長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第24回 『モーニング天下。 2000』

2011年06月27日 23時38分40秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~、そうだいです。いやぁ~梅雨ですなぁ。降ります降ります。グチを言ってもなんにもならんよね~。ひたすらあけるのを待つしかないんよね!


 今日、目が覚めてからいつものようにパソコンを起動させてみたところ(私のパソコンはいちじるしく古いので「あける」という表現はマッチしません)、ニューストピックに、

「鈴木清順」

 とあったんですね。鈴木清順って、あの映画監督の、仙人みたいなたたずまいの? この名前を見たとき、思わず「ああ、いよいよ鈴木監督も本格的に仙界へ?」と非常に失礼なことを連想したのは私だけじゃないはずです。
 しかし、ニュースの内容は実に鈴木監督らしい奇想天外なものでした。


鈴木清順88歳結婚 半世紀年下の清純美人(asahi.com 2011年6月27日の記事より)

 映画『ツィゴイネルワイゼン』『けんかえれじい』などで知られる鈴木清順監督(88歳)が、48歳年下の女性(40歳)と結婚していたと、今日27日発売の『週刊ポスト』が報じた。鈴木監督は1997年に前妻と死別しており再婚となる。

 同誌によると、女性は小柄でスレンダー、上品な「和風美人」。女性が30代半ばだったころ2人は出会い、鈴木監督のファンだったことから映画談議がはずんで急速に親密に。数年前から都内のタワーマンションで一緒に生活しているという。2009年4月には、撮影をかねて鈴木監督が高校時代を過ごした青森県を2人で旅行。マンションの周辺では、一緒に散歩する姿がしばしば目撃されている。また、作品にかかわった関係者はブログに、昨秋マンションを訪ねたところ、仲むつまじげに暮らす夫妻に会ったことなどを記している。

 鈴木監督は2005年公開の『オペレッタ狸御殿』以降メガホンを取っていないが、今春、米寿のパーティーに出席するなど元気な姿を見せている。同誌の電話取材に対し鈴木監督は「この年で結婚のことを話すなんて……恥ずかしいんですよ。」などと話し、明言しなかったという。


 うひょぉ~、監督ぅ! やっる~。
 「親子ほどの年齢差」じゃありませんよ、「グランパと孫娘ほどの年齢差」よ!? しかも、電話取材ではにかむとは……さすがは鈴木監督。
 監督の作品は学生時代にいくつか観ましたが、もう一回観なおしてみたいんだよなぁ~。その時はまだガキンチョだったもので、ただただ圧倒されるだけだったんですよ。特に『夢二』なんかよかったねぇ。
 見た目はまんま仙人でありながら、鈴木監督はまだまだ人の世に飽きておられないご様子。その情熱のエネルギーは本当に見上げたもんでございます。あ、見上げるんだからやっぱり「雲の上の人」なんじゃん! おぉマスタ~。


 はいはーい、じゃあ今日もやってくぞ、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きだい! あ、そうすか、もう24回になるんすか……

 苦節2ヶ月、いよいよ近づいて参りましたねェ~、あこがれの21世紀が。
 今回とりあげるのは激動の20世紀最後の年、2000年でございます。なんかコンピュータの「2000年問題」とか、「2000」の数字の真ん中の「00」の部分がフレームになってるふざけすぎたメガネをかけてる人とかいましたよね。もう10年以上昔のことなのね……

 アイドルグループ史にとっての2000年はまさに「モーニング娘。単独覇権」のはじまりという重要な年となりました。
 1996年8月のCDデビュー以来、3年8ヶ月にわたって日本のヒットチャートのメインストリートを疾走し続けていたSPEEDがついに2000年の3月いっぱいをもって解散、1998年にそんな彼女たちを追いかけるような形でメジャーデビューし1999年に『LOVEマシーン』で念願の爆発的ブレイクを果たしたモーニング娘。にとっては、いよいよ「自分たちがアイドルグループ界のトップをひた走る!」時代が開幕したことになります。

 まぁ~そんなわけで、2000年のモーニング娘。の活躍っぷりはとにかくムチャクチャなものがありました。いそがしいいそがしい!
 モーニング娘。というひとつのグループとしての仕事が激増したこともモチのロンのことながら、メンバー個人個人のソロ活動も始まっていき、さらにはモーニング娘。を含めたアップフロントエージェンシー所属のアイドル集団「ハロー!プロジェクト」全体としての活動も並行しておこなわれるという「リアル八面六臂」状態の1年間だったのでございます。
 そういった活動の多彩さもさることながら、それ以後のモーニング娘。やハロプロ所属アイドルたちの活動スタイルのエポックメイキングとなる出来事も多々あった最初の年でもありましたので、ざ~っと! ほんとにざ~っとですが、モーニング娘。の周辺で起きたさまざまなトピックを以下にならべてみることといたしましょう。
 ほんとにハードスケジュールだったのよ!!


モーニング娘。黄金の2000年

1月
・1ヶ月前、前年の12月に卒業と芸能界の引退を予告していた結成メンバーの石黒彩(22歳)がモーニング娘。を去る
 ※のちに石黒はLUNA SEAのドラマー真矢(しんや)と結婚し、2003年から主にママドルとしての活動を再開させている(ハロプロではない)
・メンバー7人体制でリリースした8thシングル『恋のダンスサイト』が売り上げ123万枚のミリオンヒットとなる(自身2枚目のミリオン)
・モーニング娘。初の冠番組『モーニング娘。のへそ』(テレビ東京・毎週平日夕方6時前の5分番組)が同年9月まで放送
・3名の加入を想定した「モーニング娘。第3回追加オーディション」の募集告知が『ASAYAN』で開始

3月
・モーニング娘。の3rdアルバム『LOVEパラダイス』がミリオンヒットとなる(自身のオリジナルアルバムでは最大のヒット)
・モーニング娘。のCM出演頻度が高くなる
・ハロー!プロジェクト史上初のシャッフルユニット企画が開始され、結成された3ユニットの同日発売シングルがのきなみヒットする
 ※参加アイドル……モーニング娘。・ココナッツ娘。・太陽とシスコムーン・平家みちよ ら
 あか組4(中澤・後藤ら)  『赤い日記帳』               オリコン2位
 黄色5(安倍・保田・平家ら)『黄色いお空でBOOM BOOM BOOM』 オリコン3位
 青色7(飯田・市井・矢口ら)『青いスポーツカーの男』         オリコン4位

4月
・ハロー!プロジェクトの1stオムニバスアルバム『プッチベスト 黄青あか』がリリースされオリコン1位のヒットとなる
 ※既存グループやシャッフルユニットの他に、中澤と安倍それぞれのソロ楽曲も収録されている(安倍にとっては初のソロ)
・「第3回追加オーディション」の結果が発表され、史上最大規模の2万5千名の応募者の中から予定より1名多い4名の加入メンバーが決定する
 石川梨華(15歳)、加護亜依(12歳)、辻希美(12歳)、吉澤ひとみ(15歳)
 ※オーディションにはのちにハロプロにかかわることとなる藤本美貴や里田まい、かかわらないがグラビアアイドルの若槻千夏も参加していた
・モーニング娘。のメインレギュラー番組2本が放送開始となる
 『ハロー!モーニング。』(テレビ東京 毎週日曜日午前11時30分 2007年4月まで)
 『フライデーナイトはお願い!モーニング』(日本テレビ 毎週金曜日深夜0時30分 2001年9月まで)
 ※特に『ハロー!モーニング。』はモーニング娘。の新たな旗艦番組となり、この放送開始から『ASAYAN』への出演ペースが低くなる

5月
・メンバーの市井紗耶香(17歳)が、5月いっぱいでの卒業と芸能活動の休止を宣言する
・メンバー11名体制でリリースした唯一のシングルである9th『ハッピーサマーウエディング』がミリオンヒットとなる
・モーニング娘。出演2作目にして初主演・初劇場公開映画となる『ピンチランナー』(監督・那須博之)が全国上映されヒットする
 ※この映画のキャッチコピー「モー娘。走る!」に使用されたことから、モーニング娘。の略称「モー娘。(もーむす)」が一般化する
・宣言どおり、9thシングルと『ピンチランナー』への参加をもって市井紗耶香がモーニング娘。を卒業、芸能活動を休止する
 ※市井は翌2001年から歌手として活動を再開し、2011年現在は女優として活躍(ハロプロではない)

6月
・つんく♂の提唱によりモーニング娘。内ユニットの増設とメンバー改編がおこなわれる
 タンポポ  ……卒業した石黒にかわり石川と加護が加入した4人編成による「第2期」に
 プッチモニ ……卒業した市井にかわり吉澤が加入した「第2期」に
 ミニモニ。 ……新設(CDデビューは翌年1月)

7月
・第2期タンポポと第2期プッチモニのシングルがリリースされのきなみヒットする
 タンポポ  5th『乙女パスタに感動』 オリコン3位
 プッチモニ 2nd『青春時代1.2.3!』 オリコン1位

9月
・メンバー10名体制でリリースした初のシングルである10th『I WISH』がオリコン1位を獲得

12月
・モーニング娘。が司会をつとめる(キャイ~ンと共同)音楽バラエティ番組『MUSIX!(ミュージックス)』(テレビ東京 毎週日曜夜22時 のちに火曜日にうつり2003年3月まで)が放送開始となる
 ※『ASAYAN』の次の番組だった『MUSIX!』への出演により、モーニング娘。の『ASAYAN』への依存度はますます軽くなる
・メンバー10名体制でリリースした最後のシングルである11th『恋愛(ラブ)レボリューション21』がミリオンヒットとなる


 まァ~もう大変なもんですよ。

 ついでに、2000年に結成されたモーニング娘。のグループ内ユニットと、ハロプロ内のアイドルグループもご紹介。


ミニモニ。(2000年6月~)4名 モーニング娘。のグループ内ユニット
 モーニング娘。3番目のグループ内ユニット
 結成当初は矢口真里(17歳 初代リーダー)・辻希美(13歳)・加護亜依(12歳)の3人体制
 2000年10月にココナッツ娘。のミカ(16歳)が加入して4人メンバーで固定される
 ※この体制は2003年3月の矢口の卒業まで継続
 「身長150cm以下のメンバーによるユニット」というふれこみ
 ※実際には矢口144cm・辻153cm・加護155cm・ミカ150cm
 アニメ・コミック・ゲーム・キャラクターグッズなど、子供向けのバラエティ豊かな展開
 アニメ『とっとこハム太郎』やバラエティ『志村けんのバカ殿様』とも提携して活躍
 現在は2009年7月から始まった新たな4人組による第3期体制「新ミニモニ。」となっている
 代表曲 1st『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』(2001年1月)オリコン1位を獲得

シェキドル(2000~02年)ハロー!プロジェクトの2~3人組ガールズバンド
 18~22歳
 所属事務所はアップフロントエージェンシーではない
 軽快・ライトなロックバンド
 インディーズバンドとしてライヴや路上演奏を活動の中心にしていた
 2000年7月の「第4回 モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」出場者の中から2名で結成
 ※オーディションの優勝者は松浦亜弥(14歳)だった
 2001年3月に末永真己(21歳)が加入し3人組バンドとなる
 3枚のインディーズシングルと1枚のメジャーシングルをリリースするがヒットせず
 2002年1月のメンバー末永の体調不良からの休養により自然消滅
 現在は復帰した末永のみがソロシンガー「凛」として活動している(ハロプロではない)


 はい~。2000年のモーニング娘。とハロプロの動きは、ざっとこんな感じでありました。

 私、このあいだSPEEDについてつづっていた時、累計楽曲売り上げ1953万枚というアイドルグループ史上最大のビッグアーティストであったのにもかかわらず、そんなSPEEDの2000年3月の解散が私自身の記憶にさほど強く残っていないことが不思議でしょうがなかったのですが、原因はこれだったんですなぁ!
 基本的に忙しいモーニング娘。だったのですが、SPEEDの解散とダブった春は特にシャッフルユニット企画にCM出演にアルバムリリースに追加メンバーオーディションにと全弾発射レベルの大攻勢をかけており、まさに全力でSPEEDに「引導を渡す」ことに成功していたのです。こ、こわい……

 一見ひっちゃかめっちゃかな年だったようなのですが、見逃してならないのは確実にモーニング娘。の「体質」が変容したということです。

 所属事務所であるアップフロントエージェンシーは、モーニング娘。の理想的なメンバー人数を「10名前後」と想定していたのだそうで、そういう意味ではモーニング娘。は2000年の第4期メンバー加入をもってはじめて「完成形」になったとも言えます。
 結成メンバーだった「モーニング娘。随一の男前」石黒さんや、「かわいいのにおもしろいように目立たない」市井さんの卒業(当時は脱退とも言われていた)もさることながら、辻ちゃん加護ちゃんに石川さんによっすぃーと、去年のごっちんに続いての「明るい新世代」の加入により、かつて情念たらたらの失恋ソングを唄っていたモーニング娘。とはまったく別個の、「ハイテンションな楽曲で現実を忘れるひとときをお送りする」アイドルグループとしてのモーニング娘。が新生したのはまさに2000年のことだったのです。

 失恋ソングを唄う唄わないということを取り上げなくても、たとえば6thシングル『ふるさと』と9thシングル『ハッピーサマーウエディング』とが、同じ「家族」をテーマにしていながら冷や奴と花火つきチョコパフェほどの違いがあることからも、まさにモーニング娘。に大きな変容があったことは明らかです。

 要するに、どっちがいいのかという問題は意味がないので議論しませんが、等身大の気持ちを情感たっぷりに唄う「安倍なつみとモーニング娘。」ともいえた活動初期が、ごっちんというパンドーラの箱を開け、そのチャンスを逃さなかったつんく♂さんの方針転換によって完全に終焉し、誰が加入しても誰が卒業しても致命的なマイナスにはならない「夢をあたえるアイドルびっくり箱としてのモーニング娘。」が生まれたのが、まさしくこの2000年だったのではないかと思うんですね。
 びっくりといえば、グループ内ユニットのタンポポとプッチモニが、第4期メンバーの加入によってまるで互いに中身がすげかわったかのような「アダルト」と「ガーリー」のスタイルの逆転を起こしたこともちょっとした衝撃でした。この頃のつんく♂さんには、グループ名やユニット名についてまわるイメージの固定を避けようとする意志が強くあったのではないでしょうか。ちゃんとそれにこたえてくれるメンバー1人1人の対応力も相当なものですけど。

 つまり、モーニング娘。は2000年にはじめて、「ヴォーカルダンスグループ」でない正真正銘の「アイドルグループ」になったとも言えるんじゃなかろうかと。うおお~。

 こんな感じで、モーニング娘。は話題性たっぷりの展開をもって世間の注目をさらに独占し、新曲シングルがヒットチャート1位を獲得することも当たり前な不動の地位を手に入れることに成功しました。
 ただ、前年の『LOVEマシーン』とならんでモーニング娘。の代表作と評される『恋のダンスサイト』や『恋愛レボリューション21』がリリースされながらも、『LOVEマシーン』の売り上げ記録195万枚を超えることがついにかなわなかったのは惜しいところでした。あるいは、もうすでに「CD売り上げ不振」の時代は始まっていたと言えるのかもしれませんね。

 あと、これは言うだけ酷というものなのかも知れませんが、ハロプロ内での「モーニング娘。とそれ以外のグループとの人気の格差」がはっきり見えてきたのもこの頃からでした。まぁ、そう簡単にポンポンとメガヒットアイドルが何組も生まれるわけじゃあないですからね……
 シャッフルユニット企画がウケたのも、結局はモーニング娘。の大人気を分散させた目新しさが当たったからなのであって、この時点ではハロプロ内でモーニング娘。としのぎをけずるようなライバル的存在はまったくいなかったのです。

 これはいけません。このままではモーニング娘。の人気とハロプロの命運は一蓮托生ということになり、いずれ訪れるであろう「モー娘。ブームの終わり」とともにせっかく復活したアイドルグループ文化も再び冬の時代を迎えてしまうことに! ヤバイよヤバイよ~、ウッチャン、これほんとマジやばいってマジで~(あなたもダミ声で、さぁどうぞ)。


 しかし、現実の結果はさにあらず。ハロプロの天下はその後ずっと続き、2011年現在は今までにない「アイドルグループ全盛の時代」をむかえているわけなのです。
 なぜか!? なぜ21世紀に入ってもモーニング娘。は存続し、ハロプロの人気も続いていくことができたのか? これからの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は、このへんのテーマを常に見据えた流れになりそうですな~。

 ってなわけで、ハロプロ全盛期の現出によってますます白熱化していくアイドルグループの歴史のつづきは、また次回のココロだ~っ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする