血液型と性格については前(2008年8月8日)にも書いたので、採録する。
卒業生などに(女性が多いが)時々「AB型でしょう」などと聞かれることがある、「O型だよ」と答えると「あれ、おかしいな」というような表情をしたり、何型かと聞かれてO型だというと「やっぱり」と納得したりする。もちろん、血液型で私の性格を推測しているのだ。タレントや俳優、スポーツ選手などの有名人の紹介を見ると、必ず「血液型 B型、 星座 天秤座」などとある。私はこのようなことには疎く、血液型は医学上の問題として知ってはいるが、星座などは知らない。以前興味半分で見たことがあったのだが、覚える気はなかったから曖昧だ。
星座占いなどは日本だけでなく、欧米でも人気があるようだ、もともとは欧米生まれだろうから当然だろうが、今では中国の若者も興味を持っているようだ。他にも生年月日で性格や運勢を判断したり占ったりするのもある。しかし血液型による性格判断は日本独特のものらしい。米国人に血液型を尋ねたりすると不審がられるか気味悪がられると聞いたことがある。血液型占いは1970年代の高度経済成長期に大流行して以来、すっかり日本の社会には定着してしまっている。
だいたい、A、B、AB、0の4種類の血液型だけで複雑な性格などが決まるものではないし、性格そのものは遺伝だけでなく後天的な要因の影響も大きく受けて形成されるものだ。だから簡単な血液型だけで複雑な性格など判るはずがない。もっとも、そう言っても、血液型の信奉者は納得しない。血液型にはまだ解明されていない何かがあり、それが性格形成の要因になることは完全に否定はできないだろうというわけだ。まあ、しゃかりきになって議論することもない。遊びと思えばいいのだ。血液型が性格形成に関係するということには何の科学的な根拠もないが、だからと言って遊び心まで否定することはない。ただ知っておかなければならないのは、血液型には、差別、選別の歴史があったことで、そして今でもその傾向は無きにしも非ずということだ
血液型がウィーン大学のラントシュタイナーによって発見されたのは1900(明治33)年と古く、彼とその弟子達によって、1902年には4種の血液型が確定された。またその後ドイツのハイデルベルグ大学のデュンゲルらによって血液型には遺伝性のあることも発見された。それ以後ドイツでの研究が進むにつれ、西欧人に多いA型は優性血液型、アジア人に多いB型は劣性血液型とする考えが生まれ、アジア・アフリカ人よりも西欧人の方が優秀な民族であるとの民族差別思想が生み出された。
大正時代にこのことが日本に知られると、さまざまな反応、論争が起こり、やがては昭和の初めに血液型は人間の気質に関係すると言う「学説」が出るようになり、さらには血液型は性格に関係するとまで言われるようになった。兵士の資質や、犯罪者、思想犯にも血液型が関係しているとか、さらには精神病までが血液型に関係しているとか、さまざまな「研究」結果が発表され、学会はもとより世間でも血液型ブームを引き起こした。このあたりのことは松田薫『「血液型と性格」の社会史』(河出書房新社1991年)に詳しい。
このようなことが日本独特の血液型信奉の源流になっているわけだが、遊び的なものならともかく、世間にはとかく単純に物事を信じ込む人もあって、こういう人が一定の地位を持ったりすると困ったことになる。にわかには信じられないが、かつて一部の企業で採用応募者に血液型を記載させたとか、面接で尋ねたということもあると聞いたことがある。事故の被害にあった場合の用心とは考えられないから、その企業に向く「資質」を見ようとしたとしか考えられず、事実とすればとんでもないことだ。そのほかにも結婚相手や恋人の血液型で「相性」を判断しようとしたりすることもなくはないだろう。こうなると遊びの域を越えて差別的な人権問題となる。
私には自分の性格というものは大まかにしか分からない。人の性格も自分が付き合って知る程度でいい。この人はこんな性格だから何型だろうとか、この型だからこういう性格だろうなどと考えるのは、まったく無意味なことだし、そのように固定した考えで人を見るのはどうかと思う。とにかく性格を血液型などであれこれ言うのは好きではない。あなたの血液型はO型だから、性格はこれこれと「判断」されても、放っておいてくれと言いたくなる。