三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ホワイトアウト再来

2014年02月18日 05時15分57秒 | Weblog


関東甲信のほうの大雪被害にご同情申し上げていたら
やってきました、大冬将軍様。いや、おみそれ致しました。
きのうは朝から断続的な猛吹雪状態が連続しておりまして
市内の交通でありながら、一寸先も見えにくいブリザード状態に突入。
やむなく交通は各所で渋滞になっておりました。
まぁしかし、山梨のような状況には、なかなかならないのは、
冬の備えがみんなしっかりしているから。
どんなに交通環境がきびしくなっても、最低、タイヤは冬用だし、
除雪体制もきちんとされている。
それと札幌の街は夏場に来たらその空隙部の多さに驚かれると思いますが
これは、冬の積雪・堆雪場所にゆとりがある、ということなんです。
街並みが間延びしていて、
コンパクトシティというようにはなっていないのですが
雪との共存を考えると、やむを得ない市域の希薄化要因なんですね。
ノロノロだけれど、それでもなんとか忍耐力をみんなで発揮しながら
冬のきびしさを生き延びようとする努力であります。
今回の冬将軍、どうやら今日いっぱいくらいまでは
覚悟しなければならないようです。
しかし、明日くらいからまた関東甲信地域は降雪の恐れだそうで、
またそのあとに、北海道もひどいことになるかも知れません。
この冬の最盛期なのではないかと思われます。
ただ、最近、温暖化ではなく、地球は寒冷期に突入しつつある、
という説が強くなってきているのだそうです。
なんでも北極圏、グリーンランド周辺の海水温が下がって来ていて
これが地球全体の寒冷化に繋がるという見方だそうです。
それを裏付けるように、北極圏の氷の総体積が対前年比で
増えているのだとか。
また一方で、太陽黒点観察の結果、
太陽活動が不活発な時期に突入しているのではないかとも言われている。
ただ、こういう地球規模、宇宙規模の状況は
確実である地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の増大とからんで、
どのような気候変動に結果するのか、
予測はまだまだ不透明なようであります。
しかし、この冬の日本の状況、北米の未曾有の寒気など、
気候変動はさまざまにその様相を顕在化させてきている。
人類の生き延びる道、なかなかに厳しい状況になってきています。

で、札幌の「積雪状況」なんですが、
どうも「札幌管区気象台」での状況と、実際の札幌の状況に
乖離を感じることが多いのですが、
表は、上が札幌管区気象台のデータで
下が、わたしの住んでいる「札幌市西区」のデータです。
積雪量に大きな違いがあって、札幌管区気象台では平年以下になるけれど、
実感としてはやや多いくらいに体感している差、そのままが出ています。
その他の各区ごとのデータも西区データとそう変わりがなく、
札幌管区気象台データとはあきらかに乖離がある。
温度データでも以前、室蘭工大の鎌田先生も札幌管区気象台データに
違和感があると言われていましたが、
こんなデータでも違和感を禁じ得ません。
実際の住宅を設計する際には、札幌データではなく
隣接する石狩市の気象データを参照する方が実態的ということですが
そんな思いが強くなっています。
近年の「都市化」の影響が大きすぎる観測地点について
気象協会は、再考すべきではないのでしょうか。
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関東甲信東北の大雪被害

2014年02月17日 05時15分05秒 | Weblog


いやはや、なんとも災難なことになっているようですね。
普段は「北海道って、雪がたいへんなんでしょう?」「クマも出るんでしょ」
って、関東のみなさんからはそこに住んでいること自体が不幸のように
言われ続けてきている北海道の人間ですが(笑)
今年については、関東甲信の状況を聞きながら、
いやはやと、ご同情申し上げること頻りであります。
いや、べつに皮肉ではありません。
東京で生活もしていた経験からも、雪が降るといかに温暖地域がもろいか、
良く理解出来るからなのですね。

<以下、TBSニュースサイトより>
関東・甲信地方などに記録的な積雪をもたらした大雪の被害が続いています。
降り積もった雪が道路をふさぎ、40時間以上立往生する車や、
孤立する市町村も出ています。
関東・甲信や東北地方などでの記録的な大雪から3日目。
群馬県安中市の国道18号・碓氷バイパスでは、降り積もった雪の影響で
およそ270台の車が40時間以上たった今も動けないでいます。
「寒いんでアイドリングしながら車内にとどまってたんですけど、
ファミリーマートさんが店内開放してくれたので、そこで休んでました」
(雪で車が動かなくなった人)
安中市によりますと、道路を管理する国交省が除雪作業を進めていますが、
復旧のめどは立っておらず、市は学校や公民館を避難所として開放しています。
また、中央自動車道では、通行止めの影響で
山梨県の談合坂サービスエリアでも多くの車が足止めをされたままです。
 「一応、食事はフリーみたいに今もなっているが、
ソファーとか椅子を譲り合ったりして、大きな混乱もなく過ごしている。
まだ何時になるかわからないと言われているので、正直しんどい」
(雪で車が動かなくなった人)
東京都でも周辺の道路の除雪が進まず、奥多摩町の全域と檜原村の一部が
孤立しています。東京都は自衛隊に災害派遣を要請し、
食料などの救援物資を運んだり、除雪作業を急ぐ予定です。

って、まぁなんともすさまじそう。
北海道は当たり前に猛吹雪とか、慣れっこなので、
それへの対応力はそこそこ、誰でも、どの地域でも持っている。
除雪の能力など、備えがしっかりあるから、
まぁとんでもないことにはならない。
しかし山梨などでは、除雪の重機なども揃ってないだろうと想像がつく。
そのうえ、週明けの半ばにもまた降雪の情報が出ている。
ほんとうにお気の毒で、同情の念、余りある次第です。
って言ってたら、月火と北海道でも猛吹雪のエリアがありそうです。
冬、最盛期に突入のようですね。
がんばりましょう、みなさん。

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免許書き換え

2014年02月16日 07時27分22秒 | Weblog


5年のゴールド免許の昔日よ、いまいずこ・・・。
と、詠嘆したくなるほどに、3年更新に月日の早さを実感します(笑)。
まだすこし時間的なゆとりはあるのですが、
時間が取れるいまのうちに行っておいた方が、安心できる。
ということで、本日は免許証書き換えであります。

なんですが、わたしに届いた講習区分では、
「違反講習」になっている。
たしかに24年10月に免停処分を受けて、
30日の処分のところ、免停講習を受けて1日に
短縮にはなったのですが、それは処分が終わっています。
不思議に思い、問い合わせたところ、
この区分は、そういう行政罰とは関係なく5年以前までの「違反者」に
対して課されるものなのだそうであります。
なにやら、ガソリン税への消費税加算にも似た罰の2重性を感じます。
弱いもの、悪いものへのいじめ的な行政サイドの恣意的制度のような気がします。
一事不再理という考え方がありますが、
罰を受けたことに対して、いつまでも別件で不利益を与えるというのはおかしい。
行政罰を受けた時点で、こういった差別的な行為を行うべきではない、
どうも理不尽さを感じざるを得ないところであります。
なんですがまぁ、叶うはずのない異議申し立てであります(笑)。
潔く、当局の方針に従って、長時間の身柄拘束に耐えたいと思います。
って、大袈裟な(笑)・・・。

そういった次第ですので、
本日のブログは、簡単明快な愚痴であります。
みなさまのお時間を無駄にさせたかも知れません。ご容赦を。

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Mac DTP製造ライン管理

2014年02月15日 08時46分42秒 | Weblog




中小零細の地方出版業というのは、
やらねばならないことのフィールドが広いなぁと思います。
きのうは銀行対応や人事の懸案対応と同時に
ふたたび情報生産活動の主役であるMacの環境整備作業を行っていました。
予備のためのノートPCが不足したので
前から興味があった、中古Macを取り寄せてみたのですが、
やはりこういうのは難しいですね。
梱包を開いてスタートさせてみたら、見たこともないキーボード配列。
PRAMクリアーしようにもキー配列の記号にまったく見覚えがない。
ということで、さっそくAmazon経由だったのでその旨連絡して
返品処理いたしました。
この返品処理は、わたし初めての経験だったのですが、
Amazonは、なかなかよく出来ているシステムだなと思わされました。
あとでわかったことでは、キーボードはイギリスのものだそうで、
英語圏でもUSキーボードとも違うようなんですね。
ひとつ勉強になりました。
で、それとは別に新品のMacBookPro13を購入して到着。
こっちは、室内に1時間くらいは置いてからスタートさせたのですが、
筐体が冷え切っていて、しかもバッテリー残量がゼロというもの。
こちらもAmazon経由だったのですが、
どうもサードパーティの商品管理にはやや問題もあるかも、というところ。
で、冷却されすぎていて、電源アダプタをマグネット接続端子に
繋いだ途端にスタートが始まってしまった!
念のため、もう一回同じようにしても、再現された。
新品での不具合か? ということで、Appleのサポートに連絡。
冷却とバッテリー充電不足の両方が不具合の原因のようだったのですが、
新品での事象発生なので、その旨、個体管理データとして登録を依頼。
そこでふたたび、サードパーティの商品管理とAppleのサポートの
個体管理上の盲点も見えたので、
Apple側からの提案で、昨日を正しい「購入日」として登録してくれました。
そうしないと1年間のサポート期間特権が失われる、不明になるのですね。
こういったやりとりで、万が一、この個体が将来的に不具合を来したとき、
Appleに対して、導入初期での発生事象からの関連性を認定させられる。
というような手は、打っておいて損になることはないわけです。

で、そこから自己責任でメモリを4GBから16GBに交換。
このHDDタイプ最後のノートマシンは、内部アクセスも容易なんですね。
だから、ほぼ新品型落ち寸前のこの機種を選択したのですが。
先日述べたように、HDDのデータ容量は仕事上、
わが社の場合、どうしても当面は必要不可欠なんですね。
そこから、あるスタッフのMacからデータを全部移行させて
およそ200GBのデータ搭載のマシンからの移行で約2時間ちょっとで完了。
最後は、やや疲れて一服後確認して、作業終了いたしました。
出版事業、そのゆりかごから作業のプロセスまで、
目に見えるプロセスもそうでないプロセスも
全部のなかからムダムリを排除していかなければならない。
クラッシュしないように、人間の方もメンテナンスしなければ(笑)・・・。

<写真は無関係の北海道では見掛けない「楠の木」>
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出版の近未来

2014年02月14日 08時24分12秒 | Weblog


わたしもその業界の中の一員ではある出版業界。
インターネットの進展に反比例するように毎年、その実績が下がってきている。
1997年あたりをピークにして
下降曲線がとまらない。
やはり構造的な要因からこのような結果が出てきているといえるでしょう。

わたしし自身ですらそうなのですが、
パソコンやスマホに接触して活動することには習慣性が強くあって
どんな人間活動もこれに置き換えるというような考え方が根強くある。
デジタル革命という言葉それ自身に呪縛されている側面もありそうだと思います。
手塚治虫さんが夢見たようなロボットが
パソコン・スマホというような形で人間活動に取り込まれることになって、
同じように前頭葉を使う時間の取り合いが起こり
いまのところ、新しい体験に人間は弱いので、そっちが優勢、
っていうようなことなのでしょうか?
たしかに時間は圧倒的に新メディアに占有されてきている。
本を読む、というような時間は限りなく少なくなっている。
出版界は、この奪われた「時間」をどのように奪還するか、
その戦略的想像力がまだ、出てきていないと思う。
デジタルによって人間の活動時間が奪われたのだとすれば、
他の時間から奪ってくるとか、
逆にその時間の中に入っていくというような戦略思考が必要ではないか。
生き残っていくためには、さまざまなチャレンジが必要だと思っています。
今回、年に一度の出版とDTP関連のイベントに行ってきて、
深く、そんなことを考えさせられた次第です。
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ドイツのエネルギー政策

2014年02月13日 07時21分20秒 | Weblog


この時期、日本の住宅企業人はよくドイツやスイスといった
「環境先進国」への見学に行かれることが多い。
それは省エネとか、断熱基準のレベルの高さなどの情報が周知している結果。
ただし、ショーウィンドウとしての新しい住宅では
たしかに高性能な住宅ができつつあるけれど、
圧倒的な量の既存住宅では、劣悪な性能の住宅ばかりというのが現実。
その乖離があまりにも大きいと言われます。
その意味では住宅のおおむね半数が、Q値的に省エネ基準を満たしているという
北海道の現実は、世界的にも特異的な地域であるのかも知れません。
そういうなか、希望を持って、ドイツのエネルギー政策を見ていますが、
やはり理想と現実の間で、大きな問題になってきているようです。
自然エネルギーの利活用ということでは、
誰もがそれを望んでいると思います。
ことばで「再生可能エネルギー」と聞けば、だれもがいいと自然に思う。
しかし、太陽エネルギーをそのままで利用するということは
ことばやイメージで受け取るほどに単純ではない。
それは、国家戦略にもまさに直結する大テーマであって
単純なヒューマニズムで結論を出せる問題ではもちろんない。
日本の住宅でも、太陽エネルギーを熱エネルギーとして「集熱」して
それを土間に送り込んで、家中の暖房を賄おうという
太陽熱利用のソーラーハウスの発想はいろいろに試されてきたけれど、
結局、天気のいい日はいいとしても、そうでない日の暖房装置として
ソーラーシステムを補完する通常の温熱システムが別途必要になる。
まぁまるでパラドックスなんですが、それが現実です。
そうだとすると、システムとしてはムダということになる。
結局300万円くらいする装置は、理念だけのお飾りになる。
その「エネルギー供給の不安定さ」が、どうしても避けられなくて
理念はいいけれど、なかなか一般化にはならなかった。
太陽エネルギーに頼るエネルギー政策は、その実現がきわめて難しい。
ドイツでは、太陽光発電設置に補助金を出して普及に努め
原発を超えるようなレベルに達したけれど、
それ以上に、国民・企業負担の電気料金の値上がりが急激で、
とくに企業経営のコスト上昇から、産業界は悲鳴を上げている。
理念はだれもが納得するけれど、
現実にそれを実現していく困難は計り知れない。
太陽光発電によるパネル需要はやすいコストの中国製が席巻し、
国民全体が、中国経済に奉仕させられているような状況になっている。
そのうえ、こうしたドイツの政策は、電力が足りなくて困ったときに
安定的な電力を融通してくれる原発大国フランスを隣国に持ち
国家関係がきわめて安定しているということも大きい。
フランスの安定的な原発があってはじめてドイツの挑戦はあるといえる。
ひるがえって考えれば、日本を取り巻く環境の中で
日本が電力不足に陥ったとき、どこの国が助けてくれるのだろう。
いや、そもそもそういうインフラ整備ができている国はなかなかないのだ。
そういった現実も見極めなければならない。
そうではあるけれど、これだけの経済大国で
その方向に舵を切ってきていることには、ある希望を持つ。
なんとか、この政策が離陸して成功を収められるかどうか、
世界中が、それこそ固唾をのんで見続けていると思う。

しかし、やはり気になるのは、そうした技術大国・ドイツですら
ここまで自然エネルギー開発に国を挙げて投資してきていて、なお、
有望な自然エネルギー開発に行き当たってこない現実。
言葉で言う理念と、現実にする、出来ると言うことの間には
かくも巨大な溝が存在しているのだと思う。
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わが家前の雪かき山アート2014

2014年02月12日 05時23分36秒 | Weblog


雪かき山、っていう言葉は別に一般語ではありません(笑)。
わたしの勝手な造語であります。
雪かきは雪国人であれば、だれもが普通に行う冬の生活営為。
なんですが、先日住宅評論家の南雄三さんのメールマガジンを読んでいて
東京に降った雪のことが話題になっていて、
その雪かきが、思わぬ「地域社会」を照らし出すきっかけになった、
というお話しが書いてあった。
たまに雪が降ったりして、はじめて隣近所にいるひとと会った、なんていうのですね。
現代人とそれ以前の、地域社会に属して生きることの方が主流であった時代人と
決定的に違いがあるのは、こういったことでしょうか。
明治以前、あるいは経済成長が始まる前と後、というようにも言える変化。
それは、地域に生きると言うことが
生産手段とほぼ一体となった「地域密着」生活だったことを表していた。
だから、地域の祭りとか、共同生活のためのしきたりとかに
縛られるのが当たり前なのが日本人の暮らしの主流だった。
そこでは当然のように、社会規範ルールが存在し、
それを尊重することが、法律で決めたことよりも以前に必要なことだった。
こういう社会規範に対しての従順さが、良くも悪くも日本人の特性だった。
大雪が降れば、みんなで協力してまずは自分の家の周囲を、
そしてそのちょっと先に「公共」というものがあって、
それへの責任を容易に受け入れていた。
左翼系の歴史家であった網野善彦さんの記述ですら
日本では有史以来、年貢とかの公的負担それ自体に反抗した民衆一揆がない、
ということだそうですが、
そういうことへの従順さが日本人の奥深い精神性に刷り込まれている。
で、南さんの家の周囲でも、平成のこの世でも
やはりそういった公共心の発露が随所で見られたのだそうです。

というようなことが、北海道では
毎年毎年、それも冬の間ほぼ毎日のように
必ず、やらなきゃならないこととしてやってくる(笑)。
とりあえず自分の、あるいは家族のための営為として始めるのだけれど、
そのほんのちょっと先に、「みんなのため」のことが存在している。
断熱と言うことが北海道では「当たり前」のことであるのに
本州、関東以南では
工務店・住宅メーカーの企業差別化要因であるということの
考え方の違いの背景に、どうもこういう体験要素があるのではないか。
そんな気がしております。

で、こういう雪かきによって出来上がる雪山の様子が
わが家前では、ことしもエベレスト級の迫力になって来まして(笑)
なかなか造形的に面白くなってきた。
雪を掻き揚げ、盛り上げていく角度がかなりの急傾斜になって来て
放り上げる高さが2mをはるかに超えるようになって来た。
・・・むむむ、ヤバそうなのであります・・・。

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ニッポンの美意識

2014年02月11日 09時01分29秒 | Weblog



先日は時間がなくて、クリーブランド美術館展のみを見てきたのですが、
やはり気に掛かっていた東京博物館でのもう片方の展示、
先週末の出張の帰り時間までの寸暇を割いて見てきました。

これが想像以上によかった。
とはいっても、入場して鑑賞できたのは、おおむね1時間半くらい。
急な連絡やメールのやり取りをしなければならず、
博物館の館内で、処理していたのですが
なぜかauのiPhoneテザリング、スピードが遅い、遅い。
ようやく終わってから鑑賞し始めたのですが、
こんどはぐいぐいと展示の数々に引き込まれていって
メッチャ面白くて、参った。
展示は歴史的な国宝級の名品と、現代の作品が対比的に並べられるという
まことにすばらしい演出であります。
たとえば、縄文の国宝・火焔土器と、江戸期の仁清の茶壷などと
現代の「人間国宝」の作品が時空を超えて対峙している。
おのずから、通底するものとしてのニッポン人の感受性が
大きく浮かび上がってくるような仕掛け。
安倍政権になってから反日的な中韓両国の動向とも相まって
ニッポンというものに回帰するような風潮がありますが、
そういうこととはまったく関係なく、やはりいいものはいい。
そこに展着された美意識のDNAには、あらがいがたいものがある。
どうしてニッポン人はこのような湿度の高い感受性を持ち続けてきたのか、
目の覚めるような思いがしてきます。

で、結局、最後は時間がなくて
駆け足になってしまって、大急ぎで会場を出て
上野から浜松町、羽田空港へと
こころに大きな塊を背負い込みながら
札幌まで帰還した次第であります。
ニッポンは、ほかのアジアの国、中国や朝鮮と違って
「職人」や「手業」に対する尊崇の念が強い国民性を持っている。
中国や朝鮮では儒教の必然から、体を使って働くということへの忌避の感情が
強いのに対して、まったく対称的。
そういう国民性の精華がこうした展示で見られると思います。
~~~、いい。

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高齢社会と「一生の仕事」

2014年02月10日 05時33分49秒 | Weblog


人間の一生の意味合いをあらわす価値観として
「一生涯を貫く仕事をもつ」という規範があると思います。
おとといの葬儀に参列して、現役のまま亡くなった若い方の無念の気持ちと
同時に、その仕事に賭けていた生き様を想起するとき、
それもまた、ある潔さを感じていました。

現代社会は、いろいろな決まり事によって運営されている。
いちばんの「決まり事」って、「法による支配」なのでしょう。
「悪法とはいえ、法である」という言葉がありますが、
「法治」ということを良く表現している。
そういう規範、法によって生きていく上で、
わたしたちは大多数が法人企業に属して経済活動を日常行うようになった。
資本主義社会では、そういう「生き方」が一般的な規範になる。
ところが、そこには「定年」と「年金制度」という両輪が存在して
強制的に、年齢という一律条件で労働市場から排除される仕組みになる。
自分自身の生き方として、「一生涯を貫く仕事をもつ」
という選択肢は、その自由度が制限されている。
それを拒む生き方としては、独立自営の困難さを受け入れるしかない。
しかしほんとうにそうか?
「定年」と「年金制度」という「法」が想定していたラインをはるかに超えて
科学医学の進化によって人類の高齢化が起こり、
人間の寿命についての「常識」が大きく変化したのに
法だけが、制度として残っているに過ぎないのではないか。
高齢化を迎えリタイヤせざるを得なくなって、
その後の生き方を考えておけ、というような刷り込みが行われているけれど
おかしいと思っている。
やはり「継続は力」なのだ。
それまでに積み上げてきたこと、経験に無理矢理断絶を強制することは
やはり理にかなってはいないだろう。

東京博物館で、「人間国宝展」を見てきた。
日本民族がこの社会の中で生み出してきた
さまざまなジャンルの中での精華を見続けていて
こうした思いをつくづくと感じていた。
熟練していく手業は、年齢条件とはほとんど関係がない。
人類が高齢化してきたのなら、
その最先端には新たな文化素地が育っていくに違いない。
いわば、「高齢社会文化」というべきものは、日本発の世界文化たる条件が
時間経過とともに高まってきていると思われるのですが、
みなさん、いかがでしょうか?
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東京大雪の日・蓋棺譜

2014年02月09日 06時24分17秒 | Weblog



きのうは、大急ぎで東京から札幌に帰ってくる要件であった
知人の通夜に参列させていただきました。
まだ若い方で、その経緯もよく聞いていたので
若い、惜しい、というような内語の言葉が繰り返されます。

昨年、病を患って入院された折、
見舞わせていただいておりました。
わたしの友人たちにもガンの患者は多く、みんなそこから結構長生きしている。
まったく復活しているひとも多い。
むかし一病息災といったが、ガンもそういう付き合いが可能なのでは、
というような思いもしてきていた。
だから、医者の言うことにきちんと従っていれば、というような
お話をした記憶がある。
しかしそのお話しの中で、「いろいろなところにもあって・・・」という
気になる点があったので、心配はしていた。
しかし「生存確率」云々の高さも語られ、明るく振る舞っていられた。
その後、退院できて仕事にも復帰する予定、のような消息も聞いていたので
ある程度、安心していた。
それが最近になって、再度入院することになったという知らせ。
そして、今回出張に出てすぐに死去の連絡を受けた次第。
まことにあわただしく、また痛恨の極みであります。

ひとの生き死には、いかんとも人為の及ばない部分がありますが、
やはり自分よりも若い方の死というのは、
大きな空洞をこころにもたらす部分がある。
葬儀委員長を務められた方もよく存じ上げている方で
そのあいさつでも、そういった言葉が聞かれました。
「まだおれは死にたくないんだ」と語っていたという
お話しが披露されていましたが、
まことに無念の思いを共有する次第。

しかし、考えてみると東京に居て
知らせを受けてから、すべて満席だった飛行機便にキャンセル空席が出て
それをタイミング良くゲットできて
東京の大雪にもかかわることなく通夜にも参列できたのって
これもなにか導かれるようなことだったのかもしれないと思います。
そんな雑感を抱きながら、謹んで参列させていただきました。
あらためて、合掌。

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