KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

銀の鈴としんちゃん

2006-11-02 | KOFUKU日記
今日はキリスト教・カトリックでは「死者の日」
亡くなられた方々に思いをはせ、祈りを捧げる日です。
どうぞ皆様、亡くなった魂のためにご一緒においのりください。

今週は天に帰られた人、向こうの世界の不思議なお話をお伝えしています。
今日はキクおばあちゃんのお話のなかに登場した母の弟
おじさんの“しんちゃん”について少しお話してみようと思います。

しんちゃんは戦時下の大雨の日、二人姉弟の弟として生まれました。
しんちゃんのお母さん(キクおばあちゃん)は彼の生まれた翌日
雨水のたまった防空壕に一晩使っていた事が原因で体が不自由になりました。
そうやって命を守ってもらったしんちゃんは誰よりもお母さんを愛しました。
お母さん思いの子供に育って、お母さんを楽にさせてあげようと
一生懸命勉強し、一生懸命に働きました。
ところがお母さんはある日、突然帰らぬ人になってしまいました。

「姉ちゃん、俺の人生は終わったよ」

お母さんを失ったまだ十代だったしんちゃんは
お母さんが亡くなった夜にポツリとそうつぶやいたそうです。

「あの子は可哀想なのよ。本当にお母さん一筋だったから。
あんな風に生きる気力をなくしても仕方ないの」
母が言っていた事を思い出します。
おばあちゃんを亡くしてからのしんちゃんは紆余曲折あったようです。
働く気力をなくし、沈んでいた日々が続きました。
そんな彼を私の父はとても嫌がり喧嘩が耐えなかったそうです。
かれはお母さんと同じように姉である私の母を愛していました。
父は以前にも書いたように横暴な人だったので、
母はとても苦労していたのです。
父を愛する母にはなんでもないことでも、
母を愛する人にとってはそれを見ているのは辛かったのでしょう。
ところが、そこに私が生まれました。
しんちゃんは超未熟児で生まれたとき息のなかった私が
生還したことを自分のことのように喜んだそうです。
彼は体が極端に弱くちいさな、そして母にそっくりの私を溺愛しました。
わたしもしんちゃんが大好きでした。

しんちゃんはおばあちゃんと同じで強い霊能力を持っていました。
小さい頃から心霊体質だった私は3度彼に助けてもらった事があります。

3歳のときのことです。
毎夜毎夜9時なると私は何かの力によって
部屋の真ん中に引っ張り出され、座らされます。
怖いから行きたくないのに私は体が動かないのです。
時計の音がだんだんだんだん大きくなって「ボーン」と9時を打つと
いっせいにすべてのものが動き出します。テレビは大きくなって私を襲い、
いろんなものがくにゃくにゃ動き出すのです。私にはそう見えたのです。
時には家のお皿やものがぴゅんと飛んだり、がちゃんと落ちて割れたり。
私は怖くて正座したまま部屋の真ん中で泣き叫ぶ。
そういうことが続きました。
長崎に出向で単身赴任していたしんちゃんがある日電話をかけてきました。
「もしもし、レイか~?元気か?」
「うん、あのね~、怖いのが来るの」
「そうか、そしたら明日しんちゃんが帰るからねえ」
何かを察知したのかしんちゃんは夜行列車に乗り朝の5時ごろでしょうか、
世が白む頃に戻ってきました。
私はすぐに目を覚まし、しんちゃんに飛びついて行ったのです。
しんちゃんは「げんきにしちょったか~」と笑って私を抱きました。
そしてびっくりするほど強く抱きしめて母に言ったのです。

「姉ちゃん、家の四隅にこも(かごの様なもの)を担いだ男が四人たってる。
このままやっとこの子がつれていかれるぞ。」

それからしんちゃんは早々に出かけ、夜近くになって戻ってきました。

「しんちゃん、どこにいってきたと?」私は聞きました。
「神さまのところに言ってきたとよ。
お前の怖いのがくるからそれを退治する道具をくださいって
神さまにお願いをしてねえ、もらって来たとよ。」

そういってしんちゃんが出したのは
“ビニールのケースに入った6色のサインペン”と“折り紙”でした。
しんちゃんはその折り紙でセミをおりました。
そしてサインペンのケースの蓋を開けるとくるんと折り返し
対砲台のようにして部屋の真ん中に置いたのです。
ペンを少しづつ引き出してその頭に一匹ずつセミをかぶせました。
そして私を座らせてこういいました。

「よかか?このセミはね、神さまのところから連れてきたお使いじゃっど。
ものすごかちからがあるんだよ。九時になったらね、
このセミがミサイルみたいに飛んでいって怖いのを退治する。
そしたら今日から怖いのはもう来ないからね。」

そして9時ちかく、また私は引っ張られるように部屋の真ん中に座りました。
しんちゃんは隣にすわり、セミを前にして目を閉じています。
私も目を閉じました。
“ボーン!!”
九時になりました。ところが、何も起きなかったのです。
あれだけ続いた怪現象がぴたりとやみました。
「怖いの、来なかった!」
私が目を開けて言うと、しんちゃんは笑って
「神さまのセミは強かねえ」と笑いました。
サインペンミサイルのセミは消えてなくなっていました。
それ以来、わたしは部屋の真ん中で泣く事はなくなりました。

しんちゃんは2003年9月21日ガンで亡くなりました。
誰にも見取られる事なく、ひっそりと一人で。
最後まで母を呼んでいたそうです。
私はそれを北海道で聴きました。
複雑な事情のわたしの家は彼の事を引き取る事が出来なかったのです。
彼の亡き骸は国の検体となって回収され、今もその行方は分かりません。
お葬式もお骨を拾うことも許されませんでした。
私も同じような運命にある、そう思うとしんちゃんのことが
本当に不憫で可哀想でならなかったのです。
せめてお経だけでも、簡単なお葬式だけでも、
そう思ってあちこちのお寺に聞いて回りました。
どこも「骨がないと」とか「宗派が違うから」と断られました。
最後に伊達の学校で同級生だった老齢のシスターに相談しました。
すると教会でミサをあげてくれると言うのです。
ほんの少しのお金で出来るからと掛け合ってくださいました。
そうして11月2日死者の日にソウルメイトの供養と共に
しんちゃんのミサをあげてもらったのでした。

部屋で戒名がないからしんちゃんの名前を書いて紫の小菊を飾っていました。
それに向かって
「しんちゃん、しんちゃんのために祈ってもらったよ。
あたしはあんなにしてもらたのに何も出来んかったけどごめんね。
うちの人たちもしんちゃんが憎くてしたんじゃないから許してね」
そう伝えました。

次の日、紫色の小菊のなかから、真っ白い花が一輪咲きました。

わたしは向こうの世界関わるとき音が聞こえます。
声や音やいろいろです。
でも愛する人たちのたましいやたぶん天界の人たちがちかづくと
それはそれは深くしずかな美しい音で
“りぃぃん、、、、”
と、鈴の音が聞こえるのです。
はるか遠くの場所から静かに聞こえて来るのですよ。
本当にそれはとてもとても美しい音なのです。
わたしはそれを“銀の鈴”の音と呼んでいます。

今日は死者の日。
またいつか会おうねと約束を新たにする日です。