イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

命、輝く

2011年10月30日 16時06分23秒 | ドキュメンタリー

Pa302648

毎週欠かさず見るまたは録画している

 『ザ・ノンフィクション』という番組があります。

毎回爽やかな感動や考えさせられることなど

 心揺さぶられています。

   今日はALSを発症し余命宣告を受けた

  フランキ・マリア・さわのさん(54)という方の

~まりあのニューヨーク~ 死ぬまでに逢いたい人 でした。

友人にとても恵まれている、バイタリティー溢れる彼女は

  身体の自由が きかなくなっていく中で、

  友人の協力も得、バリバリと仕事をしていた街、

  愛する人と暮らしたことのある

    ニューヨークへと向いました。

  その旅の目的はかつてのご主人に逢って

 「ありがとう」の言葉とお別れを告げる為でした。

   かつてのご主人は再婚されていましたが、

   まりあさんの事前のメールでの申し出を快諾され、

まりあさんと友人の泊まるホテルに逢いに来てくれました。

 20年ぶりの再会は穏やかで、温かな素敵なもので、

 私まで胸が熱くなり、涙がはらはらこぼれ落ちました。

  以前読んだ本に、人は命の灯火が消えいる前に、

 【ありがとう】と【ごめんなさい】という2つの言葉を

  言えなかった事を悔いる、というのがありました。

   【ありがとう】と【ごめんなさい】を、

  素直に伝えられる人でありたい、と私は思います。

   【ごめんなさい】 を 言うことを

    とっても嫌がる人をお見かけしますが(笑)、

  私はですが【ごめんなさい】という言葉は決して

    相手にひれ伏す事でもなけば降伏したあかしではないと、

      思っています。心を込めて【ありがとう】を、

     軽やかに【ご免なさい】を言える人で在りたいと思います。

 

   感動的な再会から数ヵ月経ったある日、彼女は

    搬送される車中の中で、振り絞るような声で

     これから長期療養出来る、

    終の住みかとなる病院へ向うことを告げていました。

   それはホスピス病棟も兼ねた東京、清瀬市にある

     救世軍 清瀬病院 でした。

   彼女はこの病院で、心あるスタッフ達に見守られ、

  命を輝かせて 最後まで 彼女らしく生き抜きました。

   僅かでしたが、彼女と笑顔で接するスタッフの

    心のこもった、あたたかな遣り取りを見た時

     感動で胸が一杯になりました。

   私は弱虫で、泣き虫で、いくじがないので

    人の命と日々向き合う現場には、

   この身を置きこの身を捧げることはできません。

だからこそ余計に命と向き合うお仕事をなされる方々に 

   深く頭が下がると共に ご尊敬申し上げています。

   また皆様の芯の強さ笑顔を美しく感じます。

今回もそこに確かな【愛】を見せて頂いた気が致しました。

  そしてこれまでぼんやりとイメージしていた事が

 【私がさせて頂きたいことはこれだった・・・・】とい

   確信へと 繋がりました。

神様、私をあなたの愛の道具としてお使い頂けますか?

 


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