三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【さっぽろっ子の組石造建築への思い】

2019年03月19日 09時43分09秒 | Weblog
わが家は1991年に新築した主体構造、コンクリートブロック建築。
断熱的には「外断熱」が採用されて建築当時にはすでに技術的には
完成の段階にあった建築でした。
コンクリートブロックの主構造に対して外部側にさらにもう一重の
「外皮」が中間に板状断熱材をサンドイッチして仕上げられる。
この外皮は、とくにコンクリートブロックである必要はない。
そういうことで、キュービックな形態も含めて外皮側デザインを
混構造の木造部分も含めて追究した建物です。
わが家ではモダン素材として当時の先端的なガルバリウム鋼板と
対比的に煉瓦をコントラストさせることにした。
とくに煉瓦積みはその仕上がっていく過程も楽しかった。
本煉瓦一丁積みという積み方なんだそうですが、
北海道人として、煉瓦を施工できたことに格別のよろこびがあった。
以来、もう28年が経過した。建物は都合3回大改造したけれど、
原型のカタチへの愛着は強いモノがある。
設計者といっしょにあれこれの思いを共有した。
こうした石を積み上げて作る「組石造」には、
1箇1箇の石の表情というか、その正直な構造の表出が見られて
なんともいえない雰囲気があります。

北海道では木造建築の高断熱化より先にコンクリートブロック建築があった。
最初は地域に豊富な火山灰資源の有効活用としての地域材として
注目されたほかに、組石造の「気密施工」ぶりが寒冷地にふさわしいと考えられた。
それにさらに先行するカタチで「石山軟石」の建築群がある。
これは、明治の開拓期にアメリカからやってきた建築技師たちが、
札幌周辺で豊富に産出し、加工しやすい軟石を札幌市内南部の「石山」から
切りだして札幌まで運んできて建築材料として利用した。
そのための「国道」にはいまでも「石山街道」という名がついている。
この石山軟石も支笏湖カルデラ噴火の火山灰が凝結したモノ。
建築は地域で算出する素材を使うという定石通りの推移がそこにある。
そんな地域性から石山通に面した家で少年期を過ごしたわたしとしては、
組石造建築に、いろいろ思い入れがあるのですね。
この少年期の家では内部気候コントロールの必要な「もやし育成室」を
ブロックで作ったりもしていた。
そんなわたしなので、コンクリートブロックの建築物を見ると
無性に親近感を持って見入ってしまう習性が身についている次第。

先日、東京に行った折りに町田周辺の国道16号線沿いで信号待ちしていたら
写真のような組石造建築と遭遇。どうも建築関係の事務所建物。
周辺では常時渋滞が発生していて断続的な停車状態だったので
車中から写真に思わず収めた。デザインもなかなか秀逸。
実はこの場所周辺をクルマで通るのは2度目で、前回も気になっていた。
今回もやはり即座に目が行くのはなにか縁を感じる。
ということなので、一度確認してみたいと思っています。
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【暖冬の冬が終わろうとしている。・・・】

2019年03月18日 07時27分36秒 | Weblog
冬という季節はかわいそうなところがある。
春は早く来てくれと願うこころが多数派であり、
夏に向かって盛り上がって消えていく。
夏は気分も開放されていって、やりきれないほどの重量感で
人の心に強烈な印象をもたらして去って行く。
そして秋はさわやかにやってきて、もの悲しく去って行く。
冬はいつも歓迎されずにやってきて、
もっとひどいのは去り際にもノスタルジーが感じられないこと。
同じく厳しい季節だけれど、夏には「去って行く夏」をいとおしむロマンがある。
しかし冬にはそのような去り際の美のようなものがない。
北国ではこの季節、雪融けがどんどんと進んでいく。
それは「早春」という季節感ではあっても「冬の終わり」ではない。

ことしは1月は比較的に札幌にいる場合が多かったけれど
2月からは本州地区と札幌を往復しています。
そんなこともあって、札幌での季節感の印象が薄い。
ゆきまつり時期にはもっとも厳しい寒波、というアナウンスがあったけれど、
その時期はずっと本州にいたので実感がない。
積雪も平年値と比べて約1/3程度に推移してきています。
とくにゆきまつり以降、ほとんど寒波が来ていないし、
大雪も全くなかったようです。
事務所を移転しての初めての冬でしたが、
雪に関してはまったく拍子抜けするような冬だったと思います。
3月になっても「まだ、これからドカッとくる」という不安会話が
北海道人のお互いを戒める警句なのですが、
さすがにここまで来るとオオカミ少年気味になってくる(笑)。

ということで、わが家事務所前の道路上の岩盤雪も
徐々に勢力が後退してきて、時折帰ってきての雪割り程度で
現在状況はごらんのような後退ぶり。
ひとつながりだった氷河期の日本列島がだんだんと海進して
まるで津軽海峡のように陸地が分断されるようになる。
そうなるようにせっせと雪割りするのですが、
こうすれば省エネで雪融けが進むという北国人の知恵。
かわいそうなんですが、わたしも春の味方で
一生懸命に冬を追い出そうと頑張っております(笑)。
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【北海道・札幌の住宅市場は「先見性」がある?】

2019年03月17日 07時00分53秒 | Weblog
最近、東北をはじめ各地の「住宅マーケット」というものを
仔細に調査し続けているように思っています。
戸建て注文住宅というのがわたしどもの基本フィールドになるのですが、
住宅というのは当たり前ですが「土地の上に建てられる」。
したがって、地域性というものが不可欠な要素を構成する。
日本中、それこそ個別的でない住宅地域というのはあり得ない。
みなそれぞれに抜きがたい個別の違いを持っている。
そのうえで、次にどういう家を建てるということを考えるようになる。
こういった諸事情の複合的な結果として「住宅市場」が構成される。
この住宅市場を分析して、情報を創造していくのがわたしたちの仕事。
その過程では思わぬことがらが、決定的な要因になっていることに
ふいに気付いたりするようなこともまま、ある。

そんな日々を過ごしていて、
ひるがえって自分の本来のベース、北海道・札幌について
視線を変えてみるというようなこともある。
この地では明治の開拓期以来、積雪寒冷という自然条件への対応が
アプリオリに存在し続けてきた。
瓦屋根みたいな華奢な日本住宅文化はまっさきにダメ出しを食らった。
軒先に発生した氷柱をたたき落としたら、
この瓦屋根がもれなく滑落してきたのだとされる。
日本の伝統というモノがまったく通用しない、ということから
北海道では否応なく「フロンティア」として立ち向かうしかなかった。
そういう試行錯誤の結果、高断熱高気密という技術安定に至り、
まずはこのことが基盤を形成した。
一方でこの1年、南幌町での地域工務店+建築家の住宅展示場を
地方自治体の北海道が大きく支援するというような
まったく他地域では想像もつかないような事例ができたりする。
積雪寒冷という条件を克服する過程で
北海道庁や、その外郭団体・北総研などの研究開発が
地域の工務店・ビルダーを広範に巻き込んでいわば
「住宅運動」的に盛り上がってきたことが、
こういった未曾有のような事態も環境整備してきたとはいえる。
実際にこうした工務店組織が協力しなければ、
高断熱高気密技術の進展、開発はあり得なかった。
このような「住宅市場」というのは、やはりかなり「先進的」。
公的機関がこうした地域の作り手を直接にバックアップするのは
まず、例がなかなかないだろうと思われます。
そして、こうした先進性から生み出される技術だけではなく、
「住文化」というのはどんなものになっていくのか、
いまはそういったフェーズに移ってきているように思われてならない。
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【移動、対話、ホテル。激変した現代人間環境】

2019年03月16日 07時22分47秒 | Weblog
仕事の関係から、わたしはいまは2拠点で暮らしています。
まぁ仙台が多いのですが、札幌とそれ以外地域とに半分ずついる。
考えてみれば、多拠点で仕事しているので当然ですね。
頻度の多寡はあってもずっとそういう仕事生活を選択してきた。
こういうスタイルを続けてきたのには
やはり移動コストの劇的な低下ということが要因として大きい。
とくに飛行機移動が大きくコストダウンした。
トータルで考えれば20〜30年間スパンで半減以下ではと思う。
それとビジネスホテルというものの普及発展も大きい。
東横インとかルートインとか、そういうビジネスホテルスタイルの一般化。
それによって旧来の「シティホテル」というものは衰退したけれど、
「宿泊可能ベッド総数」は劇的に増えてきたのではないか。
さらにインターネットの普及によって、
全国どこにいても常時接続環境がおおむね担保されたことも大きい。
インターネット普及初期、常時接続できるということから
どこでもLAN配線されていた東横インによく宿泊した記憶がある。
人間環境というものが、移動手段のコストダウンがあり、
「つながる、対話する」手段が多様に実現できた。
いまどきは移動するクルマの中から社内会議に参加することも可能。
さらにビジネスホテル的ライフパッケージの習慣化が同時進行した。
建築家の倉本龍彦さんの文章で、ホテルのシングルルームの思想、
というか、人間生理のライフパッケージ機能解説を聞いて
膝を打って同意させられたことがあったけれど、
まさに全国どこでもそれなりに「充足」できる体験共有化が進んだ。
たしかにスケジューリングは面倒な面があるけれど、
そういったものにもそれこそインターネットが便利な環境を
提供してきて、簡便な予約調整機能が実現している。

そういう現代人の経験値蓄積が与ってか「2拠点生活」というような選択も
人間の暮らし方として一般化する可能性が言われている。
とくにリタイヤしてからの暮らし方ではそういうのもありだろう。
すでにそういった暮らし方をしている友人も出てきている。
どうなるのだろうか、しかし全体はまだ不明だと思う。
こういう時代になってしかし、住宅というものの価値感は
いったいどのように変化して行くのだろうか、とは思う。
わたしの場合も、やはり札幌の拠点に戻ったときには
安息というか、より深い眠りに容易に落ちていく感覚がある。
移動が日常化してその環境が進化していくほどに
むしろホームグラウンド・自宅の価値が高まる可能性も高い。
自宅にいる時間の幸福感というものが、より深く感じられるのだ。
さらなる幸福感の深化のためにそこに投資が行われる、
そういった可能性もあると思われる。
人間環境の総体的変化がどういう展開になるか、オモシロい。
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【情報世界の「GAFA」支配は新・帝国主義か】

2019年03月15日 07時58分27秒 | Weblog
きのう朝から、っていうか深夜から
Facebookがアクセス不良になっていた。
わたしは多くのみなさん向けにブログ情報発信しているのですが、
その基本的拡散ツールとしてFacebookを使っている。
毎朝、文字数1000以上のコンテンツを作成して、きのうもアップしようとした。
そうしたら、キャンナット。Facebook表示にすら異常に時間が掛かる。
WordPressからの投稿連携も機能していませんというアラート。
やむなく早朝のアップを諦めて仙台に出張に出掛けた。
新千歳空港に着いた11時半くらいの段階でようやくアップさせられた。
わたしがサイト不良をチェックしたのが早朝3時頃でしたから
都合7−8時間、WEB上のひとつのコミュニティが機能不全を起こしていた。
その後、丸1日程度の時間が経過していますが、
Facebook側からは今回の事故の原因について発表がない。
途中、早い段階でたぶん数時間後、
「これはサイバーテロではない」というアナウンスがあったとされている。
現在のFacebook利用者は全世界で22億人というように言われる。
かなり広範な「情報インフラ」が事実上、特定の私企業によって担われている。

このような現代世界は、アメリカのクリントン政権によって
かなり恣意的に作られてきた世界だと思います。
同時進行で、クリントン政権は日本の経済成長バッシングを行い、
その「構造協議」によって日本は独自のOS開発も事実上放棄させられた。
現在の米中貿易戦争に先行した世界史的事実だと思います。
生きている時間の中で、あのような軍事を圧力基盤にした恫喝を
目の当たりにしたと思ったけれど、
基本的な安保を依存させられた環境であってみれば、
あの当時の日本の対米交渉結果はやむを得なかったでしょう。
その後、アメリカではITが巨大産業化していった。
その結果、いまの「GAFA」と言われるIT独占企業群による
情報世界上での私企業支配が公然と行われてきている。
しかし、こういった状況ははたして永続性が担保できるのか、
きのうの状況を見ていて強く疑問を持たされた。
とはいえ、ほかにどのような選択肢もなく、情報は握られ続けるしかない。
現代の権力は情報という分野で全世界がほぼ単一の帝国主義的支配。
まぁ比較的に民主的な外貌をもってひとびとに接してきているし、
政治権力からも民衆からも一定の批判があって、監視機能は機能している。
かれらはアメリカ企業であり、それなりの民主主義を持っているが、
今後ともそうであり続けるのか,担保は心許ない。
そういう世界に対してより悪い権力操作の権化のような
中国共産党独裁国家体制下ではもっと悪質な運用がされている。

こういった情報世界のインフラについて
どう考えていったらいいのか、世界史はふたたび難しい問題と
やがて正面から向き合わざるを得なくなるだろう。
そういった怖れの予感を感じておりました。・・・
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【全国から工務店さん北海道研修集中時期】

2019年03月14日 08時11分30秒 | Weblog
この時期は札幌で地元建材商社さんが一斉に「展示会」を開催。
寒冷地仕様、省エネ志向の建材などについて
ユニークな建材が出品されるという北海道マーケットなので、
東北地域をはじめ、全国の工務店ビルダーさんが札幌に研修に来られます。
北海道は日本の中ではいちばん寒い地域なので
住宅技術についてやむなく寒冷対応、省エネ技術が高まらざるを得ない。
そういった当たり前の「競争」が日々革新されている。
北海道は他の世界の寒冷地、北欧北米、さらにロシアなどとの
いろいろな交流が盛んで、そういう北方圏住宅技術についての
相互交流も活発なので、自然に日本における「窓口」にもなる。
以前、ドイツの住宅政策担当者一行が全国を回ってから北海道に来られて
「ようやくふつうの会話が成立する(笑)」というような発言もあった。
ヨーロッパでも同様のようで、北欧地域が開発した寒冷地技術が
ドイツ・イギリスなどの中欧地域に拡散しつつあるのが現段階。
ただ、影響可能な人口規模で見たら、
北欧には⒌−6億のEU地域があり、北米カナダには
アメリカという人口2−3億の地域が存在しているけれど
日本単体では1億程度に留まらざるを得ない。
なので、こういった寒冷気候対応住宅技術はロシアや、
中国北東地域、韓半島地域さらには南方アジア地域
などへの拡散努力も今後は必要になるでしょうね。
北海道庁が最近ロシアとの住宅技術交流にも取り組んできていることは
今後の技術拡散、影響力拡大にも意義が高いものと思います。

で、日本国内からもことしはこれまでよりもたくさん来られている印象。
その時期の話題の住宅、建物に見学に来られるのですね。
きのうブログで書いた棟晶さんのモデルなど、
数多くの事例に来場されますが、当社にも多くのみなさんが見学に。
こういった応接を通して情報交流の機会が生まれるので
たいへん重要な接触機会だと思います。
わたしたちが地域として取り組んできた住宅技術革新、それをふまえた
空間デザインの変化、進化について総体として見ていただくのは
たいへん重要なことだといつも思っています。
写真のような10名ほどのご一行様が福島県から来られた。
情報交流では北海道のマーケット状況の他に、東北地域の状況も交えて
活発に意見交換させていただきました。
とくに今回のみなさんは若い「2代目、次世代のビルダー」が中心。
今後の地域の中での生き残りをどうしていくか、
非常に敏感に感じ取っている様子が伝わってきました。
大いに「協働」していければという思いを強くした次第です。
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【コスパのいい空間活用2.5×6間の寸法感】

2019年03月13日 07時27分56秒 | Weblog



さてシリーズっぽく紹介してきた札幌のビルダー・棟晶さんの
「新住協プロトタイプ2.5×6間」タイプ取材ですが、
拙ブログを見て「ぜひこの建物をみたい」という希望を寄せられた
宮城県大崎のビルダー・高橋建設・高橋社長がきのう来札されたので、
ご案内する名目でわたし自身も2.5×6間空間寸法の体験の
いい機会と考えて訪問してきました。お忙しいなか、
お付き合いいただいた棟晶・斉藤さんありがとうございました。

ということで、わたしがいちばん気になっていた空間に
みんなで座っての空間いごこちチェックであります(笑)。
<図面左の赤⬇部分スペース>
斉藤さんのお話では、当初は食堂と見立てていたスペースとのこと。
しかしやや寸法が足らない感じなので、鎌田紀彦先生から
家事室スペースに用途変更指定が来て、
壁にも奥行き60cmのテーブル板を嵌め込んだということでした。
でも実際に大の大人が3人で入り込んで見ましたが、
奥行き80cm超ほどのテーブルを挟んで対面していて、
そう大きく違和感は感じられなかった。
本格的に対面型の奥行きの狭めの定置座椅子を双方に配置して
テーブルを70-75cm程度に収めれば、
コンパクトな食卓、現代茶室、茶の間という用途利用に
ムリはないと感じられました。食堂店舗で見られるボックス席感覚。
むしろ、人と人の距離が親近感を増幅させるような印象を持った。
その場合、奥の壁に嵌め込んだ面板は60から45程度にカットしたい。
最近のドンキホーテなどの商業店舗でも狭さが
大きく意味を持ってきている現実を見ると、
住宅でも広さ拡大追究に見直しがあってもいいように思われた。
これも最近、わたし自身が住宅面積が2人で83坪から
2人で25坪弱にコンパクト化した体験からも有効と感じる次第。
この食に関わる住まいの「コアスペース」の感覚を受容すると、
残余の2.5×6間寸法の空間が、たいへん機能的と感じられました。
住まいのなかでの空間の密度にほどよいオンオフができて
狭さと広さにメリハリ、コントラストが効いてくると気付く。
狭めの空間にも人の心理にプラスに働く面があると。
考えてみればこれは戦国期に千利休さんが試してきたことでもある。
茶を喫し、食をたのしむ空間として日本の寸法感覚は進化した。
そういえばちゃぶ台円形テーブルなどの合理的空間感覚も
日本人は民族性として持っている。
上の写真は対面しているキッチン側から撮影しましたが、
手前側には配膳可能な平面も確保されているので、
食の空間としての機能性は十分に満たされているといえます。

で、そこが決まると、他のスペースは想像以上に広く感じる。
図面左側2階の⬇部分は子供室想定の個室2つですが、
こっちも両方向から使える収納家具造作を挟んでほどよいスペース感。
面積的には「約4.2畳大」ということですが、ベッド・机が入って
ちょうどいい感じに収まりそうですし、
反対側の夫婦寝室との間には階段を取り込んだ開放空間が広がる。
前回体感できなかった空間スパンが、少人数でしっかり確認できました。
聞いたら、さっそく売却が決定もしたそうですし、
いろいろな反響も出てきているとされていた。
新住協鎌田先生はいま4間4間プランに集中されているそうですが、
さぁ、ユーザーと市場はどう判断するのか、
興味が深まってきております。
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【柱を縄で編み上げる心理ってなんだろうか?】

2019年03月12日 07時54分57秒 | Weblog
写真は宮城県大崎市内での新築住宅事例から。
県産の杉で柱梁が構成された木質たっぷりの家でしたが、
なんと、写真のように丸太の柱の1本には
ごらんのように縄が巻き上げられていた。
施主さんは大工職の方で、各所でモノづくりマインドが感じられたのですが、
そのなかでもまことに驚かされた光景でした。

実はわが家でも新築した28年前、
1階から3階までの「螺旋階段」を鉄製で作って玄関吹き抜けに立てた。
1階部分は踏み板はなくて、2−3階部分を上下させる機能。
で、1階部分には鉄の柱が剥き出しにあらわれることになる。
他はコンクリートブロックと木質内装なので、
ややハードな印象をあたえることに配慮して、
その鉄柱の印象を緩和させる意味で「縄で巻き上げた」。
このプランを提案された設計者からは
「アルバー・アアルトの作品でこういうのがありまして・・・」
ということだったけれど、
そのときは、アアルトさんって日本趣味が相当強いんだと思った。
アアルトは北欧フィンランドの代表的建築家としてとくに北海道では
なかば神話のような作り手として伝承されてきている。
そういう欧米文化圏の人間にとって、
こういった縄を柱に巻き上げるという営為の根源的動機が不明だと思った。
日本人であれば注連縄文化があり、縄になにか仮託する精神性が存在する。
だから、アアルトは同時代かちょっと前の芸術家たちが
大きく日本文化に傾倒していた流れから、いわば憧憬から
こういった柱への縄被覆を思い至ったのではないかと想像したのです。
最近、絵画の鑑賞をしてきて西洋社会の日本文化への衝撃は
相当のことだったことを知るようになったのですね。
たぶんメンタルとしては日本人の縄というものへの精神性にリスペクトし
インスピレーションとして空間に配置してみたくなったのではないでしょうか。
日本はロシアの軍事力に圧迫され続けてきた北欧人には
日露戦争でロシアを叩き潰した事実から親日の気分があるとも言われます。

そんなことどもが、宮城県北部の住宅取材時に
一気にアタマのなかで再生されていた(笑)。
ここでは柱は県産の野太いスギ材であり、素材同士の馴染みもいい。
ただし、愛ネコたちがじゃれつくらしく、ところどころほころんでもいる。
そういう風情も、しかしなかなか心に伝わる空間の個性になっている。
縄って、視覚に入ってくると「手ざわり感」がハンパなく伝わる。
空間を「引き締める」効果がたしかに強い。
先人たちが神聖空間に対して縄でデザインしてきたのには
強い郷愁感がそこにあるということなのでしょうか?
縄は人類が自然に手を掛けて作り出した原初的素材でもある。
作り手のメンタルを持った施主さんと会話が弾んでいました。・・・
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【住まいに「移動・シェア」概念は生まれるか?】

2019年03月11日 09時07分13秒 | Weblog
CO-LIVINGというのだそうです。
複数の住宅間を移動しながら暮らすというスタイル。

定額で複数の家に住めるコリビングサービス「ADDress」が
2019年4月に登場、会員受付開始というアナウンス。
空き家や古民家、別荘など使われていない物件を活用して
コストを抑え水回りやキッチンは快適に利用できるようリノベーション。
シェアハウスと同様に個室が用意されており、
リビングなどの共有スペースでは、ほかの会員や地域住人との交流も
楽しめるようになっている。物件にはサービスアパートメントや
ホテルのようにアメニティや家具はそろっており快適な空間としてケアされる。
2019年4月から、5カ所の物件でADDressのサービス第1弾を開始予定。
月額4万円からの定額で、共益費もコミコミで、どの拠点にも住める
というコリビングサービスを提供していくとのこと。
この新アイデアビジネスを立ち上げたのは佐別当隆志サンという人で、
2017年からは内閣官房シェアリングエコノミー伝道師として任命を受け、
シェアリングエコノミーの普及・啓発にも携わっているという、
公私全面で「シェアリングエコノミー」にどっぷりと関わっている人物。
<以上、TechCrunch JapanというITメディアから要旨抜粋>

どうもいまのところツッコミどころ満載なんですが、
アイデアとして、地方の空き家対策に悩んでいる政府側として
こういった動きが広がっていくことは歓迎なのでしょう。
わたし自身も最近は頻繁に札幌ー東北・関東の往復生活であり、
こと仕事については、どこででもノートパソコンがあれば基本的には
事足りてはいます。いわば仕事では在宅ワークというか、
移動と仕事連絡はシェアすることが可能とあると思っています。
よく朝の会議に移動中の車内から参加することもしている。
重要な案件に限らず、スタッフと日常的コミュニケーションも取れる。
通信とIT化の進展でこういった環境が得られていることは事実。
ただし、どうしても育成とか教育とかの仕事は難しい。
そういう部分の「仕事」環境についてはやはり定点的な
習熟していく環境というのがある程度は必須だと思います。
人から聞く、見て憶える、刺激を受けるということは
やはり集まって顔を見ながら話すことから始まるでしょう。
IT系企業や考え方の最大の弱点として人的継続性については
やや疑問が多いのではと感じています。
・・・わたし自身はまだこういった仕事のシェアリングレベルで
あれこれと試行錯誤している段階。
一方で住宅では2拠点居住というムーブメントについて先般触れた。
このような「シェアリング」の動きが早晩、
「いちばん重たい」住宅マーケットにも影響してくる可能性はある。
しかし、前段で触れたように「ツッコミどころ」は多い。
この主導者の方は、そもそもシェアハウスで知り合った女性と
結婚されたとかで、こういう暮らし方に「愛着」を持たれている様子。
そういう愛着と、その土地、その地域、オリジナルな空間という
住生活本来の「愛着」がどう折り合いがつくのか,つかないのか、
注意深く見ていきたいと思います。
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【岩合光昭さんへの憧れ、ネコへの目線】

2019年03月10日 05時52分40秒 | Weblog
別にわたしはネコの愛玩趣味は強くはないのですが、
娘はずっと愛ネコ家で「ピーチャン」と名付けたヤツと共生している。
ときどき一時的同居をするけれど、
ネコには「一宿一飯の恩義」という概念はないらしく
こっちにそのようなそぶりを見せるかわいらしさは持ち合わせていない。
唯我独尊、自分というモノに非常に素直に生きている。
わたしの方は多少は愛情も感じてはいるけれど、
あちらの方は、まったくそういうそぶりも見せてくれない。
生暖かいような微温的空気感がそこにある。
そんなことなので、どんなネコとも仲良くなって会話しているような
岩合光昭さんの「世界のネコ」たちの様子映像には
心底、強い憧れを感じさせていただいている。
できればかくありたい、でもピーチャンからは冷たくされる(笑)。
という不条理な関係がわたしのネコ族との現状。

最近は取材先でペット類との遭遇が頻繁であります。
個人的な印象ではすごく増えてきているように感じますが、
どうなんでしょうか。
写真はつい先日、その家の空気感の完全な支配者に収まっている
ネコ2匹の生態であります。
下の写真の方のヤツはかなりの老齢ということらしく、
ほぼ体を動かす意欲を喪失したようなヤツ。
もう一方の方は、他人のわたしが来ているのにもかかわらず
堂々と大の字でひっくり返って腹をまる見せで寝ている。
つくづくネコというのは我が道を行くなのだなぁと。
同じペットでもイヌの方はやたらとコミュニケーションを取ってくる。
動物種として、こうまで違うモノかと感心させられる。
まぁしかし、徐々にこういうふうにネコへの関心が
高まってきているのは、
かれらの「魅力・魔力」に徐々に陥らされてきているのか(笑)。
不安ながら、そのダークサイドに目覚めつつあるのかも。
岩合さんにならないように、ときどきホッペを叩いております(笑)。
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