KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

家暮らし~夢は叶う

2012-02-11 | KOFUKU日記
今週は頑張って病院に通って(今、病院恐怖症なのです…^_^;)
眼の治療や検査やメガネ合わせをしてもらいました。
そしたら結構重めのアレルギーがあることと、近視が判明。
人生の後半は遠近両用のメガネが必要になってきそうです(^_^;)
でも、また、はっきりした眼でクラフトなどが出来るのは嬉しいデス(^^)


さて、数日前、昔のケータイのメモリーカードが見つかりました!
データが飛んだと思っていた懐かしい写真がいっぱいでてきたんです。


  

《元気な頃のばあば、2歳の甥っ子、暮らし始めたころの相方さん
 10年前の懐かしい写真たちです。
まだ2歳になったばかりのピーちゃんはお顔が黒いです~。》



懐かしい写真を見ながら、自分の人生を振り返りました。
そして今、
老いていく道をゆったりと満たされて歩んでいるのだと思えました。
相方さんが居ない今、孤独はさみしいものだけれど、
とっても大きな変化のあった出来事だったけれども
今の暮らしには何にも後悔はないなぁと思えました。




  

《眠るちび甥っ子、じいじとおいっことぴーちゃん、10年たっても仲良し♪》


好きな詩のなかに、この様なものがあります。


《最上のわざ》

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。

老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。



私はキリスト者ではないけれど残りの人生をこんな風に生を歩みたいと願っています。


さて、私には特技があります。
それは願いをかなえるということ。

自他共に認める私のジンクスは
「願ったことはすべて叶う」
と言うものなのです。

え~、そんな嘘みたいなことあるわけないじゃん!と思うでしょ?
いやいや、それがあるんですよ。
私、叶わなかった夢って一度もないんです(^^)


大好きな魂の家族である友がいつもこういうのです。

「福ちゃんはいつも絶望に近いような不幸の底にいるようで
その実、誰よりも幸せのそばにいる。
必ず口にしたことを、実現している。
夢を全部叶えてしまう不思議な力を持っている。
だから僕は見習って願っていることは口にするようにしています。
それからは願いがどんどんかなうようになりました。」

そうなんです。
でも特別なことはしていません。
ただ願うんです。
「ああいうことしたいな~。こういうことしたいな~」って。

しっかりと願いを表明すると叶うんですよ~。
なんで叶うのだと思います?

私は思うんですが、それは目標がはっきりしているからだと思うんです。
いつも抱いている夢や願いがくっきりはっきりとしているから、
自然とそれが叶うような生き方を望むし、実行するんだと思います。

だって何かをしたいとと言う衝動と実行の伴わない現実はないですもんね。
私にとっては、それが出来るものが「夢」です。
夢は私には、ただあこがれているのとは全然違うものです。

だから私が「何かをこうしたい」と言ったら、行動を意味します。
そうすると、当然、常に願いの実現に向けて生きる努力をするわけで
それでいつしか振り返ってみたら、願いはかなっているんじゃないかなぁと。

しっかりと願うこと。これ大事。
自分の願いがはっきりしていないと叶わない。
私はそう思います。



《そういえば2歳くらいの甥っ子はトミカが好きだったなぁ(笑)》


私は、人に言わせれば、ものすごく苦労をしているのだそうです。
確かにここまで生きるのは全然楽じゃなかったですが
でも「苦労」と思ってやったことは一つもありません。

確かに大変なことは沢山あったけど、それは生きるために、
そして夢に近づくためには決して避けられない道でした。
それをやること自身が夢の一つのピースだったので、
どれだけ大変でも、それをやることに意味があったのです。

叶わなかったこともあるでしょ?って思いますよね~(^_^;)
それがね~、よく考えれば考えるほど、ほんと無いんですわ。
大きさに差はあれど、結果が願った形とは違っても、
やっぱりちゃんと抱いた願いは叶っているんです、いつも。

いや、叶う、というより「与えられた」って感じだろうか。

とにかく世の中って、うまくできてるんだなぁ、って思います。
望んで努力すれば、それだけ大変だったり、失うものもあるけど
ちゃんと必要なものは、必要なだけ努力しただけ、与えられるんだなぁ、って。


私は本当に食べるのも生きるのもギリギリの金銭的に難しい環境で育ったけれど
少なくても、いつも親友と呼べる友達がいたこと。

お金で苦労していても、その時々でアルバイトをすることが出来て
学費や弟妹になにかしてあげるお金を作ることが出来たし、
親にお金を出してもらうことなく自分の力で大学に行ったし上京もした。
親にも弟妹にも仕送りをすることが出来ました。

そして歌も、お芝居も、踊りもやったことはなかったけれど
生まれてすぐからミュージカルをやることは天命と信じて生活していたので
歌うことも、芝居することも、踊ることも、日常だったし、
3重苦でも、ものすごい倍率をかいくぐって某劇団にも入団できました。

子どもの為のミュージカルをやりたいと願って生活していたら
自然とそういう劇団に移籍して、しかも主演を長くやらせて頂いた。
多くの学校や子ども達、お芝居を必要としてる人の前で
心からの仲間たちとミュージカルを演じ続けることが出来ました。

幼いころは貧しく、病弱で、学校にも行けない日々もあり、
遠足も修学旅行もお金がなくて殆ど行けなかったけれど
役者になってから日本全国47都道府県すべてに旅しました。
そして、相方さんとピーちゃんと車で行ける範囲をすべて旅しました。

人生の時々で自分を助けて下さる素晴らしい人たちに巡り合ったし
イノチをかけても惜しくない、今も続く友情と魂の家族を得ました。
その人たちとは今でも魂の家族です。

中でも命を懸けられる素晴らしいパートナー2人に巡り合い、
共に演じ、暮らし、この厳しい世の中で、協力者を得て、
カフェや劇場の経営と言う形で自分たちの芸術の為の場を
2度も得て、その為だけに暮らすことが出来ました。

最愛のパートナーたちとは2度とも永遠の別れを経験しましたが
その分、彼らは大きなイノチを私の中に残してくれました。
たくさんの愛と真実をおしえてくれました。

パートナーたちとの子どもは望めませんでしたが、
変わりにお互いが愛した小さい命を預かることを許されました。
しかも娘が二人もいるて、さらに男の子も一人増えました。


そして、いま。

私の人生を聞いて、なんて可哀想な人生なんだろう、と言う人もありますが、
私自身は悲しみは大きくあれど、過去を振り返りますと、
その時々で、身の丈以上の、とても満足した人生を歩んできて
いま、相方さんと二人、いつか時が来たらこうしたいね、
と望んだ暮らしを手に入れています。

それは「家暮らし」の生活。

いつか自然の中で、自分たちの大切なものを大事にしながら、
犬たちに囲まれて暮らすという相方さんとの夢。
普通の暮らしの中で芸術を生かしていく暮らし。
家族を大切にした、ほっこりとした家暮らし。
自分の愛する人のために家事のできる暮らし。
あたたかで、ゆっくりとした、家暮らしの日々。

私は図らずもこの土地に戻ることを許され、
そして、相方さんが願ったように、
自分の大事なものを、大切にしながら
愛する家族であるちびさんたちと暮らしています。
私はこの日々を本当に感謝しています。


 

《小さな庭の畑仕事をするばあば。ばあばの為に家事を担当する弟
 ゆっくりとした、私の夢の暮らしがここにはあります。
昔から息づく、当たり前の、生きるための暮らしです。》



相方さんと共に願った未来の一部がもう既にあります。
ここに相方さんが隣に居ないのは、とても残念だけれど。

この暮らしは、私たちにとって、それこそ夢のような世界でした。
自分たちが生きている世界を全うしてからでなくては手に入らない世界。

それはもっと先に相方さんとの日々の終わりに来るべきものでしたから
彼の死と一緒に消えてしまっても仕方ないような願いでしたが
二人が長い間、強く願った分、叶えることが出来ました。
私の身の上ではここに戻ることはかなり難しいと思ったし、
本当に悩んで決断したけれど、頑張って良かったと今は思う。

この暮らしは間違いなく相方さんがくれたものなのです。
そして、たぶん、いま彼もいっしょに経験している。
私はそう思うのです。
だから、私はいまの暮らしを大事にしたいと思います。


もちろん、思いのままにならないこともたくさんあります。
今の状態では思いを抱いてもできないことだってある。
苦しいこともいっぱいあるけれど、
それでも、わたしは心から満足しています。


だって美しい暮らしというものは、形にとらわれるものではありません。
私はそう思います。
一番美しいのは、その時の自分がしっかり生きることだと思います。

だから
私は私の愛すべきものを愛して、いそがずにゆっくり暮らすのです。
大好きな人のために手を動かし、心を動かして生きるのです。

誰か本やエッセイを書いているような人みたいに
絵に描いたように暮らせなくてもいいのです。
私はちっとも恥ずかしくない。

私はただ、私の美しいと思ったものを、
美しいとしっかり認識しながら生きるのです。

そこに、今までの人生のすべてが生かされるのです。
ここから古いものを包括した新しいものが生まれるとわかります。

わたしはいま、それが心深く理解できるのです。


  

《ご神木に見守られてた昔の家。家族で作る平和の祈りの七夕飾り
 見える人には見える、庭のラベンダー畑に住む妖精たち(見えるかな?)
そして今も神社の下に住み、自然の中に暮らせています。
ここには私の大切にしている世界が確かにあります。》


私はいまは思うように動けません。
全く一人でもないので、願ったような暮らし方は出来ません。

そのかわり毎日、いろんなことを想います。
そして思ったことをノートに書いていきます。
心にある願いをはっきりとくっきりと。
今できなくても、何がしたいのかをはっきりさせるようにしています。
思いがなければ、何も動かないからです。

そして、少しを実践します。
少しでもいいから実行してみる。
それが大事。

そのうえで、いまの家族暮らしを心から楽しんでいます。
なんせ、この暮らしは相方さんが命を懸けてまで私にくれたものだから。

今は残念ながら、あれしたい、これしたいと願いを語る人がいないから、
ノートが相方さんのかわりですが。きっと傍で聞いていてくれるでしょう。

そして、こうして書いたすべては、願ったすべては、
私がちゃんと生きている限り、しっかりの望む限り、
例え、与えられる形は違っても、またかならず叶うのです。





《ある病者の祈り》


大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ