はい~どうもこんばんは、そうだいです。あいかわらず冷たい雨がしとしとと降っているんですけど、明日は関東地方は10℃くらい気温が上がるみたいですねぇ。いかんなぁ、体調に気をつけんと。
6月に入りましたが、世間のエンタメ系の話題はもう、9日に決定するというAKB48総選挙のことでもちきりのようであります。
ミスチル超えのAKB48、次はB'z超え?(livedoorニュース 2011年5月31日付け記事より)
6月9日の選抜総選挙へ向け注目を集めるAKB48だが、総選挙の投票券付きシングル『Everyday、カチューシャ』(5月25日発売)がオリコンチャート・週間シングルランキングでは史上最高となる初週133.4万枚を売り上げ、6月6日付の同ランキング首位に初登場した。
この記録はMr.Childrenの『名もなき詩』(1996年2月)が保持していた歴代1位の初週売上120.8万枚を12.6万枚上回り、15年4ヶ月ぶりとなる新記録を樹立した。
「『Everyday、カチューシャ』は発売2日目であっさりミリオンを突破。投票券や生写真などの特典めあてに1人1000枚単位で購入する熱烈なファンがいるとはいえ、音楽不況と言われるだけに、今後AKBの記録は抜かれることがなさそう。」(レコード会社関係者)
その勢いでついに「ミスチル超え」を果たしたAKBだが、次の射程圏内にあるのが「B'z超え」だというのだ。
「6月1日にB'zの新曲『Don't Wanna Lie』が発売される。B'zは現在、1990年6月の『太陽のKomachi Angel』から今年4月発売の『さよなら傷だらけの日々よ』まで21年かけてオリコンシングルランキング44作連続初登場1位という大記録を更新中。『さよなら傷だらけの日々よ』は初週の売り上げが13万枚。来週発表のランキングで2週目のAKBとぶつかるが、『Don't Wanna Lie』も13万枚程度だと1位は厳しい。ただ、これまでAKBのシングルは発売2週目以降は売り上げが伸びていないので、B'zの記録更新の可能性もある。」(音楽ライター)
AKBという強力なライバルが立ちはだかるだけに、B'zファンはいつも以上に新曲の購買意欲をそそられそうだ。
とてつもない話でございますなぁ~。
まさか、CDの売り上げ不振も取りざたされて久しい2011年にあって、あの1990年代にうちたてられた売り上げ記録をブチやぶる大ヒットとなっているとはねぇ。
でも。世間では知名度こそ圧倒的なものではあるものの、「猫も杓子も『カチューシャ』」って感じではないですよね。少なくとも、私の身のまわりで「買った。」と言っている人はいません。
なんでしたっけ? この曲が主題歌になっているあの映画。ベストセラーのほら、『もし高校野球の女子マネージャーが威勢のよすぎる銭湯だったら』でしたっけ。『年をとりすぎた寿司屋だったら』だったかな。あれも前田さんが主演でこれから公開ですね。
この映画がヒットするかどうか。どうでしょうねぇ? 私の興味は、総選挙の終わったあとに何が残っているのかというところです。今回の「祭りのあと」は、けっこう淋しいものになるような気がするなぁ~。
ちなみにわたくしは、あいかわらず貧乏人なもので今回の選挙権を取得する余裕はありませんでした。いいんだよ、SDN48の小原春香さんが息災であるのなら。
さて! 6月最初の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」ですが、お話は1990年代前半、まさにCDの売り上げが今とは比べものにならないくらいに潤っていた時代から始まります。っていうか、バブル崩壊後とはいえ、全体的に日本はまだまだイケイケだったんですね。
そのちょっと前にあたる1980年代後半。バブル崩壊にさきがけたおニャン子クラブによる「アイドル崩壊」に直面した日本の芸能界では、絶対不可侵なタブーをまとい人間っぽくない域にまで神格化されていた「アイドル」という職業があっという間に「かわいい女の子」というレベルにまで天くだり、「歌謡界」以外のさまざまな世界でもバラエティ豊かなアイドルが多数誕生するというにぎやかな時代にはなったものの、それにしたがってアイドル1人1人の影響力や魅力、ありがたみのような部分はかなり小さなものになりつつありました。
これがいわゆる「アイドル冬の時代」というわけなのですが、アイドルグループも状況はソロとまったく同じで、CoCoや東京パフォーマンスドールといった有名グループはいたものの世間に対するアウェー感はいかんともしがたく、1990年代も依然としてその厳寒ぶりは続いていました。
そんな中で、栄光よふたたびとばかりに、おニャン子クラブの要素をどこかで継承した大人数アイドルグループもちらほらいたのですが。こんな感じです。
ねずみっ子クラブ(1993年)10人組
日本テレビのバラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画グループ
9~13歳 仲根かすみ(11歳)ら
現役の小・中学生による「チャイドル」のグループ
秋元康・後藤次利プロデュースによる正式なおニャン子クラブの後継グループ(出席番号制も復活)
命名は秋元康で、「おニャン子」の次だから「ねずみっ子」
CDを2枚リリースするが話題にならず活動終了
元メンバーの仲根は1999年にグラビアアイドルとしてブレイクする(2005年に結婚引退)
元メンバーのその後は、女優・リポーター・モデル・歌手・おはガール・AV女優など多岐にわたる
現在は東里(ひがし さと)のみが女優として活動
うらりんギャル(1995年3~9月)フジテレビのバラエティ番組『今田耕司の渋谷系うらりんご』のアシスタントグループ
15~21歳 山口もえ(18歳)ら17名
新人タレントを中心に結成(南青山少女歌劇団の堀川由理もいた)
『渋谷系うらりんご』は、かつて『夕焼けニャンニャン』が放送されたフジテレビ平日夕方に生放送されていた(ただし30分番組)
番組には東野幸治・ナインティナイン・極楽とんぼなど吉本興業の売れっ子芸人が総出演
ダウンタウンも『ごっつええ感じ』のリンク企画でゲスト出演したことがあった
完全な番組アシスタントだったため、楽曲は発表せず
番組では、観覧客に抱きつかれるなどかなりきつい仕事もこなしていた
番組の終了により消滅
現在、山口はママドルとして活動
はい~。かたや「チャイドル」かたや「アシスタント作業のみ」ということで、どちらも正統的な「アイドルグループ」とは言い難いグループだったのですが、秋元・後藤コンビの復活やフジの夕方生番組など、どこかでおニャン子クラブにあやかった要素を取り入れていたのです。
1995年にブレイクした吉野紗香さん(13歳)や野村佑香さん(11歳)の巻き起こした「チャイドル」ブームにくらべるとちょ~っと先走ってしまったねずみっ子クラブは、残念ながら一人前のアイドルグループとして認知されることなく活動終了。うらりんギャルも番組が今一つ盛り上がらなかったためにコーナーでひどい目にあっただけで半年で雲散霧消してしまいました。
『うらりんご』は吉本興業が全面的にバックアップした豪華なメンツの番組だったのですが、やっぱり「ダウンタウンがいないWコウジって、なんか……」という空気は、いかに過激なコーナーをもうけたとしてもぬぐい去ることはできなかったようです。
こんな感じで、にんともかんともまともなアイドルグループの出てこない風潮が続いていたのですが、そのころちまたの大人社会では、次世代グループの登場を考える上で避けることのできない大ブームが到来していました。
それは……「ジュリアナ東京」の「レイヴテクノ」ブーム! ダンスダンス! レッツゲッツブランニュウトゥモォウロウゥゥ。
「ジュリアナ東京」とは、言わずと知れた当時超人気の高級ディスコで、1991~94年に東京・芝浦に存在していたこのお店は、「お立ち台」「ジュリアナ扇子」「T-バックOL」などといった数多くの伝説を生み出す地となりました。
あんのー、じづはわだす、デスコの「デ」のずもすらねい田舎モンだもんで、「デスコのれぎす(歴史)」みでぇなもんも、こごらでしとつさらってみでぇど思うんだず。「アイドルグループ」がら離れですまうのがまんず申すわげねぇんだげども、ちいーっとまずガマンすて聞いでけらっしゃい。
「ディスコ」とはそもそもフランス語の「ディスコティーク(discotheque)」が語源となっておりまして、これは「レコード置き場」のことなんですって。
つまり「ディスコ」とは、「生バンドでなくレコード」を流す場所で、「アルコールの入った飲料」を飲みながら「お客も踊ることができる」お店のことなのです!
「レコード」、「酒」、「ダンス」。これが「ディスコ」を形成する3大元素なのですね。
語源がフランス語であるとおり「ディスコ」の起源はフランスにありまして、なんでもそもそものはじまりは第2次世界大戦中のパリ。戦争の激化によって生バンドによる演奏が困難になった盛り場が、苦肉の策でかわりにレコードを流したのが最初だったんだそうです。さすがはパリ、戦争しても文化のかほりは忘れない。
ディスコが日本にやってきたのは1960年代後半のことだったのですが、当時は小説家や芸術家が集まって親交を深める文化サロンのような雰囲気が強い場だったそうです。
そんなディスコが、今イメージするような「若者のつどうダンスホール」になったのは、なんといっても1978年に公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(主演 ジョン=トラボルタ)の大ヒットをピークとする1970年代後半の「第1次ディスコブーム」によるところが大きいですね。
んで、そういう感じで思い思いに着飾った若者たちが気軽に集まって踊るディスコ、というイメージを定着させたこの第1次ブームも落ち着いたころ、あえてそこと正反対なお店づくりを目指して大流行したのが、1980年代後半に日本全国で繁盛した「高級ディスコ」による「第2次ディスコブーム」だったのです!
「高級ディスコ」とは、男性はネクタイスーツ、女性はボディコンスーツを原則としたドレスコードが徹底している「オトナのディスコ」。店内のサーヴィスも完備されており、流れる楽曲は当時国内でもおおはやりしていたバナナラマやデッドオアアライヴなどの洋楽ユーロビート。ユーロビートっつうのは、要するにシンセサイザーなどの電子楽器を使ったアップテンポなポップスのことですな。
当時の東京でもっとも栄えていたのは「マハラジャ麻布十番店」(1984年12月~1997年9月)というお店だったのだそうですが、女性のお客さんが一段高い場所で踊る「お立ち台」を本格的に設置したのもここが最初だったのだとか。
そして! そんなディスコの歴史をへて第2次ディスコブームの次にやってきたのが「ジュリアナ東京ブーム」でした。戻ってきたねぇ~、話が!
ジュリアナ東京は、お店で流れる音楽においてそれまでのディスコとは一線を画しており、ユーロビートを中心に「踊れるのならなんでも」というゆるやかさのあった今までの流れとは完全に違った、より高速で激しく身体の芯にズンズンくる「ハードコアテクノ」をディスコ向きにアレンジした「レイヴテクノ」を流す、刺激の強い新たなるディスコとなっていたのです。「レイヴ(rave)」とはズバリ、「朝までにぎやかに踊り明かす」ことをさすのだとか。やばいなコリャ~。
また、ただ有名なリクエスト曲をひたすら流すだけではなく、より洗練された選曲テクニックが必要となるということで、本格的なDJ(まさにディスクジョッキー)がディスコで活躍するようになったのも、このあたりからだったんですね。
ズンズンツクツクズンズンツクツク、でーでーでーでーででっでーでーでーでー、フォウ!! と。
まぁ~けたたましいおはやしで、東京のあつい夜はふけていっていたわけなのですな。
ただ、ジュリアナ東京の熱狂は、もともと節度のある大人だけが楽しむはずだった高級ディスコの概念から大きくはずれた乱痴気騒ぎを巻き起こすこととなってしまい、わざと露出度を高くしたラメラメボディコンだのT-バックの下着だのは当たり前、しまいには水着で舞い踊るご婦人方の登場にそれ目当てでやって来る男どもという風景が社会問題となってしまったために、1994年の夏をもってジュリアナ東京はすぱっと閉店。ブームも冷めやらぬ本格的な衰退前での撤退とあいなりました。
その後、同じ年の暮れ、1994年12月に開店した大型店「六本木ヴェルファーレ」は再びユーロビートを中心とした選曲に戻っており、それによって1998年ごろからは新たに「パラパラブーム」が発生していくこととなります(2006年12月に閉店)。
ちなみに、この頃からディスコははっきりしたドレスコードがなくなり、ジーンズやスニーカーといったカジュアルな服装でも楽しめるようになったことから、他にも営業上の法律とのかねあいなどもあって「クラブ」と呼ばれるお店に姿を変えていきました。
クラブですね。「ク」じゃなくて「ブ」のほうにアクセントがつくやつね。つまり、現在の日本では「ディスコ」と呼ばれるお店は基本的にはなくなっているのです。
はいは~い、そんで! そんなダンスブームがなぜこの「アイドルグループ史」に関係してくるのかといいますと、このブームに乗っかってめきめきと力を伸ばしていったレコード会社が、1990年代の日本芸能界を席巻していくからなのですよ、はい!
ええ、ええ、言うまでもなく1988年に設立された「エイベックス」でございますよ。
のちに巨大な音楽企業となっていくエイベックスグループの最初の業態は、マハラジャや六本木ヴェルファーレで流されていたユーロビート、そしてジュリアナ東京で使われていたレイヴテクノ(ハイパーテクノ)それぞれのコンピレーションCDを輸入・販売するというものだったのです。
1990年からは、現在にいたるまでなんと通算で200以上も続く長寿シリーズとなったユーロビートのアンソロジーCD『SUPER EUROBEAT』シリーズをスタートさせ、音楽レーベル「avex trax」も始めていたエイベックスなのですが、世のレイヴダンスブームにノリノリの乗ったエイベックスは、満を持して日本初の国内レイヴダンスユニットを売り出すはこびとなりました。
それこそがあの伝説の5人組! デビューからそろそろ20年たとうかとしている今でも現役バリバリでライヴ活動を続けている「trf」(現・TRF)だったのです。のーのーくらいもぁなっか~な~い。
そしてそのグループ名は、
「Tetsuya komuro Rave Factory」
の略。つまり訳すれば、
「てつや小室の朝まで踊り明かす工場」
となるのです。
果たして、日本初のレイヴダンスグループを標榜した「trf」とは、そしてそれを陰からあやつる「てつや小室」とは何者なのか。
そして、彼らは日本の芸能史ならびにアイドルグループ史にいったいどのような影響をおよぼそうとしているのだろうか!?
一方そのころ、遠く離れた南国の地・沖縄では、希望に眼をキラッキラさせた5人の少女が遥かなる東京を目指して日夜ダンスレッスンにはげんでいた……
さぁ、けっこう簡単に思い出せる新展開が目白押しの90年代、続きは次回でございま~す。
結局、今回紹介できたグループはねずみっ子クラブとうらりんギャルだけ……あ、あんまりだ!
6月に入りましたが、世間のエンタメ系の話題はもう、9日に決定するというAKB48総選挙のことでもちきりのようであります。
ミスチル超えのAKB48、次はB'z超え?(livedoorニュース 2011年5月31日付け記事より)
6月9日の選抜総選挙へ向け注目を集めるAKB48だが、総選挙の投票券付きシングル『Everyday、カチューシャ』(5月25日発売)がオリコンチャート・週間シングルランキングでは史上最高となる初週133.4万枚を売り上げ、6月6日付の同ランキング首位に初登場した。
この記録はMr.Childrenの『名もなき詩』(1996年2月)が保持していた歴代1位の初週売上120.8万枚を12.6万枚上回り、15年4ヶ月ぶりとなる新記録を樹立した。
「『Everyday、カチューシャ』は発売2日目であっさりミリオンを突破。投票券や生写真などの特典めあてに1人1000枚単位で購入する熱烈なファンがいるとはいえ、音楽不況と言われるだけに、今後AKBの記録は抜かれることがなさそう。」(レコード会社関係者)
その勢いでついに「ミスチル超え」を果たしたAKBだが、次の射程圏内にあるのが「B'z超え」だというのだ。
「6月1日にB'zの新曲『Don't Wanna Lie』が発売される。B'zは現在、1990年6月の『太陽のKomachi Angel』から今年4月発売の『さよなら傷だらけの日々よ』まで21年かけてオリコンシングルランキング44作連続初登場1位という大記録を更新中。『さよなら傷だらけの日々よ』は初週の売り上げが13万枚。来週発表のランキングで2週目のAKBとぶつかるが、『Don't Wanna Lie』も13万枚程度だと1位は厳しい。ただ、これまでAKBのシングルは発売2週目以降は売り上げが伸びていないので、B'zの記録更新の可能性もある。」(音楽ライター)
AKBという強力なライバルが立ちはだかるだけに、B'zファンはいつも以上に新曲の購買意欲をそそられそうだ。
とてつもない話でございますなぁ~。
まさか、CDの売り上げ不振も取りざたされて久しい2011年にあって、あの1990年代にうちたてられた売り上げ記録をブチやぶる大ヒットとなっているとはねぇ。
でも。世間では知名度こそ圧倒的なものではあるものの、「猫も杓子も『カチューシャ』」って感じではないですよね。少なくとも、私の身のまわりで「買った。」と言っている人はいません。
なんでしたっけ? この曲が主題歌になっているあの映画。ベストセラーのほら、『もし高校野球の女子マネージャーが威勢のよすぎる銭湯だったら』でしたっけ。『年をとりすぎた寿司屋だったら』だったかな。あれも前田さんが主演でこれから公開ですね。
この映画がヒットするかどうか。どうでしょうねぇ? 私の興味は、総選挙の終わったあとに何が残っているのかというところです。今回の「祭りのあと」は、けっこう淋しいものになるような気がするなぁ~。
ちなみにわたくしは、あいかわらず貧乏人なもので今回の選挙権を取得する余裕はありませんでした。いいんだよ、SDN48の小原春香さんが息災であるのなら。
さて! 6月最初の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」ですが、お話は1990年代前半、まさにCDの売り上げが今とは比べものにならないくらいに潤っていた時代から始まります。っていうか、バブル崩壊後とはいえ、全体的に日本はまだまだイケイケだったんですね。
そのちょっと前にあたる1980年代後半。バブル崩壊にさきがけたおニャン子クラブによる「アイドル崩壊」に直面した日本の芸能界では、絶対不可侵なタブーをまとい人間っぽくない域にまで神格化されていた「アイドル」という職業があっという間に「かわいい女の子」というレベルにまで天くだり、「歌謡界」以外のさまざまな世界でもバラエティ豊かなアイドルが多数誕生するというにぎやかな時代にはなったものの、それにしたがってアイドル1人1人の影響力や魅力、ありがたみのような部分はかなり小さなものになりつつありました。
これがいわゆる「アイドル冬の時代」というわけなのですが、アイドルグループも状況はソロとまったく同じで、CoCoや東京パフォーマンスドールといった有名グループはいたものの世間に対するアウェー感はいかんともしがたく、1990年代も依然としてその厳寒ぶりは続いていました。
そんな中で、栄光よふたたびとばかりに、おニャン子クラブの要素をどこかで継承した大人数アイドルグループもちらほらいたのですが。こんな感じです。
ねずみっ子クラブ(1993年)10人組
日本テレビのバラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画グループ
9~13歳 仲根かすみ(11歳)ら
現役の小・中学生による「チャイドル」のグループ
秋元康・後藤次利プロデュースによる正式なおニャン子クラブの後継グループ(出席番号制も復活)
命名は秋元康で、「おニャン子」の次だから「ねずみっ子」
CDを2枚リリースするが話題にならず活動終了
元メンバーの仲根は1999年にグラビアアイドルとしてブレイクする(2005年に結婚引退)
元メンバーのその後は、女優・リポーター・モデル・歌手・おはガール・AV女優など多岐にわたる
現在は東里(ひがし さと)のみが女優として活動
うらりんギャル(1995年3~9月)フジテレビのバラエティ番組『今田耕司の渋谷系うらりんご』のアシスタントグループ
15~21歳 山口もえ(18歳)ら17名
新人タレントを中心に結成(南青山少女歌劇団の堀川由理もいた)
『渋谷系うらりんご』は、かつて『夕焼けニャンニャン』が放送されたフジテレビ平日夕方に生放送されていた(ただし30分番組)
番組には東野幸治・ナインティナイン・極楽とんぼなど吉本興業の売れっ子芸人が総出演
ダウンタウンも『ごっつええ感じ』のリンク企画でゲスト出演したことがあった
完全な番組アシスタントだったため、楽曲は発表せず
番組では、観覧客に抱きつかれるなどかなりきつい仕事もこなしていた
番組の終了により消滅
現在、山口はママドルとして活動
はい~。かたや「チャイドル」かたや「アシスタント作業のみ」ということで、どちらも正統的な「アイドルグループ」とは言い難いグループだったのですが、秋元・後藤コンビの復活やフジの夕方生番組など、どこかでおニャン子クラブにあやかった要素を取り入れていたのです。
1995年にブレイクした吉野紗香さん(13歳)や野村佑香さん(11歳)の巻き起こした「チャイドル」ブームにくらべるとちょ~っと先走ってしまったねずみっ子クラブは、残念ながら一人前のアイドルグループとして認知されることなく活動終了。うらりんギャルも番組が今一つ盛り上がらなかったためにコーナーでひどい目にあっただけで半年で雲散霧消してしまいました。
『うらりんご』は吉本興業が全面的にバックアップした豪華なメンツの番組だったのですが、やっぱり「ダウンタウンがいないWコウジって、なんか……」という空気は、いかに過激なコーナーをもうけたとしてもぬぐい去ることはできなかったようです。
こんな感じで、にんともかんともまともなアイドルグループの出てこない風潮が続いていたのですが、そのころちまたの大人社会では、次世代グループの登場を考える上で避けることのできない大ブームが到来していました。
それは……「ジュリアナ東京」の「レイヴテクノ」ブーム! ダンスダンス! レッツゲッツブランニュウトゥモォウロウゥゥ。
「ジュリアナ東京」とは、言わずと知れた当時超人気の高級ディスコで、1991~94年に東京・芝浦に存在していたこのお店は、「お立ち台」「ジュリアナ扇子」「T-バックOL」などといった数多くの伝説を生み出す地となりました。
あんのー、じづはわだす、デスコの「デ」のずもすらねい田舎モンだもんで、「デスコのれぎす(歴史)」みでぇなもんも、こごらでしとつさらってみでぇど思うんだず。「アイドルグループ」がら離れですまうのがまんず申すわげねぇんだげども、ちいーっとまずガマンすて聞いでけらっしゃい。
「ディスコ」とはそもそもフランス語の「ディスコティーク(discotheque)」が語源となっておりまして、これは「レコード置き場」のことなんですって。
つまり「ディスコ」とは、「生バンドでなくレコード」を流す場所で、「アルコールの入った飲料」を飲みながら「お客も踊ることができる」お店のことなのです!
「レコード」、「酒」、「ダンス」。これが「ディスコ」を形成する3大元素なのですね。
語源がフランス語であるとおり「ディスコ」の起源はフランスにありまして、なんでもそもそものはじまりは第2次世界大戦中のパリ。戦争の激化によって生バンドによる演奏が困難になった盛り場が、苦肉の策でかわりにレコードを流したのが最初だったんだそうです。さすがはパリ、戦争しても文化のかほりは忘れない。
ディスコが日本にやってきたのは1960年代後半のことだったのですが、当時は小説家や芸術家が集まって親交を深める文化サロンのような雰囲気が強い場だったそうです。
そんなディスコが、今イメージするような「若者のつどうダンスホール」になったのは、なんといっても1978年に公開された映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(主演 ジョン=トラボルタ)の大ヒットをピークとする1970年代後半の「第1次ディスコブーム」によるところが大きいですね。
んで、そういう感じで思い思いに着飾った若者たちが気軽に集まって踊るディスコ、というイメージを定着させたこの第1次ブームも落ち着いたころ、あえてそこと正反対なお店づくりを目指して大流行したのが、1980年代後半に日本全国で繁盛した「高級ディスコ」による「第2次ディスコブーム」だったのです!
「高級ディスコ」とは、男性はネクタイスーツ、女性はボディコンスーツを原則としたドレスコードが徹底している「オトナのディスコ」。店内のサーヴィスも完備されており、流れる楽曲は当時国内でもおおはやりしていたバナナラマやデッドオアアライヴなどの洋楽ユーロビート。ユーロビートっつうのは、要するにシンセサイザーなどの電子楽器を使ったアップテンポなポップスのことですな。
当時の東京でもっとも栄えていたのは「マハラジャ麻布十番店」(1984年12月~1997年9月)というお店だったのだそうですが、女性のお客さんが一段高い場所で踊る「お立ち台」を本格的に設置したのもここが最初だったのだとか。
そして! そんなディスコの歴史をへて第2次ディスコブームの次にやってきたのが「ジュリアナ東京ブーム」でした。戻ってきたねぇ~、話が!
ジュリアナ東京は、お店で流れる音楽においてそれまでのディスコとは一線を画しており、ユーロビートを中心に「踊れるのならなんでも」というゆるやかさのあった今までの流れとは完全に違った、より高速で激しく身体の芯にズンズンくる「ハードコアテクノ」をディスコ向きにアレンジした「レイヴテクノ」を流す、刺激の強い新たなるディスコとなっていたのです。「レイヴ(rave)」とはズバリ、「朝までにぎやかに踊り明かす」ことをさすのだとか。やばいなコリャ~。
また、ただ有名なリクエスト曲をひたすら流すだけではなく、より洗練された選曲テクニックが必要となるということで、本格的なDJ(まさにディスクジョッキー)がディスコで活躍するようになったのも、このあたりからだったんですね。
ズンズンツクツクズンズンツクツク、でーでーでーでーででっでーでーでーでー、フォウ!! と。
まぁ~けたたましいおはやしで、東京のあつい夜はふけていっていたわけなのですな。
ただ、ジュリアナ東京の熱狂は、もともと節度のある大人だけが楽しむはずだった高級ディスコの概念から大きくはずれた乱痴気騒ぎを巻き起こすこととなってしまい、わざと露出度を高くしたラメラメボディコンだのT-バックの下着だのは当たり前、しまいには水着で舞い踊るご婦人方の登場にそれ目当てでやって来る男どもという風景が社会問題となってしまったために、1994年の夏をもってジュリアナ東京はすぱっと閉店。ブームも冷めやらぬ本格的な衰退前での撤退とあいなりました。
その後、同じ年の暮れ、1994年12月に開店した大型店「六本木ヴェルファーレ」は再びユーロビートを中心とした選曲に戻っており、それによって1998年ごろからは新たに「パラパラブーム」が発生していくこととなります(2006年12月に閉店)。
ちなみに、この頃からディスコははっきりしたドレスコードがなくなり、ジーンズやスニーカーといったカジュアルな服装でも楽しめるようになったことから、他にも営業上の法律とのかねあいなどもあって「クラブ」と呼ばれるお店に姿を変えていきました。
クラブですね。「ク」じゃなくて「ブ」のほうにアクセントがつくやつね。つまり、現在の日本では「ディスコ」と呼ばれるお店は基本的にはなくなっているのです。
はいは~い、そんで! そんなダンスブームがなぜこの「アイドルグループ史」に関係してくるのかといいますと、このブームに乗っかってめきめきと力を伸ばしていったレコード会社が、1990年代の日本芸能界を席巻していくからなのですよ、はい!
ええ、ええ、言うまでもなく1988年に設立された「エイベックス」でございますよ。
のちに巨大な音楽企業となっていくエイベックスグループの最初の業態は、マハラジャや六本木ヴェルファーレで流されていたユーロビート、そしてジュリアナ東京で使われていたレイヴテクノ(ハイパーテクノ)それぞれのコンピレーションCDを輸入・販売するというものだったのです。
1990年からは、現在にいたるまでなんと通算で200以上も続く長寿シリーズとなったユーロビートのアンソロジーCD『SUPER EUROBEAT』シリーズをスタートさせ、音楽レーベル「avex trax」も始めていたエイベックスなのですが、世のレイヴダンスブームにノリノリの乗ったエイベックスは、満を持して日本初の国内レイヴダンスユニットを売り出すはこびとなりました。
それこそがあの伝説の5人組! デビューからそろそろ20年たとうかとしている今でも現役バリバリでライヴ活動を続けている「trf」(現・TRF)だったのです。のーのーくらいもぁなっか~な~い。
そしてそのグループ名は、
「Tetsuya komuro Rave Factory」
の略。つまり訳すれば、
「てつや小室の朝まで踊り明かす工場」
となるのです。
果たして、日本初のレイヴダンスグループを標榜した「trf」とは、そしてそれを陰からあやつる「てつや小室」とは何者なのか。
そして、彼らは日本の芸能史ならびにアイドルグループ史にいったいどのような影響をおよぼそうとしているのだろうか!?
一方そのころ、遠く離れた南国の地・沖縄では、希望に眼をキラッキラさせた5人の少女が遥かなる東京を目指して日夜ダンスレッスンにはげんでいた……
さぁ、けっこう簡単に思い出せる新展開が目白押しの90年代、続きは次回でございま~す。
結局、今回紹介できたグループはねずみっ子クラブとうらりんギャルだけ……あ、あんまりだ!