んんどうもぉ~い、そうだいです。いやはやなんとも、豪雨とは言わないのですがしとしと雨が飽きもせずに続いておりますわなぁ。やんでもすぐ降るしねぇ。空も朝から晩までどんよりしたまんまだし。
いつ梅雨はあけてくれるのか。どうやら今年はあけるのが遅くなるかもしんない、などという話もチラホラ聞かれるのですが、チャッチャと青空を見せてほしいものですな。少々暑くてもいいですから、頼むよ~!
外出や遊びにあわない天気が続くのならば、しょうがないからこっちはひたすら働くことに専念するしかないのですが、この前お店でお客さんのちょっとおもしろい会話を聞きました。
会話というか、ただお店に来ていた小学生男子がケータイで相手と話している声がたまたま耳に入ってきただけだったのですが、
「え? 明日? 明日は遊ぶ。ん? え~っとね、しげりんとぉ、よっぴぃとぉ、サラリーマン。」
サラリーマン!? それ、あだ名!? 話の流れからいくと本物の企業戦士じゃないよね。
なんというネーミング……ヘアスタイルが横分けだからか、黒縁めがねだからか、私服でいいって言ってるのにスーツ姿で登校するからなのか、口ぐせが「それじゃわたくし、このへんでドロンさせていただきます。」だからなのか……
気になるね~。いじめでつけられてる感じじゃなかったので、これからもクラスの中での出世街道をひた走っていってもらいたいもんですよ。めざせ児童会長!
ほいほーい、それでは今回も雄々しく「アイドルグループ史」の修羅道を突き進んでいきたいと存じます。ついにモーニング娘。に入ってしまった。もう後戻りはできん!
今さら申し上げることでもないのですが、前回までつづってきたように1997年に結成され翌98年にメジャーデビューすることとなったモーニング娘。は、2011年現在に至るまでつねに日本のアイドル界をリードし続ける存在として君臨してしてきており、彼女たちのホームタウンともなっているアイドルブランド「ハロー!プロジェクト」の圧倒的な存在感は、AKB48だ桃クロちゃんだと強力な新興勢力が台頭してきた昨今でも、いや、そんな状況だからこそますますその輝きを増してきているような気さえする今日このごろとなってきています。
もちろん、これからおりにふれて強調していくことになるかと思うのですが、結成当初のモーニング娘。とそれからはや来年で15年の時がたとうかとしている現在のモーニング娘。とは、とてもじゃないですが同じアイドルグループとしてとらえることはできません。継承される「魂」のようなものは共通しているのかもしれませんが、そもそも「モーニング娘。」という名前がはなつ影響力からしてまったく別のものとなっているのですから。
1998年のモーニング娘。は、それこそ初期メンバー5名が番組で体を張った「5万枚手売り企画」、それによる話題性もあってか、1stシングル『モーニングコーヒー』からオリコンチャートのトップ10にランクインされるという好スタートをきることはできたのですが、まだまだ楽曲にも独自の色を出すことができず、よくある番組企画ものの清純派アイドルグループだろう、だいたい1~2年もてば大したもので、番組が終了するかメンバーの誰かがソロデビューするまでのつなぎみたいなものなんじゃないか、という見方がほとんどだったようです。
しかし、早くも1stシングルから数ヶ月後、あらたに初の追加メンバーをくわえて8名のグループとなったモーニング娘。は、5月にリリースした2ndシングル『サマーナイトタウン』から、めきめきとモーニング娘。ならではのカラーを打ち出していくこととなります。
「大きらい、大きらい、大きらい、大スキ! あぁ~……」
う~ん、実にいいため息。
『サマーナイトタウン』のシメのフレーズなのですが、この曲から、プロデューサーのつんくさんは、モーニング娘。に「赤裸々な恋愛感情の告白をセクシーに唄いあげる!」という方針を加えるようになります。
そもそも、8人のルックスやトーク番組での発言からモーニング娘。のイメージを考えると、若いメンバーは「かわいい」で年上のメンバーは「たのもしい」。全体的には「洗練されていない」、「天然ボケ」という印象があり、それはまさにそれまでの星の数ほどまたたいては消えていったアイドルグループの常套戦略をなぞったものでした。しかし、そこと楽曲を唄う時に見せる「セクシー」な表情やしぐさ、世の男たちの心をグッとつかむような歌詞と歌声との大きなギャップ。どれもこれもがモーニング娘。の顔なのだという、なにか1つのイメージだけでは左右されないアイドルグループならではの多様性を発揮できたのが、メンバー1人1人の個性に加えてつんくという名プロデューサーを持つこととなったモーニング娘。の実力であり幸運さだったのでしょう。
当時は言うまでもなくグラビアアイドル全盛の時代。おりしも「巨乳ブーム」まっただ中ということで、世に「セクシーなタレント」は飽きるほどいる状況だったのですが、モーニング娘。が持ち味とした「たいしてそうでもない娘さんたちが唄いだしたとたんにセクシーに!?」という戦略は、その中でも大いに異彩をはなっていくこととなりました。あと、単純なことなのですが5名のメンバーではなかなか出せなかった「声のあつみ」が、8名に増えてコーラスなどに余裕ができたことによって格段にボリュームアップしたことも大きいですよね。
かくして、『サマーナイトタウン』も1st以上にヒットすることとなり、ついに9月にリリースした3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』によってモーニング娘。は念願のオリコンチャート1位を獲得。その年の暮れのNHK『紅白歌合戦』に初出場を果たすこととなります。
「あんなにスキって言ってたじゃない!」
「もいちどスキって聞かせてほしい!」
『抱いてHOLD ON ME!』のサビのフレーズですが、この曲はまぁ~ホントにこのサビを連呼連呼。まるで芳一を海底にいざなおうとする平家一門の怨霊ででもあるかのように、聴く者の耳にしゅうねく残る言葉を投げかけてきます。
これは強烈ですね~。アイドルが唄う歌の中では屈指の「怨歌」なのではないでしょうか。これを、村のはずれでわらべ歌を唄っていてもおかしくないような外見の娘さんたちが唄ってるんですからね。
あと、忘れてならないのは、つんくさんが意図してなのかはわかりませんが、曲のテンポや使用楽曲のシンプルさが、あの「ジュリアナ東京」以前の(それ以降に比べると)比較的ゆったりしたディスコミュージック調になっていることです。
当時はすでにハイパーテクノだのスーパーユーロだのという複雑でハイテンポなリズムを導入した次世代の楽曲がちまたにあふれていたのですが、そこにあえてちょっと古い印象のあるものを持ってきたことによって、英語ばっかりでなに言ってるのかわかんない歌詞ややたらおぼえにくいメロディに食傷気味になっていた人たちの支持を集めることにもつながっていったのです。
意味のわかりやすい歌詞にすぐにおぼえられるメロディ。このへんへの原点回帰は、モーニング娘。のヒットもさることながら、時をほぼ同じくして1998年の12月にリリースしたしょっぱなの1stシングル『Automatic』からミリオンヒットをかっとばすこととなった宇多田ヒカル(15歳)の衝撃デビューあたりからはじまる「女性R&B(ディーヴァ)ブーム」の原動力となっていくこととなります。いっつ、お~ぅとま~てぃっ。
かくして、メジャーデビューわずか1年目にしてオリコン1位に輝くこととなったモーニング娘。の8名。
つんくさんも結成当初は「『紅白』に出られたら、解散かなぁ。」などと語っていたものの、もはや彼女たちの人気はそんなにすぱっと幕を下ろすことができる規模であるはずもなく、10月にはモーニング娘。史上初のグループ内ユニットとなる「タンポポ」(石黒彩・飯田圭織・矢口真里)の結成が発表され、翌11月にはデビューシングルとなる『ラストキッス』がリリース。これまたオリコン2位を記録するヒット作となりました。
ところで、1998年の夏はSPEED主演のSF映画『アンドロメディア』が全国で大々的に上映されるアツい夏であったことはすでにふれましたが、実は同じ時期にモーニング娘。も自分たちが出演するアイドル映画を制作・上映しています。しかし、スケールはだいぶおとなしいものでした。
『モーニング刑事(コップ)。 抱いてHOLD ON ME!』(監督・今関あきよし 主演・平家みちよ)
これは71分のアクションコメディ映画で、アップフロントエージェンシーの擁する平家みちよとモーニング娘。の合同ミニライヴにあわせて、会場で限定上映されるかたちの作品でした。
お話はなんともかわいらしい他愛のないもので、ファッション雑誌の素人モデルとして活動する8人の少女(モーニング娘。)が、不気味なストーカーのいやがらせにおびえる親友で人気モデルの平家さんを懸命にガードする刑事になる(自称)、というもの。
主演は平家さんなのですが、やっぱり目立つのは8人のほうですね。
予算の都合のためか、およそ映画とは思えない軽さが全編にただよっている作品なのですが、8人が突然水着姿になったり、汗水たらして体力をつけるための特訓にはげんだりとアイドル映画らしいサービスシーンは満載。8人を鍛えあげる近所の道場主の役を演じるのは上島竜平さん。実に不安です。
この作品には彼女たちをサポートする「秋葉原の帝王」(演・シャ乱Qのたいせー)という人物が登場するのですが、彼がクライマックスでストーカー犯にたたきつけるセリフは最高です。
帝 「アイドルに結婚を迫るとは……愚かなことをしたな。」
ス 「帝王様……ボクは……」
帝 「アイドルとは遠くから応援するもの。私の教えを忘れたな!!」
『モーニング刑事。』はファン以外のあいだでは滅多に話題にされない隠れた存在なのですが、完全に主役を喰ってしまっているフレッシュな8人の姿もあって、ヒマだったら1度は観ておきたいアイドル映画の名品となっております。
そんなこんなで、1997年という試練の時を乗り越えたモーニング娘。は、怒涛の勢いでトップスターへの仲間入りを果たすという、まさにこれ以上ない結果をもって1998年を終えることとなったのでした。
そして、次なる1999年は、前半に多少のブームの落ち着きはあったものの、「遅れてきた風雲児」ことごっちん後藤真希のいよいよの加入をもって「真の」モーニング娘。ブームを招来するとんでもねェ~年となるのですが。
やっぱりねぇ、「モーニング娘。やハロプロの歴史」だけをズンズン進めていっても、アイドルグループの歴史の雄大さ、豊かは言い表すことはむずかしい!
ある「木」の立派さをいくらまくしたててみても、「木」だけの説明では魅力を伝えることには限界があります。ちゃんと、周辺の他の木や森全体もちゃんと説明しなければ、その中にある「木」のすばらしさを語ることはできんのですよ!! 「ジャニーズ林」や「ロック林」まではやるつもりはさらさらないけどね!
ということで、今回は1999年にはいかずに、1998年に活躍した他の「アイドルグループ史」に残るべき面々を紹介してみたいと思います。
Kiroro(キロロ 1996年~)ポップスデュオ
19歳 玉城千春(ヴォーカル)と金城綾乃(キーボード)
主な楽曲の作曲は玉城のほうが担当している
沖縄出身だが沖縄アクターズスクールとはまったく関係がない
1996年からインディーズとして沖縄で活動していたが、1998年1月に『長い間』でメジャーデビュー
1998年に発表した1st『長い間』と2nd『未来へ』をヒットさせ、2001年の10th『Best Friend』も大ヒット
透明感あふれる楽曲とトークでの天然ボケぶりが大いにうける
現時点では楽曲のリリースは2009年が最後になっている
YURIMARI(1998年2月~99年5月)アイドルデュオ 『ASAYAN』出身
16歳 中村友理(現・ゆり)と伊沢真理(現・MARI)
サンプラザ中野とパッパラー河合の共同プロデュース、PUFFYの確信犯的フォロワー
抜群の不安定さをほこる歌唱力を逆手に取った楽曲
6枚のシングルと1枚のアルバムを発表するがいまひとつヒットせず解散
現在は中村は女優、MARIはタレントとして活動
HiP ホリプロアイドルパラダイス(1998~2003年)5~7名
13~18歳
ホリプロタレントスカウトキャラバンの受賞者によって結成
新山千春(17歳)・深田恭子(16歳)・優香(18歳)・酒井彩名(13歳)ら5名のメンバーでスタート
リーダーは新山(初代)、優香(2代目)、酒井(3代目)
他の途中加入メンバーには平山あや、堀越のり、綾瀬はるか らがいた
多くは当時から女優として活動していたが、優香と綾瀬はグラビアアイドルだった
楽曲は発表しておらず、活動はイベント出演やレギュラーラジオ番組のみ
『アイドルハイスクール 芸能女学館』(1998年4月~99年3月)フジテレビの深夜バラエティ番組
芸能プロダクション十数社合同のアイドル養成番組
出席番号1~21番までの新人タレントが出演
橋本真実(14歳)・国仲涼子(19歳)ら
番組内オーディションでMISSIONが結成されたが、それ以外は楽曲は発表していない
番組終了後の1999年4~9月には、生徒タレントのほぼ全員が出演したオムニバスドラマ『国産ひな娘』(テレビ東京)も放送されていた
MISSION(1998年6月~2000年ごろ)5人組
橋本真実 ら
母体となった番組『アイドルハイスクール 芸能女学館』の事情により、メンバー全員の所属事務所が違っている
ヴォーカルダンスユニットとして4枚のシングルを発表するがヒットせず(アルバムのリリースはなし)
1999年9月の『国産ひな娘』終了後に橋本が脱退し、その後めだった活動もなく2000年に自然消滅
現在は橋本は女優として活動し、それ以外の元メンバーは全員引退している
Z-1(1998年7月~2002年8月)4人組
13~15歳 上戸彩(13歳)ら
1998年7月、オスカープロモーションの「第7回全日本国民的美少女コンテスト」本戦出場者により結成
※グランプリ受賞者はいない
1999年からCDリリースやTV出演を積極的におこなうがさほどヒットせず
SPEEDやモーニング娘。の模倣がはなはだしい
上戸はすでに女優としての活動を並行しておこなっており、個人的な知名度をえていた
2002年8月に上戸が『Pureness』でソロ歌手デビューしたことにより活動停止
現在は上戸以外の元メンバーも歌手やモデルとして活動している
代表曲 3rd『BakkAみたい!!』(2000年5月)
COLOR(カラー 1998年7月~2002年3月)4人組
14~15歳 当山奈央(14歳)ら
関西出身のヴォーカルダンスユニット
ポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一(長谷川京子さんのダンナ)が主要楽曲の作詞を担当
ソウルフルで力強いヴォーカル
抜群の歌唱力だったがヒットせず
2002年3月にメンバーの門田こむぎが学業優先で脱退し、新たに3名の追加加入をへて「Buzy」に改称
Buzy(ビズィー 2002年4月~06年6月)6人組 COLORの後続グループ
16~19歳 当山奈央(18歳)ら
引き続き歌はうまいのにヒットせず解散
代表曲 4th『パシオン』(2005年11月 COLOR時代からは通算10枚目となるラストシングル)
現在は元メンバーは歌手・タレントとして活動を続けている
え~……わたくし、今回のタイトルに「モーニング包囲網。」と銘打ったわけなのですが。
この中のどれっひとつとして! モーニング娘。を包囲するつもりで活動したグループはありません。キロロいるし。
まぁ、キロロは当時の日本音楽界を席巻していた「沖縄」というブランドを力強くささえたアーティストの1組ということで。『未来へ』は、いい曲だ。
見ていただいておわかりのように、1998年の時点では、モーニング娘。というよりも、むしろもっと旬だったPUFFYを意識したユリマリやSPEEDを意識したZ-1といった感じで、まだまだ「モーニング娘。」を明確な対象にしたアイドルグループは出てきていませんでした。
正確に言うと、モーニング娘。の対抗グループとしては1998年10月に放送を開始したフジテレビのしろうとオーディションバラエティ『DAIBAッテキ!!』で結成された大人数アイドルグループ「チェキッ娘」がいるのですが、おニャン子クラブに最も近かったグループともいえる彼女たちの本格的な活躍(と解散)は翌99年のこととなるので今回は紹介しません。
ホリプロのヒップは、ソロアイドルが集まってわいわい活動する時のグループ名、という感じなので本格的なアイドルグループではないのですが、まじめに活動して歌唱力も抜群にあったカラー(ならびにビズィー)がうまくいかなかったのは実に惜しいことでした。歌うまいだけじゃあダメなのか……
とにかくざっと見てみると、SPEEDやモーニング娘。はあくまでも奇跡的な成功例だっただけであり、「アイドル冬の時代は終わった。」とは言っても、まだまだ厳しい状況は続いていたということなんですな。
特にアイドルグループにいたっては、ミッションの橋本さん、Z-1の上戸さんのように「誰かをソロアイドルとして売り出すための第1ロケットエンジン」としての意味あいは哀しいくらいに色濃く残っていたのです。
みんなで有名になるって、たいへんなのよねぇ……しみじみ。
いつ梅雨はあけてくれるのか。どうやら今年はあけるのが遅くなるかもしんない、などという話もチラホラ聞かれるのですが、チャッチャと青空を見せてほしいものですな。少々暑くてもいいですから、頼むよ~!
外出や遊びにあわない天気が続くのならば、しょうがないからこっちはひたすら働くことに専念するしかないのですが、この前お店でお客さんのちょっとおもしろい会話を聞きました。
会話というか、ただお店に来ていた小学生男子がケータイで相手と話している声がたまたま耳に入ってきただけだったのですが、
「え? 明日? 明日は遊ぶ。ん? え~っとね、しげりんとぉ、よっぴぃとぉ、サラリーマン。」
サラリーマン!? それ、あだ名!? 話の流れからいくと本物の企業戦士じゃないよね。
なんというネーミング……ヘアスタイルが横分けだからか、黒縁めがねだからか、私服でいいって言ってるのにスーツ姿で登校するからなのか、口ぐせが「それじゃわたくし、このへんでドロンさせていただきます。」だからなのか……
気になるね~。いじめでつけられてる感じじゃなかったので、これからもクラスの中での出世街道をひた走っていってもらいたいもんですよ。めざせ児童会長!
ほいほーい、それでは今回も雄々しく「アイドルグループ史」の修羅道を突き進んでいきたいと存じます。ついにモーニング娘。に入ってしまった。もう後戻りはできん!
今さら申し上げることでもないのですが、前回までつづってきたように1997年に結成され翌98年にメジャーデビューすることとなったモーニング娘。は、2011年現在に至るまでつねに日本のアイドル界をリードし続ける存在として君臨してしてきており、彼女たちのホームタウンともなっているアイドルブランド「ハロー!プロジェクト」の圧倒的な存在感は、AKB48だ桃クロちゃんだと強力な新興勢力が台頭してきた昨今でも、いや、そんな状況だからこそますますその輝きを増してきているような気さえする今日このごろとなってきています。
もちろん、これからおりにふれて強調していくことになるかと思うのですが、結成当初のモーニング娘。とそれからはや来年で15年の時がたとうかとしている現在のモーニング娘。とは、とてもじゃないですが同じアイドルグループとしてとらえることはできません。継承される「魂」のようなものは共通しているのかもしれませんが、そもそも「モーニング娘。」という名前がはなつ影響力からしてまったく別のものとなっているのですから。
1998年のモーニング娘。は、それこそ初期メンバー5名が番組で体を張った「5万枚手売り企画」、それによる話題性もあってか、1stシングル『モーニングコーヒー』からオリコンチャートのトップ10にランクインされるという好スタートをきることはできたのですが、まだまだ楽曲にも独自の色を出すことができず、よくある番組企画ものの清純派アイドルグループだろう、だいたい1~2年もてば大したもので、番組が終了するかメンバーの誰かがソロデビューするまでのつなぎみたいなものなんじゃないか、という見方がほとんどだったようです。
しかし、早くも1stシングルから数ヶ月後、あらたに初の追加メンバーをくわえて8名のグループとなったモーニング娘。は、5月にリリースした2ndシングル『サマーナイトタウン』から、めきめきとモーニング娘。ならではのカラーを打ち出していくこととなります。
「大きらい、大きらい、大きらい、大スキ! あぁ~……」
う~ん、実にいいため息。
『サマーナイトタウン』のシメのフレーズなのですが、この曲から、プロデューサーのつんくさんは、モーニング娘。に「赤裸々な恋愛感情の告白をセクシーに唄いあげる!」という方針を加えるようになります。
そもそも、8人のルックスやトーク番組での発言からモーニング娘。のイメージを考えると、若いメンバーは「かわいい」で年上のメンバーは「たのもしい」。全体的には「洗練されていない」、「天然ボケ」という印象があり、それはまさにそれまでの星の数ほどまたたいては消えていったアイドルグループの常套戦略をなぞったものでした。しかし、そこと楽曲を唄う時に見せる「セクシー」な表情やしぐさ、世の男たちの心をグッとつかむような歌詞と歌声との大きなギャップ。どれもこれもがモーニング娘。の顔なのだという、なにか1つのイメージだけでは左右されないアイドルグループならではの多様性を発揮できたのが、メンバー1人1人の個性に加えてつんくという名プロデューサーを持つこととなったモーニング娘。の実力であり幸運さだったのでしょう。
当時は言うまでもなくグラビアアイドル全盛の時代。おりしも「巨乳ブーム」まっただ中ということで、世に「セクシーなタレント」は飽きるほどいる状況だったのですが、モーニング娘。が持ち味とした「たいしてそうでもない娘さんたちが唄いだしたとたんにセクシーに!?」という戦略は、その中でも大いに異彩をはなっていくこととなりました。あと、単純なことなのですが5名のメンバーではなかなか出せなかった「声のあつみ」が、8名に増えてコーラスなどに余裕ができたことによって格段にボリュームアップしたことも大きいですよね。
かくして、『サマーナイトタウン』も1st以上にヒットすることとなり、ついに9月にリリースした3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』によってモーニング娘。は念願のオリコンチャート1位を獲得。その年の暮れのNHK『紅白歌合戦』に初出場を果たすこととなります。
「あんなにスキって言ってたじゃない!」
「もいちどスキって聞かせてほしい!」
『抱いてHOLD ON ME!』のサビのフレーズですが、この曲はまぁ~ホントにこのサビを連呼連呼。まるで芳一を海底にいざなおうとする平家一門の怨霊ででもあるかのように、聴く者の耳にしゅうねく残る言葉を投げかけてきます。
これは強烈ですね~。アイドルが唄う歌の中では屈指の「怨歌」なのではないでしょうか。これを、村のはずれでわらべ歌を唄っていてもおかしくないような外見の娘さんたちが唄ってるんですからね。
あと、忘れてならないのは、つんくさんが意図してなのかはわかりませんが、曲のテンポや使用楽曲のシンプルさが、あの「ジュリアナ東京」以前の(それ以降に比べると)比較的ゆったりしたディスコミュージック調になっていることです。
当時はすでにハイパーテクノだのスーパーユーロだのという複雑でハイテンポなリズムを導入した次世代の楽曲がちまたにあふれていたのですが、そこにあえてちょっと古い印象のあるものを持ってきたことによって、英語ばっかりでなに言ってるのかわかんない歌詞ややたらおぼえにくいメロディに食傷気味になっていた人たちの支持を集めることにもつながっていったのです。
意味のわかりやすい歌詞にすぐにおぼえられるメロディ。このへんへの原点回帰は、モーニング娘。のヒットもさることながら、時をほぼ同じくして1998年の12月にリリースしたしょっぱなの1stシングル『Automatic』からミリオンヒットをかっとばすこととなった宇多田ヒカル(15歳)の衝撃デビューあたりからはじまる「女性R&B(ディーヴァ)ブーム」の原動力となっていくこととなります。いっつ、お~ぅとま~てぃっ。
かくして、メジャーデビューわずか1年目にしてオリコン1位に輝くこととなったモーニング娘。の8名。
つんくさんも結成当初は「『紅白』に出られたら、解散かなぁ。」などと語っていたものの、もはや彼女たちの人気はそんなにすぱっと幕を下ろすことができる規模であるはずもなく、10月にはモーニング娘。史上初のグループ内ユニットとなる「タンポポ」(石黒彩・飯田圭織・矢口真里)の結成が発表され、翌11月にはデビューシングルとなる『ラストキッス』がリリース。これまたオリコン2位を記録するヒット作となりました。
ところで、1998年の夏はSPEED主演のSF映画『アンドロメディア』が全国で大々的に上映されるアツい夏であったことはすでにふれましたが、実は同じ時期にモーニング娘。も自分たちが出演するアイドル映画を制作・上映しています。しかし、スケールはだいぶおとなしいものでした。
『モーニング刑事(コップ)。 抱いてHOLD ON ME!』(監督・今関あきよし 主演・平家みちよ)
これは71分のアクションコメディ映画で、アップフロントエージェンシーの擁する平家みちよとモーニング娘。の合同ミニライヴにあわせて、会場で限定上映されるかたちの作品でした。
お話はなんともかわいらしい他愛のないもので、ファッション雑誌の素人モデルとして活動する8人の少女(モーニング娘。)が、不気味なストーカーのいやがらせにおびえる親友で人気モデルの平家さんを懸命にガードする刑事になる(自称)、というもの。
主演は平家さんなのですが、やっぱり目立つのは8人のほうですね。
予算の都合のためか、およそ映画とは思えない軽さが全編にただよっている作品なのですが、8人が突然水着姿になったり、汗水たらして体力をつけるための特訓にはげんだりとアイドル映画らしいサービスシーンは満載。8人を鍛えあげる近所の道場主の役を演じるのは上島竜平さん。実に不安です。
この作品には彼女たちをサポートする「秋葉原の帝王」(演・シャ乱Qのたいせー)という人物が登場するのですが、彼がクライマックスでストーカー犯にたたきつけるセリフは最高です。
帝 「アイドルに結婚を迫るとは……愚かなことをしたな。」
ス 「帝王様……ボクは……」
帝 「アイドルとは遠くから応援するもの。私の教えを忘れたな!!」
『モーニング刑事。』はファン以外のあいだでは滅多に話題にされない隠れた存在なのですが、完全に主役を喰ってしまっているフレッシュな8人の姿もあって、ヒマだったら1度は観ておきたいアイドル映画の名品となっております。
そんなこんなで、1997年という試練の時を乗り越えたモーニング娘。は、怒涛の勢いでトップスターへの仲間入りを果たすという、まさにこれ以上ない結果をもって1998年を終えることとなったのでした。
そして、次なる1999年は、前半に多少のブームの落ち着きはあったものの、「遅れてきた風雲児」ことごっちん後藤真希のいよいよの加入をもって「真の」モーニング娘。ブームを招来するとんでもねェ~年となるのですが。
やっぱりねぇ、「モーニング娘。やハロプロの歴史」だけをズンズン進めていっても、アイドルグループの歴史の雄大さ、豊かは言い表すことはむずかしい!
ある「木」の立派さをいくらまくしたててみても、「木」だけの説明では魅力を伝えることには限界があります。ちゃんと、周辺の他の木や森全体もちゃんと説明しなければ、その中にある「木」のすばらしさを語ることはできんのですよ!! 「ジャニーズ林」や「ロック林」まではやるつもりはさらさらないけどね!
ということで、今回は1999年にはいかずに、1998年に活躍した他の「アイドルグループ史」に残るべき面々を紹介してみたいと思います。
Kiroro(キロロ 1996年~)ポップスデュオ
19歳 玉城千春(ヴォーカル)と金城綾乃(キーボード)
主な楽曲の作曲は玉城のほうが担当している
沖縄出身だが沖縄アクターズスクールとはまったく関係がない
1996年からインディーズとして沖縄で活動していたが、1998年1月に『長い間』でメジャーデビュー
1998年に発表した1st『長い間』と2nd『未来へ』をヒットさせ、2001年の10th『Best Friend』も大ヒット
透明感あふれる楽曲とトークでの天然ボケぶりが大いにうける
現時点では楽曲のリリースは2009年が最後になっている
YURIMARI(1998年2月~99年5月)アイドルデュオ 『ASAYAN』出身
16歳 中村友理(現・ゆり)と伊沢真理(現・MARI)
サンプラザ中野とパッパラー河合の共同プロデュース、PUFFYの確信犯的フォロワー
抜群の不安定さをほこる歌唱力を逆手に取った楽曲
6枚のシングルと1枚のアルバムを発表するがいまひとつヒットせず解散
現在は中村は女優、MARIはタレントとして活動
HiP ホリプロアイドルパラダイス(1998~2003年)5~7名
13~18歳
ホリプロタレントスカウトキャラバンの受賞者によって結成
新山千春(17歳)・深田恭子(16歳)・優香(18歳)・酒井彩名(13歳)ら5名のメンバーでスタート
リーダーは新山(初代)、優香(2代目)、酒井(3代目)
他の途中加入メンバーには平山あや、堀越のり、綾瀬はるか らがいた
多くは当時から女優として活動していたが、優香と綾瀬はグラビアアイドルだった
楽曲は発表しておらず、活動はイベント出演やレギュラーラジオ番組のみ
『アイドルハイスクール 芸能女学館』(1998年4月~99年3月)フジテレビの深夜バラエティ番組
芸能プロダクション十数社合同のアイドル養成番組
出席番号1~21番までの新人タレントが出演
橋本真実(14歳)・国仲涼子(19歳)ら
番組内オーディションでMISSIONが結成されたが、それ以外は楽曲は発表していない
番組終了後の1999年4~9月には、生徒タレントのほぼ全員が出演したオムニバスドラマ『国産ひな娘』(テレビ東京)も放送されていた
MISSION(1998年6月~2000年ごろ)5人組
橋本真実 ら
母体となった番組『アイドルハイスクール 芸能女学館』の事情により、メンバー全員の所属事務所が違っている
ヴォーカルダンスユニットとして4枚のシングルを発表するがヒットせず(アルバムのリリースはなし)
1999年9月の『国産ひな娘』終了後に橋本が脱退し、その後めだった活動もなく2000年に自然消滅
現在は橋本は女優として活動し、それ以外の元メンバーは全員引退している
Z-1(1998年7月~2002年8月)4人組
13~15歳 上戸彩(13歳)ら
1998年7月、オスカープロモーションの「第7回全日本国民的美少女コンテスト」本戦出場者により結成
※グランプリ受賞者はいない
1999年からCDリリースやTV出演を積極的におこなうがさほどヒットせず
SPEEDやモーニング娘。の模倣がはなはだしい
上戸はすでに女優としての活動を並行しておこなっており、個人的な知名度をえていた
2002年8月に上戸が『Pureness』でソロ歌手デビューしたことにより活動停止
現在は上戸以外の元メンバーも歌手やモデルとして活動している
代表曲 3rd『BakkAみたい!!』(2000年5月)
COLOR(カラー 1998年7月~2002年3月)4人組
14~15歳 当山奈央(14歳)ら
関西出身のヴォーカルダンスユニット
ポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一(長谷川京子さんのダンナ)が主要楽曲の作詞を担当
ソウルフルで力強いヴォーカル
抜群の歌唱力だったがヒットせず
2002年3月にメンバーの門田こむぎが学業優先で脱退し、新たに3名の追加加入をへて「Buzy」に改称
Buzy(ビズィー 2002年4月~06年6月)6人組 COLORの後続グループ
16~19歳 当山奈央(18歳)ら
引き続き歌はうまいのにヒットせず解散
代表曲 4th『パシオン』(2005年11月 COLOR時代からは通算10枚目となるラストシングル)
現在は元メンバーは歌手・タレントとして活動を続けている
え~……わたくし、今回のタイトルに「モーニング包囲網。」と銘打ったわけなのですが。
この中のどれっひとつとして! モーニング娘。を包囲するつもりで活動したグループはありません。キロロいるし。
まぁ、キロロは当時の日本音楽界を席巻していた「沖縄」というブランドを力強くささえたアーティストの1組ということで。『未来へ』は、いい曲だ。
見ていただいておわかりのように、1998年の時点では、モーニング娘。というよりも、むしろもっと旬だったPUFFYを意識したユリマリやSPEEDを意識したZ-1といった感じで、まだまだ「モーニング娘。」を明確な対象にしたアイドルグループは出てきていませんでした。
正確に言うと、モーニング娘。の対抗グループとしては1998年10月に放送を開始したフジテレビのしろうとオーディションバラエティ『DAIBAッテキ!!』で結成された大人数アイドルグループ「チェキッ娘」がいるのですが、おニャン子クラブに最も近かったグループともいえる彼女たちの本格的な活躍(と解散)は翌99年のこととなるので今回は紹介しません。
ホリプロのヒップは、ソロアイドルが集まってわいわい活動する時のグループ名、という感じなので本格的なアイドルグループではないのですが、まじめに活動して歌唱力も抜群にあったカラー(ならびにビズィー)がうまくいかなかったのは実に惜しいことでした。歌うまいだけじゃあダメなのか……
とにかくざっと見てみると、SPEEDやモーニング娘。はあくまでも奇跡的な成功例だっただけであり、「アイドル冬の時代は終わった。」とは言っても、まだまだ厳しい状況は続いていたということなんですな。
特にアイドルグループにいたっては、ミッションの橋本さん、Z-1の上戸さんのように「誰かをソロアイドルとして売り出すための第1ロケットエンジン」としての意味あいは哀しいくらいに色濃く残っていたのです。
みんなで有名になるって、たいへんなのよねぇ……しみじみ。