長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第22回 『後藤さんとモーニング大爆発。1999下半期』

2011年06月22日 23時06分14秒 | すきなひとたち
 そうだいはちからをためている……

 はいどうもこんばんは~。へへへ、またですよ。またやろうとしてんのよ、20キロ散歩をね! こりないね~。でも、今度こそ「悲願」が達成できるような気がするんですよ、今度こそ! やるぞオイ~。

 今日ははるばる、東京は京王線沿いにある仙川という土地まで行きまして、リクウズルームという集団の公演『剥ガレオチテ』(作・演出・出演 佐々木透)を観てきました。
 リクウズルームさんの公演は、去年くらいから何度か拝見していたのですが、私は今回の作品がいちばんおもしろかったですね。いろいろ感じたところはあったのですが、リクウズルームはキャストも多くてちょっと広い場所でやったほうがおもしろいのかな~、と。

 さて、その仙川に行く出発前にちょっとインターネットニュースをのぞいてみたら、こんな話題が。


《速報》「篤姫」石川梨華が現代でホステス(asahi.com 2011年6月21日の記事より)

 ドリームモーニング娘。の石川梨華(26歳)がクラブホステスに転身する。

 音楽プロデューサーのつんく♂(42歳)が21日、東京都内で銀座の高級クラブを舞台にした映画『篤姫ナンバー1』の制作発表を行った。
 篤姫役を演じるのは映画初主演となる石川で、その篤姫を支えるお世話係りのタエ役として同メンバー中澤裕子(38歳)も出演する。

 キャスティングについてつんく♂は、「男勝りに活躍して色気もあることからパッと石川が浮かんだ。」と語り、「教育係として中澤にも来てもらいました。」と笑いを誘った。
 石川は、「頭が良く賢くて魅力ある女性なのでそれに近づけたらいいなと思います。」と意気込みを語り、中沢は「いよいよ私をメインにと期待したけど、現実と変わらない指導役でした。篤姫に負けないように頑張ります。」と出演できることに感謝した。
 映画は、江戸幕府第13代将軍・徳川家定の正室・天璋院篤姫が現代にタイムスリップして銀座のホステスになるストーリーで公開は来年春以降となる。

 会場には本物の銀座のクラブホステスも登場、記者にお茶をつぐなどして盛り上げた。


 なんだ、これは……

 いいですね~。ばかばかしくて。
 記事の写真で、「え? それ篤姫? 和宮じゃなくて?」っていう感じに見事な十二単を着た石川さんもよかったのですが、キャリア相応に本職とみまごうばかりに和服ホステスの衣装とメイクが似合っていた中澤さんの勇姿もすばらしかったです。
 これは絶対に観に行こう。くっだらねぇ宣伝費ばっかりかけたA級原作のZ級映画化よりもよっぽど期待がもてますよ。いつ? え? 来年春以降?
 ……おぼえてるかな……


 え~、まだ「アイドルグループ史」にギリギリ登場していない石川さんの話題はここまでにしておきまして、実はこのあと私は、電車に乗って仙川に向かっていた途中で、向かいの座席に乗っていたおじさんが眺めていた東スポの一面記事が目に入って息を呑んでしまいました。

 ごごご、ごっちん……これからあつかおうとしていたごっちんが!

 なんてったって宇宙人接触・プレスリー生存的なテイストで天下にその名をとどろかせる東スポの記事だったので半信半疑でいたのですが、東京で会った友人の話によるとその日のワイドショーも大騒ぎだったようで。

 まあまあまあ! まずは2011年のことはほっときまして、1999年のごっちん降臨の衝撃にせまってみようじゃありませんか。


 時に1999年8月。
 一部のロマン派のあいだで来る来ると言われていた「恐怖の大王」からも音沙汰のないまま7月は過ぎ、『ASAYAN』は9月にリリースされることとなったモーニング娘。7thシングルの制作に向けて、新たにメンバーを追加するためのオーディションを開催することとなりました。
 それが「モーニング娘。 第2回追加オーディション」でした。まだ「第~期」という概念はできておりません。空気としては、定期的にメンバーを取り入れるという動きの一環ではなく、やはり新曲のために臨時に増員するというものだったようです。

 しかし、さすがはデビュー1年目にして『紅白』に出たモーニング娘。!
 昨年の3月におこなわれた「(第1回)追加オーディション」には5千名の応募があったのですが、6月に番組で告知された第2回にはなんと倍以上の1万1千名からの応募があったのです。
 その中には、実はかの倖田来未さん(17歳)もいたのですが、同時に受けていたエイベックスのオーディション「avex dream 2000」に先に合格(準グランプリ)したためにモーニング娘。入りを断念した、というのは有名な話です。
 その例にもかぎらず、全国的な有名グループとなったモーニング娘。のオーディションには、前回をはるかに上回るレベルの猛者たちがはせ参じていたようですね。

 そんな活況の中で、当初番組側は「99年の9月9日に9人のモーニング娘。で新曲をリリースする」というゾロ目にあやかった目標をたてており、そのためにこのオーディションでは「2名」の合格者を採用すると想定していたのですが、結果はなぜか「1名のみの合格」となってしまいました。
 なぜ? 応募者のレベルも全体的に高くなったし、メンバーは8人になってしまってせっかくのゾロ目も達成できなくなっちゃうのに、なぜ1名だけの合格なのか!?

 理由は簡単。「1人だけレベルが違いすぎたから。」

 なんということでしょう。なんてカッコイイ登場の仕方なんだ……「恐怖の大王」は来なかったけど、1ヶ月遅れでアイドル界に彼女が降臨した! それでいいじゃねぇか、皆の衆。
 その合格者、ただ1人のモーニング娘。第3期加入メンバーこそが、ごっちんこと後藤真希(13歳)その人だったのであります。

 後藤さんのイメージはまさに黄金、「ゴールド」そのものでした。
 さすがに中学生と言うことで洗練された姿となるのはまだまだ先のこととなるのですが、そのバチッとした顔立ちといいカラッとした性格といいスパッとした存在感といい、まさしくゴロッとした原石がマチャアキ版孫悟空のオープニングのように山から自力で出てきたという奇跡感がありました。
 中学生なのにバリバリ髪を金髪にしているという印象もあいまって、後藤さんはまさしくそれまでのモーニング娘。になかった「押しの一手の輝き」と「気ままな身軽さ」をもって、さっそく最初に参加した7thシングルからセンターをつとめることとなったのです。これを「スター」と言わずしてなんと言うのでしょうか。
 
 そんな後藤さんを擁して9月9日にリリースされた新曲『LOVEマシーン』だったのですが、原曲がすでにシャ乱Qのボツ曲の中にあったというつんくさんの発言がウソに聞こえるほどに女性が唄うことに意義がある歌になっており、それでいながらそれまでのモーニング娘。の楽曲のイメージとなっていた「しっとり情念、ちょっとやりすぎるとじめじめ怨念」という味わいを一切とっぱらったイケイケのディスコチューンとなっていたのです。
 発表された当初は「モー娘。がキレた!」や「やぶれかぶれもいいとこ」という否定的な意見もあったようなのですが、ただ大騒ぎしているだけのように見えて実は歌詞もメロディも全ての面で聴く人、特に不景気と言われて久しい当時の日本にカツをいれる真摯な応援歌になっていたこの『LOVEマシーン』は見事なまでの逆転満塁ホームランをかっ飛ばし、売り上げ枚数195万枚というモーニング娘。初のミリオン記録、オリコンチャートは17週連続1位という快挙となったのでした。

 そして、なんとその『LOVEマシーン』からオリコン首位をもぎとったのが、モーニング娘。第2のグループ内ユニット・プッチモニの1stシングル『ちょこっとLOVE』だというのだからとんでもない。

 このようにして1999年のモーニング娘。は、前半の福田さん卒業周辺の静けさと後半のごっちん加入のてんやわんやとがきれいに対称的になった激動の1年となったのでした。そしてその流れを引き継いだまま、翌年以降もモーニング娘。の黄金期は展開されていくこととなります。
 ここらで、1999年時点までに結成された2つのモーニング娘。グループ内ユニットをご紹介。


タンポポ(1998年10月~)1~4名 モーニング娘。のグループ内ユニット
 モーニング娘。史上初のグループ内ユニット
 結成当初は石黒彩(20歳)・飯田圭織(17歳)・矢口真里(15歳)の3人体制
 ※この体制は2000年1月の石黒の卒業まで継続
 石川梨華(15歳)と加護亜依(13歳)が加入した第2期から音楽性が大幅に変わっている(アダルトからガーリーへ)
 7th『王子様と雪の夜』(2001年11月)で自身唯一のオリコンチャート1位を獲得している
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第4期体制「タンポポ♯(シャープ)」となっている
 代表曲 6th『恋をしちゃいました!』(2001年2月)

プッチモニ(1999年10月~)3名 モーニング娘。のグループ内ユニット
 モーニング娘。2番目のグループ内ユニット
 結成当初は保田圭(19歳)・市井紗耶香(16歳)・後藤真希(14歳)の3人体制
 ※この体制は2000年5月の市井の卒業まで継続
 唄って踊れる明るい楽曲
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第4期体制「プッチモニV(ブイ)」となっている
 代表曲 1st『ちょこっとLOVE』(1999年11月)売り上げ110万枚のミリオンセールスに


 石川さんが加入したあとの第2期のほうが有名なので意外に思われる方も多いかも知れませんが、活動前期のタンポポはモーニング娘。初期のしっとりアダルト路線をさらに強調させた楽曲を唄っていました。そんなわけで、ごっちん以前のモーニング娘。のかおりを残していたのがタンポポで、ごっちん以後の軽快さをさらに少人数体制で追究したのがプッチモニというわかりやすい対比が結成当初にはありました。アダルトなのにタンポポとは……伊丹十三?


 こう眺めてみると、本当に後藤さん登場の印象が強い1999年のモーニング娘。だったのですが、しょっぱなからエース格の注目を集めることとなった後藤さんの輝きもさることながら、それを柔軟に受け入れてグループとしての団結を崩さなかった7人の包容力と対応力も実にたいしたもんですよね。明確には設定されていないものの、それまでエース格の重責をになっていた安倍さんも、本人の人となりのなせるわざなのか、色味のまったく違う後藤さんとともにモーニング娘。の幅を広げることに全力をそそいでいます。
 『LOVEマシーン』から突如として激しくなったダンスの振り付けに自らの体力の限界を感じ、人知れず「引き際」を意識するようになったというリーダー中澤さんも、当時のグループの1人1人のつながりをまとめあげる役割として絶対必要不可欠な存在でした。


 最後に、あわててついさっき、家に帰ってきてから調べてみた芸能ニュース記事をここに。


後藤真希、芸能活動休止を自ら書面で報告 後藤真希という自分に戻りたい(livedoorニュース 2011年6月22日の記事より)

 元モーニング娘。の後藤真希が、年内をもって芸能活動を休止すると自ら書面で報告した。

 「ファンの皆さま 関係者の皆さま」と題された直筆の書面には、「今日は大切なお知らせがあります。私、後藤真希は、来年1月から芸能活動を休止します。世間知らずで生意気な下町娘だった私が、13年前の夏、オーディションをきっかけにモーニング娘。そしてゴマキとなり、たくさんの華やかなステージを経験させていただきながら、夢中で走ってきました。」とあり、続いてファンやスタッフへの感謝を述べた。
 「昨年の冬、母という強くて大きな支えを失ったことで、私は考えるようになりました。(中略)皆さんの存在はとてもありがたく感じています。だけど、自分の中に空いた大きな穴が埋められないままなんです。」と、母を亡くした辛い思いを吐露した。

 今後は「普通の自分に戻ってみたい」という思いから、今回の決断に至ったようだ。
 12月には約4年ぶりにワンマンコンサートを予定している。ファンにとっては、お別れコンサートになるのかもしれない。


 なるほどねェ~。
 後藤さんの「輝き」というものは、勝手な言い方をさせてもらうとけがれを知らない天衣無縫な「イノセントな輝き」だったのではないかと思います。そりゃそうですよ、13歳で中学生だった時に芸能デビューして、その年に日本一人気のあるアイドルグループのエースになっちゃったんですから!
 それからの後藤さんは2002年までモーニング娘。に在籍し、それ以降もトップアーティストであり続けたわけだったのですが、その間に彼女の周囲に巻き起こったさまざまなトラブルは、直接本人が起こしたものでないだけに非常につらいものがあり、そのために彼女が「休みたい。」と言うのであれば、それを止めるいわれはないやねぇ。

 かつて、後藤さんのそれとはまた違った「けがれも知った上での輝き」をその身にまとっていた山口百恵さんは、伝説的な引退コンサートをもって芸能界を去っていきました。
 今年のこれからの後藤さんの輝きは、どんなものになるでしょうかねぇ!?

 きれいさっぱり去るのもモー娘。、篤姫の役でタイムスリップホステス映画に出るのもモー娘。。


 いやー、アイドルグループって、ほんっっっとに!! いいもんですねぇ。それじゃまた次回、ご一緒いたしましょう~(また使いました)。
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