イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

寒川さんへご報告と感謝に伺いました

2023年07月09日 20時30分22秒 | 私のパワースポット

雨が降ったり止んだり、そして蒸し暑い日でした。
ある用事を済ませようと家を出ると
またパラパラ雨が降り出しました。

先日届いたお祓いのお札(水無月)を祀るにあたり、
それまで祀っていたお札をお焚き上げ頂く為に
このあと寒川さんに参る予定だったので
天候を司る神様に心の中で

「行き帰り雨に降られませんように」と
お願いしました。
お陰様で寒川さんの行き帰り
(往復自転車で70分の間)雨には降られず

この日グレーの雲で覆われていた空は帰宅する時には
くっきり青空が見えていて

清々しい思いでした。

この半年のご報告と感謝もお伝えしました。

混雑なく今回もゆっくり神様にご報告できました。
引いたお御籤は大吉でご神託はこれからを示唆頂いているような
有難い内容でした。
寒川さん参拝のあとは、宮山神社へ参りました。

有難いことに私だけだったので
ゆっくりご報告と感謝をお伝えさせて頂きました。

宮山神社の鳥居をくぐる時、サーッと心地よい風が吹き抜け、
手を合わせご報告をしている間、それは続き
神様が歓迎して下さっていると感じさせられました。
ご挨拶が終わり、宮山神社をあとにしようとした時、
丁度、
権宮司(紫の袴に柄)と思われる方がいらっしゃり、
これも何かの巡りあわせと感じ、
参拝者がいなかったので

宮山神社のあることについてお教え頂こうと
お声をかけさせて頂きました。
思いがけず色々なお話をして下さいました。

宮山神社の木々は「いかにも造りました」
というという感じではなく
自然をいかし、
さりげなく そこにある感じで(私の印象ですが)

私は毎回その清々しいご神域に癒して頂くのですが
やはり、植木職人の方曰く、いかにも、という感じで
木々を植えてはいないことが
今回お話を伺い分かりました。

また、植木職人さん曰く、
ここ(寒川さんと宮山神社の周囲)は

風の流れが違う、と仰られているそうです。
そのお話の流れで権宮司様が更に
「これはある方が仰っていたのですが
神様は風であると」と伺った時 鳥肌が経ち
ふいに風神雷神が浮かび 迎え風が浮かびました。
風は私にとって最も身近であり
切り離せない関係です。

中学、高校、社会人でも陸上部に所属し
走っていました。(トラック競技)

記録は風に左右されます。

今から13年前の5月にblogを立ち上げた時

ふと降りてきた屋号は「風の伝う道」であり、
blog名は「イタリアの風に吹かれて」で
いずれも意図したわけではないのですが
「風」が入っていました。

この名前はとても気に入っています。

そして、狙ったわけでもないのですが、
今、長かった地の時代が終わり
風の時代に入り、
私にとって風は当に切っても切れない
有難い関係と気づかされています。

気づけば権宮司様と宮山神社のご神域で20分
有難いお話を伺っていました。

連日のジリジリと肌を刺すような
猛暑も気にならず、
35分の道中、
爽やかな気持ちで自転車を漕げました。

小学生の頃から殆ど変わらない
寒川町の のどかな景色。

稲刈り後、干上がった田んぼに
敷き詰められたシロツメグサで冠を編み、

通る相模線を眺めた懐かしい思い出。

弟の名前は寒川さんでつけて貰い、

父が亡くなる直前入院したのも
寒川さん経営の病院、

日付が変わり元旦になると、
公民館に集合し 町内の皆さんと
歩いて
寒川さんへ初詣に向かった思い出。

大人になった今も変わらず
寒川さんを身近に感じ
見守って頂いている有難さを
折に触れ
感じさせられる私にとって
寒川さんは親しみのある
鎮守様のようなあたたかな存在なの
です。