12/21 茂原へ。 なんとか今年中にと思っていた母の所へやっと行ってきました。
妹は8時ごろ、私は9時ごろに家を出て、施設にはお昼近くに着きました。
刈り取られた近くの田んぼは、いちめんの淡黄色になってーー。
車いすを押して一階の食堂まで行き、一緒にランチをしました。
妹が母の好物を持ってきてくれていました。
薄く切った林檎、お酒に漬け、とろとろに熟した大きなカキ。(洋菓子のような甘さがした。)
そして、フナの甘露煮。
めったに口にできない、お蕎麦や、昔ながらの好物を目の前に、
ほんの一口ずつを口に含み、感に堪えないように天を仰ぎ、「おいしいねえ」
そばは、前日に妹の夫が打ってくれたそうだ。細やかな心遣いがありがたい。
妹と写真を見る。
食事の後、若い男性の職員の方が、「ウメさん、ご家族が来てくれてよかったですねえ。紹介してください」
少し戸惑うので、「三女の〇子。長女の△子」と母にいうと、
「そうだったっけねえ、もう、どっちが上だったか、下だったかわからなくなってしまったわよ」
耳は遠いけれど、近くで大きな声で言えばわかる。
手紙を読むのは、大丈夫だという。
「ぼくも、時々読ませてもらっているんですよ」
そうだ、職員さんへの言葉も書いたら、楽しいかも。
「お母さん、軽井沢の暮らしで、何が楽しかった?」
「うーん、何だったかねえ」
「キノコ採りとか、クリひろいとか、ウド堀りとか・・・」
「そういう楽しみもあったねえ~」
昔のこともだんだん薄れていく記憶。
私たちも同じ。縁のないことは遠く、人の名前も、聞かれたとたんに、思い出せなくなったり・・・。
母は何とか自分で食べ、顔の色つやもよく、97歳にしてはしっかりしている方だと思う。
出来ること、良いことを数えていきたい。
施設の職員の方たち、弟たち、妹たち、その他に支えられて母は日々を過ごしている。
「お母さん、元気でね。風邪ひかないようにね。また、来年、来るから」
「らいねん、ね」
骨ばった、はるかに柔らかくなった母の手と握手して帰ってきた。