講師の図書裡会歴史講座主宰(元函館市史編纂室長)紺野哲也氏(年中赤シャツで通す有名人)
昨日、中央図書館大研修室で開催された図書裡会歴史講座・第18回「函館の町名」に参加してきた。いつもは50名以内だったらしいが、今回は60名ほどになったそうで、部屋が満杯で資料が足りなかったそうだ。自分も含めて取り付きやすいテーマだったこともあったようだ。この講座に参加するのは確か2回目のはず?
用意された資料の厚さに驚いた。今回のテーマに関するものだけで31ページのほかに、前回の補助資料ほかが18ページもあった。調査し、PCで打ちこみ、印刷・丁合・製本・・・その労力にまずは脱帽。
以下、自分の備忘録として、印象に残ったことや初めて知ったことなどを箇条書き的に書きとめておきたい。
○箱館という名称が記録に登場するのは
「新羅之記録」正保3(1646)年。
○箱館という名称の地誌的記録の最初は「
津軽一統志」寛文9(1669)年。当時は「箱館」より、隣の「亀田」がこの付近の中心集落だったようだ。
○
函館町名記録の最も古い資料は『東蝦夷地道中記』寛政3(1791)年。
その資料には、「地蔵町、内澗町、大町、弁天町、裏町、中町、山ノ上町、神明町」の8町が挙げられていて、それぞれの町の様子が綴られている。
○
当時のメインストリートは、現在の西部地区を西に向かって走る電車通りであった。この通り沿いに、箱館の港内懐が内澗町(現末広町)、この大通りの真ん中に大通町である大町、西隅に弁天社のある弁天町の3町が並んでいた。次いで、3町が裏手に、裏町、中町、神明町が並び、その坂上が山ノ上町、内澗町の東隣で箱館から奥地に向かう辺りにあった地蔵堂にがあった付近が地蔵町。この8町が『東蝦夷地道中記』に記されている全町名で、当時の箱館全域をカバーするものであった。
なお、「大町」の由来は、もともとの「大通町」の「通」が抜けたことに因る(紺野氏解)。
○
「官許/箱館全図」 万延元(1860)年・函館中央図書館デジタル資料館には、町並み全域の区割り、通りが詳細に描かれている。この絵図には30以上の町名が記載されている。
当時の町名は、区画ではなく、すべて「通り上」に記載されている。しかし、幕末期に箱館を統治した江戸幕府は、人別改で箱館の戸口を掌握した時には、『東蝦夷地道中記』の8町に大工町と鰪澗町を加えた10町に、箱館市中の外として位置づけられていた尻沢辺町(現在の住吉町)が箱館の戸口調査の基礎町名だった。
○
箱館奉行から新政府の箱館府への引き継ぎの町名
函館中央図書館所蔵の「慶応4年4月吉日 飛かゑ」によると、前年10月の戸口調査数値では、家数が3,303戸、人口が14,660人だったようだ。このときは、神明町、仲町、鰪澗町を3町まとめたために全部で9町になっている。
○
戸籍法の制定・明治4(1871)年、施行明治5年2月
当時の函館市街は3つの「戸籍区」が設定され、函館山の裾を巡る山手地区を「第1区」として27町、弁天町から内澗町までの海岸線とその裏町を「第2区」として13町。地蔵町から北東に拡がる新興地区を「第3区」として13町。合計53町が名を連ねた。江戸時代以来の11町のほかに42の町名が公称されたことになる
なお、江戸時代には町名が付けられていなかった御役所(箱館奉行所役所周辺には「大町上通」という町名が付いたが、明治6年には「元町」に改められている。
その後、明治6年に、町域と町名が精査され、廃止された町名と新設された町名がある。その中で、宝町と幸町は明治8年に新称承認されている。
★このころの西部地区に多くあった町名は、現在は末広町、元町、船見町、大町、弥生町、弁天町、入舟町などに統合されてしまっている。
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明治32年、函館区の誕生 函館区大字亀田村の編入
それまでの繋部の北東に位置していた亀田村の半分ほど234万7000坪が函館区に組み入れられ、函館区大字亀田村となった。その後、明治6年に、大字亀田村という呼称が廃止され、現在も使用されている25の新町名が誕生した。
この編入は、五稜郭を函館区に入れたかったために行われたものと思われるとのこと(紺野氏解)
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昭和14年、函館市と湯川村の合併
旧大字旧下湯川村、旧大字上湯川村、旧大字亀尾村で合計28町が増えた。昭和15年に字が取れた。
★以上が、昭和49年の函館市と亀田市との合併までの旧函館市域だった。
○「
住居表示に関する法律」昭和37年
函館市でも昭和40年から住居表示が実施され、明治5年から6年にかけて誕生した相生町、春日町、宝町、音羽町、高砂町、真砂町、富岡町、西浜町、仲浜町、東浜町、船場町などの町名も100年近い歴史に幕を下ろしている。
◎
【感想】
函館山裾の港湾沿いから発達した函館市は、人口の増加と地形的な特徴から、居住地や市街地がどんどん北東へ広がり、新しい町名が誕生し、それに連れて、江戸時代から昭和に掛けての西部地区の懐かしい町名が次々と消えて行った・・・そんな歴史的な経過とその節目となった年度や法律等が分かって、大変有意義な講座だった。
<おまけ>
図書裡というのは、函館図書館の父・岡田健蔵氏の雅号で、いつも図書館の裡(うち)にありとの思いを込めたものだが、図書裡会(としょりかい)の音だけ聞くと「年寄り会」とほぼ同じだ。参加メンバーもまさに年寄りばかりだった・・・