電車の中で、ある劇団の公演のポスターを見た。その中に次のような言葉があった。
生きるって 生きているって なんて素晴らしいことなんだろう
いじめの問題に正面から取り組んだ時代劇だということだ。それを見ていると、ふと教師時代の脳の働きの授業のことを思い出した。その時には人間の「生きている」と「生きていく」とは違うと言い、「生きている」ということは、意識がなくなり重態になった状態うでもある状態だし、アメーバーでも生きている、「生きていく」ということは大脳の前頭葉を使った能動的な生き方だと話した。このポスターの演劇は、もちろん積極的に生きることをテーマにしたものだろう。
中国語で生きるは活(フォア)と言う。この字は日本語でも使うが、概して「生きる」を使う。以前、中国の有名な女優の鞏俐(コン・リ)が演じた「活着フォアチュ」(邦題「活きる」)という映画があった。40年代から80年代にかけての、元は資産家であり博打で財産を失った男とその妻の波乱に満ちた生き方を描いたもので、邦題の「活きる」は「生きる」よりもいいと思われるものだった。
この夫婦には息子と娘がいたが、息子は50年代のある日に事故死し、聾唖の娘は文化大革命のさなかに出産し、10代の紅衛兵の看護人ばかりの病院で出血多量のために子どもを残して死ぬという不幸に見舞われる。息子は国が推進する集会の夜に外の石垣にもたれて眠っているところを、父親の親友の党の幹部が誤って轢き殺してしまう。葬儀も終わってから、憔悴したその友人が訪れて来て詫びるが、母親は責めようとしない。そして悄然として帰っていく男の背後から、「活着(活きるのよ)」と呼びかける。我が子を失いながら、なお男を励ます母親の言葉は短いが強く心に残った。この夫婦はその後、遺された孫を育てながら豊かではないが静かに生きていく。
私は今年、70代の半ばにさしかかる。思えば長く生きて来たものだ。功成り名を遂げてと人に言われ、自分でも誇れるほどの輝かしいものではなく、平凡なものだった。つまずいたこともあったし、悩んだこともあったが、一応は積極的に生きてきたつもりだ。悔いはないことはないが、舌打ちするほどのことでもない。問題はこれからだ。かねがね75歳を老後の最初の大きな壁と考えてきたから、これをどのように乗り越えるかだ。幸い頑健ではないが、まずまず健康だし、若い頃からの好奇心はまだ衰えていないから、何とか壁を乗り越えようと思っている。妻が逝って以来、死というものをかなり淡白に考えられるようになってはいるが、まだもう少し後でと思っている。それまでは、とにかく活きていこう。
生きるって 生きているって なんて素晴らしいことなんだろう
いじめの問題に正面から取り組んだ時代劇だということだ。それを見ていると、ふと教師時代の脳の働きの授業のことを思い出した。その時には人間の「生きている」と「生きていく」とは違うと言い、「生きている」ということは、意識がなくなり重態になった状態うでもある状態だし、アメーバーでも生きている、「生きていく」ということは大脳の前頭葉を使った能動的な生き方だと話した。このポスターの演劇は、もちろん積極的に生きることをテーマにしたものだろう。
中国語で生きるは活(フォア)と言う。この字は日本語でも使うが、概して「生きる」を使う。以前、中国の有名な女優の鞏俐(コン・リ)が演じた「活着フォアチュ」(邦題「活きる」)という映画があった。40年代から80年代にかけての、元は資産家であり博打で財産を失った男とその妻の波乱に満ちた生き方を描いたもので、邦題の「活きる」は「生きる」よりもいいと思われるものだった。
この夫婦には息子と娘がいたが、息子は50年代のある日に事故死し、聾唖の娘は文化大革命のさなかに出産し、10代の紅衛兵の看護人ばかりの病院で出血多量のために子どもを残して死ぬという不幸に見舞われる。息子は国が推進する集会の夜に外の石垣にもたれて眠っているところを、父親の親友の党の幹部が誤って轢き殺してしまう。葬儀も終わってから、憔悴したその友人が訪れて来て詫びるが、母親は責めようとしない。そして悄然として帰っていく男の背後から、「活着(活きるのよ)」と呼びかける。我が子を失いながら、なお男を励ます母親の言葉は短いが強く心に残った。この夫婦はその後、遺された孫を育てながら豊かではないが静かに生きていく。
私は今年、70代の半ばにさしかかる。思えば長く生きて来たものだ。功成り名を遂げてと人に言われ、自分でも誇れるほどの輝かしいものではなく、平凡なものだった。つまずいたこともあったし、悩んだこともあったが、一応は積極的に生きてきたつもりだ。悔いはないことはないが、舌打ちするほどのことでもない。問題はこれからだ。かねがね75歳を老後の最初の大きな壁と考えてきたから、これをどのように乗り越えるかだ。幸い頑健ではないが、まずまず健康だし、若い頃からの好奇心はまだ衰えていないから、何とか壁を乗り越えようと思っている。妻が逝って以来、死というものをかなり淡白に考えられるようになってはいるが、まだもう少し後でと思っている。それまでは、とにかく活きていこう。