KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

小さな魂たちと種と土~追記あり

2012-02-13 | KOFUKU日記

《雨の日は眠いでちゅ…羽根布団の上でまんまるさんのぴーちゃん》


今日は雨です。
気温が高くて、もう春だなぁって感じのあたたかさになりました。

このところ、うちのお姫さま方がそろってレディ・ムーンな時期に入られまして
黒一点のメンズ・まろたん王子はプロポーズに燃えております。
まさに若さ爆発、そのラブソングは昼夜問いませんのです(^_^;)

という事で先日より、お姫様と王子様方はしばしお部屋分かれての生活中です。
まろたん王子はあんまり眠っていないので、お昼はおじいちゃんとお出かけ中です。
ゆっくり眠ってくれるといいのだけど。
その合間に2階でお過ごしの姫たちがお庭でお散歩などいたします。


 
《つかの間のお日様が出てきて、日向ぼっこ》




《まろにいたん、いないんでちゅけど?かえちてくだちゃい!(怒)》


あ~でも、乳母のわたくし、まろたん王子がいないとさみしいですわ(;_;)
まろた~~~~~~ん!

やっぱり、大事な子供たちが、一人でも欠けるとぽっかり穴が開いちゃいますね。
あと一週間くらいかな、早く時期が過ぎて、またみんなで遊べるといいなぁ~。

私にとっては、この子たちは我が子とおんなじなのです。
今はこの子たちの為に生きているといっても過言ではありません。
たぶん、この日本が沈没しても、この子たちと逃げられないなら
そこで一緒に人生を終えますね。絶対においては行かない。
私のイノチとまったく同じ存在です。

10年前、当時のパートナーさんが、図らずも天に帰った時
ピーちゃんはまだ2歳になったばかりでした。

当時、死別の辛さから私は日本を離れるつもりで準備を進めていたのですが
飼い主でもあるパートナーさんのお母さんが
もう死ぬものはこの先に飼いきらないと言いだしました。

親一人、子一人で、その子どもを失ったばかりのお母さんは
必ず来る別れの日がとってもつらかったのだと思います。
それは私もまったく同じでした。

ピーちゃんは本当に頭が良くて人間の言葉を驚くぐらい理解するのですが
お母さんはその言葉をピーちゃんの前で言ってしまいました。
その途端、お母さんのそばに近寄らなくなってしまいました。

私はそこまでいろいろと準備をしてきて、
行先ももう決めていたので一瞬考えましたが、
迷わず出した答えは、ピーちゃんを引き取って一緒に暮らす、でした。

家族を目の前で失って、センシティヴになっているぴーちゃんに
一番必要なのは、一緒に居てくれる家族だと思ったからです。
で、あれば、育てた私が一緒にいるのが一番いいと思ったのです。
描いていた未来は一瞬にして変わってしまいましたが
私に後悔は全くありませんでした(^^)

タイミングも良かったのです。
俳優と言う仕事をお休みした瞬間の事でしたから。
これが仕事の場にいたなら、したくてもできなかったでしょう。
でも、おかげで私の人生は善い方に変わったのです。

以前は仕事にすべてをかけるタイプの仕事の仕方をしていて
仕事第一となれば親兄弟は死んだようなものだと思って暮らしていたし、
いろんな犠牲も当然の様に払っていましたが、
ちいさい魂を預かって暮らすという事は大きなことで、
まずはそのイノチが一番幸せであることを考えるようになりました。

そして、そのイノチを尊重したうえで、どう自分の世界を生きるかを考えました。
共に生きるという事が、自分のしたいことと重なる生き方を模索しました。
自分で乗り越えなければいけない問題もたくさんありました。

でも、出来るものですね。考え、努力さえすれば。
その中で相方さんとの暮らしが始まり、彼の存在があって
新しい暮らし、生き方の世界をはっきりと形にすることが出来たのです。


今はその延長です。大きな変化を迎えました。
けれども、小さい人たちと暮らすことは変えません。
イノチを預かったからには、最後まで責任があるのです。
今まで培ってきたものを、どう変化させていくか。
でも根本は変わりません。周りにはどう見えていようと、
私のしたいこともやってることは今までと何も変わりません。

預かった命を守りながら、自分を生きる。
その形でいつか必ず自立すること。
それが自分の課題です。




《じいじがもらってきたザボンの種を植えてみたいと思います》


大きな変化の中で、この土地に戻りました。
これも相方さんたちや、ちいさなイノチたちが私に与えてくれたものですね。
この難しい時代を考えると、本当に善いタイミングで戻れたと思っています。
中には生きていた世界からの「完全撤退」と思う人もいるんでしょうけど(^_^;)
でも私が形にしていかない事には、本物にならない。
これから、また新たな世界を作っていくのだと思っています。

親しい友人の殆どは芸能界にいる人か、ロハスな生活を生きている人、
もしくは頭脳関係の方とか聖職者の方や海外の方が多いです。
いずれもはっきりと自分の意思を持って暮らしている人ばかり。

311が起こり、原発事故が起こり、芸能界や各世界も揺れたと思います。
私の友人はその影響を大きく受ける人ばかりです。
でも皆、自分の意思をもって、いまを生きている人ばかりだから
それぞれが今現在に選んだ世界を心から尊重しています。

そんな中に有機農法やバイオダイナミックでの畑つくりや、
オーガニックの種を作ってる友人がいたんですが
原発事故で土地がダメになり、そのお仕事が出来なくなった方がいます。

以前、種は袋で買って撒くとか、畑は土を耕して作ればいい
というような簡単な認識しかありませんでしたが
本当にオーガニックのものを作ろうとしたら、
土も水もすべて汚染のないもの場所で種を作らねば
どんないい土壌であっても、種が汚染されたものであれば
汚染された作物が育ってしまうのだと初めて知りました。
それはもちろん、遺伝子的なレベルの細かい話なんですけどね(^_^;)
でも、その細かいところに真剣になって畑や種作ってた人たちがいて。

でも、すごいなと思いましたのは、私の友人たちはみな
土壌が汚染された時点で、まず除染を行ってみてから、
そのあとの状況を見て、何の迷いもなく、
その地での働きを止めた方が多かったことですね。

長く培ってきたものを手放すというのは本当に勇気がいります。
ある程度の未来における予測は出来たとしても、
誰も彼も明日の行方ははっきりとなんてわかりません。
誰もが躊躇すると思うのですよ。

でも彼らはしなかった。
そして、いち早く、安全な地にうつり、同じような活動を始めました。
いかに、そういう安全が大切かを学んだからでしょう。

でも、私の友人は誰一人、こうあるべきとは言いません。
自分の信じる事、できることをまっすぐにやっていくだけです。
私も同じようでありたいと思っています。

こういう事がいかに尊い事か、原発事故があって初めて身に染みた気がします。
長きにわたって続く汚染とはいかに大きな問題であるのか…。
土が元に戻らなければ、完全な安全は手にはいらないものだったんだなぁと。
だからこそ、あんなに真剣にやられていたんだなぁと。

いま、本当に少しずつ、庭に小さい畑や花壇を作っているけれど
出来る範囲での除染をして、出来る範囲の草花を育ててみたいと思っています。
いろいろと教えて下さる方もいるし、これまでの生活の中で学んだ事とかやってみようと。
いままで何も考えずとも手に入れていたものへの感謝を大切にしながら。
ほんと、いまこそ自然って大事なんだなぁ。そう思いますねー。


こういう原発問題とか口にすると、何か活動しているんですか?とか言われます。
私は自分で気を付けられることはしますが、特に活動はしていません。

もちろん、時に立ち上がることは必要な事だと思いますが。
でも、人様にはいろいろな立場や事情がありますもんね。


以前、ご実家が焼肉屋の友人がいましたが、
彼女はある自然派の方々が集まる場でベジタリアンとか
マクロビアンの方々に肉食を糾弾されました。

そして、ある日、私に「悲しいなぁ」と言いました。
自分を育ててくれた親の仕事を一方的に悪と取られて悲しいと。

お肉や魚や野菜を食べることは他の生命から自分に命を繋ぐこと。
何よりもそのイノチを大切にすることが大事じゃないのかと私は思います、

魂の痛みを感じるとか、それは素晴らしい。
でも動物や魚の痛みは分かるのに、なぜ植物は平気なのか?
皆さんは不思議じゃありませんか?

だからと言って、食べないのがおかしいとも思いません。
食べたくない人は食べない。それでいいと思う。
でも、そうしない人を奇異な目で見るのはちょっと私はいただけない。

実際、突然、肉食、それを避けるべきことになったとして
その仕事を失った人の生活はどう保障されていくのか?
まあ、これは毛皮でも、捕鯨でも、いろんなことに当てはまりますが。

活動って、やっぱり両方を考えて初めて成り立つような気がします。
今の原発事故もそうじゃないかなって思います。
やってはならない、そういうのなら、そこまで当たり前にあったものを
返せないにしても、変わるものを共に考えていくことって大事じゃないでしょうか。

そして、人の事情も、理解しようと思う気持ちがなければ
決して自分の気持ちも伝わりはしないと感じます。

そういう意味で、弱者が片方に生まれる形の活動にはあえて参加しない人です。

その分、自分がやれるべきことを出来る範囲でいいから
絶えることなくしていきたいと思ってます。
現在は出来る範囲での積み立て義援金と被ばく対策かな。
どれも皆が少しでも続けることで、最終的に力が表れてくる気がします。
そんな小さな自分を中心にした活動を好みます。
とにかく、イノチってのはすごいものですね。

昔から我が家では遊びでは花を摘みません。
花にも命があるから痛いので、というのが理由。
人は笑っても我が家の人間は大真面目です(笑)
見た目は全然ハードで強そうな妹は、小さな虫も逃がします。
かとおもえば、いつ何時、この虫が私の命を救ってくれるかもよ、
と本質を突いたことを言います。
殺すべきは人でなく自然の連鎖の中でと彼女の魂は本能で知っているのでしょうね。
だからと言って、お花を摘む人を糾弾したりしませんが(笑)
要はそれを行うときの気持ちなんじゃないかって思います。

基本的に偏りすぎるのは苦手です(^_^;)
中道と言いつつ、決められないのも、どうかと思うけど。
自分が「よし」と受け止めるものを信じていく事が大事ですね、我が家は。

マクロビもヴィーガンも本当に素敵な事かとは思うけれど
人をけなしたり、家族が喜ばないのに健康や精神を盾に
そればっかりに固執するのは不幸が起こる気がします。

ある方の旦那さまが、マクロビ系統の奥様のことをこっそり、
昔はあんなじゃなかった、子どもがいなかったらとっくに別れてます、
もちろん相手の愛情ゆえのこととは思うんですけど、
ってしみじみおっしゃった時には、その方の痛みが直接伝わって、
いかに善きことでも、それ自体が相手の不幸の上に
正しさなんてあるのかなぁとつくづく考えてしまったのでした。

自然派の方の中にいる時も同じような方が多くて
そこのお子さんが陰でお肉を異常に欲したり
お菓子や白米に固執したりする姿を観ました。
それは、なんだか、悲しい姿でした。

相方さんも小さいころお菓子を全く食べさせてもらわなかったので
大人になってから、スナック菓子がないとダメでした。
せっかくの愛情も行きすぎたら渇望を生むんですね。

だから私はあんまりマクロビに善い印象がないのです。
なんだか、寂しい気分になっちゃったりして。
やっぱり、何事もほどほどが良いのかもしれないですね。
たまには、ジャンクなものもね。体壊したらダメだけど。

というか、身体の事を考えながら、家族が喜ぶものを作る事は
とっても大事なんだなと教えてもらった出来事でした。

私が頂くイノチは私のいのちと一緒になって生きてる。
私のイノチは生かしてもらっている。

そんな風だから、
自然にあるものでなく、食物を育て、それを収穫するとは
わたくしめにとってはかなりの大事な一大イベントなわけですが、
なんとか頑張って向き合ってみたいと思っています。