こんなことは誰も書いていないと思うので、ささやかな記録としてーー。
むかし昔のことです。浅間山の麓に小さな学校がありました。1年生から6年生まで、全校生徒は90人ほど。
私たちは、軽井沢東小学校千ヶ滝分校 と呼んでいました。
運動会などの行事の時は、高学年は、1時間半くらいも歩いて、本校に合流するので、大変だったことを憶えています。
何にしろ、今でいう中軽井沢までは歩いて40分、さらに国道18号線に沿って軽井沢方面に同じくらい歩かないと行けません。
春 夏 秋 冬
フデリンドウとオキナグサ
野菊の歌
野兎の仔
秋の山は明るい
ビルさんのこと
[カルメン故郷に帰る]
三つの愛
芹が沢
浅間葡萄
等々のことについて。
ただ、覚え書きのつもり。
今は軽井沢は小学校は3つですね。
山地ばかりといっても軽井沢氣東京23区と面積が同じですから少ないなと・・・
芹ケ沢、発地や茂沢の子は大変だろうなと思います。
梅さきぬ
梅さきぬ 高き梢に 梅さきぬ 朝日子に
花三四 的礫(てきれき)と 蕊(しべ)は黄に 香はほのか (三好達治)
上の記事には河津桜や梅の花・・・
そちらはもう春の息吹ですね。
今朝もマエナス10℃以下・・・
浅間の白さが眩しい日が続きそうです。
上のコメントはオコジョでした。
分校の周りには自然がいっぱい。
芹が沢へドジョウを取りに行ったり、
徒党をくんで遊び回りました。今は昔。
わきの川は浅く、長靴で軽々渡ることが出来て、石をめくるとカジカがいました。
分校は、後に中部小学校に統合され、妹たちはバス通学になりました。
中学校になると、さらに遥か彼方から通ってくる生徒もいて、たいへんだなあと。大日向とか茂沢など。
その当時は、その遠さがまだ実感できていませんでしたが・・・。
三好達治の詩、教えてくださりありがとうございます。
白梅もさきはじめました。まさに、<的礫(てきれき)と >ですね。
自然はまだきびしいけれど、
室内の暖かさは、まさに力ですね。
小諸はまだ白い世界でしょうか。
どうぞお大切にお過ごしください。