中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

正月も終わり

2008-01-07 11:22:15 | 身辺雑記
 今日から学校は3学期。公務員は4日が仕事始めだったし、この日に始まった企業もあっただろう。私の長男や東京の施路敏の会社は今日から仕事始めだが、このように長い正月休みのところもあったようだ。ふるさとや海外へ出かけた人達はもうとっくにUターンした。デパートなどは元日から開店しているし、多くの店は4日に開けた。

 私自身がそうではないので、近頃は「お屠蘇気分」などと言うものがあるのだろうかと思うことがある。正月と言っても何となく慌しいと言うよりも、大晦日、元旦、3が日というメリハリのようなものが薄れてきたように思う。デパートが元日から店を開けるようなことは以前にはなかった。それがある大手スーパーが元日営業を始めてからはデパートまでがそれに習うようになった。元日くらいゆっくり休めばいいのに、お客様のためだとか何とか理屈をつけても結局は抜け駆けで儲けようということじゃないか、そんなせこいことをやるから、あのスーパーは没落してしまったんだと誰かが言っているのを聞いたことがある。その当否はともかくとして、やはり従業員にも家で元旦を迎えさせるくらいのゆとりがあってもいいじゃないかとも思う。もっとも鉄道などの輸送機関などでのように、年末年始でも通常と変わらないように働いている人達がたくさんいる。そのようなところはそれが当たり前なのだが、そうでないところは、そのような人達に感謝しながら、正月のようなハレの日にはめでたく過ごせばいい。

 昔はどこでもそうだったと思うが、私の父も年末年始のメリハリを大切にした。大晦日に真夜中が近づくと、グラスを用意し、自分は酒かワインを、子どもたちにはジュースなどを注いで除夜の鐘を聞きながら年明けを待った。年が明けると家族一同[おめでとうございます]と言って乾杯する。本当にその途端に、何か変化が起こったという気分になったものだ。

 元旦は少し朝寝をし、家族の者が皆起きて揃うと、母の手作りのおせちと雑煮を前にして、父が大切にしていた宮中のご下賜の品とやらの銀杯で順番に屠蘇酒を飲んだ。その屠蘇酒も、父が年末に用意したものだ。もう一度新年の挨拶をして、またまた新鮮な気分になった。

 こんな風景は以前はどこの家庭でもあったと思う。何もかも新しくなった気分で元旦を迎えるのはとてもすがすがしいものだった。今では、このような雰囲気も次第に薄れてきていると聞く。ある新聞の1面コラムに現代っ子の食生活を「ニワトリ症候群」と呼ぶそうだと書いてあった。独りで食べる「孤食」、朝食を抜く「欠食」、家族がばらばらなものを食べる「個食」、好きなものばかり食べる「固食」でコケコッコとなるからだと言う。私もトリ年のせいか、最近はその傾向があるが、伸び盛りの子ども達にとっては笑えない現象だ。私の場合は独居だから仕方がないこともあるが、そうでなければ、せめて正月くらいはコケコッコではないようにするべきだろう。

 今日7日で松の内は終わり、松飾りなどは片付けられる。ハレの日は終わりである。以前は15日までが松の内だったが、近頃は半分に短縮してしまった。松の内の間ずっと休むことはないから、7日間であろうと15日間であろうとどうでもいいようなものだが、いつからこうなったのか、15日間ではだらだらしてけじめがないと言うのか、ここでもやはり現代風と言うか、気ぜわしいものを感じる。

 今年の正月も終わった。特に感慨らしいものがないのも今時の風潮に慣れてしまったからだろうか。毎年のことだが、1月は去(い)ぬ、2月は逃げる、3月は去るなどと言って、これからはどんどん日が過ぎていくことだろう。