つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

美は文明の賜。

2019年03月16日 23時10分02秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第百六弾は「古(いにしえ)のエジプト女性」。

世界史の授業で習った、古代「四大文明」の舞台とされている場所は、
いずれも大河流域である。
水の恵みを活かした農耕や牧畜によって営みが安定し、多少のゆとりを手に入れてこそ、
人知が進み、精神的、物質的に生活が豊かになり「文明」が生まれる。
中でも“ナイルの賜”と呼ばれる「古代エジプト」のそれは、つとに有名だ。

太陽の運行を基準にした暦(こよみ)。
ピラミッドに代表される、土木建築技術。
数学と統計学。
象形文字(ヒエログリフ)。
英語のPAPERの語源になったパピルス。
中央集権と官僚、租税制度。
死後の世界観とミイラ。

思いつくまま幾つもの例が挙がり、高度に発達していた事が分かる。
今から5,000年以上昔へ思いを馳せるのは、歴史の醍醐味。
人々はどんな暮らしをしていたのか興味が湧く。
特に、女性はさぞ美人だったに違いない。

壁画などで見かけるように、アイライン・アイシャドーの類で目の周りを縁取り、
日常的に香油を嗜んでいたそうだ。
それは、砂漠地帯の強い陽射しを和らげるため、乾燥から肌を護るためといった、
必要性に迫られての側面もあるそうだが、
目鼻立ちが際立ち、いい香りのする女性は、何とも魅力的である。
叶うなら、お目にかかってみたいものだ。

人は衣食足りて礼節を知り、美が宿る。
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311、2019。

2019年03月11日 07時53分34秒 | 日記
区切りではなく、節目。
2011年3月11日から、8年が経った。
「東日本大震災」は、あの日に起こった天災というだけではない。
あの日に始まり、今も続いている災害である。

東日本大震災から8年


あの日を境に、日本は変わった。
耐震、免震。
防災、保障。
新たな意識が芽生え、物心両面に亘り、様々な取り組みが行われている。
わが津幡町でも、それは同じだ。

思い出す機会が減るのは致し方ない。
しかし、忘れ去ってはいけない。
対岸の火事ではない。
何時、何処でも起こりうるのだ。
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石灯籠から歴史考察。~昭和7年あたり。

2019年03月10日 22時16分45秒 | これは昭和と言えるだろう。
今(3月10日・夜)、外は雨が降っている。
比較的暖かな様子から、冬の終わりを実感。
先日(3月6日)は、二十四節気の1つ「啓蟄」だった。
しかし、前々回の投稿にも記した通り、
本来のタイミング・・・旧暦に照らし合わせると、実際はもう少々遅い。
やはり、虫たちは渋っているようだ。

見つけたのは「ハラビロカマキリ」の「卵嚢(らんのう)」。
スポンジ状の嚢(ふくろ)に護られた中では、
卵が本格的な春の訪れを待っている。

・・・ところで、固着した場所が「赤っぽい」のがお分かりだろうか?
離れて撮影してみる。

卵嚢が産み付けられたのは「清水八幡神社」の「石灯籠」。
素材は「赤戸室(あかとむろ)」である。

金沢市街地の中心から東南へおよそ8km。
「戸室山(とむろやま)」と、隣接する「キゴ山(やま)」に産するのが「戸室石」。
40万年あまり前、地表付近に噴出したマグマが冷えて形成された。
噴出のときの酸化作用で赤くなったのが赤戸室。
逆に青く色づいたのが青戸室と呼ばれている。
花崗岩より加工しやすく、凝灰岩より強度があり、硬軟兼ね備えた石材で、
古くから、石垣、基礎石、庭石など、様々に用いられてきた。

改めて、しげしげと造形を眺めてみる。
大ぶりで竿が高い、いわゆる「春日型」。
土台近くには寄贈者の名前が彫ってある。
そして、建立年も刻まれていた。
時を遡る事87年・・・「昭和七年」だ。

日本の傀儡国家、「満州国」の建国宣言。
陸海青年将校によるクーデター、「五・一五事件」。
第10回「ロサンゼルス五輪」で金メダルラッシュ。
「ナチス」がドイツ議会の第一党に進出。

世界大恐慌~満州事変~日中戦争~第二次世界大戦へ。
歴史の歯車がギシギシと音を立てて動いていた当時、
先達たちはこの町でどんな暮らしを営み、
どんな願いを込めてこの灯篭を建てたのだろうか。
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歴史考察、本津幡駅辺り。

2019年03月09日 15時01分28秒 | 鉄道
僕が暮らす石川県・津幡町には、5つの駅がある。

津幡駅。
倶利伽羅駅(無人)。
中津幡駅(無人)。
本津幡駅。
能瀬駅(無人)。

散歩の寄り道ポイントであり、拙ブログにも度々登場するように、
個人的な最寄り駅は「本津幡駅」だ。

明治31年(1898年)春、「七尾鉄道」開業当初の起点「津幡仮停車場」として開業。
路線が現在の津幡駅まで延伸し北陸本線と接続した後、
明治40年(1907年)秋に国有化し、民営化を経て今に至る。

120余年の歴史の中で、大きな転換は、昭和50年(1975年)の春。
「貨物の取扱廃止」ではないだろうか。
加賀の突端・津幡と、能登の拠点・七尾を結ぶ「七尾線」は、そもそも「貨客」が主眼。
大陸との「日本海貿易」を担う七尾港への物流パイプとして建設が始まったと聞く。
故に、貨物輸送の終わりは「一時代の終わり」を象徴する出来事だ。

思い起こせば、まだ、僕が子供だった頃。
夜更けに、本津幡駅を通過する貨物列車の音を聞いた記憶がある。
何分も続く規則正しいレール音から、車列の長さが容易に推し量れた。
現在、そんな往時の面影をかろうじて留めるのは、
「液化ガス充てん工場」かもしれない。

赤い列車の奥、「〇通」のタンクがあるここは「日通エネルギー北陸株式会社」。
日通プロパン販売会社として、昭和43年(1968年)に設立された。
当初の社名は「株式会社マルツ」。
(津幡の「津」を円で囲んだ「〇ツ」が由来か?)
まったくの想像なのだが・・・。
かつては「引き込み線」があったのではないかと思う。
周辺の道幅は、大型タンクローリーが出入りするには不向きな狭さ。
やはり、鉄道貨物運搬を前提にした立地ではないだろうか?
どなたか、このあたりの事情に詳しい方がいらっしゃれば、
是非教えていただければ幸いです。

さて、散策を続けるうち「大きな装置」が目に留まった。

やけに大きな滑車で、見るからに重そうなコンクリート塊を吊るすコレは、
「滑車式バランサー」という。
電車の屋根上にある集電装置(パンタグラフ)と接する電車線は、
温度によって張力が変化する。
集電を安定させるためには、電車線の張力が一定であることが望ましい。
また、電車線とパンタグラフが同じ状着でないと、電車線の摩耗が早まる。
そこで、電車線の張力を一定に保つバランサー(張力自動調整装置)の出番。
オモリと滑車の原理を利用する滑車式、バネ式、油圧式などがある。

平成3年(1991年)秋、七尾線が電化する以前は、なかった。
これも、本津幡駅120余年の歴史において、大きな転換を象徴するモノだろう。
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一歩先行く花の宴。

2019年03月03日 21時00分56秒 | 賭けたり競ったり
本日(2019年3月3日)は「桃の節句」だが、
本来のタイミング・・・旧暦に照らし合わせると現在は1月下旬。
太陽暦のカレンダーなら、4月初旬がその頃に当たる。

最近、巷で見かける花は「梅」。
やがて桃が咲き、続いて桜、そしてツツジへとバトンが渡れば、春爛漫。
・・・そのツツジ、以前、拙ブログに記したとおり、わが「津幡町の花」。
町内の彼方こちらで自生・栽培されている。
時期になると街路を彩り、大いに目を楽しませてくれるが、まだ花の気配には程遠い。
開花はGWまで待たねばならない。

しかし、暦より一足も二足も早く、満開を迎えるところがある。
それは、三重県津市の「津競艇場」。
午後4時半すぎ、開設66周年記念「G1つつじ賞王座決定戦」優勝戦が行われる。

ツツジは「津市の花」でもある。
『ツツジは、偕楽公園や青山高原を始め、里山から街中まで広く市内で見られ、
 市民に親しまれています。
 なお、ツツジには多くの種類がありますが、総称としての「ツツジ」としました。』
(※同市HPより抜粋)
「津競艇」の主催者は津市。
多くの種類』の1つが『競艇』という訳だ。

僕は「津競艇」へ、2度足を運んだ事がある。
「旅行」カテゴリー、2017年1月28日/31日掲載分、
「賭けたり、競ったり、旅したり。~2017睦月・津」に詳しい。
ご興味があれば、覗いてやって下さい。

さて、優勝戦である。
つつじ賞王座へ名乗りを上げたのは、この6戦士。

1号艇:瓜生  正義(福岡)
2号艇:峰   竜太(佐賀)
3号艇:毒島   誠(群馬)
4号艇:茅原  悠紀(岡山)
5号艇:濱野谷 憲吾(東京)
6号艇:松田  祐季(福井)

嬉しいことにエールを送る「毒島」もいる。
正直、今節のモーターは機力劣勢。
よくぞここまで辿り着いたと思う。
優勝に手が届くかどうかは怪しい。
だが、この後に控えるSGへ向けてリズムアップを期待する。
頑張れ!ブス!!

それにしても、豪華メンバーの中に「三重支部」がいないのは寂しい。
きのうの準優には12人中5人が名を連ねたが、いずれも敗退。
結果は致し方ないが、散り方が良くなかった。
地元開催の気概を感じたのは「新田」のみ。
もちろん、それぞれが考えあっての戦いだったとは思うが、
執念が滲む「熱いレース」が見たかった。

<追記/21:00>
3月3日3号艇祭りならず!
結着、1-4-2。
残念!!
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