまった。
岸に上がって呆然としていたら、兄ちゃんがまあ一休みしたらいいさ、とにかく酔いをさましなよというので今は防波堤に座って波を見ている。
昨日までは気持ち悪くて寝込んでいたけど。
今は風に吹かれながらわたしを酔わせた波を見ている。
わたしは波に正直に酔いましたと言いました。
波は何も言わずにわたしを船から降ろしてくれました。
だから言いました、酔ってしまったので酔いがおさまったらまた船に乗ります、と。
波がどう思ったかは分からないけれど。
ただもう一回これだけ酔ってしまったので今度は免疫が出来ている事だろう。
きっと今度はもう少し荒波でも酔わずに居られるかもしれない。