前回は、亡母との思い出として「牛首トンネル」での体験を投稿したが、
今回は、いわばその続編。
津幡町「河合谷(かわいだに)」を取り上げてみたい。
能登の最南部、津幡町の最北部に位置する「河合谷」。
木窪川(きのくぼがわ)と瓜生川(うりゅうがわ)、
二本の川が合流する地点を「河合」といい、地名になったと伝わる。
【河合谷村は「山五ヶ村」と称し独立性の強い地域であった】
--- とは「津幡町史」の記載。
津幡町に編入するまでは「羽咋郡 河合谷村」。
更にそれ以前は、大田村、下河合村、上河合村、牛首村、瓜生村に分かれていた。
能登、越中、加賀と境を接するだけに、3方向の干渉・交流はあっただろうし、
どこに接近するかは思惑が割れただろう。
また、山深い地域で豊富な森林資源を背景に自主性も高かったと推測する。
そんな河合谷には「禁酒の碑」なるものがある。
【大正15年(1926年)に当時の河合谷村長であった
森山忠省(もりやま・ちゅうしょう)氏の提唱で、
老朽化した河合谷小学校の改築費45,000円を捻出するため、
村をあげての禁酒が実施され、それを知らせるために建てられたものです。
村民が毎日酒を飲んだつもりで5銭以上貯金し、予定通り費用を工面しました。
校舎の完成後も、禁酒は20年間にわたって続けられました。
当時の新聞で報道されると、多くの激励と賛辞が寄せられ、
海外からも取材がくるほど話題になりました。
村の長老によると、当時どうしても飲みたい人は、
村の外の集落まで行っていたそうです。
また、村に8軒あった酒店は、禁酒によって自主廃業したそうです。】
(※津幡町観光ガイドより引用、一部編集して記載)
地元の「意気込み」「気概」を感じる逸話に始まった小学校だが、
少子高齢化、過疎化の流れには逆らえず、平成20年(2008年)閉校。
133年の歴史に幕を下ろした。
その敷地に、新しい施設が誕生したのは今年、2021年の夏である。
令和3年(2021年)6月に完成した
「河愛(かわい)の里 Kinschule(キンシューレ)」。
名称の由来はもちろん禁酒の美談だ。
外観は旧河合谷小の木造校舎をイメージし、外壁と内装の腰壁には河合谷産の杉を使用。
研修やスポーツ合宿などの利用を想定し、
いろりの間やプレールーム、ナイター照明付きグラウンドを備える。
しかし、グランドオープン直後、新型コロナステージ4、まん防適用に伴い臨時休業。
ようやく通常運営となった。
施設内のレストランで小休止。
「河合谷産はちみつ」のレモネードをいただく。
美味かった。
他にも、イワナ、アユ、ホンモロコ、真菰、猪肉などを使った地産メニューが並ぶ。
興味があり、時間と都合が許すなら足を運んでみてはいかがだろうか。
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