中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

好きでない言葉

2008-01-13 10:52:29 | 身辺雑記
  「声楽学科卒の才媛が魅せた!」。インタネットでニュースを見ていたら、こんな見出しがあった。

 開いてみると、人気急上昇中とやらのグラビアアイドル、声楽学科卒業なのだそうだが、最近DVDを発売したという内容だった。「B85・W59・H86の肢体をゆるゆるシャツや男性用タンクトップ、バスローブに包んだ大胆ショットの連続で」とあって、これが「魅せた!」ということらしい。

 パソコンで「みせる」を入力すると確かに「魅せる」とも変換されるし、広辞苑には「魅せる」はなくても「魅する」はあるから、別に文句のつけようのない真っ当な言葉であることは間違いない。実際「魅せられたように見入っていた」という言い方もある。しかし、これは私のまったくの偏見なのだが、「魅せた」という言い方には何かしら引っかかるものを感じてしまった。普段の会話にはあまり使わないこともあるが、スポーツ新聞の見出しなどではよく見かけるので、それがどうやら違和感の原因らしい。

 スポーツ新聞の記事には造語が多い。プロ野球のセリーグで首位争いが激烈になると、「乱世」に引っ掛けて「乱セ」とするように、語呂合わせ、駄洒落の類で、いちいち目くじらを立てるほどではないが、さりとて、うまいなあと感心するほどでもない。中にはそのスポーツのことをよく知っていないと、すぐには意味が分からないものもある。ちょっとしつこいと思わせるくらいよく目にするし、若い人が見るとそれが正しい表記だと思ってしまわないかと思うこともある。スポーツ新聞だけでなく、近頃は一般新聞のスポーツ欄でもこの種のものが見られる。そんなことで「魅せた」も語感から、「魅惑的に見せた」と言いたいのを「魅」と「見」とを引っ掛けた類のように思ったのは勝手な思い込みで、浅学を露呈したようなものだった。

 言葉は時代とともに変化するから、新しい言い方は急激に増えているようだが、どうにも付いていけないし、嫌いだと思うものも少なくない。それにこれまでは誤用とされていた言い方が市民権を得てしまう例もあるから、私程度のものが言葉についてあれこれ好き嫌いを言っても所詮は蟷螂の斧でしかないだろう。
 
  「魅せる」がまともな言葉であることは分かった。好きでないと思ったのは単なる偏見でもあった。だが頑固なようだが、やはり「声楽学科卒の才媛が魅せた!」というような表現にはどこか釈然としないものを感じて好きになれないのは、これはもうどうにもならんと肩をすくめられそうなことだ。