つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

戸田式、紹介。

2016年11月20日 19時45分47秒 | 日記
最近「ふれあい広場」入口に、
新しい案内看板が設置されている事に気が付いた。

広場の場所は、津幡銀座中央商店街の中ほど。
看板に向かって左側の建物は「ベンリー津幡店」。
その反対側の建物は「北國銀行津幡支店」。
画面最奥の建物は「津幡小学校」である。

ガイド内容はご覧の通り、比較的新しい3つの施設だ。
「津幡ふるさと歴史館 れきしる」は、拙ブログの過去に投稿済み。
 興味のある方は、トップページのブログ内検索にて記事を探し、ご覧いただきたい。
「科学の小径」については、次回以降に譲る。
今回ピックアップしたいのは「まちなか科学館」だ。

オープンは2年前の秋。
スーパーマーケット「カジマート中央店」跡地を利用した施設である。
主に子供向けの「実験室」や「水生動物ミニ水族館」、
「科学に関する写真」の展示コーナーなどを整備。
時折、ワークショップも開催しているらしい。
…先日、散歩途中に立ち寄ってみた。

<↑館内の様子↓>

展示物の中に、前回投稿した「久世ベローズ」の寄贈による「パズル」を発見。

近所の小学生が遊びに興じていた。

…と、彼の肩越しに一枚のパネルが目に留まる。

「戸田式 火起こし器」!?

タイトル上には『旧日本兵のジャングル生活から火起こしを学ぶ』とある。
…ムムム。
ちょっぴり妖しげで興味をそそる。
実物がコレだ!

『横井正一さん・小野田寛郎さんから、火起こしというものを学びました。
 現代ではマッチやライターを火起こしに使っています。
 しかし、戦争によって急にジャングルに追い込まれた日本兵が、
 どのようにして火種を手に入れたか知りたくて、
 名古屋まで会いに行かれました。
 2年後、小野田寛郎さんが帰ってこられましたが、
 すぐにブラジルへ移住され、その機を失いましたが、
 1983年、戸田先生は「どうやって火起こしをしたのか」をどうしても知りたくて、
 小野田さんが住むブラジルへ手紙を出しました。
 すぐに返事が届き、その秘訣が分かり、火起こしを徹底的なものにしました。』
(※説明文/パネル原文のママ)

昭和生まれには懐かしい「残留日本兵」に教えを請い、
火起こし器を考案した「戸田さん」は、お隣・富山県の出身。
どんな道のりを経て「まちなか科学館」に並んだのかは不明ながら、
何らかの縁あっての事。
機会があれば、間近でご覧になってみて下さい。
コメント
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