このところ環境の変化で忙しくパソコンに座れない日が続いています。
先日、心友(しんゆう・ココトモ)のsora君が本の事を書いていました。
不思議なことにこの人生行路のsora君、そしてRainbow Spiritのなおこちゃん、
つぶや木の愛ちゃんに、自由を求めての千晴ちゃん、
そしてひとおりさんとばななおやじさん、などなど、
仲良しすぎてか何なのか(笑)、みんな書く内容がかぶってるのです。
なんかつながっているんだなあ~と妙に納得したりして(^^)
なんだかこういう偶然は嬉しいものです、はい。
さてsora君よろしく、私も本が大好きです。
今はあまり本を読みません。なぜならあまり心惹かれる内容がないから。
昔はわたしもsora君の表現を借りれば「あくなき探究心(笑)」が旺盛だったのか、
単に活字が好きだったのか、それとも全く他の理由か、とにかく本を読み漁っていました。
高校生のときは月平均80冊読んでましたね~。
何をそんなに読み急いでいたんだろう??と思うくらいでした。
とにかく本が好きだったのです。実家の8畳間の押入れが
4つとも全部、私の本でてんぱんまでいっぱいでした。
本が読めるようになったのは3歳のときで、
それからは読んで読んで読んで読み倒しました
小学校に上がるときには「小学一年生」から「中学校3年生」まで読んで
家庭画報やら主婦の友やら婦人公論とか男性雑誌とか漫画まで網羅(笑)
特に主婦雑誌好きでした(笑)すべての漫画と雑誌の発売日いえた位です。
だから絵本を読んだのはすごく遅くて小学校2,3年生になってからですね。
学校では画集とかから読み倒してましたね。
中学のときは授業に出ずに本読んでました
先生に授業中に何やってるんだ!と言われたときも真面目に
「授業より学ぶ事が大きいので時間を無駄にしないためにも本読んでます」と。
お前、友だちは居ないのか?と言う先生にも
「本があれば友だちは要らないです」と言い放っちゃったりして。
本気でそう思ってたとは言え、相当いやなガキでしたね(^^;)
大体新しい本は読みつくしているので、もっぱら図書室の倉庫に入り込み、
廃本や旧字体で印刷されてる本とか引っ張り出して読んでいたんですが
私が6時、7時とか真っ暗になってもひたすらに読んでいるので、
その頃の司書の先生がとうとう倉庫の中に電灯をつけてくださった程でした。
そのころにとても心動かされ、今でも好きなジャンルは
「伝記」「エッセイ」「旅行記」「児童文学」「少女小説」です。
中でも「児童文学」や「少女小説」は特別でした。
世界のものも、日本の物もどちらも大好きでした。
今日はその少女小説について書きたいと思います。
少女小説というのは、その名のとおり少女や少年が主人公の物語です。
モンゴメリの「赤毛のアン」、ウェブスターの「あしながおじさん」、
日本で有名なのは吉屋信子の「花物語」、川端康成の「歌劇学校」
事実に基づいたお話も少女小説に入るらしい。
例えば「アンネの日記」やローラ・インガルス・ワイルダーの
「ちいさな家」シリーズなどがそう。
こういった物語の本が「少女小説」と言われています。
どの作品もミュージカルになったり、映画になったりしていますが、
それはこれらの物語が心に染みて、さらに人の心動かすものだからだと思います。
どの作品もそれぞれに思い出や思い入れがあって大好きなのだけれども
特に私のバイブルのようになっていて、絶対に本棚からなくならない物語があります。
私は大体、気に入った本はどんどん差し上げてしまうので手元にない事が多いのですが、これだけは必ず買い足してきていつも手元にあるのです。
その作品は、エレナ・ポーターの「少女パレアナ(ポリアンナ)」
とインガルス・ワイルダーのちいさな家シリーズ、
中でももっとも読まれていないだろう「長い冬」という上下巻です。
ウェブスターの百科事典にはこの「ポリアンナ」という名前が普通名詞として載っていて
、そこには「エレナ・ポーターの小説の主人公から作られた言葉で“喜び”を意味する」と書かれているそうです。
その少女パレアナはいつも明るくて「喜びのゲーム」が得意な女の子のお話です。
牧師さんだったお父さんを亡くした孤児のパレアナはおばさんの家に引き取られます。
そこでパレアナはいろいろひどい扱いを受けますが、
彼女は落ち込むどころかますます明るく元気になるのです。
周りの人はそれを不思議がって彼女に何故そうなのか聞くと
“喜びのゲーム”をしているからよ、と答えるのです。
“喜びのゲーム”はその名のとおり“なんでも喜ぶ”ゲームのこと。
小さい頃お人形が欲しかった彼女に慰問箱が届き、
なぜか彼女の欲しかった人形でなく松葉杖が入っていた。
彼女は落ち込むけれど、お父さんが“喜びのゲーム”を教えてくれるのです。
その松葉杖がもらえた事を喜ぶ、その喜びを見つけるのだと。
ポリアンナは考えます。そして松葉杖を使わないですむ事を喜ぶのです。
それから彼女はこのゲームを始めました。
どんな事からも喜びを見つけるのです。最愛の父の死からでさえ。
そうやってすべてを喜びに変えてゆく彼女は知らず知らずのうちに
周りの心堅くなってしまった人々のその塊をほぐしてゆくのです。
その喜びのゲームで。
このパレアナのゲームの効き目はたいしたものです。
途中、パレアナにも大きな事件が起きるのですが、
それを克服していく様子は心を打ちます。
当時、アメリカではこの一冊の少女小説が大ブームを巻き起こし
いろいろなものに「パレアナ」と名前が付けられたほどだそうです。
私は落ち込みやすい質ですが、この本を知ってからできるだけ
このゲームをするようにしています。
すると、なぜか心が晴れてくるのです。
それは本のなかでパレアナがこう言っているとおりです。
「喜ぶ事のほうをかんがえると、嫌なことのほうは忘れてしまうのよ」
ぜひ、機会があったら読んでいただきたい一冊です。
もう一冊の「長い冬」は大きな森から、大草原へ旅を続けてきた
インガルス一家が腰を落ち着けたダコタの町でのお話です。
猛吹雪と寒波で汽車もとまり、閉ざされてしまった町のなかで
人々はその知恵と愛の力によって、その長い冬を乗り越えます。
私は昔(今もあんまり変わらないけど、いや、比べ物にはならないか^^;)
かなり長い間、現代日本では考えられないような過酷な貧しさを体験しましたが
その頃、私と母のバイブルとしてあったのがこのインガルス一家の物語でした。
NHKのテレビドラマとしても有名ですが、原作はもっと厳しい生活なのです。
でも愛にあふれたお父さんとお母さんの生活の知恵と工夫によって
彼らはこころ満たされた生活を送ります。
この「長い冬」では薪も石炭もなくなった家で、
お父さんのチャールズは納屋のわらを固く固くねじり、棒状にして薪を作り、
お母さんのキャロラインは種麦をコーヒーミルで引いて粉にし、パンを焼くのです。
長い冬、何もない中でも、家族はそれぞれを思いながら
いろいろな材料を工夫してクリスマスプレゼントを作りクリスマスを祝います。
私の母もこのお話が大好きで、良くこの中に出てくる料理や出来事を
実際に真似しては少女のように喜んでいました。
長い長い冬が過ぎ、遅い春が来て町には汽車がやってきて、
そして贈り物のクリスマスの樽が届くところでお話が終わります。
このシリーズはワイルダーの自分の人生をもとに描かれていて
開拓時代の人々の様子を事細かに知る事ができます。
昔の人の知恵と喜びにあふれた生活ぶりはきっと今も役立ちます。
ぜひぜひ読んでいただきたい名作です。
このどちらのお話にも共通するのが「愛」です。
少女小説のテーマは世界でも、日本でも「愛」です。
今の少女小説のように「恋愛的」なものではなく
「慈愛」とも呼ぶべき、心に深く染みる愛を描いています。
穏やかで美しい言葉で綴られた小説は美しいものです。
この秋の夜長の美しい時間に、機会があったらぜひぜひ男女を問わず
たくさんの方によんでいただきたいなと思います。
そして、喜びのゲームやローラ達の知恵をお手本に、
たくさんの「パレアナ」や「ローラ」が生まれればいいと思うのです(^^)
先日、心友(しんゆう・ココトモ)のsora君が本の事を書いていました。
不思議なことにこの人生行路のsora君、そしてRainbow Spiritのなおこちゃん、
つぶや木の愛ちゃんに、自由を求めての千晴ちゃん、
そしてひとおりさんとばななおやじさん、などなど、
仲良しすぎてか何なのか(笑)、みんな書く内容がかぶってるのです。
なんかつながっているんだなあ~と妙に納得したりして(^^)
なんだかこういう偶然は嬉しいものです、はい。
さてsora君よろしく、私も本が大好きです。
今はあまり本を読みません。なぜならあまり心惹かれる内容がないから。
昔はわたしもsora君の表現を借りれば「あくなき探究心(笑)」が旺盛だったのか、
単に活字が好きだったのか、それとも全く他の理由か、とにかく本を読み漁っていました。
高校生のときは月平均80冊読んでましたね~。
何をそんなに読み急いでいたんだろう??と思うくらいでした。
とにかく本が好きだったのです。実家の8畳間の押入れが
4つとも全部、私の本でてんぱんまでいっぱいでした。
本が読めるようになったのは3歳のときで、
それからは読んで読んで読んで読み倒しました

小学校に上がるときには「小学一年生」から「中学校3年生」まで読んで
家庭画報やら主婦の友やら婦人公論とか男性雑誌とか漫画まで網羅(笑)
特に主婦雑誌好きでした(笑)すべての漫画と雑誌の発売日いえた位です。
だから絵本を読んだのはすごく遅くて小学校2,3年生になってからですね。
学校では画集とかから読み倒してましたね。
中学のときは授業に出ずに本読んでました

先生に授業中に何やってるんだ!と言われたときも真面目に
「授業より学ぶ事が大きいので時間を無駄にしないためにも本読んでます」と。
お前、友だちは居ないのか?と言う先生にも
「本があれば友だちは要らないです」と言い放っちゃったりして。
本気でそう思ってたとは言え、相当いやなガキでしたね(^^;)
大体新しい本は読みつくしているので、もっぱら図書室の倉庫に入り込み、
廃本や旧字体で印刷されてる本とか引っ張り出して読んでいたんですが
私が6時、7時とか真っ暗になってもひたすらに読んでいるので、
その頃の司書の先生がとうとう倉庫の中に電灯をつけてくださった程でした。
そのころにとても心動かされ、今でも好きなジャンルは
「伝記」「エッセイ」「旅行記」「児童文学」「少女小説」です。
中でも「児童文学」や「少女小説」は特別でした。
世界のものも、日本の物もどちらも大好きでした。
今日はその少女小説について書きたいと思います。
少女小説というのは、その名のとおり少女や少年が主人公の物語です。
モンゴメリの「赤毛のアン」、ウェブスターの「あしながおじさん」、
日本で有名なのは吉屋信子の「花物語」、川端康成の「歌劇学校」
事実に基づいたお話も少女小説に入るらしい。
例えば「アンネの日記」やローラ・インガルス・ワイルダーの
「ちいさな家」シリーズなどがそう。
こういった物語の本が「少女小説」と言われています。
どの作品もミュージカルになったり、映画になったりしていますが、
それはこれらの物語が心に染みて、さらに人の心動かすものだからだと思います。
どの作品もそれぞれに思い出や思い入れがあって大好きなのだけれども
特に私のバイブルのようになっていて、絶対に本棚からなくならない物語があります。
私は大体、気に入った本はどんどん差し上げてしまうので手元にない事が多いのですが、これだけは必ず買い足してきていつも手元にあるのです。
その作品は、エレナ・ポーターの「少女パレアナ(ポリアンナ)」
とインガルス・ワイルダーのちいさな家シリーズ、
中でももっとも読まれていないだろう「長い冬」という上下巻です。
ウェブスターの百科事典にはこの「ポリアンナ」という名前が普通名詞として載っていて
、そこには「エレナ・ポーターの小説の主人公から作られた言葉で“喜び”を意味する」と書かれているそうです。
その少女パレアナはいつも明るくて「喜びのゲーム」が得意な女の子のお話です。
牧師さんだったお父さんを亡くした孤児のパレアナはおばさんの家に引き取られます。
そこでパレアナはいろいろひどい扱いを受けますが、
彼女は落ち込むどころかますます明るく元気になるのです。
周りの人はそれを不思議がって彼女に何故そうなのか聞くと
“喜びのゲーム”をしているからよ、と答えるのです。
“喜びのゲーム”はその名のとおり“なんでも喜ぶ”ゲームのこと。
小さい頃お人形が欲しかった彼女に慰問箱が届き、
なぜか彼女の欲しかった人形でなく松葉杖が入っていた。
彼女は落ち込むけれど、お父さんが“喜びのゲーム”を教えてくれるのです。
その松葉杖がもらえた事を喜ぶ、その喜びを見つけるのだと。
ポリアンナは考えます。そして松葉杖を使わないですむ事を喜ぶのです。
それから彼女はこのゲームを始めました。
どんな事からも喜びを見つけるのです。最愛の父の死からでさえ。
そうやってすべてを喜びに変えてゆく彼女は知らず知らずのうちに
周りの心堅くなってしまった人々のその塊をほぐしてゆくのです。
その喜びのゲームで。
このパレアナのゲームの効き目はたいしたものです。
途中、パレアナにも大きな事件が起きるのですが、
それを克服していく様子は心を打ちます。
当時、アメリカではこの一冊の少女小説が大ブームを巻き起こし
いろいろなものに「パレアナ」と名前が付けられたほどだそうです。
私は落ち込みやすい質ですが、この本を知ってからできるだけ
このゲームをするようにしています。
すると、なぜか心が晴れてくるのです。
それは本のなかでパレアナがこう言っているとおりです。
「喜ぶ事のほうをかんがえると、嫌なことのほうは忘れてしまうのよ」
ぜひ、機会があったら読んでいただきたい一冊です。
もう一冊の「長い冬」は大きな森から、大草原へ旅を続けてきた
インガルス一家が腰を落ち着けたダコタの町でのお話です。
猛吹雪と寒波で汽車もとまり、閉ざされてしまった町のなかで
人々はその知恵と愛の力によって、その長い冬を乗り越えます。
私は昔(今もあんまり変わらないけど、いや、比べ物にはならないか^^;)
かなり長い間、現代日本では考えられないような過酷な貧しさを体験しましたが
その頃、私と母のバイブルとしてあったのがこのインガルス一家の物語でした。
NHKのテレビドラマとしても有名ですが、原作はもっと厳しい生活なのです。
でも愛にあふれたお父さんとお母さんの生活の知恵と工夫によって
彼らはこころ満たされた生活を送ります。
この「長い冬」では薪も石炭もなくなった家で、
お父さんのチャールズは納屋のわらを固く固くねじり、棒状にして薪を作り、
お母さんのキャロラインは種麦をコーヒーミルで引いて粉にし、パンを焼くのです。
長い冬、何もない中でも、家族はそれぞれを思いながら
いろいろな材料を工夫してクリスマスプレゼントを作りクリスマスを祝います。
私の母もこのお話が大好きで、良くこの中に出てくる料理や出来事を
実際に真似しては少女のように喜んでいました。
長い長い冬が過ぎ、遅い春が来て町には汽車がやってきて、
そして贈り物のクリスマスの樽が届くところでお話が終わります。
このシリーズはワイルダーの自分の人生をもとに描かれていて
開拓時代の人々の様子を事細かに知る事ができます。
昔の人の知恵と喜びにあふれた生活ぶりはきっと今も役立ちます。
ぜひぜひ読んでいただきたい名作です。
このどちらのお話にも共通するのが「愛」です。
少女小説のテーマは世界でも、日本でも「愛」です。
今の少女小説のように「恋愛的」なものではなく
「慈愛」とも呼ぶべき、心に深く染みる愛を描いています。
穏やかで美しい言葉で綴られた小説は美しいものです。
この秋の夜長の美しい時間に、機会があったらぜひぜひ男女を問わず
たくさんの方によんでいただきたいなと思います。
そして、喜びのゲームやローラ達の知恵をお手本に、
たくさんの「パレアナ」や「ローラ」が生まれればいいと思うのです(^^)