中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

職場での英語の使用

2011-01-27 10:02:37 | 身辺雑記

 私がとっている新聞の「生活」のページに、時折「職場のホ・ン・ネ」という投稿欄が出る。いろいろな職場で働く人の「つぶやき」くらいの短い文で結構面白い。最近そこに採り上げられていた投稿を紹介する。30代の女性会社員のものだが短いのでぜん全文を引く。

 

 今やいずこも「グローバル」の大合唱。社内公用語が英語になる企業も多い。我が社でも、英語のできるできないが評価の尺度になりつつある。朝の定例ミーティングを英語にしようという提案も了承された。たいして仕事ができなかった帰国子女の同僚が、英語を武器に幅を利かせてきた。社内のあいさつも「ハロー」になりかねない勢いだ。英語も大事だけど、「英語よりも敬語を!」と声を大にしたい、英語力ゼロの私である。

 

 この企業、どのような業種で欧米との関係もどの程度あるのか分からないし、これまでも社員の英語力がどの程度だったのかも分からない。どういう理由で朝のミーティングを英語にしようなどと考えたのだろうか。社長以下幹部の思い付きなのか。企業での朝のミーティングの内容というのもよく分からないが、簡単な挨拶、事務連絡程度で、それなら英語でとなったのかも知れないが、もし重要な伝達、確認事項があるのならば、やはり日本語でやるほうが意思の疎通が徹底するのではないだろうか。

 

 英語力がこれからの多くの企業で必要とされているようであることは理解できる。だから本当に社員が英語に堪能であることが必要なのであれば、入社試験も英語でやればいいし、面接も流暢に英語を話すことができる幹部が担当すればいい。もちろん「わが社はこれからは英語で行く!」と意気込むのならば社内での研修にも力を入れるべきだろう。社内の挨拶が「ハロー」になるような子ども騙しのことではすまないはずだ。以前あるハンバーガーショップで、客の注文を受けた店員が奥の厨房にそれを伝える、奥から応答があると「サンキュー」と言っていた。そのように指導されたのだろうが、何やら取って付けたようで、日本人同士がなぜ「サンキュー」なのかと、むず痒いような気がしたものだ。

 

 本来、企業で社員に求められるものは、その企業の経営のために必要な資質や技術、能力なので、単なる意志伝達の手段である言葉としての英語が最重要ではあるまい。言葉はもちろん非常に大切なものではあるが、それだけに、まず英語よりも日本語の力を磨くことを心がけるべきだろう。貧弱な日本語の語彙、使い方で、外国語が話せるはずもない。

 

 かく言う私の英語力は、まことにお粗末なものだ。私の経歴では英語を必要としなかったこともあって、どうしても使わなければならない場面に遭遇した時には、四苦八苦してブロークンで済ませた。そのような私がいい年になって急に、職場ではこれからは英語でいくと決められたら、きっと困惑し混乱するだろう。上に挙げた投書の女性の職場にもそういう年配者はいるはずで同情する。私のような者はもはや時代遅れなのだろうが、英語が話せることで一頭他に抜きん出ていると思うのも滑稽な錯覚だろう。