仲良しの愛ちゃんのブログで昔、いるかとお話をしていた事を書きました。
soraくんのところでも動物たちの不思議な力について触れました。
今日はそんな思い出を書いてみたいと思います。
そう、昔はいろいろ不思議なことがあったのです。
むかし、私は死んで生まれてきました。
7ヶ月の早産で生まれた私は、生まれたとき息をしていませんでした。
ところが、私はその一部始終を覚えているんです。
息してないし、目もあいてないのに(^。^;)
生まれた瞬間、医師と看護婦さんはあわてました。
「息してないぞ!」
そしてばんばん殴られて、甦生のための手当てをされ、
何とか無事に生き返った(笑)
生まれたときの私の身体は真っ白だった。(今でも人より白いけど)
それを息吹き返す前の私は見ていた。
そのせいかどうかは知らないが、私は「死」を言うものを知っていて、
それが異常に恐ろしかった。
一歳近くになって歩けるようになると、夜中起きては
寝ている家族を巡回し、口元に手をかざす。
寝息が手にあたると「良かった、生きてた」と思う。
そうやってある程度の年齢になるまで毎日毎日確認していた。
「死ぬ」という事は「ここ」で一緒に居られなくなることだ、
「ここ」で触れなくなる事だと思って怖かった。
そのせいで4~5歳になる頃には夜に眠れなくなった。
夜の闇は「死」に似ていたから。
眠ったらもう朝がこないかもしれないって思ってた。
死を予感するほど体が極端に弱かったせいもあるかもしれない。
そんな死に対する恐怖感を親に話したところで
訳わかんない顔をされるばっかりだろうなと思って言わなかった。
それに、まだそれを完璧に説明できるほどのボキャブラリィもなかったし。
そんなどこか不思議ちゃんで、夜、全く寝ない子供に親はどうしたか?
父は乗用車をボックスカーに買い替え、車にベッドマットを載せ、
布団を敷き、夜、眠るまで車で走ったのだ。
(おかげで車にのるの大好き、何十時間乗っても、どんな揺れでも道でも
ヘッチャラなのである。運転できないけど・笑)
車は海岸線を走り、月に照らされる海を見ながら車に揺られ、
必ず広い芝生のあるところに行った。
夜中、月の下で芝生でごろごろして遊んだ。
その近くに水族館があった。
水族館は夜中でも入れる場所があり、毎晩そこに立ち寄った。
そこは海の上に立っていて。海の仲間たちがそこに居た。
正直、私はお魚はちょっと怖い。特に正面から見ると怖い。
なぜかわかんないけど。怖いだけで嫌いじゃあないんだけど。
けれど「いるか」だけは別だった。
そこの水族館にはいるかが居て、水槽のガラスの遠くを泳いでいた。
あまり人の居るガラスのほうには来なかった。
わたしはひねた子供だったので、普通の子供のように
「いるかちゃん、可愛い(きゃぴ)」とか
「おいで、おいで(手招き)」とか絶対に出来なかった。
(今はかなりするかもしんないが・笑)
ただ、“ぴと!”っとガラスに張り付いてじーっといるかを見ていた。
こころのなかでイルカこないかなあと思いながら。
家族はいつまでも張り付いている私を置いて先に行くよーと歩いていってしまった。
どっちにしても行く方向は一つしかないので安心だったのだろう。
それでもひとりいるかを見ていると、青いあかりのなかで
銀色にひかる灰色のいるかがすうっと、それは本当にすうっと
真っ直ぐ私に向かって泳いできたのだ。
いるかはすうっと泳いでくると私の眼の高さの
ガラスの向こうでぴたりととまった。
ゆらゆらと水の中でひかりが揺れた。
わたしは知らないうちにガラスに手をぴたりとあてていた。
いるかは私を見たまま、その手をつんつんと口でつついた。
そして横向きになり、手(ひれ)を当てた。
一瞬で私たちは友達になった。
その時にいるかが喋ったのだ。
うそだろ~と思うかもしれないが、本当に声で聞こえたのだ。
いるかはなんていったか?
「さみしいの?みんなといるのにひとりぼっちなの?」
そう言ったのだ。
私はそうだ、家族といるのにどうしてだろう?と思いながら
「うん」と言った。
「ぼくも。」といるかは行った。
広い水族館のガラスの中にいるかは一匹しかいなかった。
「怖いの?」いるかがいった。
「うん」わたしは答えた。
「ぼくも」いるかも答えた。
そしているかは口でガラスをつついた。
私も口でガラスをつついた。
彼はひれを出してきた。
私はそこに手を当てた。
じーっと黙ってそうしていた。
それから夜は必ずそこに行って、何も話さなかったけど
そのいるかと手を合わせた。
もうそれだけでお互い一人ぼっちじゃなかった。
それからしばらくして、セキュリティの問題から
水族館には夜は入れなくなってしまった。
私たちはそのまま会えなくなった。
幼い私のたましいの孤独と恐れを理解してくれた、
たった一人の友達だった。
あの一人ぼっちのいるかはあれから海に戻れて、
一人ぼっちじゃなくなっただろうか?
それだけがいつまでも心に残っている。
水族館や博物館ではそんな不思議が起こる。
田舎の南のほうに開聞岳という山がある。
開聞岳の隣にちいさな小山があって、そのあるとき不思議な塔がたった。
真っ赤の不思議な不思議な塔。それが気になって仕方なかった。
ある日、親がその塔に私を連れて行ってくれるという。
私は嬉しくて仕方なかった。
山道を車でぐるぐるのぼり、てっぺんにつくと大きな赤い門がそびえていた。
“多宝仏塔”(たほうぶっとう)と書いてある。
不思議な音楽が流されていて、門の前に行くと門が自然に開いた。
私たちの様な人がたくさんいてにぎわっていた。
門の中は道、長い長い道。
途中いろんな門をくぐって、いろいろな場所を歩いた。
本当に変わった所でなんだか空気が違う。知らないにおいがする。
そして道をすべて回り、行き着いたところにその塔があった。
その塔の下は広い博物館になっていた。
所有者の人の趣味だという、古代からの歴史を伝える
世界中の発掘物の数々、不思議な石たち、化石たち。
ぐるぐると螺旋階段になっている道、その壁がケースになって
その化石たちが並んでいる。
古代の土偶たちのコーナーに出た。
とたん、体がぐらんと揺れた。目の前の空気に線が入って
ゆうらゆうらとゆれる。
そして耳鳴りのような音が続いた。
気が付いたら、目の前の土偶がおいでおいでをしている。
他を見ると他の土偶も私を誘った。
「こっちだよ。おいで」と言う。
4歳くらいだったが、私は真剣に「ヤバい」と思った。
この人たちの世界に行ったらもう帰って来れない。
あぶない、あぶない、そう思った。
早く、早くここから出なくっちゃ!
「気持ち悪い」
そういって一緒に居たおばちゃんの手にしがみついた。
外に行きたいと言う、私の手を引いておばは螺旋階段を上がった。
うしろから何かが追ってくる。おいでって呼ぶ。
早く、早く出ないと。
それから私は意識がなくなった。
でも身体は歩いて外に出たらしい。
気が付いたら外に居て、目の前に塔がそびえていた。
空気が変わっていた。もう大丈夫、そう思った。
結局、私は塔には登らなかった。
その後、大人になって二度そこに行った。
そこはすっかりさびれてしまって、前のにぎやかさはなかった。
私を呼んだ遺跡たちももうなかった。
私を呼んだあれはなんだったのだろうか?
感覚としていうと「宇宙」というか「異次元」だった。
霊界とはまた違う感覚だったことをはっきり覚えている。
こんな風に小さい頃、私には不思議がいっぱい起こった。
そんな不思議たちは何につながっているのだろうか?
今月はそんな不思議を探ってみたいと思っている。
soraくんのところでも動物たちの不思議な力について触れました。
今日はそんな思い出を書いてみたいと思います。
そう、昔はいろいろ不思議なことがあったのです。
むかし、私は死んで生まれてきました。
7ヶ月の早産で生まれた私は、生まれたとき息をしていませんでした。
ところが、私はその一部始終を覚えているんです。
息してないし、目もあいてないのに(^。^;)
生まれた瞬間、医師と看護婦さんはあわてました。
「息してないぞ!」
そしてばんばん殴られて、甦生のための手当てをされ、
何とか無事に生き返った(笑)
生まれたときの私の身体は真っ白だった。(今でも人より白いけど)
それを息吹き返す前の私は見ていた。
そのせいかどうかは知らないが、私は「死」を言うものを知っていて、
それが異常に恐ろしかった。
一歳近くになって歩けるようになると、夜中起きては
寝ている家族を巡回し、口元に手をかざす。
寝息が手にあたると「良かった、生きてた」と思う。
そうやってある程度の年齢になるまで毎日毎日確認していた。
「死ぬ」という事は「ここ」で一緒に居られなくなることだ、
「ここ」で触れなくなる事だと思って怖かった。
そのせいで4~5歳になる頃には夜に眠れなくなった。
夜の闇は「死」に似ていたから。
眠ったらもう朝がこないかもしれないって思ってた。
死を予感するほど体が極端に弱かったせいもあるかもしれない。
そんな死に対する恐怖感を親に話したところで
訳わかんない顔をされるばっかりだろうなと思って言わなかった。
それに、まだそれを完璧に説明できるほどのボキャブラリィもなかったし。
そんなどこか不思議ちゃんで、夜、全く寝ない子供に親はどうしたか?
父は乗用車をボックスカーに買い替え、車にベッドマットを載せ、
布団を敷き、夜、眠るまで車で走ったのだ。
(おかげで車にのるの大好き、何十時間乗っても、どんな揺れでも道でも
ヘッチャラなのである。運転できないけど・笑)
車は海岸線を走り、月に照らされる海を見ながら車に揺られ、
必ず広い芝生のあるところに行った。
夜中、月の下で芝生でごろごろして遊んだ。
その近くに水族館があった。
水族館は夜中でも入れる場所があり、毎晩そこに立ち寄った。
そこは海の上に立っていて。海の仲間たちがそこに居た。
正直、私はお魚はちょっと怖い。特に正面から見ると怖い。
なぜかわかんないけど。怖いだけで嫌いじゃあないんだけど。
けれど「いるか」だけは別だった。
そこの水族館にはいるかが居て、水槽のガラスの遠くを泳いでいた。
あまり人の居るガラスのほうには来なかった。
わたしはひねた子供だったので、普通の子供のように
「いるかちゃん、可愛い(きゃぴ)」とか
「おいで、おいで(手招き)」とか絶対に出来なかった。
(今はかなりするかもしんないが・笑)
ただ、“ぴと!”っとガラスに張り付いてじーっといるかを見ていた。
こころのなかでイルカこないかなあと思いながら。
家族はいつまでも張り付いている私を置いて先に行くよーと歩いていってしまった。
どっちにしても行く方向は一つしかないので安心だったのだろう。
それでもひとりいるかを見ていると、青いあかりのなかで
銀色にひかる灰色のいるかがすうっと、それは本当にすうっと
真っ直ぐ私に向かって泳いできたのだ。
いるかはすうっと泳いでくると私の眼の高さの
ガラスの向こうでぴたりととまった。
ゆらゆらと水の中でひかりが揺れた。
わたしは知らないうちにガラスに手をぴたりとあてていた。
いるかは私を見たまま、その手をつんつんと口でつついた。
そして横向きになり、手(ひれ)を当てた。
一瞬で私たちは友達になった。
その時にいるかが喋ったのだ。
うそだろ~と思うかもしれないが、本当に声で聞こえたのだ。
いるかはなんていったか?
「さみしいの?みんなといるのにひとりぼっちなの?」
そう言ったのだ。
私はそうだ、家族といるのにどうしてだろう?と思いながら
「うん」と言った。
「ぼくも。」といるかは行った。
広い水族館のガラスの中にいるかは一匹しかいなかった。
「怖いの?」いるかがいった。
「うん」わたしは答えた。
「ぼくも」いるかも答えた。
そしているかは口でガラスをつついた。
私も口でガラスをつついた。
彼はひれを出してきた。
私はそこに手を当てた。
じーっと黙ってそうしていた。
それから夜は必ずそこに行って、何も話さなかったけど
そのいるかと手を合わせた。
もうそれだけでお互い一人ぼっちじゃなかった。
それからしばらくして、セキュリティの問題から
水族館には夜は入れなくなってしまった。
私たちはそのまま会えなくなった。
幼い私のたましいの孤独と恐れを理解してくれた、
たった一人の友達だった。
あの一人ぼっちのいるかはあれから海に戻れて、
一人ぼっちじゃなくなっただろうか?
それだけがいつまでも心に残っている。
水族館や博物館ではそんな不思議が起こる。
田舎の南のほうに開聞岳という山がある。
開聞岳の隣にちいさな小山があって、そのあるとき不思議な塔がたった。
真っ赤の不思議な不思議な塔。それが気になって仕方なかった。
ある日、親がその塔に私を連れて行ってくれるという。
私は嬉しくて仕方なかった。
山道を車でぐるぐるのぼり、てっぺんにつくと大きな赤い門がそびえていた。
“多宝仏塔”(たほうぶっとう)と書いてある。
不思議な音楽が流されていて、門の前に行くと門が自然に開いた。
私たちの様な人がたくさんいてにぎわっていた。
門の中は道、長い長い道。
途中いろんな門をくぐって、いろいろな場所を歩いた。
本当に変わった所でなんだか空気が違う。知らないにおいがする。
そして道をすべて回り、行き着いたところにその塔があった。
その塔の下は広い博物館になっていた。
所有者の人の趣味だという、古代からの歴史を伝える
世界中の発掘物の数々、不思議な石たち、化石たち。
ぐるぐると螺旋階段になっている道、その壁がケースになって
その化石たちが並んでいる。
古代の土偶たちのコーナーに出た。
とたん、体がぐらんと揺れた。目の前の空気に線が入って
ゆうらゆうらとゆれる。
そして耳鳴りのような音が続いた。
気が付いたら、目の前の土偶がおいでおいでをしている。
他を見ると他の土偶も私を誘った。
「こっちだよ。おいで」と言う。
4歳くらいだったが、私は真剣に「ヤバい」と思った。
この人たちの世界に行ったらもう帰って来れない。
あぶない、あぶない、そう思った。
早く、早くここから出なくっちゃ!
「気持ち悪い」
そういって一緒に居たおばちゃんの手にしがみついた。
外に行きたいと言う、私の手を引いておばは螺旋階段を上がった。
うしろから何かが追ってくる。おいでって呼ぶ。
早く、早く出ないと。
それから私は意識がなくなった。
でも身体は歩いて外に出たらしい。
気が付いたら外に居て、目の前に塔がそびえていた。
空気が変わっていた。もう大丈夫、そう思った。
結局、私は塔には登らなかった。
その後、大人になって二度そこに行った。
そこはすっかりさびれてしまって、前のにぎやかさはなかった。
私を呼んだ遺跡たちももうなかった。
私を呼んだあれはなんだったのだろうか?
感覚としていうと「宇宙」というか「異次元」だった。
霊界とはまた違う感覚だったことをはっきり覚えている。
こんな風に小さい頃、私には不思議がいっぱい起こった。
そんな不思議たちは何につながっているのだろうか?
今月はそんな不思議を探ってみたいと思っている。