宮城県と岩手県の知事に会った際の、傲慢きわまる態度と発言で非難を浴びて辞任した松本龍・前復興担当相が、辞任前の釈明の中で「私はちょっとB型で短絡的なところがある」と言った。政治家たるものが馬鹿げたことを言ったものだが、海外でも関心を呼んだようで、血液型による性格判断になじみがない欧州メディアは「失敗を血液型のせいにできるのか」と驚きを隠さないという記事を見て、そうだろうなと思い、何となく気恥ずかしい思いをした。
英国BBCの東京特派員記者は、「血液型のせいにするなど荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、日本では血液型は性格に影響すると信じられている。B型の人はがさつな性格(abrasiveness)だと言われている。少なくとも松本氏については、その通りだったと言えるだろう」と辛辣だ。欧州のメディアは彼の放言よりも、血液型での性格や相性判断が日本で流行っていることに注目して伝えているようで、「血」による分類がナチスの人種偏見を連想させて警戒する見方もあるようだ。
私の血液型はO型だが、これがどんな性格を表しているのかということはまったく知らないし、関心もない。輸血の際に必要だから知っているだけのことだ。実際の輸血の際にはもっと詳細な型を調べなければならないらしい。だいたい,A、B、AB、Oの4種類の血液型で複雑な人間の性格など言い当てられるはずもない。池内了『疑似科学入門』(岩波新書)では、「(血液型は細かく分類すれば最低50種類はあり、それで人を区分するのは多すぎる。4種類だけに集約することが占いに好都合になっているだけなのだ。)血液型を問うことが挨拶替わりになり、大手を振って罷り通っている日本は、本当に科学・技術を重んじている国なのかどうか疑ってしまう」と言っている。
ちょっとした遊びのつもりで血液型がどうのこうのというのはいい。しかし、ある企業では社長の意向で、B型のものは採用しないということがあったらしいし、採用試験に応募する面談票に血液型の記入欄があったという例もある。私が社長ならこのような面談表を作った担当者を叱責するが、それがまかり通っているのは、血液型が性格に影響すると考えている経営者は案外多いのではないか。こうなると就職差別であり、人権問題だ。欧米など外国から異様なものとして見られても仕方がない。