KOFUKUの家から

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南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

香福*幸福(^^)

2012-02-25 | KOFUKU日記
 

《待望の梅の花が開きました!!》

朝起きると庭からほのかに漂ういい香り…
はいっ!じいじが植えた梅の花が開きました~(^-^)

今年は春が遅く、いまか、いまかと待っておりましたが
やっとやーっと咲き始めてくれました~。

この南の国の春は一瞬です。
あったかくなったな~と思ったらすぐに梅雨が来て、
一気に長い長い夏になるのです。

だからこの瞬間は貴重~。
この香りをいっぱいに楽しんでおかなくては。
まさに香福(こうふく)ですわ。


さて、おちびさんたちは相変わらず元気です。


《ぴーちゃんはお日様と一緒におねんね》

 

《相変わらずの寝相で御座います(-_-;)》



《ちっさいにいちゃんと一緒におやすみ~》

仲良くてほのぼのします♪


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《もう長い間、持ち続けている、宝物のしおりです》


さて、最近の私は「どう生きるか」ってことをよく考えます。

実は私自身は行く先は見えなくても、自分が見えなくなることはないので
あまり自分の行く末を思い悩むことはありません。
自分をしっかり持って毎日を歩んでいけば
その先に未来がやってくるという風に思うからです。
ただ、居るはずだった人がいない事や、叶えるはずだったことが
一緒にかなえられなくなったことが、とても残念で心に堪えます。

でも、いろいろ考えるのは、いま道を探す若い人が近くにいるからですね。
いつも、そういう人たちと共にいるので、
自分を振り返る機会が他の人よりもたくさんあるのは、
自分を腐らせないためにも、とてもありがたいことだと思います。

でも、実質、他人事ながら、家族みたいなものなので
そういう近しい人の動向には一喜一憂しちゃいますね(^_^;)

私は他の人から言わせたら、ものすごい毒舌を吐く
かなりゆめゆめしい人間の様です(・。・;
相当、変わってるよね~、普通そんな風には生きられないよ~と言われます。

そんな風ですから、私の経験や感覚はあんまり参考にならないとは思いますが(^_^;)
そういう風に生きられている私からすると、こういう選びも悪くないと思うので
私のアンテナにしたがって、一喜一憂が起こるわけですね。

さっき画像の私の宝物のしおりにはこう書いてあります。

「わたしのこころはめざめています」

これは、私の人生の中でものすごく大切にしている言葉です。

わたしのこころはめざめているか?
これがはっきりしていない自分は生きているとは言えないからです。

自分がどんな人間かなんて、はっきりわからないものだけど
それでも人は、自分を探し、自分で決めることを
恐れずに続けなくてはならないと思っています。


不思議のアリスに

『どっちへ行きたいのか分からないのなら、
どっちの道へ行ったって大した違いはないさ。』

って言葉が出てきます。
中にはこれを
「どんなところにもチャンスはある」
と読む人もいますが、私にとって、この言葉は
「自分の意思がなければ、何をしても意味はない」
と言う意味にとらえられます。

そのくらい、今の自分のココロがどうあるのかって事が大事です。
そのせいか、ココロがふらふらしている人を見ると
「なんでそうなんねん!」
とガッカリしすぎちゃって私の方がへこんでしまいます(-_-;)
人の事なんだけどね~。

でもやっぱり近しい人の言葉って真剣に耳を傾けるから、
昨日、雄々しく夢を語ったその身で、その口で、
次の日、簡単にその夢をあきらめられたりすると

昨日のあれはなんだったの?あなたのココロって?
この人の夢って、やりたいことって何?
この人はいったい、何が一番、大切なの?
そんなにころっと自分の気持ちをかえて何故平気でいられるの?
それって、自分に恥ずかしくはないもの?
それほどにあなたの夢や希望は軽い夢でしたか…
それとも、そんなことすら、気にならない心なの?

な~んて、なんだか切なくなっちゃうんだなぁ、、、、

人間確かに、ころっころのココロだけどさ、
人の事なんだけどさ、
余計なお世話なんだけどさ、
でも、そういう場に居合わせるとへこむんだよなぁ。。。。。

そういう人は、日々の何を心に残しているのだろう?
そういう人ほどハウツー本とか見てると思うし
はやりのココロに良い影響あたえる本とか読んでるようなのに
何を読んでいるのだろうなぁ~、文字だけ追ってんのか?と思ってしまうんだなぁ。

もう、そういう行いすらも、単なるマニュアルになっていて
それをすることで「やった」という安心感を得ているだけなのだろうか?
しかもそれに本人気づいていないとか?
そうだったら、怖いよなぁ(-_-;)

もちろん、人間は完璧でないし、間違いもあるし、
それが悪いとはおもいませんよ。

でもね、でもね、自分が辛くならないのだろうか?
あまりにも自分を裏切り続けることに?
がっかりさせ続けることに?
ホントの意味で自分が可愛くないのかな?
自分が楽して、痛くなければ、それでいいのかな?って見える。
私はそこが不思議でならないんです。


アルケミストという本にこういう文章があります

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、
おまえの心に言ってやるがよい。

夢を追求している時は、心は決して傷つかない。
それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。」


私も本当にそう思うなぁ。
人生で真剣に考えるべきことはみんなそうだと思う。
本気でココロに残してほしい一文です。
そして、自分を大切にしてほしいと思います。


夢のある者は希望がある

希望のある者は目標がある

目標のある者は計画がある

計画のある者は行動がある

行動のある者は実績がある

実績のある者は反省がある

反省のある者は進歩がある

進歩のある者は…夢がある


この言葉たちの様に、
夢は泡のように消えていくようなはかないものではありません。
その証拠に人は夢の上に生きているではありませんか?

衣食住を考えてみてください。
人は単純に野の草を食み、寝転がり、そこに暮らしているのではないですよね?

家も、食べ物も、洋服も、誰かがこういうものがあったらいいなぁと夢見て
考え、沢山の苦難を乗り越えて実行に移し、そして形に仕上げたものです。
世の中にあるものは、誰かの夢が現実になったものですよね?

その、かなえられた夢の上に、沢山の人の苦労の上に、私たちは居るのです。
どれだけの人がそれに気が付いているのかな?と思います。

それに気づいている人は、たぶん、どんな苦労をしても夢をかなえる努力を惜しみません。
それよりも、どんな苦労をしたって、夢をかなえようとするはずです。
何故なら、それは自分を幸せにし、その上、人をも幸せにするからです。

大きな夢じゃなくてもいいんです。
世界を変えるようなことじゃなくてもいいんです。
小さな夢をかなえたら、あなたが、そしてあなたといる誰かは
必ず、必ず、幸せを得るのです。
それにはしっかり夢を抱かなくちゃいけません。
本当の幸福とはそういう気持ちの上に咲くのではないでしょうか?

人は、いえ、家族でさえ、相方さんや私の生き方を見て
笑った人もいれば、そんなことするのは無駄だとか、損だとか、
もっとまっとうな暮らし方をすればいいのにとか
果てには不幸な生き方だと言う人が多くいます。

でも、私は相方さんや自分の人生を振り返った時、
まったくもって、不幸だとも、損をしたとも、
無駄だったとも、間違った歩み方だったとも思っていません。

それどころか、どんな苦労をしてでも、ひとつの夢に向かい
その夢に対し、本当にまっすぐに、ストイックに歩み続けられた毎日は
本当に充実したもので、おかげで後悔の一つもなく、
心から幸福であったと思っています。

普通の人には、そんな安定には程遠い、明日の見えぬ人生の歩み方は、
恐ろしくて飛び込めないのが当たり前であると思いますが、
相方さんはそんな怖れを飛び越える勇気のある人でした。
私もまた、彼と共に恐れを飛び越える勇気を得たことに感謝しています。
夢をかなえようとする人の横に生きられた私は同じように幸せを得たのです。
例え、誰がそれを不幸だと呼ぼうとも、私は幸せです。


夢をあきらめた人は人の夢のあとを歩むしかありません。
ですが夢をかなえる人は、おのずから道を作ります。
そして気が付いた時は、あとから人が付いてくるのでしょうね。
それが、どんなに細い道であっても道は道です。
そんな道を作るのはとても尊いことだと思います。

本物の幸福を手にする人になりたいものですね。