はいど~うもっ。そうだいです。
いや、暑いよ……梅雨じゃなかったのかよ。2~3日連続でむしむしむしむし。カンベンしてくださいよ~。
そんな中でもね、昨日やっちゃったんですよ、予告通りにアレを!
やっちゃった! 「桜木町恨道中2011年 狂風(さくらぎちょううらみのみちゆきとうぇにぃいれぶん きょうふう)」を!!
感想はもう、「なんでよりによって昨日にやらかしてしまったんだ……」のひとことにつきます。
昨日はねぇ、暑いのもひどかったんですけど、もうなによりもキツかったのが「強風」!!
今回も「やるたびに出発駅を変えて少しずつ桜木町に近づけていく」というルールにのっとりまして、
「京浜急行線 六郷土手(ろくごうどて)駅」
から出発いたしました。六郷土手駅は「京急線東京最南端の駅」ということでつとに有名、じゃないね。
相変わらずゆっくり運転の各駅停車に乗りまして、2~3回の急行通過待ちをへて到着した六郷土手駅は、さすがに東京都内の駅舎なので「ボロい」ということはなかったのですが、平日の午後ということもあってか降りる人はまばらで、おりからの節電のためにかなり屋内が薄暗くなっている雰囲気もあいまって私に妙な不安をいだかせるのに充分な説得力をもつものがありました。
そう、実は今回、私は出発して間もない段階で、
「今回はたぶん、楽しいハイキングにはならないかもしれん……心してかかろう。」
という不吉な予感がしていたのです。足のひらが大変なことになったり2時間豪雨にうたれながら歩いたりと、好きでやってないのなら即効で実家の家族に電話をかけたくなるような数多くの苦難(っぽいプレイ)を乗り越えてきた「桜木町恨道中」だったのですが、こんなことは今まで1回もなかったよ。
別に暑すぎてヤバイ、などと考えたということではありません。いや、まぁ確かにやってみたらヤバい暑さだったわけなのですが、出発したお昼1時の段階では、まだ私のいる千葉はくもりがちでさほど気温が上がるようには感じられなかったのです。
しかし、風だけはその時からビュンビュン吹きすさんでいたのです。
そう、風。
私が不吉な予感をいだいたのも、その風が原因でした。
これからJRを使って東京に行くぞと思い、もよりの駅に入ってホームで電車を待っていたところ、そこにひときわ強い風が吹き抜け……
お、おらぁ……おら見ちまったんだ、パンのチラを! じょ、じょじょ、女学生の!!
普通の子だったんだけど、ほんと! ほんとにマンガみたいに一瞬だけひるがえって、あ、あざやかな、あざやかなICHIGOがらが、がらがらがりんぺいろ。
ま、まま、待ってくれ! 誤解だ、誤解なんです。いや、見たのは確かだから誤解じゃないんだけど。
こっちは見るためになんの努力もろうしてないのよ!? それなのに偶然バッチリ見ちゃったんだよ。
私はつねづね、階段をのぼる時に前にいるミニスカートの女性が、自分のおしりに手をまわしたりバッグをそえていたりしているのを見ては、「あぁ、パンチラがいやなのね、じゃあそんなに短いのはかなきゃいいんじゃん!」と思っていたのですが、
今こそ真実に気がついた……ミニスカートのパンチラはパンチラにあらず!!
なぜならば、真のパンチラとは、風をはらむことができる充分な長さをもったロングスカートが、強風という「神のおぼしめし」を受けてひるがえる一瞬の奇跡現象だからなのである。
だからね、ミニスカートのパンチラはただの「人間による簡易模造品」! 大自然の決断を必要条件とする「真のパンチラ」とはどだいスケールが違うのです。
……もし、もしかしたらの話よ? もしこの『長岡京エイリアン』を読んでらっしゃる方の中に女性の方がいらっしゃるとしたら……ひく?
とにかくですね、昨日の体験に、私は素直に感動してしまいました。いやらしいなんていうキモチは毫もわきおこらないもんなんだなぁ、「本物」は。
かつて、「観光旅行」の「観光」という文字の本来の意味とは、「光を観る」。つまりは、「人ならざる、日常ならざるもののパワー(光)」をさずかるためにふだん行かない場所へおもむくという重要な意味合いがあったのだといいます。
そういう意味では、私が昨日体験したパンチラは、しょっちゅう使っている駅のホームでの出来事であったとはいえ、まさに本当の意味での「観光」だったのではなかろうか……とかなんとか、ごたくをならべてみてももう遅い? 俺オワタ?
そんなわけで、『長岡京エイリアン』はパンツ盗撮に反対します。
女性の心に重い危害を加える犯罪行為であることも当然ながら、それは「神の意志を自分勝手に捏造しようとする最大級の冒涜行為」です。神に近づこうとしてよけいに神から遠ざかる。愚の骨頂よ!
嫌な死に方をしたくねぇんだったら、人様のパンツをのぞこうなんていうことは自分からするもんじゃあねぇ。のぞかぬパンツにたたりなしだぜ。
話をもとに戻しますと、出発のでばなでそんな奇跡体験アンビリバボーをくらってしまった私は、即座に、
「天運つきたり!! 今回の桜木町ハイキングは成果はないであろう。」
と横山光輝調で予感してしまったのでした。そして、それは実際にあたってしまいます。
……っていう、作り話でした!! いやーねぇ、パンチラなんて見るわけないじゃないの、ヘンタイじゃないんだからぁ~。冗談よ冗談! 女性の方、びっくりした? うそうそ!! みんなうそよ!?
これでどうかな。ダメ? やっぱ手遅れ?
まぁ~実際ね、六郷土手から桜木町、そしてそこからさらに「あるお店」に行くという今回のハイキングはきつかったね。
暑いし、基本的にず~っと向かい風だし。
交通標識が強風でたわんでるのは何回も見ましたよ。砂ボコリもひどかったし、みなとみらいあたりの浜風が特にキツくて、私なんか体重のあるほうではないので、マイケル=ジャクソンのアレみたいに基本的に前にかたむきながらの姿勢で歩いていました。
結局、歩いたトータルは20キロで、飲んだペットボトルは大小とりまぜて3本か。汗をふくもの持ってってて本当によかった。
もっとも徒労に感じてしまったのは、例の「お店」がやっぱりやってなかったということね。さすがにこれは、どうやら私のそのお店に対する認識が甘かったようなので、まだ桜木町に行ったらそのお店に行くということは続けるけれども、もうちょっと別の手も打たなきゃいけないかなという気になってきました。こっちもそれほどのんびりしてなれない事情があるんでね。
つうことで、今回の桜木町行も、成功はしたけど収穫はナッシング。ただ、2~3時間炎天下に向かい風のなか歩いても筋肉痛どまりで済む身体になっているということがうれしいですね。私の足のうらも、最初のあの惨劇からくらべるとずいぶんと頼もしくなったもんだよぉ。
で、恒例ながらミッション終了後は、桜木町の映画館「ブルク13」で映画鑑賞。
抹茶ジェラートをいただいたあとで今回観たのは、うわさの『さや侍』(監督・松本人志 主演・野見隆明)!! うおお~。
正直な話、今回は待ち時間中ずっと眠くてしょうがなかったので、「観てる途中で記憶なくなるかも……」と思っていたのですが、うとうとするヒマもなく見入ってしまいました。
現在、家にTVのない私は映画の批評などの情報にだいぶうとい状況が続いており(雑誌もあまり読まないし、ラジオでも映画批評の番組をやっている時間は働いていることが多いため)、そういうときに頼りになるのは「知り合いの感想」だけになってしまうのですが、『さや侍』の場合はどうだったかといいますと、みんながみんな「う~ん。」と沈黙する解答だったんですね。ただ、期待感があったのは「まず観てもらわないと話ができない。」という「う~ん。」だったことなのです。いいですねぇ。おもしろそう!
余談ですが、私の身のまわりでは、松本監督の作品は「『大日本人』は観たけど『しんぼる』は観ていない。」という人が圧倒的に多いです。実はかくいう私もそうでして……早くDVDが観られるようになりたい。
結論から申しますと、『さや侍』は、おもしろかった! 私は非常に楽しめました。
映画が始まる前、私は意外とお客さんに大人の方(40~50代)が多かったのを見て不思議に感じていたのですが、観終わった後は非常にそのことに納得がいきました。
いろいろ考えたくなる点はあまたあったのですが、残り30分くらいからの展開は思った以上にストレートに監督の言いたいことが直球で伝わってくる流れになっていて、素直に感動できました。
感動! そうなのよ、『さや侍』を楽しめるかどうかは、この映画が「感動できる作品である」という事実に観る人がどう対処できるかによるんですね。受け入れられるかそうでないか。
この映画は「しっかり泣ける映画」です。
ただし、この映画の監督が「あの松本人志」であるということ、そしてこの映画にも天才松本特有の「はしょり感」があることが観る人にとって障害になってしまった場合、せっかくの『さや侍』もその人にとっては「どう観ていいのかわからない笑えない作品」ということになってしまうのではないかと。
ところで、私は人に「あなたがいちばん好きなお笑い芸人は?」と問われたら、迷うことなく、
「1998年までの松本人志。」
と答えます。要は、坊主頭にならずに独身貴族でタバコをくゆらせ不摂生にふとり、全身全霊をこめて『一人ごっつ』や『VISUALBUM』シリーズにうちこんでいたころまでの松本さんです。
比較したところでしょうがないのですが、今現在活躍している松本さんはもはや私の中では勝手ながら別人となっており、松本さんが結婚しようが禁煙しようが病気療養しようが特に気にはならず、TVが観られなくなってもなにひとつ困ることはありません。
そして、そういう気持ちが私にとって悪く反応したのが『大日本人』(2007年)でして、「松本の笑い」を馴れない映画の世界で全盛期のように自由自在に提示しようとして苦戦し、最終的に映画という手法を放棄してしまったその姿に、私は少なからぬ失望を感じてしまいました。
その影響で『しんぼる』にも二の足を踏んでしまったわけなのですが、『さや侍』は観て本当によかった。
『さや侍』は、映画になっている! 細かいデティールをあげつらって「時代劇がわかってない」とか「キャラクターの考えがわからない」とか言うのは簡単ですが、一本しっかりと筋が通っていることをちゃんと見れば、この映画は見事に成立していると言いきれるはずです。
つまるところ『さや侍』は、「ダウンタウン松本人志」でない「映画監督松本人志」が初めて誕生した作品なのではないかと。
ダウンタウン松本人志は間違いなく「笑いの鬼」であり、『さや侍』も「人を笑わせるということ」にこだわりまくった内容の作品になっています。
でも、『大日本人』やそれまでの無数の名作コントの中にあった「これが最高の笑い。これで笑えんヤツは知らん。」というスタイルではなく、
「人に笑ってもらうって、どういうことやと思う?」
ということを問いかけてしみじみ考えさせてくれる『さや侍』は、間違いなく松本さんの新しい闘いが始まったことを高らかに告げるものになっていると思いました。
他人にたとえて言うのもどうかと思いますけど、小説の『たけしクン、ハイ!』を読んだり映画の『キッズ・リターン』を観たりして、
「ビートたけし、つまんねぇぞ! タケちゃんマンやれ!」
って言う人はもういませんよね。いてもおもしろいけど。
『さや侍』をもって、このくらいに「映画監督松本人志」は「ダウンタウン松本人志」から独立した存在になったんじゃないかと感じたんですね、私は。
いや~しかし。「人の親になる」って、こんなに人を変えるのね……
何をするにしてもカミソリのように鋭利でニトログリセリンのようにデンジャラスだった「あの松本人志」は変わらず大好きなのですが、今はただ素直に、なるべく多くの人が『さや侍』を観てくれることと、松本監督の「次なる一手」を期待したいと思います。
ほんとにいい映画だった。
私は1時間半くらいある映画のうち、たった1ヶ所でもいいから心にひびく笑顔があったらもうそれで充分だという感覚があるのですが、ラストシーンで主人公の野見さんが見せた笑顔は最高でしたね。泣けるねぇ、愛だねぇ。
あと、私は役者としての板尾創路さんは特に名優だとは思わないのですが、父をたよりなく思いながらも誰よりも強く心配している娘役の熊田聖亜(せあ)ちゃんとのやりとりでは素晴らしい演技を見せていたと感じました。実際の父親役である野見さん以上に「父」だったその姿は、「人間・板尾創路」の人生の彫りの深さを見事に反映したものだったと思います。いい!!
はいっ。ということで昨日は、メインの桜木町ハイキング自体はさんざんでしたが、奇跡のパンチラに『さや侍』にと、非常に収穫の多い1日となったのでした~。
あ……あの、パンチラはうそね、うそうそ、作り話! ハハハ、ハハ……
いや、暑いよ……梅雨じゃなかったのかよ。2~3日連続でむしむしむしむし。カンベンしてくださいよ~。
そんな中でもね、昨日やっちゃったんですよ、予告通りにアレを!
やっちゃった! 「桜木町恨道中2011年 狂風(さくらぎちょううらみのみちゆきとうぇにぃいれぶん きょうふう)」を!!
感想はもう、「なんでよりによって昨日にやらかしてしまったんだ……」のひとことにつきます。
昨日はねぇ、暑いのもひどかったんですけど、もうなによりもキツかったのが「強風」!!
今回も「やるたびに出発駅を変えて少しずつ桜木町に近づけていく」というルールにのっとりまして、
「京浜急行線 六郷土手(ろくごうどて)駅」
から出発いたしました。六郷土手駅は「京急線東京最南端の駅」ということでつとに有名、じゃないね。
相変わらずゆっくり運転の各駅停車に乗りまして、2~3回の急行通過待ちをへて到着した六郷土手駅は、さすがに東京都内の駅舎なので「ボロい」ということはなかったのですが、平日の午後ということもあってか降りる人はまばらで、おりからの節電のためにかなり屋内が薄暗くなっている雰囲気もあいまって私に妙な不安をいだかせるのに充分な説得力をもつものがありました。
そう、実は今回、私は出発して間もない段階で、
「今回はたぶん、楽しいハイキングにはならないかもしれん……心してかかろう。」
という不吉な予感がしていたのです。足のひらが大変なことになったり2時間豪雨にうたれながら歩いたりと、好きでやってないのなら即効で実家の家族に電話をかけたくなるような数多くの苦難(っぽいプレイ)を乗り越えてきた「桜木町恨道中」だったのですが、こんなことは今まで1回もなかったよ。
別に暑すぎてヤバイ、などと考えたということではありません。いや、まぁ確かにやってみたらヤバい暑さだったわけなのですが、出発したお昼1時の段階では、まだ私のいる千葉はくもりがちでさほど気温が上がるようには感じられなかったのです。
しかし、風だけはその時からビュンビュン吹きすさんでいたのです。
そう、風。
私が不吉な予感をいだいたのも、その風が原因でした。
これからJRを使って東京に行くぞと思い、もよりの駅に入ってホームで電車を待っていたところ、そこにひときわ強い風が吹き抜け……
お、おらぁ……おら見ちまったんだ、パンのチラを! じょ、じょじょ、女学生の!!
普通の子だったんだけど、ほんと! ほんとにマンガみたいに一瞬だけひるがえって、あ、あざやかな、あざやかなICHIGOがらが、がらがらがりんぺいろ。
ま、まま、待ってくれ! 誤解だ、誤解なんです。いや、見たのは確かだから誤解じゃないんだけど。
こっちは見るためになんの努力もろうしてないのよ!? それなのに偶然バッチリ見ちゃったんだよ。
私はつねづね、階段をのぼる時に前にいるミニスカートの女性が、自分のおしりに手をまわしたりバッグをそえていたりしているのを見ては、「あぁ、パンチラがいやなのね、じゃあそんなに短いのはかなきゃいいんじゃん!」と思っていたのですが、
今こそ真実に気がついた……ミニスカートのパンチラはパンチラにあらず!!
なぜならば、真のパンチラとは、風をはらむことができる充分な長さをもったロングスカートが、強風という「神のおぼしめし」を受けてひるがえる一瞬の奇跡現象だからなのである。
だからね、ミニスカートのパンチラはただの「人間による簡易模造品」! 大自然の決断を必要条件とする「真のパンチラ」とはどだいスケールが違うのです。
……もし、もしかしたらの話よ? もしこの『長岡京エイリアン』を読んでらっしゃる方の中に女性の方がいらっしゃるとしたら……ひく?
とにかくですね、昨日の体験に、私は素直に感動してしまいました。いやらしいなんていうキモチは毫もわきおこらないもんなんだなぁ、「本物」は。
かつて、「観光旅行」の「観光」という文字の本来の意味とは、「光を観る」。つまりは、「人ならざる、日常ならざるもののパワー(光)」をさずかるためにふだん行かない場所へおもむくという重要な意味合いがあったのだといいます。
そういう意味では、私が昨日体験したパンチラは、しょっちゅう使っている駅のホームでの出来事であったとはいえ、まさに本当の意味での「観光」だったのではなかろうか……とかなんとか、ごたくをならべてみてももう遅い? 俺オワタ?
そんなわけで、『長岡京エイリアン』はパンツ盗撮に反対します。
女性の心に重い危害を加える犯罪行為であることも当然ながら、それは「神の意志を自分勝手に捏造しようとする最大級の冒涜行為」です。神に近づこうとしてよけいに神から遠ざかる。愚の骨頂よ!
嫌な死に方をしたくねぇんだったら、人様のパンツをのぞこうなんていうことは自分からするもんじゃあねぇ。のぞかぬパンツにたたりなしだぜ。
話をもとに戻しますと、出発のでばなでそんな奇跡体験アンビリバボーをくらってしまった私は、即座に、
「天運つきたり!! 今回の桜木町ハイキングは成果はないであろう。」
と横山光輝調で予感してしまったのでした。そして、それは実際にあたってしまいます。
……っていう、作り話でした!! いやーねぇ、パンチラなんて見るわけないじゃないの、ヘンタイじゃないんだからぁ~。冗談よ冗談! 女性の方、びっくりした? うそうそ!! みんなうそよ!?
これでどうかな。ダメ? やっぱ手遅れ?
まぁ~実際ね、六郷土手から桜木町、そしてそこからさらに「あるお店」に行くという今回のハイキングはきつかったね。
暑いし、基本的にず~っと向かい風だし。
交通標識が強風でたわんでるのは何回も見ましたよ。砂ボコリもひどかったし、みなとみらいあたりの浜風が特にキツくて、私なんか体重のあるほうではないので、マイケル=ジャクソンのアレみたいに基本的に前にかたむきながらの姿勢で歩いていました。
結局、歩いたトータルは20キロで、飲んだペットボトルは大小とりまぜて3本か。汗をふくもの持ってってて本当によかった。
もっとも徒労に感じてしまったのは、例の「お店」がやっぱりやってなかったということね。さすがにこれは、どうやら私のそのお店に対する認識が甘かったようなので、まだ桜木町に行ったらそのお店に行くということは続けるけれども、もうちょっと別の手も打たなきゃいけないかなという気になってきました。こっちもそれほどのんびりしてなれない事情があるんでね。
つうことで、今回の桜木町行も、成功はしたけど収穫はナッシング。ただ、2~3時間炎天下に向かい風のなか歩いても筋肉痛どまりで済む身体になっているということがうれしいですね。私の足のうらも、最初のあの惨劇からくらべるとずいぶんと頼もしくなったもんだよぉ。
で、恒例ながらミッション終了後は、桜木町の映画館「ブルク13」で映画鑑賞。
抹茶ジェラートをいただいたあとで今回観たのは、うわさの『さや侍』(監督・松本人志 主演・野見隆明)!! うおお~。
正直な話、今回は待ち時間中ずっと眠くてしょうがなかったので、「観てる途中で記憶なくなるかも……」と思っていたのですが、うとうとするヒマもなく見入ってしまいました。
現在、家にTVのない私は映画の批評などの情報にだいぶうとい状況が続いており(雑誌もあまり読まないし、ラジオでも映画批評の番組をやっている時間は働いていることが多いため)、そういうときに頼りになるのは「知り合いの感想」だけになってしまうのですが、『さや侍』の場合はどうだったかといいますと、みんながみんな「う~ん。」と沈黙する解答だったんですね。ただ、期待感があったのは「まず観てもらわないと話ができない。」という「う~ん。」だったことなのです。いいですねぇ。おもしろそう!
余談ですが、私の身のまわりでは、松本監督の作品は「『大日本人』は観たけど『しんぼる』は観ていない。」という人が圧倒的に多いです。実はかくいう私もそうでして……早くDVDが観られるようになりたい。
結論から申しますと、『さや侍』は、おもしろかった! 私は非常に楽しめました。
映画が始まる前、私は意外とお客さんに大人の方(40~50代)が多かったのを見て不思議に感じていたのですが、観終わった後は非常にそのことに納得がいきました。
いろいろ考えたくなる点はあまたあったのですが、残り30分くらいからの展開は思った以上にストレートに監督の言いたいことが直球で伝わってくる流れになっていて、素直に感動できました。
感動! そうなのよ、『さや侍』を楽しめるかどうかは、この映画が「感動できる作品である」という事実に観る人がどう対処できるかによるんですね。受け入れられるかそうでないか。
この映画は「しっかり泣ける映画」です。
ただし、この映画の監督が「あの松本人志」であるということ、そしてこの映画にも天才松本特有の「はしょり感」があることが観る人にとって障害になってしまった場合、せっかくの『さや侍』もその人にとっては「どう観ていいのかわからない笑えない作品」ということになってしまうのではないかと。
ところで、私は人に「あなたがいちばん好きなお笑い芸人は?」と問われたら、迷うことなく、
「1998年までの松本人志。」
と答えます。要は、坊主頭にならずに独身貴族でタバコをくゆらせ不摂生にふとり、全身全霊をこめて『一人ごっつ』や『VISUALBUM』シリーズにうちこんでいたころまでの松本さんです。
比較したところでしょうがないのですが、今現在活躍している松本さんはもはや私の中では勝手ながら別人となっており、松本さんが結婚しようが禁煙しようが病気療養しようが特に気にはならず、TVが観られなくなってもなにひとつ困ることはありません。
そして、そういう気持ちが私にとって悪く反応したのが『大日本人』(2007年)でして、「松本の笑い」を馴れない映画の世界で全盛期のように自由自在に提示しようとして苦戦し、最終的に映画という手法を放棄してしまったその姿に、私は少なからぬ失望を感じてしまいました。
その影響で『しんぼる』にも二の足を踏んでしまったわけなのですが、『さや侍』は観て本当によかった。
『さや侍』は、映画になっている! 細かいデティールをあげつらって「時代劇がわかってない」とか「キャラクターの考えがわからない」とか言うのは簡単ですが、一本しっかりと筋が通っていることをちゃんと見れば、この映画は見事に成立していると言いきれるはずです。
つまるところ『さや侍』は、「ダウンタウン松本人志」でない「映画監督松本人志」が初めて誕生した作品なのではないかと。
ダウンタウン松本人志は間違いなく「笑いの鬼」であり、『さや侍』も「人を笑わせるということ」にこだわりまくった内容の作品になっています。
でも、『大日本人』やそれまでの無数の名作コントの中にあった「これが最高の笑い。これで笑えんヤツは知らん。」というスタイルではなく、
「人に笑ってもらうって、どういうことやと思う?」
ということを問いかけてしみじみ考えさせてくれる『さや侍』は、間違いなく松本さんの新しい闘いが始まったことを高らかに告げるものになっていると思いました。
他人にたとえて言うのもどうかと思いますけど、小説の『たけしクン、ハイ!』を読んだり映画の『キッズ・リターン』を観たりして、
「ビートたけし、つまんねぇぞ! タケちゃんマンやれ!」
って言う人はもういませんよね。いてもおもしろいけど。
『さや侍』をもって、このくらいに「映画監督松本人志」は「ダウンタウン松本人志」から独立した存在になったんじゃないかと感じたんですね、私は。
いや~しかし。「人の親になる」って、こんなに人を変えるのね……
何をするにしてもカミソリのように鋭利でニトログリセリンのようにデンジャラスだった「あの松本人志」は変わらず大好きなのですが、今はただ素直に、なるべく多くの人が『さや侍』を観てくれることと、松本監督の「次なる一手」を期待したいと思います。
ほんとにいい映画だった。
私は1時間半くらいある映画のうち、たった1ヶ所でもいいから心にひびく笑顔があったらもうそれで充分だという感覚があるのですが、ラストシーンで主人公の野見さんが見せた笑顔は最高でしたね。泣けるねぇ、愛だねぇ。
あと、私は役者としての板尾創路さんは特に名優だとは思わないのですが、父をたよりなく思いながらも誰よりも強く心配している娘役の熊田聖亜(せあ)ちゃんとのやりとりでは素晴らしい演技を見せていたと感じました。実際の父親役である野見さん以上に「父」だったその姿は、「人間・板尾創路」の人生の彫りの深さを見事に反映したものだったと思います。いい!!
はいっ。ということで昨日は、メインの桜木町ハイキング自体はさんざんでしたが、奇跡のパンチラに『さや侍』にと、非常に収穫の多い1日となったのでした~。
あ……あの、パンチラはうそね、うそうそ、作り話! ハハハ、ハハ……