この1年間、1日も欠かさず更新を続けてきたこのブログを改めて見直してみた。今年は一時的な急性疾患に見舞われた入院もあったが、相変わらずの「やりたいこと三昧」の1年だった。
これまでの退職後は年間100日を目標にしてきた山行日数は61日に終わって、退職後15年間でもっとも少なかった。その分、2回の歩き旅が53日と最も多く、合わせると114日になった。
いずれにしても、今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた、若い頃からの座右の銘である「挑戦と感謝」の1年でもあった。
そんな中から、今年の締めくくりとして、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、「10大感動」としてみた。
◎今年もクロカンスキー大会5レースすべて完走(1/21~2/26)
ここ10年以上連続出場している、1/21「HBCラジオハウス歩くスキー大会(15km)、2/5「札幌国際スキーマラソン大会(50km)」、2/12「おおたき国際スキーマラソン大会(15km)」、2/19「恵庭クロカンスキー大会(30km)」、2/26「湧別原野オホーツククロカンスキー大会」のすべて(いずれもその大会の最長距離部門)を完走できたことを素直に喜びたい。
長距離の運転が負担でなく、完走できる内には、これまで通り、同じ最長距離部門に参加し続けたいと思っている。
なお、3月第1週に開催されていた「十勝大平原クロカンスキー大会」は、一昨年の台風によるコース決壊で2年続けて中止となったが、この大会は今年で「廃止」が決定した…。当日の夜、山仲間が集まって、飲み会を開催してくれていただけに、非常に残念である。
◎14年ぶり2回目の四国遍路(逆打ち)・43日間心の旅(3/11~4/23)
いつかは、いつかはと思っていた2度目の四国遍路だったが、公職から一切解放されたことにより、ようやく実現し、今年のメインイベントとなった。
今回は、逆打ちで88ヶ所霊場に別格20ヶ所霊場を加え、最後に1番から88番の間も繋ぎ、43日間で踏破することができた。
14年前に初対面でお世話になって以来お付き合いいただいている松山市の法起坊見習いさんには、今回もことのほか“お接待”をいただいた。そのほかに14年ぶりの再会できた4名の方々のほかに、新たな多くの一期一会にも恵まれて、まさに「挑戦と感謝」に満ちた感動の歩き旅だった。
◎登山とお遍路の3回もの講演会(5/12、5/26、10/5)
函館蔦屋書店から昨年の内に依頼を受けていたが、夏山シーズンが始まってからと、延ばしてきた「北海道の山の魅力を語る」の講演を5/12に行った。蔦屋書店や北海道新聞のイベント紹介もあり、蔦屋書店始まって以来という120名もの参加をいただいて大盛況だった。
それに引き続き、2週間後に同じ蔦屋書店からお遍路の講演も依頼され、「一人歩きの四国遍路・挑戦と感謝・心の旅」と題して行った。こちらも100名ほどの参加をいただき、北海道新聞と函館新聞の取材を受けて、その様子が掲載された。
さらに、10/31には、北斗市のきたえーるで開催された自分が代表を務める「新日本百名山・恵山を登る会」主催、アルパインツアーと救心製薬共催の「岩崎元郎さんの健康登山講座in北斗」の第2部「山のよもやま話」は、岩崎さんと私の対談形式で行われた。180名の参加者だった。
◎千歳マラソン・函館マラソン(共にハーフ)・大沼グレートラン完走(6/3、7/3、10/14)
例年は、4月の伊達ハーフに参加していたが、四国遍路と重なったので、函館マラソン(ハーフ)の練習を兼ねて、6/3の千歳マラソン(ハーフ)に初めて参加した。こちらはほとんど練習なしでfunranのつもりで臨んだが、意外と快調に走れて2時間16分台で走ることができた。妻は10kmの部に参加し、これも1時間05分台の好タイムだった。
メインレースの函館マラソン(ハーフ)は、雨のレースになり、一時は土砂降りだった。65歳の再出場以降の昨年の自己ベストを更新するつもりで臨んだが、わずか5秒及ばなかった。それでも、70歳以上の部で、昨年と同じ13位で、翌日の新聞にも載ることができた。
秋の大沼グレートランは、1週間前に同じコースをスロージョグで走っただけで臨んだこともあり、funrunに徹して楽しんで走った。
◎海抜0㍍の田子の浦から村山古道を通っての富士登山(7/23~25)
かねてから、富士山再訪は海抜0㍍からと決めていた。たまたま、田子の浦からスタートする、平安時代から江戸時代までの修験道や参拝道の「村山古道」が再開削されたことを知った。そこで、その道を通っての登頂にトライ。
山頂で3日目のご来光を仰ぐことができ、前回の「日本三百名山完登」以来の再訪が叶った。
この前後に、北アルプスや東北の山にも登ることができた。北アルプでは、立山の大汝山に登り、「国内3000m超峰21座」を完登することができた。
◎胆振東部地震・ブラックアウト(9/5~7)
未明3時ごろに大きな地震で目が覚めた。その後、すぐに停電となった。震源は厚真町付近で震度7の巨大地震で、函館の震度は5だった。厚真町の大規模な山崩れを中心に安平町、鵡川町などの被害が大きく、札幌の清田区でも液状化現象で住宅地が大きな被害を受けた。
さらに、全道的な停電のブラックアウトという初体験の現象に見舞われた。我が家でも復旧に25時間を要したが、全道的な完全復旧までには1週間ほどを要した。その間もその後も、交通障害や物資の流通停滞など、日常生活が未曾有の大混乱となった。
◎「尿路感染症・急性前立腺炎症」で入院(9/13~18)
前日の夕方からおしっこが近くなり、ちょろっとしか出ない。夜中から、おしっこの度に最初から最後まで尿道に激痛が走るようになった。1回で出る量が少ないので、20分ごとに尿意が襲う。その度に激痛との闘いが辛くてほとんど眠ることができなかった。
翌朝、初体験の血尿が出て、血の塊のようなものも混じっていた。慌てて前立腺肥大の検査でお世話になった平田泌尿器科で診てもらったら、急性の感染症だろうとのことで、点滴治療のため即入院。
土日の自宅での外泊も含めて述べ6日間の入院となった。結局、病名は「尿路感染症・急性前立腺炎症」だった。
◎HP「一人歩きの北海道山紀行」開設20周年を迎える(9/29)
このブログの親サイトである「一人歩きの北海道山紀行」が、9/29で20周年を迎えた。PCを始めて4ヶ月後に開設したHPである。
最初のサイト名は、当時の目標だった一人歩きの北海道百名山完登にちなみ、「一人歩きの北海道百名山」だった。アップした山が300山を超えたころに現在のサイト名に変えた。
開設以来、このHPの存在が、自分の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。
まず、HPを媒介とした山仲間がどんどん増えたこと、翌年には、北海道の山の情報交流のためのHYML(北海道の山メーリングリスト)の開設にもかかわった。その仲間のお陰で、同行者も増え、夏山の登山道オンリーの山から冬山も、さらには、沢登りと薮山へとどんどんステップアップしていった。
特に退職後の14年で、北海道の山だけでなく、「日本三百名山+道外の山」「四国遍路」「海外トレッキング」「歩き旅」などのコンテンツが増え、ブログ「癌春日記」とも連動し、どんどん充実してきた。いわば、自分のここ20年間の遊びの記録であるが、豊かな人生の大きな糧となっていることは間違いない。
特筆すべきは、現在330万件を超えているアクセス数である。山岳雑誌への執筆依頼も、北海道新聞への連載依頼も、拙著「ほっかいどう山楽紀行」の発刊も、すべてこのHPのお陰である。 しかし、基本的には、自分の記録である。それがほかの方々の参考になって来たのはうれしい限りである。これからも、「登っては書く」「歩いては書く」を可能な限り踏襲するつもりである。自分の財産として充実したものになり、さらには、少しでもほかの方のお役に立てれば幸いである。
◎念願の「ランプの宿・青荷温泉」ほか十和田・奥入瀬の旅(10/19~20)
紅葉のピークにはちょっと早かったが、妻同伴で泊ることができた。青森県黒石市の山奥にある「電気もねぇ、テレビもねぇ、電波もなければスマホも繋がらねぇ」が売りの人気のランプの宿・青荷温泉。一軒宿の有名な秘湯である。ずっと以前から泊りたいと思っていた念願の宿だった。
フェリーで渡り、青森でレンタカーを借りて、まずは弘前市の伝統的建造物巡りをして宿へ向かった。本館のほかに、離れの宿泊棟が3棟、温泉は本館の内湯のほかに外に3棟あり4つの湯巡りが楽しめた。翌日は、紅葉の十和田湖~奥入瀬渓流を巡ることができた。
◎奥州街道歩き旅(三厩~盛岡)・10日間の歩き旅(11/16~25)
奥州街道は、日本橋から三厩までの約800km、110以上の宿場を持つ、最長の街道である。この端から端までは、松前藩の参勤交代が利用した街道である。今回は、そのうち、「松前道」と呼ばれている三厩宿~盛岡宿間の22の宿場を繋ぐ約280kmの歩き旅にトライ。
この区間を参勤交代で歩いた大名は松前藩と八戸藩くらいのもので、東海道や中山道に比べて。物足りなさは否めなかった。特に宿場の面影はほとんどなかったし、本陣跡も松前藩が利用した三厩でしか目にできなかった。
一番多く目に付いたのは、明治天皇の明治9年と14年の2回の東北巡幸に伴う史跡や石碑だった。それと東海道や中山道より多く残っていた一里塚である。ほかには、北海道では触れることのできない歴史的な文化財や史跡を中心に観て歩いた。
また、野辺地以南には山越えの道が多く残っていて、当時へのタイムスリップも楽しむことができた。しかし、時期的に遅かったので、後半の数日間は雪道の歩きも経験した。
来年は2度に分けて、春は、福島県白河までの南部道・仙台道を、秋には五街道の奥州道中と日光街道を歩いて、日本橋を目指したい。