癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「ほっかいどう山楽紀行」でARが可能に!

2014年05月31日 | 登山・旅行
 先週の金曜日で、一昨年の6月から始まった拙筆による北海道新聞(札幌圏版)隔週金曜日連載の「ほっかいどう山楽紀行」が51回目を数える。来月に入ると3年目へ突入することになる。

 たまたま、下掲の51回目の「黒松内岳」から、試験段階だが、掲載画像にスマホなどをかざすとほかの10枚の画像のBGM付きスラードショーが見られるARという操作ができるようになった。もちろん、それらの画像も依頼されて、こちらで原稿と一緒に送ったものだが・・・。

 ちなみに、「ARとは、Augmented Realityの略。ありのままに知覚される情報に、デジタル合成などによって作られた情報を付加し、人間の現実認識を強化する技術のこと」・・・私にはまったく理解不能。しかも、ガラケーなので見ることはできない。

 しかし、Layarというアプリをインストールした妻のスマホを、スキャナーで取り込んだ下掲の切り抜き記事の画像にかざしたら見られたのには、ビックリ! どんな仕掛けになっているのやら・・・?

 スマホをお持ちの方は、試してみてください!
 もし、スマホを縦でかざして見られなかったら、横にしてみてください。


恵山の3種ツツジ競演

2014年05月31日 | 花・紅葉だより

 今日は、一日体を休めながら熊野古道の記録をホームページへのアップする作業に徹しようと思っていた。
 しかし、初夏を思わせる素晴らしい天気に、休みの妻を誘って恵山までツツジを見に車を走らせた。
 今頃の恵山はエゾヤマツツジ、サラサドウダン、エゾイソツツジの3種類のツツジが楽しめる。


見事に斜面を赤く染めていたツツジ公園


その登りの階段のそばで、逃げもせず、多くの観光客のカメラに収まっているエゾ鹿


賽ノ河原の小さなエゾヤマツツジとエゾイソツツジ越しの恵山


サラサドウダン


サラサドウダンを下から覗く


エゾイソツツジ


エゾイソツツジの群落


展望台から眼下の恵山地区の集落と霧で覆われる津軽海峡越しの下北半島の恐山ほかの山々


 出かける前と、帰宅してからの時間で、熊野古道のプロローグ、1日目、2日目の記録をアップすることができた。
 現地から携帯で更新したより詳しい上に、写真も2倍以上の枚数で、画質もきれいです。下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com


11日ぶりの我が家

2014年05月29日 | 登山・旅行

妻ご所望のいつもの大阪のお土産
左からリクローおじさんのチーズケーキ、551蓬莱の豚饅・餃子・焼売のセット、たこ昌のたこ焼き


 関西空港からピーチ航空で千歳へ。さらに車で自宅へ・・・11日ぶりの我が家へ帰宅。

 溜まった郵便物のチェック、あちこちへの電話、メールチェックと急ぎの返信、明日の退職組織の理事会の挨拶準備や打ち合わせなどなど、あたふたと過ごした。

 ブログをPCでみると、携帯からの投稿の写真が自動で縮小されるためか、非常に不鮮明なのが残念。
 
 明日から、びっしりと予定が詰まっているが、その間を縫って、少しずつホームページの方へもう少し詳しい記録と多くの写真をアップしていくつもりだ。

高野山町石道(高野山~九度山駅)〈27km〉

2014年05月28日 | 登山・旅行
《165町石近くの展望台から紀ノ川沿いに広がる九度山町などの広がり~ずっと山中ばかりだったので、思わず深呼吸をした》

高野山町石道(ちょういしみち)は、聖地高野山への表参道である。その道しるべとして建てられたのが町石で、高さ3mを超す五輪搭形の石柱が、根本大塔を起点として慈尊院まで180基、奥の院の弘法大師御廟まで36基建てられている。

当初は卒塔婆を立てたが、鎌倉時代に花崗岩で造ったらしい。現在は道も整備され、古道歩きのハイキングコースになっている。標高差はざっと700mである。

6:00、宿を出て、まず昨日歩いた奥の院までの町石道の並ぶメインストリートを歩く。


6:50、1町石の立つ根本大塔入口のそばから実質的なスタート。


7町石の立つ大門を潜って林の中の町石道を下る。初めの内はひとつひとつ町石を確認しながら下ったが、その内に気にしなくなった。ただ30町ごとのペースを計りなから下る。だいたい50分前後だった。

弘法大師にまつわる伝説のある「鏡石」「押上石」「袈裟掛石」などの説明板を読みながら下る。


8:45、60町石が立つ国道と交差する矢立集落へ下りて行く。ここには昔の茶屋があったらしいが、今もあった。しかし、営業時間が9:30からだった。

まさか登りがあるとは思わなかった。矢立から7kmほどはアップダウンを繰り返えしながらも概ね登りだった。


9:30を過ぎた辺りから下から登って来る人たちと出会うようになる。合計30人ほどもいた。帰りはケーブルカーやバスで下れるので、日帰りハイクに人気があるようだ。

笠木峠を越えて、ほぼ中間の90町石辺りから、左側にゴルフ場が広がる。古道歩きにはそぐわないロケーションだ。


10:10、神田地蔵堂に到着。ここにも悲恋伝説があるようだ。水田風景が広がる。


10:30、「二つ鳥居」に到着。丹生明神と高野明神の鳥居で、もともとは弘法大師が木で建てたものを改修して来たが、1649年に現在の石造りにしたらしい。

東屋があり、眼下に広がる天の里の田園風景を眺めながら、30分程の昼食タイム。ここが660mほどの最高地点であとは下りとなる。


みごとに掘れた道にも1200年の歴史を感じる。


やがて、柿畑の中の急な下りが続く。柿畑は初めて目にするような気がする。花が終わって小さな実ができ始めていた。

柿畑の中の一段と高い所に展望台があった。紀ノ川流域に広がる大展望が見事だ。

直射日光で35℃にもなっている暑さの中、膝が笑うような柿畑の中の急な下りに汗が吹き出る。


12:55、1町石からほぼ6時間で、180町石の立つ慈尊院に到着。


180町石をカメラに収めたあと、国宝になっている弥勒菩薩坐像が祀られている弥勒堂に、この旅で初めて手を合わせ、賽銭を入れて旅の無事を感謝した。
ギラギラと暑い中、九度山駅までの1.5kmの歩きが辛かった。途中の道の駅で町石道の展示などを見る。


13:45、10日間に渡る200kmの歩き旅のゴール、九度山駅に到着。

電車で、新今宮の馴染みの激安ホテルへ。まずは、着るものがなくなったのでホテルのコインランドリーで洗濯。その間にビールで安着祝い。一番風呂にも入ってさっぱりして、ブログを打つ。

これから、夕食を兼ねて天王子まで歩き、妻ご所望のお土産を買いに…。

熊野古道9日目(小辺路)・大股~水ヶ峰~高野山〈17km〉

2014年05月28日 | 登山・旅行
《熊野本宮からの小辺路のゴール、高野山の根本大塔付近》

いよいよこのたびの熊野古道(中辺路~小辺路)のラストウォークの17kmである。

今日も1150mの水ヶ峰と980mの薄峠を越えた。二つ登りの標高差の合計が900mほどと、小辺路に入って4日連続同じような登山モードが続いた。昔の人は凄いと改めて思わされた。

昨日の15時頃から降り続いた強い雨も、朝には上がった。


7:30、宿の車で昨日との古道の接続点となる大股バス停まで送ってもらった。ここからスタート。

県道から古道の入口へ取り付く。一気につづら折りの急登が続く。

8:30、平辻で舗装された広い林道に出る。その辻に、道標地蔵が立ち、本宮までの距離を14里半と書いてある。自分が歩いてきた距離だ。

そこから4kmほどは一部を除き、林道歩きが続く。林道造成で消えてしまったらしい。


途中から、右に水ヶ峰、左に三百名山巡りで登った護摩団山が見える。


林道から離れて古道を進むと左に墓、右に防風林だった杉の巨木が見えてくる。その先が、1150mの高さにある水ヶ峰集落跡だった。明治の中頃まで、8軒もの宿があり、非常に賑わったそうだ。

今日の最高地点の水ヶ峰を越えると標高差450m下って、薄峠への300mの登り返しとなる。


その下りの途中に小さな大滝集落がある。3日振りに携帯が繋がった。幸い東屋とトイレがあったので、休憩して、溜まっていた2日分のブログを送信した。

さらに下って、御殿川の橋を渡って薄峠への登りに掛かる。川の上には集落跡の遺構が残っていた。


その上には、「是よりかうや山エ四十丁 くまの本宮エ十七り」と刻まれた丁石道標が佇み、弘法大師坐像が浮き彫りにされている。


12:30、急な登りを終えると薄峠。あとは高野山を目指して平坦な道を行く。


道端には北海道の山では見られないツツジがずっと付き合ってくれる。


13:30、スタートしてちょうど6時間。ゴールの高野山へと入って行く。一番手前の金剛三昧院はシャクナゲで有名なところだが、残念ながらもう終わっていた。

メイン通りへ出て、今日の宿「高野山ゲストハウス」までバスに乗る。乗客は外国人ばかり。


昨年オープンしたばかりという今まで見たことのない中央両側に上下2段の小さな個室が並ぶアメリカンスタイル?の快適なカプセルホテルのような感じだった。部屋は寝るのには十分な広さで非常に落ち着く感じ。寝具が素晴らしく寝心地は最高だった。だだし、初めから外国人を対象にした宿のようで、泊まり客のほとんどは外国人ばかり。表示も英語はかり。

3800円という値段がうれしい。ほかの宿泊施設は宿坊ばかりで1万円以上する。

高野山は3回目だが、泊まるのは初めてだ。シャワーを浴びて、着替えをして、2時間以上掛けてあちこち見て歩いたが、とても廻りきれる広さではない。


まずは、宿の近くの奥の院へ。


杉の巨木の中の奥の院への両側には50万基以上の墓が並ぶという。全国の大名の墓がほとんどあるという。そのほとんどは巨大なものばかり。


総本山金剛峰寺。この高野山には117の寺院がある。


苅萱堂

ずっとあちこち見て廻り、宿へ戻って、お勧めの店で夕食を摂る。生ビール2杯飲んだら眠くなり、ブログは翌朝書くことにして、バタンキュー。

熊野古道8日目(小辺路)・三浦口~伯母子峠~大股〈17km〉

2014年05月27日 | 登山・旅行
《6年前に引き続き、まさかの二度目となったツツジ満開の伯母子岳頂上》

今日は熊野古道で最も高い1220mの伯母子峠越えである。当初の計画では、次の水ヶ峰も越えて高野山までの34kmを一気に歩く計画だった。しかし、予備日が1日空いている。さらに、今日は雨予報だったので、無理しないことにした。そこで、伯母子岳から下りた大股の「民宿かわらぎ荘」に予約を入れた。結局今日は、登りの標高差約900m、距離は17km、6時間の歩きだった。

峠からすぐの伯母子岳(1344m)は、三百名山巡りで大股の方から登っているので懐かしかった。頂上にも寄ってみた。

8:00、古道の接続点の三浦口まで送ってもらってスタート。県道を1kmほど歩く。


8:20、五百瀬の伯母子峠登山口から石段を登って古道へ入る。


石垣を残す「待平屋敷跡」からの急な登りは、しばらくの間石畳の道が続いた。

その後にも、数ヶ所の茶屋跡の遺構があったが、1000mを超えたところの「上西家跡」には驚いた。広く平らな土地で、旅籠の他に作物を育て、養蚕も営んでいたという。この高さにある旅籠は旅人や馬子たちに非常にありがたがられ、大いに賑わったという。

標高900mくらいまではどんどん高度を稼げたが、その後の平坦な道が長かった。


11:40、トイレと山小屋のある伯母子峠に到着。さらに、頂上を目指す。



途中には北海道では見られない好きな花のひとつ清楚なシロヤシオツツジが満開だった。ちなみにこの花は皇室の愛子様の御印である。

12:00、予定通り4時間で6年ぶりの頂上到着。前のときもヤマツツジが咲いていたような気がする。
まだ遠くの展望は見えていたが、東側から雨雲が押し寄せて来るのが分かった。

山小屋の中で腹ごしらえをして、大股への下山開始。弱い雨が降ってきた。普通ならカッパは要らない感じだが、寒かったので上下しっかり着た。


「萱小屋跡」到着。6年前には、子どもの頃ここに住んでいたと言う女性がかわいい山小屋を造っている最中だった。それが完成していた。

この辺りからの急な尾根にジグザグの急な下りが続く。それがまったく記憶にないのが不思議だ。


記憶に残っている家と家の間の急坂を下って大股口のバス停に到着。ちょうど14:00、予定通り6時間だった。カッパは着たままだったが、雨はほとんど止んだままで助かった。

やはりauはここも圏外だった。バス停の公衆電話から民宿に電話したら、すぐに迎えにきてくれた。


民宿に到着。今日は団体が入っていて満室だそうだ。すぐに、近くの野迫川温泉まで送り迎えしてくれた。思わず温泉でのんびりすることができた。

温泉から帰って来たら、雨が本降りになってきた。

夕食は、写真を撮る前にうっかり食べてしまったか、鴨鍋と鮎の塩焼きと鮎の唐揚げのマリネだった。〆のおじやも美味かった。

熊野古道7日目(小辺路)・十津川温泉~三浦峠~三浦口〈20km〉

2014年05月27日 | 登山・旅行
《三浦峠から眼下の五百瀬の集落と正面には明日越える伯母子岳が見える》

今日から歩く高野山町石道までの古道は、明治22年の大水害で土地を失った640世帯2600余名の「十津川村郷士北海道移住団」が神戸港まで歩いた道でもある。今の新十津川町を拓き、築いた人たちである。その思いに少しでも触れてみたい。


今日は、川筋の国道歩きと1060mの三浦峠越えがメインだった。宿から約20kmを7時間掛けてのんびり歩いた。

7:30、昨日の3回と朝風呂も入り、今行程最後の温泉を満喫した。美味しい朝食をいただいて、民宿を出る。


古道の接続点となるつり橋の柳本橋対岸から実質的なスタート。

柳本から西中までの古道は部分的にしか残っておらず、8kmほどは国道をひたすら歩いた。国道ぞいのいくつかの小さな山村集落の中を通った。


玉垣内の古そうな川合神社は、菅原道真を祀っているとのこと。

9:50、西中の三浦峠登り口で国道から離れる。この後がちょっと大変だった。旧道と新道があり、舗装された林道とダブったりで、右往左往、行き戻りつで30分ほどロスした。

ようやくはっきりした古道を進み出した頃、反対側から三浦峠を越えてきた人たち7名と次々と出会った。その中の2名が外国人だった。


11:05、観音堂に到着。若い2人の女性が昼食を食べていた。


かなり高い所なのにもかかわらず、石垣を積み上げて平にした土地に茶屋や旅籠や田畑の跡が見られる。昭和20年代まで居住していた所あるらしい。


13:05、西中の登り口から30分のロスをしながらも、標高差800mを3時間ちょっとで、三浦峠に到着。林道が通っていて、バイクの人が2名いたのにはやや興ざめだった。

明日越える伯母子岳やこれから下る眼下の集落の展望を楽しむ。

ふと、記念植樹者名が書かれた木杭を見たら、新十津川町議会の議長と副議長だった。母村との交流の様子が窺えた。

いよいよ下山だが、西中からの登りは非常に緩やかだったが、三浦口への下りはかなり急だった。反対に登るのはつらそう。


標高500mほどのところに不気味な形で枝を広げた杉の巨木が何本も並んでいる。吉村家の屋敷跡の防風林だったらしい。樹齢500年ほどとのこと。


ゴールが近くなると、民家が現れる。石垣を積んだ住居跡の側には石畳の道が残っている。

14:30、ちょうど7時間で三浦口に到着。予約をしておいた「農家民宿山本」で迎えにきてくれると言ってたので、電話しようとしたら圏外だった。近くの家に飛び込んで電話を掛けてもらった。


迎えの車が着いたところは、なんとうれしいことに、大好きな山村風景の中の一軒だった。(中央上の大きな家)


昨日は満室だったらしいが、「今日はお一人だけなので、好きな部屋を好きなように使って下さい」と言われ、奥の一番大きな8畳と4畳の通しの部屋へ案内された。

築100年以上経っているというが、古い感じがしないがっしりとした典型的な農家建築だ。黒光りしているヒノキの太い張りや柱がが見事だ。トイレや風呂は最新のものにリフォームされていて快適だった。浴衣の代わりに作務衣というのもうれしかった。

ところが、auは圏外だった。家への連絡は電話を借りたが、ブログの送信は、明日どこか電波の繋がるところ待ち。


夕食は、自分一人のために1時間以上掛けた手作り感満点の地元素材の料理ばかりで、とても美味しくいただいた。特に、昨日の釜飯もそうだったが、今が旬というタケノコの炊き込みごはんと煮物がうれしかった。

奥さんといろいろお喋りしながら食べた。やがて、出掛けていたご主人が帰って来て夕食を食べ始めたので、部屋に戻り早々と就寝。

熊野古道 7日目  ≪番外編≫  妻代筆

2014年05月25日 | 登山・旅行



入院中じゃないのに、代筆(笑)
本人元気です!!


本日の宿は圏外で携帯電話が使えないとのことで、固定電話から電話がありました。
更新しないと皆さんが心配するので、何か書いておいてくれと言われました。

が、皆様、他人の心配をするほど暇ではないのではないか?
とも思いますが一応・・・


本日は財布を紛失することもなく、無事に宿に着いたらしいです。

写真がないと寂しいので、sakagの学生時代の写真をペッタンコ。

ワリトオトコマエ・・・・・・

熊野古道6日目(小辺路)・請川~熊野本宮大社~十津川温泉〈18km〉

2014年05月24日 | 登山・旅行
《天空の郷・果無集落と世界遺産を刻んだ石》

いよいよ今日から小辺路に入る。熊野本宮と高野山の二大聖地を結ぶ70kmの道である。1000mを越える4つの峠を越える熊野古道で最も険しい道とされている。

中世の天皇や皇族の行幸から始まった熊野詣でだが、彼等はこの小辺路はあまりにも険しくて利用していない。近世になって一般民衆の熊野詣でや西国三十三ヶ所巡りに頻繁に利用されるようになったとのこと。

距離的には2泊3日で歩けるのだが、その記録はほとんどテント泊だ。宿泊まりでは、宿のある集落の関係で、3泊4日にならざるを得ないようだ。

5:30、お茶のセットも湯沸かしポットも座布団もない侘しい部屋でパンとジュースだけの朝食を済ませて、早々にスタートしようとしたら、主人が握りたての温かくて大きな梅ジソおにぎりを持たしてくれた。悶々としていただけにとてもうれしかった。これで少し加点となった。それを食べながら国道を歩いて本宮大社へ向かった。


4日前に下りてきた熊野本宮大社の表参道の階段を登り、裏鳥居から出て、中辺路と小辺路の分岐の三軒茶屋まで同じ道を辿る。


やがて国道に出る。「道の駅ほんぐう」でのんびり休憩。目の前の熊野川の向こうにこの後越えなくてはならない果無山脈が見える。

8:10、さらに国道を歩き、果無峠への登り口の八木尾に到着。

《大ハプニング発生!》
そこを携帯で写そうと思ったら、財布や携帯電話などの入ったウエストポーチがない。道の駅のトイレに忘れたらしい。慌てて戻ったがどこにもない。道の駅はまだ開いてない。

お金もないので電話も掛けれない。一縷の望みは親切な人が警察へ届けてくれていることだけ。もし届いてかなったら一銭もないので動きようがない。とりあえず、お先真っ暗な気持ちで近くの派出所へ行ったが留守だった。警察電話が使えるので、とりあえず110番へ。事情を話したら、関係する交番へ問い合わせてくれた。

なんと、本宮の交番に届いているとのこと。「助かった~!」道の駅に戻ってバス賃を借りようとしたら、交番まで車で送ってくれた。

届けてくれた人は、旅行中の名古屋の方だった。謝礼も不要とのことだったが、警察から電話をかけてもらって、直接お礼の言葉を申し上げた。良い人に拾われて、感謝・感激!

交番から出たら、5分もしない内に道の駅まで行くバスが来た。道の駅から仕切り直しで八木尾まで戻った。


9:55、1時間45分遅れで、標高差960mの果無峠への急な石段の道に取り付く。


この登り口から十津川の降り口まで三十三観音の石仏が設置されている。それらを眺めながら登って行く。やはり、疲れはあるようだ。いつもより休む回数が多い。


やがて、展望が開け、左下に熊野川と県境の七色集落が見えた。


12:10、標高1060mの果無峠に到着。間もなく立て続けに3グループが反対側から到着し、にぎやかになった。

いよいよ十津川へ向かっての下りだ。自分が登って来たよりずっと斜度がきつそうな感じだ。


途中で北側の展望が広がる。眼下は十津川の流れと十津川の集落だが、その先の山並みは明日以降越える峠の山並みのようだ。一番奥の高い山並みは、2年越しで縦走した大峯山脈らしい。


石畳や石段の道も古道らしいか、長年歩き込まれて深く掘れた道も古道の雰囲気がある。

茶屋跡やそね茶屋が雨水だけで米を作ったという天水田を見ながら下って行く。


13:45、標高450m付近の尾根に位置する天空の郷・果無集落へ入って行く。畑仕事をしていた可愛いばあちゃんとお喋りをした。宿に着いたら、そのばあちゃんが写った十津川村の観光ポスター市がはられてびっくり!カツばあちゃんはこの村のスターらしい。

果無集落からの石畳のジグザグを切る道のあまりの急さに驚きながら下った。滅多に経験できない斜度である。あのカツばあちゃんも登り下りしたのだろう。

下りて、古道の接続点となるつり橋の柳本橋まで行ってみた。幅広で両側に掴まることができない上に凄く揺れて、自分にはとても渡れそうもない。対岸へは国道からも行けそうなので、明日はそうすることに決めて、十津川温泉街の方へ戻った。


十津川沿いの温泉街は落ち着いた風情だ。


今日の宿は、「温泉民宿やまとや」。部屋はとてもきれいな8畳間。ありとあらゆるものが揃っている。これが普通。昨夜は酷すぎた。


特に温泉棟が凄かった。昨秋に建て替えたという真新しい総ヒノキ造りの建物で、浴槽も広くて源泉掛け流しに大満足。何度でも入りたくなる。


夕食は、同じ経営のドライブインで、その店の名物の釜飯がメインだった。とても美味かった。

今日の所要時間は、ハプニングに費やした時間を除いて、6時間10分だった。

それにしても、ウエストポーチが盗まれていたら、カード類も全てなので、今頃どうしていたのだろうか?警察でお金を借りてでも旅は続けるつもりだったが…。同じことを繰り返さないためにも対策を講じなければならない。

熊野古道5日目(中辺路)・那智山~大雲取り越え~小雲取り越え~請川〈27.5km〉

2014年05月23日 | 登山・旅行
《越前峠への急な道を下って来る外国人。今日は20人ほど出会ったが、日本人は3人だけ。ほかは全て欧米系の外国人ばかり》

本宮・新宮・那智と巡った参詣者は再び本宮へ戻って帰路に就いたという。そのときに使われたルートが、今日歩いたこの大雲取越え~小雲取越えである。だだし、天皇の行幸がメインだった中世は再び同じルートを戻ったらしい。このルートが定着したのは、一般民衆の熊野詣や西国三十三ヶ所巡礼が盛んになった近世以降らしい。また、国道42号線が開通するまでは、大阪方面へ抜ける山越えの唯一の幹線道路だった。

今日のルートは、途中の小口で泊まって2日に分けて歩くのが普通らしい。しかし、本宮手前の請川までなら27.5kmなので、800m超の3つの峠越えはあるが、10時間もあれば歩けるだろうと考えた。ネット上でも1日で歩いた記録も見られる。

まずは、勝浦駅始発のバスで那智山に戻る。7:15、那智大社への急な石段登りからスタート。


7:30、青岸渡寺の鐘楼の横から古道に入る。最初は舟見峠までの標高差550mほどの登りが続く。斜度はそれほどきつくない。これまでにないほど幅広の石段や石畳の道である。


標高850mほどの舟見茶屋跡に到着。東屋の建つ展望台からは、妙法山を挟んで熊野灘が望まれる。その先の舟見峠の少し先がGPSで測ったら888mでこのコース最高点だった。

この後、いくつかの茶屋跡を見ながら進む。地蔵茶屋跡までの1.3kmは舗装された林道を歩く。

石倉峠(805m)を越え、越前峠(840m)へ。逆から登って来た外国人夫婦はかなりつらかったようだ。オーバーなジェスチャーでそれを伝えてくれた。確かに、そこから標高差800m近い小口集落までの下りが長くつらかった。


11:40、楠の久保旅籠跡に到着。ここは大正時代まで営業していたらしい。この前後に10数件の旅籠があったらしく、その痕跡が残っている。ただ、不思議なのは、その後の茶屋跡もふくめて、近くに川も沢地形もまったくないことだ。水の確保はどうしていたのだろうとずっと疑問のままだった。


12:15、苔むした大きな岩に3つの梵字が刻まれた「円座石(わろうだいし)」に到着。この梵字は、熊野三所権現の薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩を表しているらしい。


12:30、小口集落に到着。多くの古道歩きの人が泊まる廃校利用の小口自然の家を左に見ながら県道を下って行く。


12:50、昭和29年まで渡船があったという小雲取越えコース入口の小和瀬口に到着。新しい東屋やトイレがあるので、そこで15分の昼食タイム。

この小雲取越えは、最高地点が450mほどで、きついアップダウンもない快適な歩きだった。


大雲取越えは、ほとんど檜と杉の林だったが、こちらは自然木の明るく快適な尾根歩きもあった。

椎の木茶屋跡を過ぎ、桜茶屋跡を過ぎると、小雲取越えの最高地点桜峠。その後なだらかな尾根道が続く。


15:15、見晴らしの良い「百間ぐら」に到着。紀南の最高峰・鋭く尖った大塔山から果無の山々まで、本宮を包む熊野三千六百峰が望まれる。やがて、樹間から熊野川が見えて来る。


16:35、9時間20分で、今日のゴールである請川集落に下り、コンビニで買い物をして、予約しておいた民宿に到着。本宮手前3km地点である。

この中華料理店を兼ねた民宿、素泊まりで夕食は店で好きなものを食べれて便利だが、昨日とは天と地の違いだった。

部屋も古く、浴衣もタオルもなし。風呂に入れると言うので浴室をみたら、浴槽は空。仕方ないので自分でお湯を入れて入った。洗い場の椅子もなし。これで4400円は情けない。せめてもの救いはクーラーがあったことだけ。

夕食に味噌ラーメンと野菜炒めを頼んだ。600円のラーメンなのに具はわずかなもやしだけ。ご夫婦の愛想はよいのだが…。

これまでの最長距離の大満足の歩きの締めにしてはちょっと残念。それほど疲れがなかったのがせめてもの慰め…。

熊野古道4日目(中辺路)・新宮~熊野那智大社〈22km〉

2014年05月22日 | 登山・旅行
《熊野古道で最も人気の高い大門坂を下りてくる微笑ましい老夫婦》

トイレにも起きず9時間近い爆睡にびっくりして、爽やかな朝を迎えた。
今日は熊野速玉大社のある新宮から三山巡り最後の熊野那智大社の下の那智の滝までの約22km。所要時間は6時間40分だった。

7:30、ビジネスホテルを出て、熊野速玉大社からの古道ルートへ戻る。まず、最初に寄ったのは、速玉大社より歴史が古いとされている阿須賀神社。市街地を抜け、浜王子(王子神社)を過ぎて、まもなくすると海岸に出る。


8:10、最初は堤防の上を歩く。リュウゼツランに似た花が咲いている。さすが黒潮の海だ。堤防の先は砂浜の海岸歩き。足跡がたくさん続いていた。昔の人もこうして歩いたのだろうと感慨深い。

30分ほどで海岸から離れ、高野坂登り口。ここで初めての標識。これまではガイド地図を頼りにやってきた。眼下に黒潮の海を眺めながらの山越えの道だ。途中に石碑や地蔵や弁慶の母親の墓まであった。金光稲荷神社を越えると下り坂になる。


石畳の敷き詰められた高野坂を下ると、三輪崎の町に入る。国道42号線をしばらく歩く。途中の佐野王子跡は見落とした。かなり歩いてから気付いたのでパス。
その後、国道42号線から小狗子峠と大狗子峠の旧道を抜けると、浜ノ宮に入る。


11:20、浜の宮王子(熊野三所大神社)と隣り合わせの補陀洛山寺に到着。どちらも熊野信仰とは密接な関係のある神社と寺だ。神仏習合の名残を感じる。
那智山へ向かう県道を少し進んだ後、旧道へ入る。


荷坂峠を越える谷の中の竹林の中を通るせまい古道に新鮮な感動を覚える。
北条政子の尼将軍供養搭の過ぎると、市野々の集落の中の旧道に降りる。
市野々王子神社を越えると大門坂入口が近い。登りに備えて、大門坂駐車場で非常食で簡単な腹ごしらえ。


13:05、いよいよ大社への参道・大門坂にかかる。ここを登るのは、一昨年の大峯奥駈道から下山後以来2度目だ。

杉の巨木に囲まれた苔むした石段の道は、熊野古道の中で最も人気の高いスポットである。


大門坂を抜け、急な石段の続く参道を登り詰めて、13:40、熊野那智大社に辿り着く。


門を隔てた青岸渡寺の境内からは、那智ノ滝と三重の搭が見える。

14:10、さらに、下まで下って那智の滝を見上げて今日のゴール。滝からバス停まで戻る。今日の宿は勝浦温泉なので、バスて移動しなければならない。


バスを待つ間に、観光地値段で高かったが、売店でみつけた「熊野古道麦酒」で安着祝い。

今日の宿は、勝浦温泉駅近くの素泊まり専門の「お宿はな」。ネット上での評判が非常に高い宿だ。口コミも非常に多く、総合評価4.5以上というのが凄い。

その理由に納得。30代とおぼしき若女将がきれいな上に非常に感じの良いこと。建物は古いが掃除が行き届き、あちこちに若女将のセンスの良さと細かな心遣いが散りばめられている。自由に飲めるドリンクコーナーや種類の多いフリーアメニティコーナーもある。温泉も順番の予約性なので、貸し切りで気兼ねなくゆっくりできた。これで3500円ならみんな大満足なはずだ。

中辺路3日目・湯ノ峰温泉~楊枝~熊野速玉大社〈歩き22km〉

2014年05月21日 | 登山・旅行
《今日の目的地・熊野三山のひとつ新宮市の熊野速玉大社》

熊野参詣で本宮から新宮の熊野速玉大社へ参る手段は、舟で熊野川を下ったことは知られている。今でも地図に熊野川(熊野参詣道)と書かれ、「川の古道」と呼ばれている。しかし、庶民の多くは舟賃の要らない陸路を選んだようだ。川沿いのその頃の道は熊野川を挟んだ国道や県道に埋もれてしまい、いわゆる古道は残っていない。

計画では、前半は国道を歩き、後半の日足からちょっとリッチに川下りの予定だった。しかし、夜通し雷を伴って降り続いた強い雨で増水して、川下りができない可能性が強い。

そこで、持参した本を参考にして、前半の見所のない国道部分をバスで移動し、昔の道の面影を残しているという川丈(川端)街道と呼ばれた県道小沼紀宝線を歩くことにした。楊枝から新宮までの約22kmである。

幸い、夜通し降り続いた強い雨は朝には上がったが、湯ノ峰温泉から6:55発のバスに乗りるときにはまた降りだした。楊枝口で下車。三和大橋を渡って左岸の県道へ。弱い雨の中を傘だけで歩いたが、まもなく止んだ。


間もなくして、和気の集落を通過。好きな山村風景だ。この後、8kmは集落も民家もなかった。


その後は左側が断崖絶壁の林道状の狭い道が続く。あちこちで復旧工事をしていて、通る車は工事関係者のみ。


やがて、橋がすっぽり流されて架け替え工事に阻まれた。しかし、工事関係者が通過する架設階段を通らせてもらった。


その後、唯一古道の痕跡が残る6.8km地点の「デンジ(宣旨)帰り」を探しながら歩く。しかし、見落としたようなので戻りながら探す。標識は工事関係者の車の陰になっていた。

その由来は天皇の使者が増水で通れず、帰ってしまった故事に由来する。良く見ると岩に階段が彫り込まれているのが判る。ここから川面の近くまで下った古道の痕跡である。


やがて、左手が急に開けたところに出る。「飛雪の滝」と新しいキャンプ場だった。


その先は唯一川から離れ、水田の広がる「浅里郷」の中を通過。素晴らしい雰囲気に感動していたら、「日本の里百選」に選ばれているという。

そこから南は道も広く快適な道路となり、民家も点在するようになる。しかし、行き交う車はコンクリートミキサー車ばかり。


やがて、民家が多くなり、川が大きく蛇行するようになるとゴールは近い。

スタートで渡った三和大橋以来初めての熊野川を跨ぐ新熊野大橋を渡る。すぐの交差点を右へ進むと今日の目的地である熊野速玉大社に到着。13:15、スタートして5時間45分だった。

その後、今日の宿であるサンシャインホテルに到着。まだ早い時間だったが、シャワーを浴びてビールを飲んだら動きたくなくなった。


夕方になって、写真を目にしたときに、ぜひとも実際に目にしたいと思っていた神倉神社へ。
この神社はゴトビキ岩を御神体とする神社である。そもそも熊野信仰の原点は、自然崇拝で、岩、木、滝などに神が宿るとして崇拝してきた。


いきなりの自然石の急な階段に度肝をぬかれた。この500段の石段は源頼朝が寄進したとのこと。


神社の下から新宮の町並みや熊野川河口を望む。

《追記》 
この神倉神社は熊野速玉大社の元宮で、現在地に新しく大社の宮を遷したので新宮と呼ばれ、新宮市の語源になったそうだ。

中辺路2日目・近露~熊野本宮大社~湯ノ峰温泉〈28km〉

2014年05月20日 | 登山・旅行
《3年連続の熊野本宮大社本殿前》

早目に用意してもらった朝食を食べ、宿の車で近露王子まで車で送ってもらった。7:00に近露王子をスタート。

予報で心配していた雨だが夕方まで持ってくれることを願う。宿から今日のゴールまでは28kmの長丁場。10時間の予定でスタート。

今回は四国遍路の歩き始めの数日間に足の指にできたマメ対策で5本指の靴下の上にランニングソックスを履いている。靴は履きなれたトレランシューズ。



最初の8kmは山道ではあるが、生活道路を兼ねた舗装道路だった。最初の見所は、杉の巨木に囲まれた継桜王子社と枝が一斉に南へ向いた、樹齢1000年を超えるという野中の「一方杉」。王子社の下の名水百選の野中の清水で水を汲む。


山の斜面の標高500m前後トラバースする感じの道沿いの民家にいたずら心の彫刻に思わず心和む。小広峠を越えて小広王子から川を越えて所で舗装が終わる。


橋を渡って熊瀬川王子の登りから杉林の中を登る古道の雰囲気を残す石畳の階段となる。ここからが、中辺路で最も険しい地域となり、標高差200m~300mほどの急峻な登り下りを繰り返す3つの峠越えが始まる。まずは、草鞋峠(592m)。女坂と呼ばれる下りがきつかった。

草鞋峠から川沿いの道に出たら、その先の古道は通行止めになっていて迂回路へ。


迂回路の登りも急だった。3つの峠で最も高い岩神峠(671m) の手前から越えてきた草鞋峠とその下の谷、さらには登ってきた急な斜面を振り返った。なかなかの険しさだ。


岩神峠からの下りもかなりの斜度だった。本来の古道と合流する手前の蛇形地蔵の前で一休み。湯川王子を越えて、次の三越峠への登りとなる。



やがて、昔関所があったという三越峠(548m)に到着。登りは大して気にならなかったが、音無川沿いまでの下りが急で長かった。

やがて、林道や舗装された生活道路や古道だけの道が繰り返されてどんどん下っていく。


山中の古道には「蘇生の道熊野古道」の石柱が目立ってくる。


やがて、山村の中を下って行くと、ゴール近しを思わせる。

最後の古道らしい雰囲気を残す道を下って行くと、集落に入る。みちなりに下って行ったら熊野本宮大社の裏鳥居から境内に入って行ってびっくり。しかも本殿の裏だった。

14:30、近露から予定より1時間以上速い7時間30分だった。


昨年と一昨年は、下の鳥居から長い階段を往復したが、今年は下るだけ。


明治22年の大洪水で流されるまで熊野本宮大社があった大斎原の大鳥居を潜る。湯ノ峰温泉までの大日越えへ向かおうと思ったら雨が降って来た。

ちょうど良いタイミングのバスがあったので、それに乗った。


湯ノ峰温泉は川を挟んでこじんまりとした旅館や民宿が立ち並ぶ歴史を感じさせる温泉街だ。

傘をさして有名な「つぼ湯」を外から眺めて、今日の民宿てるてやへ。


この民宿の名は、この温泉街に伝わる悲話伝説の照手姫によるらしい。早速こじんまりとした温泉でのんびりと疲れを癒した。


夕食は、鹿の刺身が出た。ルイベのように凍らせてあったが美味かった。昨日も出た鮎や鴨鍋はこの辺りの名物か?