癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

佐々木譲と薬丸岳の作品 & 忘年会

2016年12月01日 | 読書・映画

 自分が読書するときは、家にいることが多いこの時期、山旅のときの停滞日、旅をするときの乗り物の中が多い。どちらかというと、必要に迫られて読む本以外は、時間つぶしに読むことが多い。

 それも、面白い作品を見つけると、その作者の作品ばかり読み続ける癖がある。昔から吉村昭の作品に凝っていたが、ここ3年間は佐々木譲のものが多いし、今年になってからは、薬丸岳のものが多い。

 佐々木譲は、2010年『廃墟に乞う』での第142回直木賞を初め、多くの文学賞を受賞している作家である。1950年夕張市生まれで、現在も中標津町在住なので、北海道を舞台にした作品がほとんどで、歴史物や警察物や社会派的な作品が多い。
 箱館戦争がらみの作品も多い。『武揚伝』では新田次郎賞を受賞しているし、中島三郎助の一生を描いた『くろふね』なども面白かった。個人的には、箱館戦争の脱走兵を主人公にした奇想天外な発想の五稜郭三部作も面白かった。

 一方、薬丸岳は、2005年『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。今年の春に読んだこの作品が抜群の面白さだったので、それ以来、この作家の作品を読み漁っている。2014年『友罪』と2016年『Aでない君と』で、吉川英治文学新人賞も2回受賞している。作品は、ミステリーものや刑事ものがほとんどだが、1969年生まれなので、若い感性での筋立てが非常に面白い。

 昨日と今日は、上掲写真の佐々木譲の2冊を読んだ。

◎今晩は退職組織の理事忘年会
今年で函館支部長を辞任することができて、顧問になった退職組織の忘年会。顧問にも声が掛る。
昨夜も飲んだので、今日はさすがあまり飲みたくなかった。その分、食べ過ぎた感が強い


貸切会場のナイトパブ「酔族館」


支部長挨拶


子ども帰ってじゃんけん大会


全員が音楽専門家のみごとな四部合唱のカラオケ
 

『慟哭の谷』(木村盛武著)

2016年01月14日 | 読書・映画

 これは、吉村昭の『羆嵐』で有名になった、大正4年(1915年)、当時の苫前村三毛別で起きたヒグマによる死亡7名、重傷3名という史上最悪の獣害事件について、生存者の貴重な証言をもとにした元林務官によるノンフィクションと、それ以外のヒグマ襲撃事件が主な内容である。

 第一部が「慟哭の苫前三毛別事件」で、第二部が「ヒグマとの遭遇」で構成されている。第一部の方は、吉村昭の『羆嵐』を2回も読んでいるし、現場にも2回訪れていて、一昨年にはその前を通り、三毛別山にも藪こぎで登っている。その付近の地形等が頭に入っているので、より臨場感を感じながら読むことができた。
 なお、ウィキペディアの「三毛別羆事件」は、木村氏のこの著書がもとに構成されている。
 
 自分は、山でいつもヒグマの痕跡を目にし、6回の遭遇(クワウンナイ川、緑岳、三頭岳、知床硫黄岳、知床海岸トレッキング、南アルプス経ヶ岳)を経験している。それだけに衝撃的で、参考になったのは、第二部の方だった。

 構成は、第1章「北千島の人食いヒグマ事件と私」、第2章「ヒグマとの対峙」、第3章「ヒグマが人を襲うとき」からなっている。第1章と第2章は、林務官だった著者の実際の経験談だけに、真に迫る恐怖心がある。

 第3章は、「星野道夫氏の死」「林務官の殉職」「札幌簾舞大松寺羆事件」「カムエク福岡大学ワンゲル部員襲撃事件」が取り上げられ、その事件の顛末と検証が書かれている。これを読み進めたら、山に入るのは怖くなるし、ましてや単独行の多い自分だけに、ちょっとビビってしまった。

 自分の遭遇場面は、知床硫黄岳以外は、すべて向こうから逃げて行ってくれたことが幸いだった。また、知床硫黄岳は3名と一緒だったし、人慣れしている感じで、声を掛けても全然動かず、こちらを見ていて襲う気配もないので12mくらい離れたところを静かに通過している。

 たまたま運が良かっただけなのかもしれないが、対峙するとか、威嚇されるなどの恐怖心を感じるような場面には、まだ遭遇していない。そんなこともあり、あまり気にしないで山に入ってきた。しかし、これからは一層慎重に山に入ろうと思う。ただ、記載されているクマによる人身事故数は、年に2~3回と意外に少ないことも分かったので、少し安心した。

『くろふね』(佐々木譲著)

2015年12月15日 | 読書・映画

 先日、中央図書館中ら借りていた1冊だが、これは、箱館戦争で2人の若き息子とともに戦死した中島三郎助の一代記である、現在の中島町の由来にもなっていて、「中島三郎助父子最後之地」の碑が残り、中島廉売では「中島三郎助祭り」も行われている。

 この本を読むまでは、恥ずかしながら、どのような人物だったか、どんな人生を歩んだ人だったかは知らなかった。

 嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀沖に来航の折に、28歳の若さで、浦賀奉行所与力として、通詞と二人だけで、最初に黒船に乗り込んで折衝に当たるなど敏腕をみせ、翌年、日本最初の洋式軍艦・鳳凰丸を建造させている。その後、幕府が創設した長崎海軍伝習所の第一期生として3年後に軍艦操練所教授方になっている。

 明治維新時には、榎本軍とともに行動し、開陽丸の機関長として、軍艦8隻を率いて北海道にやってきた。箱館戦争では、蝦夷共和国の箱館奉行所並みと最前線である千代ヶ岱陣屋守備隊長も兼ねた。最期は父子ともにその陣屋を守って49歳で戦死している。箱館戦争終結6日前のことである。

 三郎助の人生を通して、開国を迫る外国の圧力、やがて開国に至らざるを得なかった経過、そして、江戸幕府の大政奉還、戊辰戦争とその終末を迎えた箱館戦争までの歴史的な経過や背景が詳しく分かった。 

 興味深かったのが、彼を取り巻く当時の歴史上の主だった人物とのかかわりである。
 勝麟太郎(海舟)とは長崎海軍伝習所の同窓であったが不仲であったという(吉田松陰も記している)。伝習所を2年も落第し、卒業もできなかった勝のいい加減な人間性と世渡りの上手さを嫌ったようだ。
 桂小五郎(のちの木戸孝允)は、若いときに中島家に寄宿し造船学を学んだ。三郎助は小五郎の才幹を認めて家族ぐるみで厚遇した。これは、別の資料で分かったことだが、明治9年(1876年)、明治天皇の東北巡幸に随従して五稜郭に向かう途中、中島父子の戦死地付近を通過した木戸は往時を回顧し、人目をはばかることなく慟哭したという。
 榎本武楊は、長崎海軍伝習所以来の仲であり、三郎助父子亡き後も三郎助の三男・與曽八を養育している。

 この小説の最後の一行、「ペリーの来航から16年、日本で最初に近代と接した男が、最後のサムライとして、死んだのである」が端的にこの三郎助の生き方を表現している名文だと思った。
 
 俳人としても有名で、辞世の句は「ほととぎす われも血を吐く 思い哉」「われもまた 死士と呼ばれん 白牡丹」の2句とのこと。すでに死を覚悟していた句でもある。

 この本を読み終わった今日、中島町にある「中島三郎助父子最後之地」へ出掛けて、カメラに収めてきた。

 この標柱は交差点にあるので良く目にしていた。


この石碑と説明板を目にしたのは初めてだったった。墓は浦賀の東林寺にあるという

「人が死ぬ前に後悔する17のこと 」

2015年10月14日 | 読書・映画

 あちこちネットサーフォンをしていたら、「生きるために知っておきたい、人が死ぬ前に後悔する17のこと」という興味深いサイトを見つけた。

 もうすぐ死ぬと悟った人たちが、何を後悔しているのか。それを知ることは、私たちにより良い人生を送るための大きなヒントとなるのではないでしょうか…とのことだった。

 以下、その項目だけをコピペして、自分に当てはめて振り返ってみた。
 結果、ほんのわずかながら、「う~ん、もう少し」と思う項目はあるが、特に、退職後の12年間は、自分が心がけてきたことばかりである。
 今のところは、「いつ死んでも後悔のない、幸せな人生を歩んできた」と自己満足できる状態にあると思う。
 しかし、これからも、もっと良い人生を送りたい。そのためにも、この17項目を意識して日々過ごしたいものだ…。

さて、みなさんはいかがでしょうか?

 1、他人がどう思うか、気にしすぎなければよかった

 2、他人の期待に沿うための人生ではなく、自分が思い描く人生を歩めばよかった 

 3、あんなに仕事ばかりしなければよかった

 4、もっと一瞬一瞬に集中して生きればよかった

 5、喧嘩別れしなければよかった

 6、もっと他人のために尽くせばよかった

 7、もっと家族と一緒の時間を過ごせばよかった

 8、友達との時間を大切にすればよかった

 9、もっと旅をすればよかった

10、リスクを恐れずにいろいろ挑戦すればよかった

11、もっと自分の情熱に従って生きるべきだった

12、あれこれと心配し過ぎなければよかった

13、もっと自分を幸せにしてあげればよかった

14、周りの意見よりも、自分の心の声を信じるべきだった

15、愛する人にもっとたくさん気持ちを伝えるべきだった

16、もっと幸せを実感するべきだった

17.もっと時間があれば・・・ 


『13階段』

2015年07月31日 | 読書・映画

 もともとミステリーものの小説やドラマが好きな自分である。今でも、松本清張は最高のミステリー作家だと思っている。しかし、最近読んだ本の中で、この『13階段』は久しぶりのヒットだった。
 
 本を手にしたときに、10年以上前に映画化されて話題になったことを思い出した。題名から死刑に関することなんだろうなという思いを抱いた記憶はあるが、映画を見ることも、本を読むこともなかった。

 最初は重い感じだったが、読み進めて行くうちに、奇想天外とも思えるストーリーと、しっかりとした取材・調査に基づいた、死刑制度・冤罪・改悛の情・報復など、さらに、刑務官の仕事内容・囚人の心情・刑場での一連の流れ等も勉強になり、興味深く読ませてもらった。後半は面白くて、一気に読み進めてしまった。予想すらできなかったどんでん返しとも言える結末に、この作者のストーリー構成の素晴らしさに感心してしまった。

 ストーリーは、2年前に人を殺め服役していた青年とベテラン刑務官が、10年前に起こった冤罪の可能性がある事件の真相を解くというものであるが、死刑制度を含めた刑の重みや刑務所の機能(服役者の更生)などがテーマとなっている。

 高野和明のデビュー作だが、読んだ後、宮部みゆきが解説を書いているのにも驚いた。第47回江戸川乱歩賞受賞を選考委員の満場一致で受賞したことのこと。2001年に講談社から発行され、40万部を売り上げ、乱歩賞受賞作品の中でもっとも速く高い売り上げ記録を達成しているとのこと。

 さすが、それだけのことはあると、改めて感心してしまった。今度、この作者も作品を読んでみたいと思った。

も~さん著『下二股口台場』

2015年04月03日 | 読書・映画

 3/31の道新夕刊にも掲載されていたが、友人も~さんこと毛利剛さんが、このたび、土方歳三が旧幕府軍を指揮した箱館戦争の激戦地・下二股口台場についての5年がかりの調査研究を142ページの冊子にまとめ上げた。当時の記録や日記や絵などの文献や歴史資料等をもとにした自分の足による現地調査に基づく解析結果である。しかも、印刷から製本まですべて手作業である。

 このことを彼の日記から知り、前もって注文しておき、3/22の齋藤浩敏さんの追悼登山会のときにわけてもらい、ずっと読み続けていた。
 
 特に、彼がこだわったのは、まだ誰も全容を解明していなかった塹壕の現地調査である。それを旧幕府軍の18ヶ所と新政府軍2ヶ所を見つけ出した。2年前に実際に現地を案内してもらって、藪こぎしながら旧幕府軍の15ヶ所の塹壕や新政府軍の陣地などを巡り、両軍の戦いの様子を聞かせてもらったことがある。

 また、一昨年は、謎とされていた大野川を冬の寒いときに濡れて渡渉して見つけた18ヶ所目の塹壕の苦労は、彼の口から聞いていただけに、そのひたむきさと苦労に頭が下がる思いだ。




 目次の内容を見ただけでも、その詳細さが分かる。立派な学術研究書である。


 凄いと思ったのは、塹壕探しだけでなく、いろいろ文献として残っている当時の記録や日記をもとに、時系列で毎日の「二股口」の戦いについて、詳しく解説していることである。とても興味深く読ませてもらった。


 さらに、当時の記録や日記やスケッチなどの記述についても、自分の現地調査結果をもとに、現在の地図や図や写真を使って詳しく解析している。


 彼の見つけ出した旧幕府軍の弾薬庫跡と塹壕の図・・・このうち、自分もF1~15までの塹壕を案内してもらっている。


 旧幕府軍の18ヶ所の塹壕について、一つ一つ、その持つ意味や果たした役割などを写真と図を用いて詳しく解説しているのも凄い。


3/31の道新夕刊に載った記事


 彼は、2004年から土方歳三に興味を持ち、鷲ノ木に上陸してから亡くなるまでの彼の進攻した道の解析をし、実際に厳冬期に野宿をしながら自分で歩いた記録を「土方歳三の 蝦夷を歩く」「土方歳三の歩いた道」などにまとめている。

 このほかにも、自転車で日本一周や全国のいろいろな街道を回った記録を残している。いわば「アスリートの肉体に歴史学者の頭脳を合わせ持った」凄い人である。