KOFUKUの家から

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芸術的田舎暮らし真っ最中

“te shi go to”

2006-11-22 | 手しごと*スローライフ
日曜日、“つぶや木”の愛ちゃん主催で“杜のねっこぼっこ~ぺこ市”が開かれます。
そのペコ市に私のつたないてしごとたちも並ばせていただく事になりました。
クラフトバザールと同様、随分早いうちにオーダー頂いたのだけれど、
昨日やっとてしごとたちは私のお家を旅立ったのでした(^。^;)
やっとやっと期日ギリギリで送ることができました。
どういう訳かこういうときに限って妙に忙しかったり、
いきなり仕事を変わることになったり、体調が優れずだったり…。
でも、てしごとがひと段落したらそっちのほうも落ち着いてきたりして不思議なものです。

さて、これはもう『いいわけ』にしかならないのは分かってるのですが(^^;)
今日は私のてしごとが遅い理由を述べてみたいと思います(笑)
えーとクラフトを制作するクリエイターとして自分を見たとき
一言で言うならば『仕事として請け負っておきながら
決して仕事として製作しない超我がままクリエイター』と呼べると思います(^。^;)
お待たせしているお客様には本当にすみませんって感じなんですが…。
それにはこういう理由があるのです。
私はてしごとをするとき決してしないことが幾つかあります。
それはまず第一に『心が乱れているときは決しててしごとに触れない』
第二に『時間と戦わない』
第三に『お金を考えながら作品をつくらない』
この三つです。
逆に必ずやることは
第一に『心落ち着き満たされるとき、少しの時間でもいいからてしごとに必ず触れる』
第二に『作品と向き合う』
第三に『誰かの事を想い祈りつつ制作する』
この三つなのです(^^)
というわけで私のてしごとは“遅い”のです。
なんせ常日頃“こころ乱れっぱなし”の私なのでなかなか製作が進まないのです。
てしごと作品には作り手がつくったときの心持ちがそのままに現れる、そう私は思ってます。
乱れた心のまま、作品よりも時間を気にしたりしてつくった作品は
決して善いものにはなりません。
上手には作れても『善いもの』にならないのです。
不思議なもので、例えば糸を紡ぐとしましょう。
心が乱れているとき、糸は真っ直ぐに紡げません。
ぶちぶち切れてしまったり、ぼこぼこと固まりになってしまったりします。
てしごとは片手でやるには難しい作業です。
左と右とのバランス、頭と心のバランスがとれてはじめて形になります。
中には手がない人でもそれを上手くやる人が居ますが
そういう方は他の部分がそのバランスを補っているのでしょう。
この『バランス』が取れていないとてしごとはスムーズに行かないのです。
そういう時の人はなかは、私の中身はとても『複雑』です。
いろいろ思いを駆けめぐらし、あれやこれやと思いつめ、
心と体がバラバラにパンパンになってしまってたりします。
でも逆にてしごとが上手く行くときの私の中身は「超シンプル」なのです。
「だれだれがよろこんでくれるかな~」とか「あーたのしー!」とか
すっごく単純な感情の中にあります。
手仕事をしていていつも思うことは、私のベースは「単純でありたい」ということです。
今の世の中は複雑です。いろいろなものが多様化されて、
日々それらは形を変え複雑さを増してゆきます。
たぶん「統合」させるより「分ける」ことのほうが容易だからでしょう。
けれど分けた分だけ考え方やあり方が増え、それらは難しさも増やしていきます。
そんな風に人間の日々は形を変えながら、難しさを増やしていったのでしょう。
世の中には難しいことがいっぱいです。
政治、経済、国や戦争の問題、いろいろあります。
本当はそれらを一つ一つ考えて行くことも本当に大切なのだろうけれど
私はそういう世の中にあって、極単純な部分に居たいと思うのです。
もともと私たちは本当にシンプルに生きて居たんだと想うのですよ。
その頃はきっと我々は一つだったのです。
一つで居られた理由、それはきっと『バランス』が取れていたから。
いまは逆のバランスを取るためにいろいろなものが多様化しているのでしょう。
クラフトや演劇に携わっているとそういった事が身近に感じられるのです。
もともとてしごとはそういったシンプルな感情や生活から生まれたもの。
あの人をあたためてあげたいとか笑顔が見たいとか、
そういった気持ちが布を織らせ、美味しい食事のレシピを生み出した。
私はそう想っているのです。
そういうシンプルな喜びから生まれたものは人を問わず幸せにする気がします。
なぜならそれらの持つパワーというものはどんな人にも理解できるからです。
生まれたばかりの赤ちゃんでも、その肌着の感触に頬をほころばせ、
この世を去ってゆこうという人にも、例えばその身を包むお布団が
その人をくるみあたためることができます。
私はそういう内奥にあるシンプルさのなかに生きて居たい。
理屈や計算ではなく、ただただシンプルに動くたましいのなかに居たい。
だからこそ自分のつくるものはシンプルに単純に
どんな人にも喜ばれるような易しいものを作りたいのです。
てしごとも書き物も、私のすべても。
「単純さ」それはきっともっともシンプルな「愛」の形。
わたしは0歳からこの世を去るまでの人が喜んでくれるものを作って行きたいと思います。
出来るだけわかりやすく優しいものを作りたい。
だから、遅くなってしまっても許してくださいね。
その代わり心がシンプルに喜びに満たされるとき、私はそれらとじっくりと向き合って、
その方の笑顔を思い浮かべながら手と心を動かします。
心から祈りながら。
これが私のてしごとが遅い理由(笑)
さてさて、今日は誰のために何を作ろうかなあ。