

《ありし日の相方さん。自分の劇場、シアター夢の街で》
今日は相方さんの白血病がわかって一年目です。
一年前の今日、近所の小さな病院へ
自転車で血液検査の結果を聴きに行った彼は
そのまま大きな病院にタクシーで搬送され、
車いすに乗せられるほどの重症な状態でした。
2週間遅れたらそのまま死んでました、
と告知の際に告げられ、お互いショックで驚きつつも、
まだまだぜんぜん病人の自覚のない彼は
そのまま入院させられたにも関わらず、
病院に無理をお願いして一度私と家に帰り、
町医者へ自転車を取りに行き、1時間で出来るだけの処理をして
そして最愛の相棒であったぴーちゃんを抱いて
一生懸命説明をして寂しそうな顔で病院に戻って行きました。
まるで昨日の事の様です。
相方さんが天国に戻ってからは毎日、彼の事を想います。
出会ってから今日までの事が本当にすごい速さで目の前に見えるのです。
そして特に5月、私たちの家を出る頃くらいから
本当に鮮明に昨年の同じ時期の事を想い出します。
今頃、こんなことしてくれてたなーとか。
一生懸命、洗足アトリエの床を張ってくれてたなぁとか、
お友達に頼まれた造り物を一生懸命していたなぁとか、
何を食べてこんな顔したなぁ、
こんな風に言っていたなぁ、とか。
いろんな顔を想い出します。
彼は人みしりで、恥ずかしがり屋だったので、
余り普段も表情が変わらないようなイメージでしたが
その実、普段の彼は本当に表情豊かな人でありました。
特に舞台の上では、普段生きているよりもずっと自由でした。
舞台で生きている彼は嘘のない生き方をしていたからでしょう。
《写真はオーファンズ2008秋のより》
彼が代表の私たち夢の街の舞台は劇場もセットも
全てが相方さんの手によるセルフビルドでした。
本物にこだわっていた彼は、セットも殆ど本物を使い、
それに合わせた美術を考えて製作していました。
セットを借りると言うことは殆どなく、
作品に合わせて購入していました。
キッチンを造れば配管を自分でして水もガスもちゃんと使えるのです。
床も見えないところまで飾り板で作り込んでいました。


衣装も同じで、設定で普段着とあれば、
衣装を普段から着込んでなじませて使っていました。
おかげで我が家の家具やお洋服は作品ごとに増えて行くのです。
この革のジャケットは相方さんの普段着でした。


スーツも好きでこの作品に合わせて揃えたものです。


でも、中身がゆったりさんでしたから、
着崩すのがうまかったように思います。


手しごとが大好きで、家でも外でもいつも何かを造っていました。
我が家では水道の配管や漏れも、電気の配線も
何もかも彼が一人であっという間に直しました。
業者さんに頼んだことは一度もありませんでした。
まるで大草原の家のチャールズ父さんみたいでした。


相方さんは森や山が好きでした。海も空も好きでした。
自然の中に居るのが大好きな人でした。
愛車のベロ号で最後まで林道を走りました。


《大好きな伊豆の海、長野黒姫の森でぴーちゃんと》
写真が大好きで、ニコンのマニュアル一眼レフとデジタル一眼レフが宝物、
ケータイも写真に重点を置いた機種を使い、写すのはぴーちゃんばかり(o´・∀・`o)
でも彼の写真の中のぴーちゃんには彼の愛があふれています。



本当にいつも、いつでも、いろんな事を想い出します。
今日はたくさん写真を載せました。
でも本当はまだあんまり写真はみられません。
何故かって言うと生きているみたいなんですもん。
でも、隣を見ても居ないので、、、。
居なくても居るのは解っているんですが
それでも見えないのはとても寂しいものです。
あの日から一年。早いなぁ。
相方さんはも同じ様に思ってるだろうな~。
そして同じように想い出してるだろうなぁ。
なんとなくわかる。
あなたの大好きなチビさん達は今日も元気だよ。


毎日、二人で追いかけっこをして元気遊んでいるよ。
まあ、いつもそばに居るのだろうけれど。
あなたが居なくなってから世の中が不安定だから心配かもしれないけど
あの子らはあなたの代わりに守るから、あんまり心配しないでね。
さあ、また天と地を繋いで毎日を一緒に歩こうね。