学校や教師に対しては批判が多い。もちろん学校や教師のあり方に方に問題があることも少なくないのだが、一方ではモンスター・ペアレントの存在など教師に対して理不尽な攻撃をする親もいるし、例えば新型インフルエンザが発生したときには海外に修学旅行に行った学校に対して陰湿な電話攻撃をするなど、不寛容な社会の空気もある。
そういう状況の中で、学校や教師はどうしても防衛的になるから、外に向かっては個人情報の保護を盾にしてしまうのだろうが、それはしばしば行き過ぎではないかと思われることもある。前にも書いたことがあるが、交通事故遺児に奨学金を贈っている団体が、対象学生の有無を学校に問い合わせても個人情報だからと教えてくれないので困っていることがあった。
かつては学校では生徒名簿や連絡表を作っていたが、最近ではこれも個人情報だからということで作られないようだ。学校だけでなく、卒業生のクラス会の名簿も個人情報だから作れなくて連絡に困ると、私がかつて担任していたクラスの世話役がこぼしていた。
卒業生で医師のK君は、街頭などでの署名活動には応じないようだ。氏名と住所を書けば個人情報を公開することになるからということらしい。彼は医師だから個人情報の秘匿について慎重になるのは職業倫理上当然のことだが、しかし民主社会の市民としての意思表示の一つである署名活動への署名も個人情報だからと拒否することには私は理解できない。
私が住んでいる町には週に1回、生活協同組合の共同購入日があって、生協の車が来てカタログと注文票を配る。その注文票に記入して渡すと翌週注文した物品を届けてくれる。申し込みしない時はカタログを返却すると引き取ってくれる。一度カタログと一緒に注文票も返したら、個人情報ですからと言って受け取ってくれなかった。注文票には氏名、住所、組合員番号などが印字されているから、なるほど個人情報には間違いない。しかし注文票は生協で作ったもので、それを返却したらなぜ個人情報だからと言って受け取らないのか理解できなかった。何か「個人情報」という言葉が独り歩きしているような気がするし、黄門様の印籠のようにそれさえ言えば天下御免で通用してしまうような感じもする。
前に、ある知人のブログに祭の写真が紹介されていたが、だんじり(関西地方の祭礼の曳物)を曳く人たちを皆後ろから撮っていて、個人情報を配慮してと言うことだったが、そこまでしなくてはならないものかと、これも理解できなかった。
このように神経質なほどの個人情報保護の風潮だが、一方ではいろいろなカタログが送りつけられてきたり、商品などの電話勧誘も多い。このような私の個人情報はどこから知られたものだろうかと不審に思うことはよくある。
もちろん個人情報の保護は大切なことで、病院で管理するカルテや、企業などの顧客名簿が流出するようなことはあってはならない。だからと言って何もかも個人情報だと済ましてしまうのも行き過ぎではないか。
個人情報の保護に関する法律(略称は個人情報保護法)は2003年(平成15年)5月23日に成立し、2005年(平成17年)4月1日に全面施行された。この法案が国会に出された時には反対もあったようだし、何としても通したいとする、ある民間の大きな勢力があって、その意図に胡散臭いものを感じさせるということも一部では言われたようだ。