西安の李真に聞いたことがあるが、中国には「裸体官員」という言葉があるそうだ。略して「裸官」、新語の1つらしい。中国では大きな汚職に手を染めた役人は死刑になることもある。そこで汚職官僚は職権を利用して蓄財し、まず妻子を海外に移住させる。頃合を見て自分も海外に逃亡し、外国籍を取得したり定住したりする。もちろん蓄財した金は海外の銀行などに預金する。このような悪質、悪辣な腐敗官僚を「裸官」と言うわけだ。海外逃亡した汚職官僚は4000名以上、流失金額の総計は50億ドルに上るとも言われている。彼らの中には海外で妻子ともども優雅な生活をしている者が多いようだ。「裸」とは、捕まるところがない、後ろ髪を引かれる思いがないという意味だそうだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1112&f=column_1112_007.shtml
西安の李真や謝俊麗と話していても、賄賂などは当然あると思っていることが分かる。李真によれば、学校の教師も賄賂を取るようだ。とにかく何か口利きをしてもらう時には金銭の授受が当然なのは、これは中国の「文化」なのかも知れない。もっともその点では日本でも、前に大分県での教員採用試験にかかわる賄賂の問題などもあったから、あまり大きなことは言えないのかも知れない。それに公務員などの収賄は中国に限らず、かなりの国であるようだが、中国の場合は桁外れのようにも思える。国としては恥ずべきことだ。
俊麗は、中国のミルクが危険だということを憤って、政府もおかしい、一時は日本製のミルクまで差し止めた、いったい中国人は中国をどうするつもりなのだろうと言った。私が賄賂があるのだろうと言うと、絶対にあると言ったが、何か納得できない処置の裏には必ず賄賂があると考えているのだろう。どこか冷めたような感じだが、その底には、政府や役人に対する軽蔑と不信感があるように思える。彼女達のようにまじめな庶民の思いを政府が真剣に受け止めて、本気になって腐敗撲滅に動くのはいつのことなのだろうか。それとも4千年の「伝統」は強固なもので、「百年河清を俟つ」と言うことなのか。恥ずべき伝統で、いくら経済大国と胸を張っていても、品性の上では三流ではないか。