中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

卒業式

2007-03-12 09:15:53 | 身辺雑記
 卒業式の季節である。今年もたくさんの児童、生徒、学生達が卒業していく。もう早々に済ませた学校もあるだろう。

 私自身は卒業式とはほとんど縁がなかった。宮城県の鳴子町の集団疎開先から転校した大阪府豊島(てしま)郡(現豊中市)の小学校には1年足らずしか在籍しなかったし、敗戦の翌春のことで、どのような卒業式だったのか記憶にない。その頃の先生もクラスメート達もまったく覚えていない。中学校は滋賀県大津市の旧制膳所中学だった。3年生のときに学制改革があり、市内の中学校、高等女学校、商業学校、工業学校その他が1校に統合され、翌年はそのまま高校に移行したから卒業式があったのやら、これも記憶にない。高校の卒業式の時は広島に大学受験に行き、第一次合格発表のために滞在していたから母が出席した。大学の卒業式は意識的に欠席したように思う。もうその頃には儀式を敬遠する性向があったのかも知れない。

 そういうことで、高校に就職した翌年の卒業式は、私にとっては物珍しい印象のものだった。当時、卒業式の時期は昨今よりも気温が低く、体育館兼講堂の中は冷蔵庫のようで、3学年全員の現在よりもかなり多い生徒達が発する熱気でどうにか過ごせることができた。式は型どおり厳粛に進行し、最後は定番の「仰げば尊し」や「蛍の光」の斉唱になり、涙する卒業生も出たり、やっと式も終わりかというほっとしたような空気も流れるのだが、その前に私がまったく知らなかった歌が歌われた。2番しかない短い歌だが、静かな美しい曲で初めて聞いた私はとても感動した。当時の生徒達は遠足の時など何かにつけよく歌い、入学すると学校か生徒自治会かが編集した歌集が配られたが、その歌集に確か「分袖」という名でその歌が載っていた。メンデルスゾーン作曲で、次のような歌詞だった。作詞者は知らないが、歌詞からすると、おそらくメンデルスゾーンの曲を借りて卒業式のために作られたものだろう。   

 1.緑萌え出で     
   花は近く
   学びの窓に
   春は還る
 
 2.三歳(みとせ)の月日
   夢と流れ
   別れの朝は
   はや来たりぬ 

  

 今では歌われなくなっているが、当時はあちこちの高校の卒業式で歌われていたようだ。私は、普段は教師をあまり仰ぎ見ているようには思えない生徒達が歌うと、何かしら落ち着かなくなる出だしの「仰げば尊し」よりも、短いがしみじみした情感のあるこの歌のほうが好きで、また復活すればいいのにと思っているが、しみじみとした情感などは今時の卒業式の雰囲気にそぐわなくなったのかも知れない。

 今年巣立つ、小学生から大学生までの多くの卒業生達の前途が多幸であるように。