私の中国語などお粗末至極なものだが、それでも中国の地方に行くと、習った普通話(標準語)とは少し感じが違う言葉を耳にすることがよくあった。そんな時通訳に尋ねると、決まって方言だと言う。私が西安で李真と食事をした時、終わって「喫飽了チィパオラ もう十分食べた=ごちそうさま」と言うと、李真はそれは陝西方言だと笑った。「飽」のアクセントが違っていたらしい。西安は陝西省にあるが、陝西省の方言もいろいろあるようだ。 誕生日に東京の施路敏に贈られた現代小説『手機(ケータイ)』には陝西省の東隣の山西省の方言が出てくる。和訳では関東地方の方言のようにしてあったが、日本ではどんな方言でも仮名で表記できるが、漢字の国中国ではどのように表記するのだろうと思って、李真に尋ねてみた。方言も漢字で表わすようで、例えば英語のmy godに相当する中国語の標準語の「我的神」の陝西省方言は「額的神」で、この「額」の発音はe。eは日本語にはない発音で、強いて言うならば「オ」に近い。「我」の発音はwo(ウォ)だから、俺(オレ)を「オラ」というようなものか。 李真はさらに、標準語の「何をしてる?(你在干什么呢ニイツアイガンシェマナ)」の陝西省方言では「你干薩呢(ニイガンサナ)」で、陝西省と山西省に接している河南省方言は「弄啥呢(ノンシャナ)」となることも教えてくれた。「おまえ」の「你(ニイ)」は河南省では「弄(ノン)」となっているわけだ。漢字の国だから方言などは言葉は違ってもそれに相当する漢字があれば当てるのだろうし、見るほうもそれでどこの方言か分かるらしい。李真は方言についていろいろ知っているようで、聞いていると面白い。広い中国の方言が他の地方でも分かるのは、テレビの影響もあるのかも知れない。有名な『三国志演義』などを見ると、当時の曹操や劉備などは生国が違うから意思の疎通がどれくらい図れたのだろうか、まして南方の呉の孫権とは直接話ができたのだろうかと思う。
前に国語関係の雑誌で読んだのだが、東北地方のある県で「ケ」、「ク]という遣り取りがあり、これは「食べろ(食え)」、「食べる(食う)」という意味らしく面白く思ったが、実際に耳にしたら、さっぱり 理解できないだろう。やはり北の方のある地方では、「私」を「ワ」、「お前」を「ナ」と言うと聞いたことがある。我(ワレ)汝(ナレ)が省略されたものか。息子達がまだ小学生の頃に家族で宮城県の鳴子温泉に行った時、行く途中、山形県のある駅から土地の婦人達が何人か乗ってきて、後ろの席で賑やかにおしゃべりを始めたが、まるで外国語のようで何を言っているかさっぱり分からない。それで持っていた小型のテープレコーダーで録音し、帰ってから両親が山形出身のN君に聞かせたら、「漬物の話をしてるようですね」と言った。それにしても同じ日本でかくも意味の通じない言葉があるのかと、改めて感心したものだ。幕末の頃に、奥州津軽と鹿児島の武士が話し合うのに通訳を介したと聞いたことがあるが、あながち作り話でもないだろう。
方言を使うことは何か泥臭い、粗野なようなものと思うのか、一時は方言は敬遠される傾向にあったようだが、最近は復権してきて、方言の詩集などもあるようだ。良いことだと思う。方言についてのCDがあれば聞いてみたい。