中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

臥床徒然

2011-01-13 10:07:10 | 身辺雑記

 「体力、気力、『脳力』回復まで、ブログを休みます」と書いたのがまじないになったのか、たくさんは食べられないが食欲は出てきた。食欲が出ると少しは元気も出てきた。

 

 腹を下すとこんなにも元気がなくなるとは予想外だった。元気がなくなると思考力も落ち、根をつめて考えたり、文章をまとめることも億劫になる。

 

 何もすることはないけれども、テレビはだめになっているし、寒いから散歩でもしようかという気も起こらない。それでついついベッドに行って布団に潜り込み、眠たくならなければ本を読む。本も山本周五郎の時代小説くらいならいいが、テレビドラマをノベライズしたサスペンス物などは筋を追うのに疲れる。やはり「脳力」も落ちているようだ。

 

 時々ベッドを出て、習慣的にパソコンの前に座り、ブログの原稿でもと思うのだが、やはり考えがまとまらない。どうも「脳力」の回復は遅いようだ。それで、ツイッターではないが、ベッドで取りとめもなく考えたことなどを書き溜めたのが以下の通り。

 

 

 

 私はこれまで胃腸が丈夫なのが自慢だった。戻すことは久しくないし、下すことも滅多になかった。それだけに今回の急な下痢には参ってしまった。熱はなく、戻すこともなく、胃腸が痛むこともなかったのだが、最初の大量の排出と、その後の一晩中続く下痢に気分が落ち込んでしまった。消極的な気持ちになるのが一番情けない。

 

 1日のほとんどをベッドで過ごすのは、いかにも不健康で、病人そのもので、自分がうらぶれた薄汚い老人に思えてくるのだが、仕方がない。無理をしないでゆっくり回復を待とうと思う。

 

 気休めになるのは、私がベッドに行くと必ず猫のミーシャが後からやってきて,私の側に潜り込むことだ。その重さと嵩と温かさが快い。時には布団から顔を覗かせるが、その顔を見ていると可愛くて心が休まり話しかけたりする。

 

 ミーシャは11歳。猫は20年は生きると言うから、あと10年近くは生きるのだろう。この子を置いて先に死ねないとかねがね思っているから、私もあと10年はと思う。21歳になっている女子大生の孫娘は、今は授業とアルバイトでフル回転の生活で、男っ気はまったくなく母親は気を揉んでいるらしいが、30までは結婚しないと言っているそうだ。せめてこの子の花嫁姿は見たいと思っているから、それならやはり、あと10年は長生きしなければならない。下痢くらいで意気消沈してはおられない。


災難

2011-01-10 09:41:31 | 身辺雑記

 これまで経験したことのないような下痢を経験した。金曜日の夕方、夕食の支度の買い物に出た折に、ちょっと本が読みたくなったので、JRの駅にあるエキナカスーパーの喫茶室に入った。少し暑い気がしたので「フローズン何とか」と言うものを注文した。甘く冷たいものだ。これが年寄りの冷や水でよくなかったらしい。

 

 家に帰って入浴したまではよかったのだが、その後は食欲が起こらなくなった。買い物をしている時には大いに食欲があったのでおかしいなと思っているうちに急に便意を催した。それも急激なものでトイレに駆け込むと、水のような便が大量に出た。

 

 このようなことは前にもあり、そのときは一過性のものだったから、今回もそうだろうと高を括っていたら、それからが大変だった。横になっていても便意を催すなり漏れて出て来る。まったく締りがない。下着を取り換えたが、何度もそういうことがあるのはたまらないので、トイレットペーパーを重ねて挟んでおいた。その晩は何度もトイレにたち、トイレットペーパーを取替えたので、睡眠不足になり、それに体が冷えた。

 

朝になるのを待ちかねてかかりつけの医院に行き、ビオフェルミンと抗生物質をもらった。ビオフェルミンはすぐに効いたらしく何度もトイレにたつことはなくなり、水のような便は出なくなったが、抗生物質のせいなのか胃が荒れてきてそれが鬱陶しく、何も食べる気が起こらなかった。

 

3日目は少し食欲も出てきたが、相変わらず便は薄い。立ち歩きするのが億劫で、中国の子ども達に援助する会の会議も欠席したし、久しぶりに会うことを約束していた卒業生のN君夫妻と会うことも果たせなかった。

 

年が明けて間もないのに尾篭な話になってしまったが、自分の不摂生が原因で他を恨むことはできないので、これからは年齢に合った飲食をすることを心がけなくてはならないと自戒したしだい。


紅白歌合戦

2011-01-08 11:18:18 | 身辺雑記

 年が明けてからHg君の宅で食事をした時、食後に録画してあった大晦日の紅白歌合戦を見た。見たと言っても4時間以上のものだから、早送りを繰り返したので、まともに1曲聴いたのは、昨年ブレイクした植村花菜の『トイレの神様』だけだった。

 

 紅白歌合戦を見たのは10年以上ぶりのことだ。もともとあまり興味がなかったこともあり、妻が在世していた頃でもまともにべったり見るということはなかった。久しぶりに見る紅白の舞台が、豪華と言うか仰々しいものになっているのにちょっと驚いた。「国民的行事」とNHKが豪語するだけあって、金に糸目をつけないという感じで、視聴料が入るNHKならではだと少しひねくれた考えもした。

 

 それに出演者やその歌がほとんどまったく知らないものばかりだから,Hg君と「これも知らん」、「これも知らん」と見る気が起こらないので、どんどん早送りした。どうも年齢のせいなのだろう、若い男の子や女の子のグループが騒がしく舞台を飛び回って踊り歌うのは、どれも同じように見えて興醒めする。「国民的行事」とは言っても、これでは若者向けの番組じゃないかと思い、こんなのはジイバアには分かるのかいなと言ったりした。ある70代の男性が「これは紅白じゃない」と言ったと聞いたが、そう思う高齢者もいるだろう。

 

 そう小難しく考えずに、大晦日だ、「こんな歌は知らないなあ」、「あ、この子は知っている」と気楽に見ながら1年の憂さを忘れて楽しめば良いじゃないかと言われそうだが、どうにも私にはなじめなかった。やはり大晦日は静かに過ごすのがいい。


ホヤ(2)

2011-01-06 09:31:21 | 身辺雑記

 ホヤと言えば盛岡のことや、結婚したかおりのことを思い出す。彼女は関西人なのに遠い岩手県まで行ったのは、小学校の教師になりたかったからで、それに大学時代に知り合い、結婚することになった男性が岩手出身だったこともある。今でも年賀状を交換しているが、年末にホヤを食べるとまた彼女を思い出した。すると元日の午後に彼女から電話があった。訛りのある声で「岩手県の」などと言うものだから、一瞬ホヤを取り寄せた通販の会社からかと思ったら彼女だったので驚いた。

 

久しぶりなのでひとしきり話したが、もうすっかり岩手(今は宮古市在住)の人間になってしまっていた。担任している時にはどちらかと言うと暗い感じだったが、30年の教師生活の間に性格が変わって明るくなったと言ったので、そんなこともあるかと嬉しく思った。在学中に私が話したことや、結婚式でのスピーチもよく覚えていて話してくれたが、そんなことも言ったかなあと懐かしかった。

 

岩手県の教員採用試験に合格して、年度末も近くなってから、彼女は急に勤まるだろうかと不安になり、私と喫茶店で会い、私は「もう君が受け持つ子どもは決まり、君を待っているんだよ」と言って励ましたそうだ。私はすっかり忘れてしまっていたが、彼女はそれを聞いて決心したと言った。そして両親のもとを離れて遠い岩手県に行ったのだが、小学校の教師生活は楽しく、夫の人柄はよく、子どもにも恵まれて、今では行って良かったと心底思っているようで、それだけに私には感謝しているとも言った。

 

そのような話を聞かされて、嬉しく思いもしたが、改めて教師の言葉は、生徒とって大きな影響があるものだと思い、彼女に言ったのだが、「良い影響を与えることもあるが、傷つけることもあるから、言葉には気をつけないといけないね」と言うと彼女も同意した。同じ教師としてよく分かるのだろう。

 

ホヤと言うと岩手を思い出し、岩手と言うとかおりを思い出す。そのかおりから思いもよらず元日早々に電話があっていろいろと懐かしい話ができ、今年の始まりはなかなか好いと思ったことだった。

 

          

          インタネットより

 

 


ホヤ

2011-01-05 11:52:18 | 身辺雑記

 もう30年ほども前のことだが、高校1年の時に担任したかおりという子の結婚式に出席するために、岩手県の盛岡に行った。せっかくの機会だからと披露宴には出ないが妻を同伴した。式の前日に2人で街に出てある小料理屋に入った。そこの品書きに「ホヤの刺身」があったから、珍しい物好きの私は注文した。ホヤは初めてだったが、磯の香りがしてなかなか旨いものだと気に入った。

 

 ホヤ(海鞘、老海鼠)は、海底の岩などに付着し植物のように見えるがれっきとした動物で、分類上「脊索動物」という仲間に属す。背骨を持つ脊椎動物の祖形のような生物で、無脊椎動物と脊椎動物の中間に位置づけられている。体は被嚢という固い皮で覆われている。一見すると奇怪なもので、なまこ(海鼠)とともに、よくこんなものを食べる気になったものだと思わせられる。

 

  

                                           インタネットより       

 

インタネットより

  

 盛岡で食べたホヤの旨さが忘れられなくて、もう一度食べてみたいと思ったが、この辺りでは見かけない。東京の市場にはあると聞いた。卒業生のI君は干物は売っていますよと言ったが、それも見たことがない。インタネットで調べてみると岩手県の業者が通販しているのを見つけたので、年末に取り寄せてみた。食べやすいように被嚢を取り除き、滅菌海水に入れて冷凍したものを注文した。

 

 

 30年ぶりのホヤは刺身にしたが、くりくりした歯ざわりと、磯臭い香りがなかなか良いと満足した。

 

 

 塩辛も旨い。

 

 

 


独り暮らし

2011-01-03 10:54:01 | 身辺雑記

 独りで迎え、過ごした大晦日も元旦も12回目となった。独りになってからは、子ども達の家族も正月早々に来ることはない。妻がいないと、家族を迎える準備が大変で疲れてしまうから、以前のように我が家に集まることは止めにしてもらっている。その代わりに外で揃って食事をすることにして何年か続けた。しかしこの年は孫たちが次々に大学受験や高校受験で忙しいのでそれもしていない。中国人の友人達は正月に家族が帰ってこないことを奇異に思うようだが、別に私の家族への思いが淡白だったり、子どもや孫たちが私に冷たいわけではない。やはり家族そろっての団欒となると妻の存在が大きかったから、子ども達も母親のいない雰囲気には何となく気が抜けたような思いなのだろう。妻がいた頃のことを思うと寂しくないと言えば嘘になるが、10年以上もたつとこんなものだと思うようになった。時々電話したり会ったりしているから、今はそれでいい。

 

 国立社会保障・人口問題研究所が、09年の7月に全国の1万世帯余りを調査したところ、高齢の親が子どもと同居している割合は48%余りということが分かり、平成6年以降の調査で初めて半数を下回ったと言うことだ。65歳以上の親が18歳以上の子どもと同居している割合は48.9%で、5年前に比べて3ポイント低下したそうだ。

 

 20歳以上の夫婦の場合、夫の親と同居している割合は12.8%で、年々低下しているのに対し、妻の親と同居している夫婦は5.1%と、上昇傾向が続いている。いわゆる「マスオさん」(漫画のサザエさんの夫)が増加しているわけだ。これについては国立社会保障・人口問題研究所の室長は「夫の家に縛られないという意識の変化が進んでいて、妻の親との同居は、今後、さらに増えるとみられる」と分析しているとのことだ。夫の家に縛られないというのは分かるようでもあり、反面そんなものかなあとも思う。最近買った、武良布枝『ゲゲゲの女房』(講談社)を読むと、結婚早々の極貧の生活の中で夫を支え、やがて生活が安定すると夫の両親とも同居するような生活は、今の若い女性には理解できないものがあるのだろうと思う。

 

私の息子達の場合は独立して生活しているが、私がこのまま年をとり、独り暮らしが難しくなれば、どちらかの息子の家族と同居しなければならないことになるかも知れない。今のような生活に慣れてしまっているから、それを考えるとちょっと気が重い。私の気儘なのだろうか。

 

 年の初めにあれこれ思い煩っても仕方がないことなのだが、やはりできるだけ元気に過ごすように心がけて、できれば長患いせずに人生にけりをつけたいものだ。

 

 

 

 


明けましておめでとうございます。

2011-01-01 11:51:55 | 身辺雑記

 ブログ友の皆様と、この拙い私のブログを訪れて閲覧してくださっている方々に、新年のご挨拶を申し上げます。

          

 3年連用の日記帳を買い換えました。5冊目です。この日記帳が終わる年には、私は80歳になります。年賀状にも書きましたように、80歳(傘寿 )は、昨年喜寿を過ぎた私の次の目標ですから、何とか達成したいものと思います。昨日の朝刊の一面のコラムに、作家の吉屋信子の随筆の一節が引用されていました。「三年連用を新しく買うごとに、無事にこの一冊を書き終わりたいと願っていた」。私も同じ思いですが、さてどのような3年間になるでしょうか。

 

          

 佳い年になりますように。