つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町から追悼。

2011年12月08日 23時58分59秒 | 日記
「今日の一枚」は「津幡町勤労者会館」のポストに貼ってあるステッカー。
いわゆる「憲法9条問題」に関わる主張だ。

『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
 これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』

…日本国憲法 第二章「戦争の放棄」第9条は、そう謳っている。

言葉は便利だが万能ではない。
受け取り方によって解釈に違いが生じる。
だからこの条文を巡る議論は絶えない。
平和は万国共通の望みだが、それを得るためには「力」が必要なのか否か。
力無き正義は無能なのか否か。
皆さんは、どう思うだろうか。

…と、そんな事を考えてしまうのは12月8日だから。
1941年(昭和16年)の今日、日本はアメリカに宣戦を布告。
ハワイの「真珠湾攻撃」に奇襲を敢行。
多くの命を散らす太平洋戦争(大東亜戦争)の幕が切って落とされた、
ネガティブな記念日なのだ。

そして、もう1つ思い浮かぶのは「ジョン・レノン」の命日でもある。

「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」
「ジョージ・ハリソン」「リンゴ・スター」。
「ザ・ビートルズ」が登場するまで、
演奏者自身の手によるソングライティングというのは、稀なケース。
作り手と担い手の分業制が普通だった音楽の現場で、
自作自演のオリジナル・ヒットを連発したのは「ビートルズ」が初めて。
メンバー全員が楽器を演奏しながら歌うというスタイルも、当時は斬新。
更に、シングル・リリース中心の音楽市場で、
アルバムセールスの成功を収めたのも「ビートルズ」が元祖。
リバプールの不良少年たちは、世の中の尺度を変えた。
特に、その中心で一際輝いていたのが「ジョン・レノン」という天才。
彼は、日本人の前衛アーティスト「オノ・ヨーコ」と結婚し、
ベトナム戦争まっただ中で、平和を訴える様々な活動を行った。
例えば…
 
<『WAR IS OVER! IF YOU WANT IT.』『戦争は終わる、あなたが望めば。』>

1980年、名曲「スターティング・オーバー」を含むアルバム
「ダブルファンタジー」を発売し5年ぶりに再出発した「ジョン・レノン」。
しかし、同じ年の12月8日、
ニューヨークの自宅前で、凶弾に倒れた。
ポップミュージック、ポップカルチャーに革命を起こし、
社会に影響を与えてきた偉大なる才能の突然の終焉であった。

 

「ジョン・レノン」の魅力の1つは【悲劇の主人公】である事。
そして、時が経っても色あせることのない、ジョンの曲、ジョンの思い。
混沌とした今だからこそ、彼の存在が必要なのかもしれない。
過去から届けられるメッセージに耳を傾け、
失われてしまった命に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
コメント
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