マディソン・スマート・ベル『ゼロ・デシベル』
表紙には、ニューヨークのダイナーが描かれている。
カウンターに座る男性は中折れ帽をかぶっていて、外にはクラシカルなアメリカ車のテールランプが見える。
白い帯を外すと、絵の上下は黒一色。映画館の中に足を踏み入れたのかと錯覚するほど、突然ダイナーが浮かび上がってくる。スクリーンに映し出された古い時代の物語を見ている気分になる。
11ある短編のいくつかは映画のようでもある。
南部の畜産農家を描いた物語は描写が丁寧で、登場人物は感情をあまり表さない。
文章には無駄がなく、抑揚があり、ときに冷たい氷を一瞬に溶かしてしまうような熱さを感じる。
一方で、自身がブルックリンへ引っ越したことを元に書いたと思われる文章は、情緒的で切なくなる。
マンハッタン、ブルックリン、ニューアーク、プリンストンを、著者と思われる男は歩く。おそらく80年代。表紙の絵ほどではないが、少し前のアメリカの街の空気を感じられる。
著者と思われる男は、どこにいても自分を見失っているように見える。専心できることが見つからないからなのか、どこか投げやりだ。
けれども、それは若い時期に当然のようについてくるものかもしれない。この数年後、男がどこを歩いているのか知りたくなる。
残念なことに、マディソン・スマート・ベルの小説は翻訳が少ない。1冊にまとまったものは、この『ゼロ・デシベル』だけのようだ。
1991年に出版されたこの本は、古書店で探すか図書館で見つけないと読むことができない。
新しい翻訳を待っているのは、ぼく1人ではないはずだ。
装画はレッド・グルームス。表紙の絵は、エドワード・ホッパー『Nighthawks』のオマージュ。(2020)