KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

出来上がり

2011-07-17 | KOFUKU日記
豚味噌さん、出来上がりです(〃'▽'〃)

豚ひき肉を麦味噌とお砂糖とショウガとニンニクを多めに入れて
じっくりゆっくりと火を入れ、元気になあれ~、おいしくな~れ!
と思いを込めながらゆっくり練り上げました。

日持ちするように今日は野菜類は入れていませんが
みじん切りの玉ねぎやニンジンやネギ、二ラを入れても美味しいですよ。

今日は隠し味にピーナッツペーストとチョコが少しだけ入れてあります。
コクが出てとても美味しいです。

舐め味噌なので、これだけでご飯が食べられますが
田楽のたれや、お酢で割って刺身こんにゃくにかけたり
焼きおにぎりにぬったり、薄切りお肉にぬって重ね
パン粉をつけて揚げても美味しいです。
今日はこれを使って肉みそ冷やしうどんを作る予定です(*≧∀≦)

ただいま解凍中

2011-07-17 | KOFUKU日記


今日も暑いです。猛暑日続いています。
この夏、すっかり部屋にこもりきり(;^ω^)

しかも関東じゃ震度4位の地震があっても、
誰も心配もしなくなった感があります。
こんな危機感のなさで次に大きい天災が身近に来た時、
みんな大丈夫なの?とか思ってしまいます。

思いもかけず被曝させてしまった農家の方々、被曝させられた牛たち。
「全く安全」な供給だったはずが、4カ月たってこれですよ(´-∀-`;)
それだけ汚染されたものに触れていて、農家の方の健康も害されなかったわけがない。
農家の方の苦悩を思うとやるせない。
しかも150キロも離れた場所で取れた藁の汚染。
データは「検出なし、基準値以下」の所ばっかりだったはず。
以下にこの国の嘘が大きく、原発放射能被害が大きいものか、
牛さんたちが命をかけて証明してくれたとしか思えません。
自然界を壊すような事をしてもなお気づかせてくれようとする
この自然界の大きな愛に人間はいい加減目を向けるべきじゃないかと私は思います。

工程表はステップ1をほぼクリアとありますが、
未だ4号機は使用済み燃料プールごと倒壊寸前で、
地震や台風が来るたびにドキドキします。
しかも1,2,3号機、中身は水位の推定すら出来てないのに。
150キロ50万ベクレルの放射能が計測された土地とくらべ
わずか50キロしか変わらない200キロ圏内区域に住む私は
(関東圏はその距離という事を自覚した方が善いと思います)
いくら考えてもち~~~~~っとも安心できません。

アメリカのガンダーセン教授も4号機が倒れたら
何も考えず、即座に東京を出ろと言ってます(´゜∀゜`;)
こんな日本、ほんと不安だよ。。。。。
せめて赤ちゃんやお子さんが居る人の不安だけでも取り除けるように
国と東電は努力すべきだと切に願います。



先日の地震ですっかり、地震酔い症候群がぶり返しており
チビさん達のお散歩と家の目の前にあるポスト以外
未だ外には出られない私でありますが、
こんな状況、こんなご時世だからこそ、いま自分が出来ることをしたいなと思います。

と言う事で、今日も保存食を作ろうかと。
先日、海外産の冷凍豚ひき肉を買ってきたので、
ただ今はそれを冷蔵庫にてゆっくり解凍中デス。
地元の名物、豚味噌を作ろうと思っています。
ニンニクとショウガを多めに入れて、保存がきくようにします。
使うお味噌は今日は九州の麦みそです。
夕方近くには解凍できると思うので、楽しみにしていましょう。



お肉を見ていて、ふと思ったことですが、
なんと言いますか、形が変わって見えてくるものってありますよね。

私は昨年11月に相方さんを亡くしましたが
特に生活環境と人間関係が大きく変わりました。
その人を通してしか見えていなかったものや
形が変わって初めて感じる部分と言うのがあります。
ただ変わらないものもあり、新しく生まれたものもあります。
大事な人を亡くしたのは2度目の事ですが、以前もそれを感じました。

世の中にはいろんな人が居て、どの人が良いとか悪いとか言えません。
誰にとっても正義は違うので、同じ立場ではないから。
それでも目の前のものが「変わっていく」っていうことは、
仕方ない事なのかもしれませんが未熟な私には
とても寂しいなぁ、と思う事があります。


私が出会う方は、たいがい優しくて善き人が多いです。
強く愛を語る方が多いです。素晴らしい人たちです。

でも、そう言う方は感受精が強いせいでしょうか、
ご自身の感覚に強く左右されるようで、
夢中な時は善いけれど、そうでない時になると
すーっと消えて行くようにいなくなってしまいます。
大体、そう言う方は、それまでにどんなんに親しくても
常日頃どんなに人間関係や愛を語っておられていようと、
そしてこちらがどんなに連絡しても返事の一つもしてこなくなります。

以前はそう言うのが寂しいなぁと思っていました。
親しい方であればあるほど、その行動にがっかりしたりね(;^ω^)
だって知り合いに挨拶して挨拶が返ってこないのって単純に寂しいじゃないですか?
もちろん、それは私の「してほしい」ってエゴなんですよ。
わかっちゃいるけど、寂しいねぇと思ってました。

でも今はあんまり気にならなくなりました。
きっと自分がしてもらった時と同じように、
今は他の方にいろいろ気を使ってんだろうなぁ、
毎日の生活が充実してんだろうなぁ、って感じです。
便りがないのが良い便りって事ですかね(*^▽^*)
後は今はもう密接に繋がる必要がなくなったのだろうとも思います。
だから、流れのままに、と思えるようになりました。
やっと目の前にあるもんで満たされるようになったんですかね~( ̄ー ̄)

もちろん、そんななんで、今は期待しない分、
突然にメールやお便りが来るとめっちゃ嬉しくて
とっても嬉しい気分になれるようになり、
あ~あ、そんな人だったか~とか(;^ω^)
勝手に思って落ち込んでた頃よりもハッピーさは増えた気がします。

でも、私は自分が返事がないと寂しい人間なので、
相手と同じことをするのはそれもまた寂しくって、
返事来なくても無理やりハガキかいたり連絡したりします(笑)

ええ、ええ、もうそりゃあ、エゴエゴ全開です(*≧∀≦)

でも、ハガキ書いたり、メール書いたりって
それだけで今のあたしを助けてくれるんです。
それができるのも、相手の存在があるからこそで、
何も連絡なくても、本当に感謝しているのです。
も~、I LOVE YOU ALL!ですよ、ええ。

もちろん相方さんにも毎日手紙を書きます(生きてた時からだけど)
そんなことが「生きてること」につながっています。

でもやっぱりですね、こういう大きな人生の変化があると
変わらないものって言うのは大きいです。
なんせ、安心感ありますもんね。

私は2度の大きな節目がありましたが、
私が変化しようが、自分が変化しようが、
全く付き合いの変わらない友人が居ます。
日頃大きく関わらなくても、決して忘れずに居てくれる人が居ます。

そう言う人は感情になんて左右されないのでしょうね。
なんというか、見たり感じたりしてる所が違う気がします。
もっと深くで繋がってくれている人々です。
愛したらずっと想いを持ちづつけられる人たちです。
この世の一瞬の愛で生きていない人なんだなと思います。
愛が変わらないので本当に信頼がおけます。
きっとそう言う人を「家族」と言うのかもしれませんね。


私が手紙を書いたり、メールをしたりするのは
そんな家族の絆の種をたくさん持っていたいから。
ホントは皆とそうなれる気がするんですよ。
ちゃんとホントの愛で繋がってれば。

たとえ、10年に一度の連絡しかなくても。
たとえ、何十年、会わなくても。
繋がってると思う。
だって、もとより、一つだと思うし。


少なくとも、そんな魂の家族がこの世に居ることが
私は何よりも誰よりも幸せなのだと思っています。

日本もね、今、きっとそうなんだよね。
形が変わって戸惑ってる。
でも、きっと愛を変えずに変化できる。


さぁ、お肉の解凍、出来たかな~。
また形を変えて幸せをつくらねば。