癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

東オホーツクの景勝地巡り

2020年06月30日 | 登山・旅行

 昨夕、温泉に入って、道の駅に戻り、天気予報を見たら、今日から3日間は雨予報に変わっていた。

 朝になって、高曇りなので降っても大したことはないだろうと迷いながら準備はした。しかし、「止めろ」というように、ポツポツと雨が落ちてきた。このあと、本降りになったので止めて正解だった。

 羅臼岳と斜里岳は、どうせこちらまで来るのだからという程度の計画であった。それぞれ複数回登っているので、無理することはない。

 自宅までカーナビを入れたら655kmと出た。一般道を走るつもりなので、1日では無理である。今日は、断続的な雨の中、東オホーツクの網走以外の斜里町・清里町・大空町・美幌町の景勝地巡りを楽しんだ。

 帰路途中の陸別の道の駅でブログのアップ作業をした。このあと、鹿追町の道の駅まで走るつもり。そこまで走れば、明日は、8時間弱で帰宅できる予定である。

◎斜里町

 「天に続く道」~朱円付近から国道に繋がる28kmの直線道路。雨で最後まで見えないのが残念。最近できた観光地のようで、駐車場もできていた。

 スタート地点から少し進むと展望台もあった。

「以久科原生花園」

◎小清水町

「涛沸湖」

「小清水原生花園」

◎清里町

「さくらの滝」~高さ3mの滝をサクラマスがジャンプする姿が見られる。10分ほどで2匹のジャンプを目にしたが、カメラには収めることごできなかった。予想したよりも大きな魚体だった。

〈他サイトから借用〉シーズンにはこのような状態が見られるようだ。

「男鹿の滝」~斜里岳の銀嶺水が1日3万㌧も湧き出し流れ落ちる高さ25mの滝。左側の上からも流れ落ちている。往復24kmの未舗装の林道走りは長かった。

「神の子池」~摩周湖の地下水によってできたと言われている青い湧水を湛える池。これは、ぜひとも見たかった。

「裏摩周展望台」~40年ぶりに再訪したが、濃い霧で何も見えなかった。まさに「霧の摩周湖」

〈他サイトから借用〉天気が良いとこのような展望が広がる。

◎大空町

 女満別町と東藻琴村が合併した町。地名感のない町名は、北斗市と双璧?

「メルヘンの丘」~丘陵地に連なる畑。四季ごとに美しい田園風景を描き出す。

◎美幌町

 「美幌峠」~ここも濃い霧に覆われていた。あげいもと道の駅のコラボ

 展望台からの展望は諦めて車で少し下ったら、霧の下に屈斜路湖が広がっていた。ラッキー。

走行距離30万km突破

 今朝、11年間で、ついに突破。7/4が5回目の車検の予定。この車は乗り潰す予定なので、あとどのくらい走れるか楽しみである。あと9年は乗りたいものだ。こちらが先に潰れるかも?

打ち上げは鹿追の「鳥せい」で

 鹿追の道の駅の近くに、安くて美味しい、十勝を中心に展開しているチェーン店「鳥せい」を発見。若どり炭火焼き(税込880円)とビールで打ち上げ。やっぱり美味しかった。

 明日は、眼が覚めたら走るので、昼までには帰れるだろう。


野付半島ほか

2020年06月29日 | 登山・旅行

 今日は、明日の羅臼岳登山に備えて、根室市から野付半島に寄って、知床峠を越えて、知床の道の駅まで移動した。

 野付半島は、標津町および別海町にある細長い半島である。延長28kmにわたる砂嘴であり、規模としては日本最大である。野付半島・野付湾は、湿地の保全に関するラムサール条約に登録されている。

 一面に咲き誇るエゾカンゾウの絨毯

 ナラワラ

この旅で初めて見えた国後島

 野付半島ネイチヤーセンター

遊歩道を進む。

 これまで目にして来た花ばかり。

 木道が延びる先の、左は尾岱沼からの観光船の発着場。右はトドワラ。

 根元だけが残るトドワラ。以前はもう少し、幹の部分が残っていたような気がする。どんどん朽ちて行くのだろう。

 まだ、枯れた幹が残っているところもある。これもいずれは根だけになるのだろう。

 観光船の発着場。

 発着場の先端から、延びる半島を眺める。

 丹頂鶴のつがい

別海町奥行歴史の里

 国指定史跡の旧奥行臼駅逓所~明治43年10月にこの地区の世話役であった山崎藤次郎氏を駅逓取扱人として開設された。
 廃止となる昭和5年6月まで別海(現在の本別海)・西別(現在の別海市街)・別当賀方面への分岐点にある駅逓所として旅人に利用され、鉄道など未発達なころ、開拓に欠かせない拠点の一つとして、活躍した。

 駅逓所とは、交通不便の地に駅舎と人馬等を備えて、人馬の継ぎ立てと宿泊、物資の逓送等に便宜を図るために設置されたもの。全国的には江戸時代の宿駅制度は明治5年に廃止されたが、北海道では独自の駅逓制度として存続し、さまざまな制度改正を経ながら、北海道の開拓と連動して発展を遂げた。

 厚床パスで歩いた旧標津線の奥行臼駅~別海町南部に位置する奥行臼(現、奥行)地区は古くから別海市街、別海海岸部、根室市とを結ぶ交通の要所にあたり、奥行地区は奥行臼駅以外に奥行臼駅逓所、別海村営軌道など現在も多くの交通産業史跡が残る地区である。

 根室原野の開拓と産業の振興を図るため敷設された標津線:厚床-中標津間は昭和8年12月1日に厚床~西別(別海)間が開通と同時に奥行臼駅は運営が開始され、平成元年に廃線となり、56年の歴史を終えている。ている。この駅舎は開業当時のものである。

 別海村営軌道風蓮線奥行臼駅停留所と当時の車輌など~旧標津線への乗換停留所だった。

知床峠を越えて知床道の駅まで

 羅臼側は晴れて、羅臼岳がなんとか見えていたが、峠からはガスで覆われて根元しか見えなかった。

 それにしても、このような青空は、今回の旅で初めてだった。明日に期待!

 これまでに何度もお世話になっている道の駅シリエトク。このあと、登山口まで走って下見をし、ウトロ温泉街の日帰り温泉・夕日台の湯に入ったあとにここで車中泊予定。

 ウトロ漁港のそばのオロンコ岩~上まで階段があり、展望台になっている。

 この陰の方が急で海面に向かって下りるので、高度感があって怖かった。

 ウトロ漁港とウトロ温泉街を眺める。本来であれば、後ろに羅臼岳が見えるはずだが、ガスで見えなかった。


春国岱と根室半島チャシ跡群ほか

2020年06月28日 | 登山・旅行

 今日は、霧と濃い曇り空だったが、雨は降らなかったので、まだ見たことのなかった春国岱と根室半島チャシ跡群を中心に、根室半島部分を回った。

春国岱(しゅんくにたい)

 春国岱は、風蓮湖と根室湾を分ける砂州で形成された面積約600haの湿地および原生林である。有史以来ほとんど人の手が入っておらず、高い原始性を保持しており、多様な植生・野生動物を見ることのできる自然景勝地である。

風蓮湖と木道

トドワラとエゾシカ

トドワラに残る枯れたトドマツ

対岸は自然が作った浜堤

第3砂丘の上にできた針葉樹林

トドマツ(左)とアカエゾマツ(右)の枝先の若芽

(左上)ハマハタザオ、(右上)ハマエンドウ、(左下)エゾコウボムギ、(右下)エゾツルキンバイ

根室半島チャシ跡群

 「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされている。

 北海道内でチャシ跡は500ヶ所ほど確認されており、根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残り、うち24ヶ所は「根室半島チャシ跡群」として国指定史跡に指定されている。また、平成19年には日本城郭協会が定める日本100名城のひとつ(お城番号1番)として選定されている。ちなみに、北海道では、ここのほかに五稜郭と松前城。

 根室市内のチャシ跡が築かれたのは16~18世紀頃とされている。

 これらのチャシ跡は、海を臨む崖上に、半円形や方形の濠を巡らせた「面崖式」のチャシ跡が多く、濠を組み合わせた大規模なものが多い。

 これらの中で、その遺構が見られるように整備されている「ノツカマフ1・2号チャシ跡」と「ヲンネモトチャシ跡」を巡って来た。草刈りがされたばかりだったので、形状がとても良く判った。

ノツカマフチャシ1・2号チャシ跡

1号

 2号~円形の2つが並んでいる。

 このチャシ跡は、ノツカマップ湾に突き出た岬の上にある。オホーツクを一望できる崖上に、盛り土がされ半円状の壕が巡らされている。

ヲンネモトチャシ跡

 このチャシ跡は、恩根元湾の西岸に突き出た岬の上に盛土をして、壕で区画し、盛土頂上に平坦面を2ヶ所作り出している。

北方原生花園

放牧されているポニー

ヒオウギアヤメの群生とミズナラの風衝林

(左上)センダイハギ、(右上)ハクサンチドリ、(下)ハマナス

(左上)ワタスゲ、(右上)ヤマブキシヨマウマ、(左下)マルバトウキ、(右下)シコタンキンポウゲ

納沙布岬と燈台

天気が良いと、歯舞諸島や国後島が見えるのだが・・・

北海道燈台発祥の地~納沙布岬燈台

花咲の車石

 花咲燈台下の断崖絶壁にある放射状(車軸状)節理の玄武岩で、正式には枕状溶岩ともいう。国指定天然記念物。

オランダせんべい

 小麦粉と砂糖だけで作るが、一般の煎餅のようにパリパリしておらず、湿気を持ち弾力のある柔らかい食感を持つことが最大の特徴である。

 江戸時代初期に、長崎や平戸に同名の「オランダ煎餅」(「煎餅」は漢字表記)、「おらんだ焼き」という菓子があり、これが名前の由来ではないかとされている。平戸では、模様の由来をオランダ人の靴跡をデザインしているから、と言い伝えられている。

 いつ頃から根室で販売されていたのかは定かな資料がなく不明だが、平戸から日本海北上ルートの富山・函館・根室と同じものが伝わっており、明治時代の記述には函館でも売られていた記録があるという。

 最盛期にはたくさんの製造元があったが、次々と撤退し、最盛期から残っているのは「端谷菓子店」のみである。

 なお、山形県酒田で製造されているオランダせんべい(米菓)とは全く関係ない。

このあとの日程

 7/4に車検の予約を入れてあるので、7/3には帰らなくてはならない。このあと、天気予報を見ると、羅臼岳と斜里岳に登れそうなのは、6/30と7/2だけである。

 明日はうとろの道の駅までの移動日とする。途中、野付半島にも寄りたい。今夜は、明治公園駐車場に3連泊となる。市街他にあるので、近くに大きな銭湯もあり、コンビニやいろいろな店もあり、何かと便利である。


雨で停滞・根室市のレトロ建築ほか

2020年06月27日 | 登山・旅行

 明治公園駐車場で朝を迎えたが、予報通り、朝から本格的な雨となり、予定通り、停滞を決め込む。。

昨夜はkoさんと食事と山談義を楽しんだ

 昨夜は、一昨日の浜松パスの後にお会いした、6年のお付き合いになるkoさんと、食事を伴にし、山談義を中心とした話を2時間ほど楽しんだ。

 お店は彼の高校時代の同期の女性が経営する「どす来い」という居酒屋で、予約を入れないと入れないという人気店らしく、昨夜も若い人を中心に満席だった。「北海道居酒屋グランプリ準優勝」の賞状も貼られていた。

 一番人気は「どす来いザンキ」で、安くてボリュームもあるが、スパイスの味が抜群である。画像は、他サイトから借用したが、これで600円。自分たちは、ハーフを頼んで2人で食べた。ほかの料理もどれも満足できる味だった。

続・ハセストとタイエーのやきとり弁当物語

 昨日取り上げたタイエー(ダイエーではなかった)のやきとり弁当だが、昭和60年代、根室にまだコンビニがなかった時代、オーナーさんが、函館のハセガワストアまで出向いて経営のノウハウを学び、平成元年に根室初のコンビニをオープンさせたという。いわゆる暖簾分である。店のマークも同じである。「根室名物やきとり弁当」というフレーズ使用も許可されているという。

市街地で拾ったレトロ建築

 根室市も昔から水産都市として栄えた市なので、歴史的建造物が残っていると思ってネットで検索してもヒットするのは、明治公園のレンガサイロと西和田にある和田屯田兵村の被服庫だけである。

 それではと、上記の2ヶ所以外は、昨日の午後に、適当に車であちこちに走り回って、目についたものをカメラに収めた。

 車中泊した明治公園のレンガサイロ~明治8年に国が創設し、北海道では二番目の歴史を誇る牧場の跡地を利用したサイロ。中央が第一サイロで昭和11年に造られている。高さが15m、直径6m。いずれも、有形文化財に指定されている。

 和田屯田兵村の被服庫~和田屯田兵が入値する前年の、明治18年ころに造られたと考えられる建築物で、屯田関係の建物では、唯一の被服庫である。バルーンフレーム構造という建築様式で、この様式はアメリカの西部開拓時代の建築様式を札幌農学校のホイラー教師によって、北海道に直輸入された。札幌の時計台や野幌の中隊本部も同様の様式である。道有形文化財に指定されている。
 

北の勝酒造(碓氷勝三郎商店)~どこにも酒造の名前はない。明治20年(1887年)創業。

根室金刀比羅神社~文化3年、北洋漁業開拓者高田屋嘉兵衛が当地方の漁場請負中、その守護神 として祀ったのが初めとされている。現社殿は昭和17年(1942年)建立。

 根室にもあった上下和洋折衷住宅~函館独特の住宅がここにもあった。下見張りで、持ち送りのような木製の軒下飾りも見られる。

根室駅前の商店~サイディングで覆われているが、たぶん下見板張りだったのではないかと思われる。

上の建物はモルタル塗装のようだが、様式は上下和洋折衷の住宅兼商店である。

下の建物は、元郵便局だったらしい。今は選挙事務所。

左は花咲小学校の校門門柱~この学校は明治9年開校で、道内で3番目に古い。

右は、モルタルで覆われているが、壊れたところからレンガが覗いているところを見ると、もともとはレンガ造りの倉庫のようだ。

 根室市歴史と自然の資料館~建物は、レンガ造りで1942(昭和17)年に大湊海軍通信隊根室分遣所として建設されたも。太平洋戦争後は花咲港小学校として利用されたが、平成2年から根室市郷土資料保存センターとして郷土資料の収集、保管を行い、平成16年10月から根室市歴史と自然の資料館として博物館相当施設の認可を受けた。

 昨日は遅かったので、今日改めて訪問したが、市内遺跡から出土した考古資料、ロシア初の遣日使節であるラクスマンの根室来航に関する資料、樺太に設置されていた国境標石などの歴史資料のほか、シマフクロウ、ラッコ等、この地域を特徴づける自然資料も展示されている。

 

 市街地には、「旧⚪⚪跡」というような旧跡標柱はあちこちで目にするが、現存する古い建物は少ない。太平洋戦争の北海道空襲で町の8割が焼失していることか影響しているのかもしれない。koさんに言わせると、函館のように修復して保存するというようなことはせずに、すぐに壊すらしい。

花咲かにラーメン

 花咲港にある大八~8時から営業している花咲かに専門店

 少し早い昼食に食べた花咲かにラーメン(1200円)。カニの剥き身がたくさん入っていておいしかった。

根室市図書館

 このあと、11時前から、根室市図書館で、本を読んで過ごしている。

根室のご当地グルメ「エスカロップ」

 根室に来る度に必ず食べるエスカロップ(900円)。これで3回目。今回は、元祖の味を引き継ぐというレストランどりあん。
 バターライスの上に豚カツが乗り、その上にデミグラスソースが掛けられている。この3つの組み合わせが、いつ食べても新鮮な味で大満足の美味しさだった。
 なお、語源は、一般的にはフランス語の「エスカロープ」 escalope (肉の薄切り)とされる。


厚床パス(根室フットパス)

2020年06月26日 | 登山・旅行

 今日の「厚床パス」は、牛の放牧を眺めながら、青々とした牧草地などを歩いて回るアップダウンの少ないコース。途中、標津線跡、殖民軌道跡などの開拓期の歴史が偲ばれる道や自然を楽しむことができる。また、途中にはレストランやカフェがある・・・などが特徴である。

 厚床駅を発着点として周回できるようになっている。距離は10km。

 3連泊となった、三重ナンバーの車も泊まっていたアゼチ岬を出て、厚床駅へ。

 駅横には「厚床パス」の案内板が立っていた。

 6:00、牧草地歩きがあるらしいので、雨上がりでもあり、スパイク長靴を履き、寒かった(10℃)こともあり、合羽の上下を着て、スタート。これらの装備は予想以上に大正解だった。

 駅前には、歴史と風格を感じさせる焼肉屋さんの建物。

 駅前から国道に出て、1kmほど進むと標識があり、農道へと入っていく。

 標識に従って分岐を右に進むと、刈り払われた明るい牧草地に出る。その左端に続く農道は、殖民軌道跡である。

 これは、1925年に道内初の軌道として誕生し、馬が簡易な車両を牽引して、ミルク缶などの荷物や住民を運び、地域の足となったが、1933年、標津線の開業により、廃止。

 やがて、キッシングゲートを開けて、牧草地の中を進むことになる。ここからは、長靴が大正解。

 牧場の柵に沿って歩くが、どこからともなく牧場の牛たちが全頭集まってきて、こちらの歩きに合わせて、1列になって付いてくる。牛飼い爺にでもなった気分。昨日は馬だったが・・・。

 それも300mほど先のキッシングゲートまでだった。

 その先も刈り払われた牧草地の中をカーブするように進む。

 やがて、伊藤牧場の経営するレストランATTOKOと、酪農喫茶Grassy Hillに到着。この伊藤牧場が、根室フットパスの中心人物のようだ。

 再び、牧草地の中の歩きになるが、「もの思いにふける丘」に上って行く。その上からは広い牧草地や牧場の景観が広がる。

 丘を下り、左側に続く標津線跡の歩きとなる。標津線は根釧原野開拓のための人員と貨物の輸送手段として、1933年を皮切りに厚床~標津間に開通。1989年、歴史の幕を下ろした。

 この歩きも、長靴と合羽ズボンが大正解だった。

 やがて、国有林の中へと入っていく。ここは藪の中に微かな踏み跡が続くだけで、長靴はもちろんだが、合羽ズボンを履いていて正解だった。

この木の割れ目は、凍裂によってできたものらしい。

 この土塁は、馬市場と呼ばれる家畜市場があり、そこで日本陸軍の軍馬の調達がなされていた場所の名残である。馬が逃げ出さないように築かれたもの。

 再び、標津線跡を進む。国道の下を潜って進む。

 標津線跡の先から厚床駅までのコースは、まさに胸丈ほどの藪濃きだった。数日前に歩いた人がいるらしく、その痕跡があるから道だと分かるが、合羽もびしょぬれになった。ここだけでも刈り払いがなされることを望む。

 8:10、2時間10分で、厚床駅にゴール。舗装道路の歩きは、最初の国道の1kmだけで、根室フットパス3パスの中では一番楽しいコースだった。

 ゴール後は、釧路市街地へ向かい、まずは、コインランドリーへ。洗濯している間にブログを打つ。

 コインランドリーの近くに、見た目に函館のハセストとそっくりな店構えのタイエーというコンビニがあった。そこに、「根室名物やきとり弁当」の旗が立ち、「テレビでも紹介」と書かれている。興味本意で入って、注文した。

 まさに、パッケージもハセストのやきとり弁当そのものである。ハセストの部分の印字がタイエーになっているだけで、あとは何も変わらない。聞いたら、ハセストと同じ系列のコンビニとのこと。このやきとり弁当、我々は函館名物と自負しているが、こちらでは根室名物になっていた。

 今夜には、koさんと食事をすることになっているので、根室駅近くで車中泊できそうなところを探した。駅から1.5kmほどの明治公園の駐車場に決定。 

 今日の「厚床パス」で、今回、根釧方面へやってきたミッションは達成である。この時期にこちらへやってきたのは、湿原や草原に咲く花が一番きれいな時だったからである。この時期にゆっくり歩いてそれらを楽しむ計画をずっと温めてきた。

 スカッと晴れた天候には1日も恵まれなかったのは残念だが、昨日の午後を除くと、雨で停滞することもなく、予定以上に、順調に日程をこなすことができた。

 しかし、明日と明後日は雨予報である。2日間は根室市内で停滞し、適当に過ごす予定である。そのあとは、天気の良いときに、羅臼岳(岩尾別コース)と斜里岳(三井コース)を登りたいと思っている。


初田牛パス(根室フットパス)

2020年06月25日 | 登山・旅行

 「初田牛パス」は、既存の舗装された農道を歩くコースで、周りには広い牧場や牧草地が広がる。

 地図では、初田牛駅を発着地点として、周回できるようになっている。距離表示は14.3kmになっている。その距離で周回できると思って歩いていたが、どうもおかしい。もっと距離があるような気がして、地図を良く見たら、14.3kmというのは、初田牛駅から北側のコースを歩いて、厚床駅までの距離だった。厚床駅の手前から、南側のコースを歩いて初田牛駅まで戻るには、さらに、6km歩かなければならなかった。結局20km歩いた。

 初田牛駅に着いたら、駅舎がない。それもそのはず、昨年の3月に廃駅となっていた。7:35、スタート。

 町道に出る手前に「開基百年の碑」が立つ。

 駅跡から左回りで進み、町道623を進む。

 道端にはエゾスカシユリがずっと咲いている。ユリはあまり好きでないが、このユリだけは大好きである。

 牧草地と牧場の中に続く変化のない直線道路である。ひたすら歩くだけ。

   4kmほど歩いたところで、14.3kmという表示距離に疑問を抱く。地図を良く見たら、それは、初田牛駅から厚床駅までの距離だということに気付いた。

 

 国道44号に出た所にある村島牧場。家畜糞尿を好気性菌で分解して堆肥化し、環境への負荷を下げる取り組みをしているという。

 ここから来た道を分岐まで戻る。

 分岐から、西側に延びる農道を進む。

 牧草地のあちこちに牧草ロールが置かれている。

 牧場でのんびり草を食む牛たち。1頭だけはこちらをじっと眺めていた。

 唯一のチャームポイント・眼鏡橋。根室市唯一のレンガ造りの鉄道橋。正式名は別当賀川橋梁。

 ここから、進路を東側に取り、初田牛駅を目指す。ここからが、予定にはなかった距離である。

 東厚床スノーシェルター。このあと、初田牛スノーシェルターもあった。

 そのシェルターを潜って、右折し、初田牛駅へ。

 途中の初田牛神社な寄る。ここにも馬頭観音(左)が奉られていた。

 12:00ちょうど、4時間半で、久しぶりの20km一気歩きのゴール。

 このあと、厚床パスも歩くつもりだった。すでに30kmも歩いているし、どうするか悩んでいたら、雨が降ってきた。これ幸いと、あっさり諦めがついた。厚床の伊藤牧場さんに鍵を返して、初田牛パスの距離のことも話してきた。

 このあと、3日連続となる霧多布温泉ゆうゆへ向かう。遠いが、根室市には温泉もゆっくりできるところもないからである。今日の歩数46,000歩数。

 「別当賀パス」は、すでにアップ済みです。「厚床パス」は、雨が降ってなければ、明日歩く予定です。


別当賀パス(根室フットパス)

2020年06月25日 | 登山・旅行

 

 「根室フットパス」とは、根室市厚床、初田牛、別当賀地区の5人の酪農家が、自分達の牧場をつないだ、歩くための道をつくった。現在、厚床パス、初田牛パス、別当賀パスの3つのフットパスが整備されている。根室の風土、開拓の歴史を歩きながら肌で感じることができる。

 酪農家が取り組んだところなどは、過去に歩いた北根室ランチウェイ」と似ているので、そのミニチュア版かな?と思った。

 昨日歩いた落石シーサイドウェイの方は、詳しい地図がネット上からダウンロードして印刷ができるが、こちらの方は、詳しい地図がネット上にアップされていない。どうしても購入しなくてはならない。おまけに、別当賀パスはゲートの鍵も借りなくてはならない。昨日の内に、厚床の伊藤牧場さんで購入(1部200円)して、鍵も借りておいた。

 連泊となった浜中町のアゼチ岬から、日本では一番早い日の出の瞬間(3:49)を捉えた。すぐに雲の中に隠れてしまったが・・・。

 今日は距離が長いので、このあとすぐに別当賀パスのスタート地点となる別当賀駅へ向かった。

 最初に歩いた別当賀パスは、海辺の放牧地を歩くコースで、美しい風景と足元に咲く花が魅力とのこと。往復で10kmのコース。

 4:50、貨車を改造した駅前に車を置いて、スタート。

 道々142号からの入口に案内標識が立っている。海に向かって延びる道を進む。

 まもなく、左手のお寺の跡に馬頭観音が設置されている。全国的に馬頭観音は漢字で彫られているものが圧倒的に多いが、ここのは、きちんと頭上に馬の顔を載せた観音様が彫られている。

 牧草地の間の未舗装の道を30分ほど進むと、錠が掛けられたゲートに到着。借りてきた鍵で、左側の小さなゲートの錠を開けて入る。

 このゲートは野鳥保護の会の管轄と放牧されている馬のためのようである。

 ここの地域はフレシマといい、その自然の様子のパネルが設置されている。

 その先には、昔の牧場の遺構が残っていた。

 右手には広い湿原が広がっている。

 やがて、分岐があり、正面の案内板には、その先の牧草地の中をまっすぐ進むように書いてある。しかし、道はない。馬か鹿の歩いた痕跡を辿るが、朝露で靴もズボンも靴下もグショグショになってしまった。

 その牧草地を越えると、海が見え、その手前には、旧馬場牧場と湖沼群が広がる。

 相変わらず道は、馬鹿道だけ。適当に歩いて海岸を目指す。

 いろいろな花が咲き誇っているが、中でも、センダイハギとシコタンキンパウゲの群落が見事だった。

 旧馬場牧場は、明治初期から3代にわたってこの地で半農半漁の生活をしていた。当時としては珍しいレンガとブロックのサイロが並んでいる。

 まずは、砂浜を東側へ進む。天狗岩跡地というそれ以上進めないところで戻る。砂浜にはホッキの貝殻が敷かれたように落ちている。

 このあと、旧馬場牧場の高台にある「お台馬場」を目指した。この辺りから、1頭だけ放たれている2歳くらいの馬がずっと後ろを着いててくる。

 たまたま「お台馬場」の写真に、分かっているかのように収まってくれた。なお、この「お台馬場」は、コースの道しるべのモニュメントとなっている。

 このあと、昔の道路の跡を戻るが、ずっと着いてくる。1頭だけで寂しいのであろう。しかし、分岐まで来ると、そこからは、やはり分かっているように着いてくるのを止めて、寂しそうに、ずっとこちらを眺めていた。まだ小さい馬なので、とても可哀想な感じがした。

 帰りに、湿原の中に丹頂鶴を見つけ、ズームで引っ張ってみたが、ピンぼけ。

 7:05、2時間15分で、別当賀駅に到着。グショグショに濡れた靴と靴下を取り替えて、次の初田牛パスの発着地点の初田牛駅へ移動。

 「初田牛パス」は、次のページに続く。


浜松パス(落石シーサイドウェイ)

2020年06月24日 | 登山・旅行

 10:20、「落石岬パス」から、上掲地図の左下の道々1123号から「浜松パス」へ入る。

 進んで行くと、ゲートがあり、「浜松パス」の標識が貼られていた。

 この先の旧国道の痕跡だと言う踏み跡には放牧されている馬と鹿の足跡が続く。「馬鹿しか歩かない道をバカが歩いている」などと考えながら歩いていたら、標識を見落としたらしく、旧国道をそのまま進んでいた。

  どこでも歩ける草原なので、戻らずに、海岸の方へ続く馬鹿道を適当に歩いて行ったら標識が見つかった。このあとも、道らしい道はなく、草原の中にポツンと立つ標識を探しながら進むという宝探しのような楽しい歩きが続く。

 さらに、楽しさを助長してくれるのが、一面に咲き乱れる花々である。センダイハギやヒオウギアヤメが多かった。

 ハクサンチドリと名前の分からない花も・・・ここにもエゾノコゼンタチバナやネムロシオガマも多く目についた。

 このような穴の開いた象の鼻のような岩も。

 谷地形を越えて、上に見える標識に向かう馬鹿道を登って行く。

 ひねくれた幹のアカエゾマツ林の横を抜けたら、湿原になっていて、馬鹿道がはっきりしなくなった。谷地坊主の頭を渡りながら歩いた。

 やがて、ユルリ島とモユルリ島(左奥)が見えてくる。

 それらを眺めながら、手作りおにぎりの昼食タイム。電話を見たら、朝の内に6年前からお付き合いいただいている浜松のkoさんから電話が入っていたのに気づかなかった。こちらから電話を入れる。

 現在地を知らせたら、もう少しすれば、仕事をしているところから姿がみえるはずとのこと。

 沢を巻くように林の中へ入っていく。

 林を抜けて登り返して、崖の上に出たら、浜松集落が見えた。

 その上に、明らかに人工的に造られた1m幅ほどの土塁のようなものがある。これは太平洋戦争のときの戦争壕とのこと。この手前の林に入る前にもあり、その上は道になっていた。

 やがて、下に下りるジグザグ階段が続く。

 砂地の中の道を進み、浜松集落に近づいて行く。

 浜松八幡神社を左手に見ながら集落の中を抜ける。あとで分かったことだが、koさん宅の前も通っていた。

 集落の端から道々143号に出る。 

 12:30、落石駅まで歩いてゴール。「落石岬パス」とのダブリ部分を除く約7.5kmを、2時間10分で歩いた。

 その後、koさん宅にお土産を届けに浜松の集落に下りて、電話をしようと思ったら、仕事場からkoさんご夫妻が出て来たところだった。停まった所がたまたまkoさん宅前だった。

 仕事場から、崖の上を歩いているところや階段を下りるこちらの姿が見えていたとのこと。

 こちらもお土産をいただいて恐縮したが、少しの間おしゃべりをして、後日会えれば会う約束をして別れた。

 その後、明日の「根室フットパス」の手形代わりの地図購入とゲートの鍵を借りに、厚床まで戻り、さらに、昨日と同じ霧多布温泉ゆうゆへ。今日の歩数33,800歩。

 先に歩いた「落石岬パス」はすでに掲載済み


落石岬パス(落石シーサイドウェイ)

2020年06月24日 | 登山・旅行

 根室市には、フットパスがたくさんある。今日歩いた落石シーサイドウェイ」には、「落石岬パス」と「浜松パス」の2コース。明日歩く定の「根室フットパス」には、「厚床パス」、「初田牛パス」、「別当賀パス」の3コースがある。

 今日歩いた「落石岬パス」と「浜松パス」をそれぞれ別々にアップする。

 浜中町のアゼチの岬駐車場で夜を明かし、50km先の落石駅まで走った。朝は霧が濃くて心配したが、スタートする頃にはなくなっていたが、スタート時で11℃と非常に寒かった。。

 6:50、落石駅をスタート。道々へ出て、南下する。道々から落石漁港へ下りる道を進む。

 下っていくと、入江の両側から延びる港の防波堤が見える。

 その右手には落石漁港が見える。この漁港の裏を通って進む。

 集落の横から高台上がる道から振り返ると、落石の集落が見える。その先に続く道を進むと、やがて、未舗装の道となり、その先にはゲートがあり、車が入れなくなっている。

 

 戻ってくる道との分岐には、「落石無線電信局内跡」の建物と石碑が立っている。

 1908(明治41)年、北米航路の要衝として船舶や航空機と無線電信を行うため設置された。開設当初は落石岬側にあったが、1923(大正12)年に現在の場所に移設されている。アメリカのリンドバーグがシリウス号で、1931(昭和6年)に北太平洋横断飛行を行った時も、無線の誘導により濃霧の中を根室港に着水するという出来事があった。

 ここから、右の道を進み、落石岬を目指す。

 草原の中に道は続く。

 やがて、この落石岬パスの標識が現れる。ここが、アフラモイチャシ(日本の名城100選根室半島チャシ群24ヶ所の1つ)への分岐である。

 その先に続くタイヤ痕の道を進むが、海岸の崖っぷちに出たのに何もない。そんなところかとがっかりして戻る途中の左手に、白い標柱が見えた。そちらへの分岐には標識もなく、鹿道が続いているだけだった。ここには、絶対に標識がほしかった。

 8:25、岬の手前の地球環境モニタリングステーションに到着。この施設は、沖縄の波照島とここの2ヶ所しかない施設だそうだ空気の汚れを調べているらしい。

 この横を抜けて進むと落石岬である。

 今まで、いろいろな岬を見てきただけに、特に印書に残る岬ではなかった。

 少し戻って、分岐から落石岬灯台への道を進む。

 この先の草原のも花が多かった。チシマフウロ(左上)、シコタンキンポウゲ(右上)、ヒオウギアヤメの群落もあちこちに見られた。

 ツマトリソウ(左上)、今回の旅で初めて目にしたネムロシオガマ(右上)、天塩岳以外では初めて目にしたエゾノコゼンタチバナ(下)

 先に落石岬灯台が見えてくる。

 初めて目にしたミズナラ風衝木の群落

 9:15、灯台の先の岬から垂直に切り立つ海蝕崖を眺める。ここで海とお別れである。

 やがて、木道となり、灯台を振り返る。

 アカエゾマツの林とワタスゲが咲く湿原の中に木道は続く。

 9:45、木道を抜けたら、無線電信局跡手前の分岐だった。

 日本ではここにしか咲かない国指定天然記念物のサカイツヅジの説明板があった。花はもう終わっていて目に付かなかったが、せめても木だけでもと木道を戻って探したが、かなり小さいものらしく、良く分からなかった。

 その先からは来た道を戻る。

 集落の中へ下って行き、帰りは、漁港の裏の高台に続く道々を進む。

 10:20、浜松パスとの分岐に到着。行きつ戻りつや間違って歩いたところもあったが、10.4kmのコースを3時間30分で浜松パスへと入っていく。

 次のページは「浜松パス」へと続く。


〈後半〉霧多布岬ぐるっとウォーク

2020年06月23日 | 登山・旅行

 「霧多布湿原探訪」(前半)を終えて、霧多布温泉ゆうゆ駐車場に車を置いて、後半の「霧多布岬ぐるっとウォーク」に出た。14kmを3時間ちょっとで回ることができた。

 2ペーシ構成になっています。先に、下に掲載済みの「霧多布湿原探訪」をお読みいただければさいわいです。

 道々霧多布岬線を進む。風が強くて寒かった。

 途中の展望台から霧多布岬(湯沸岬)を望む。

 霧多布キャンプ場と湯沸岬灯台

 灯台とその先の岬へ向かう道

 湿原に咲いていた花がここでも見られる。

 ここまでと同じ花のほかに、シコタンタンポポ(ニホンタンポポと同じように花の根元が下に丸まっていない)とミヤマオダマキが目についた。

 エゾノゼンテイカが咲く斜面と灯台

 花の咲く急斜面と北側の岬

 湯沸海岸とアゼチの岬方向を眺める。

 霧多布岬の先端部分

 カモメの巣食う岩

 霧多布岬をあとにして、来た道を戻り、途中から湯沸集落へ向かう。

 湯沸集落の船揚場から霧多布岬を眺める。

 湯沸海岸の船揚げ場と岬

 湯沸海岸から高台へ登り、アゼチの岬を目指す。

 アゼチの岬へ続くハマナスロードを進む。

 アゼチの岬から小島を眺めて、手作りおにぎりを食べる。小島の後ろに嶮暮帰島が見えるはずが、霧に隠れてしまった。

 アゼチの岬から浜中湾と市街地を望む。

 ここから来た道を少し戻り、市街地へ下りていく。

 正面が浜中町役場、右が総合文化センター。左上の工事中の建物は役場新庁舎。

 浜中町は「ルパン三世」の作者・モンキーパンチの出身地である。総合文化センターに、いろいろなコレクションが展示されている。

 ルパン三世通りを横切って、ゴールの霧多布温泉ゆうゆを目指す。

 13:45、霧多布温泉ゆうゆに到着。温泉から上がり、ブログ作成に取り組む。このあと、夕食もここで食べ、近くのアゼチの岬駐車場で車中泊予定。

〈前半〉「霧多布湿原探訪」もどうぞ! ※下に掲載済み


〈前半〉霧多布湿原探訪

2020年06月23日 | 登山・旅行

 車中泊で朝を迎えた琵琶瀬展望台から眺める霧多布湿原

 今日は、前半は、朝5時半から行動し、まずは、厚岸町のあやめが原からスタート。その後、浜中町に戻り、涙岬と立岩を見た。その後、霧多布湿原を探訪した。

 後半は、10過ぎから、霧多布温泉ゆうゆを発着点に、3時間半かけて、霧多布岬をぐるっと歩いて回った。

 写真が多いので、ブログを前半と後半の2ペーシ構成にした。

あやめが原(厚岸町)

 

 ちょうど見頃のヒオウギアヤメの群生

 中央の歌碑は松原のぶえの「愛冠岬」。

 ヒオウギアヤメの保護のために馬を放牧しているという。馬は食べないらしい。

 あやめが原の先端から海を見下ろす。

涙岬・立岩展望台 ※「涙岬と立岩の伝説

 涙岬

 立岩(右) 

 展望台までの草原

 草原に咲く花々~(左上)センダイハギ、(右上)ヤマブキショウマ?(左下)ノコギリソウ、(右下)エゾフウロ

藻散布沼(モチリップトウ)と火散布沼(ヒチリップトウ)

藻散布沼。左は昆布干しに励む女性。

 火散布沼。黄色の浮き玉はウニの養殖とのこと(これを見た地元の方から教えていただきました。散布のウニは有名ですごく高いそうだ。)

琵琶瀬木道と仲の浜木道

 湿原の中にまっすぐ向かう琵琶瀬木道

 国道沿いに延びる仲の浜木道~エゾノゼンテイカの群生

 木道沿いに咲く、ここで新しく目にした花々(あやめが原や涙岬・立岩展望台の道と同じ花も咲いている)~(左上)フタマタイチゲ、(右上)クロユリ、(左下)シコタンキンポウゲ、(右下)クシロハナシノブ

MGロード

 湿原の中を突っ切るMGロード~「MG(Marshy Grassland)」とは緑豊かな湿原という意味の英語の略語

 

 MGロードの東側に広がる湿原

 MGロードの西側の沼を中心とした湿原

霧多布湿原センター

 霧多布湿原に関するいろいろな展示等が豊富。花の名前もここで知った。

 センターから眺める嶮暮帰島と手前に広がる湿原

 浜中町市街地と後ろの霧多布岬へ続く高台

後半〉「霧多布岬ぐるっとウォーク」へ続く


釧路町難解地名道路を巡る

2020年06月22日 | 登山・旅行

 まずは、上のクイズに挑戦していただきたい。いくつ読めるだろうか?

 これらは、すべて釧路市の東隣の釧路町の海岸線に並ぶ地名である。そもそも、釧路市の隣に釧路町があること自体が、紛らわしい。

 すべて、アイヌ語に漢字を当てたものだが、3文字の漢字がほとんどだ。すごいこだわりようだ・・・それゆえに無理やり感を強く感じる。目にする度に「よくもまあ、こんな面倒な漢字を当てたものだ」と感心してしまう。

 松浦武四郎の日記にはすべてカタカナで記されているので、明治になってから郡役所の役人あたりが無理やり漢字を当てはめたのではないかと言われているが、特定はされていないようだ。さぞかし、楽しかったことだろう。

 「釧路町難解地名道路」と言われる道々142号沿いに、それらの地名板が20ヶ所設置されているというので、それらを訪ねることにした。

 当初は歩こうと思ったが、道々沿いにその集落があるわけではなく(昆布森と仙鳳趾以外)、海岸にある集落の入口に設置されている。それらの集落も見たいので、車で回ることにした。

 釧路市の幣舞橋を渡り、道々142号を進むと、釧路町に入る。

 一番先に登場するのが、「又飯時」・・・以下、順に4個ずつまとめて掲載し、そのアイヌ語の意味を記載し、それらの集落で目にした画像も掲載する。

・又飯時(マタイドキ)~海の瀬の荒いところ

・宿徳内(シュクトクナイ)~えぞねぎの群生している沢

・嬰寄別(アッチョロベツ)~楡の皮を漬けて置くところ ※これもすごい漢字だ。

・昆布森(コンブモリ)~昆布のとれる浦

 トキシラズが豊漁で賑わう昆布森漁港

・伏古(フシコ)~古い村 ※札幌にもある地名

・幌内(ポロナイ)~奥深い沢の川 ※全道各地にある地名

・来止臥(キトウシ)~ギョウジャニンニクの群生するところ ※漢字は違うが、結構多い地名

・十町瀬(トマチセ)~エゾエンゴサクが広く群生しているところ

 幌内の集落の干場に一人で昆布を並べる女性

 来止臥の高台から眺める東側の海岸

・浦雲泊(ポントマリ)~舟がかりができる小さな入江

・跡永賀(アトエカ)~昔、海であったところ

・冬窓床(ブイマ)~海の中に立っている岩 ※なぜこの漢字なのか?絶対に読めないし、覚えられない

・初無敵(ソンテキ)~沼のような静かな浦

 浦雲泊の高台から眺める船揚場と東側の海岸線

 浦雲泊の高台から西側の岩を眺める

 跡永賀の船揚場から人家と神社を見上げる

・入境学(ニコマナイ)~川尻に流木が集まるところ

・賤夫向(セキネップ)~樹木の少ない山で、石落ちるところ

・分遣瀬(ワカチャラセ)~水が滝となって落ちているところ

・老者舞(オシャマイ)~川尻に倉のかたちをした岩があるところ ※オシャは長万部と同じ語源

 入境学の高台から急落を見下ろす

 入境学の船揚場から奥さんと昆布を積んで出る軽トラ

 老者舞と知方学への分岐標示。国道142号は北太平洋シーサイドラインと言うようだ。

 老者舞漁港。左側はカキを揚げる施設

・知方学(チポマナイ)~川口に魚がたくさん集まるところ

・去来牛(サルキウシ)~ヨシの群生しているところ

・古番屋(フルバンヤ)~川下の陸岸が丘になっているところ

・仙鳳趾(センボウシ)~小魚のたくさんいるところ ※利尻島にも語源が同じ地名あり

 知方学は道々沿いに大きな集落はあるが、谷あいの海岸にも小さな集落がある

 昆布森小学校以来の知方学小学校~今年度の児童数19名

 尻羽岬(シレパ岬)~海中に突き出ている岬 ※余市のシリパ岬も語源は同じ

 岬から厚岸方向を眺める。手前の島は厚岸の大黒島

 仙鳳趾漁港は、カキ漁がメインのようだ

 仙鳳趾の道々142号沿いの高台には、広い昆布の干場と作業小屋が並ぶ

 昼前には、予定が終了し、厚岸の道の駅に落ち着く。道の駅は定休日。午後には、雨が降ってきて、霧で周りは見えず。最高気温が13℃で寒い。車の中は暖かいので、のんびりとブログを打つ。


釧路湿原は広かった

2020年06月21日 | 登山・旅行

 

 根釧地方の太平洋側は、山がないこともあり、山旅ついで通ることもなかった。そこで、今回は、基本的に、そのシーサイドラインを中心に、車と歩きで、ゆっくり巡る旅にしたいと思った。

 今日は、その手始めとして、釧路湿原巡りからスタート。釧路湿原は部分的には見たことはあるが、いろいろのところからじっくり眺めたいと思ったからである。

◎まずは、釧路市湿原展望台~温根内ビジターセンターの湿原探勝歩道の歩き(14.4km)から

 発着地点の釧路市湿原展望台

歩いたトラックログ。釧路市湿原展望台の丘陵地の木道を巡り、湿原の西側を一直線に続く探勝歩道(旧鶴居軌道跡)を進み、温根内木道を回って温根内ビジターセンターまで歩いた。帰りは、国道を戻ってきた。3時間35分。

 湿原展望遊歩道入口

 北斗展望台からの湿原の展望

 丘陵地なので、アップダウンが激しい。

 木道を湿原に向かって下って行く。

 湿原の西側を一直線に延びる湿原探勝歩道(旧鶴居軌道跡)へ出る。

 ハンノキ林の中を進む。500mごとに北海道自然歩道「霧と湿原の道」の標識が設置されている。

 広いヨシ原を右手に見て進む。

 温根内木道入口

 温根内木道の奥には、ここだけに広がる高層湿原(ミズゴケ湿原)。他は低層湿原なので、趣が違う。

 初めて目にしたヤナギトラノオとヒメカイウ。ここの湿原以外では目にしたことがない。

 カキツハタと、谷地坊主の上に咲くエゾイソツツ。

 再び、旧鶴居軌道跡の歩きとなる。ゴールのビジターセンターは近い。

 温根内ビジターセンターに到着。

 ビジターセンター入口から国道を歩いて戻る。

国道の途中から眺める東側の湿原。

 発着地点の釧路市湿原展望台から、南側の釧路市街地を眺める。

◎湿原の外側の国道や道々のドライブ

 まずは、南下し、釧路市街地を通り、東側の国道391号を北上する。

 達古武湖。向かいはキャンプ場

 細岡展望台から西側の湿原を眺める。奥の山頂部を雲に覆われている山は雌阿寒岳。

 サルボ展望台から眺めるとうろ湖

 コッタロ展望台から北側の湿原を眺める。

 コッタロ展望台から東側のの湿原を眺める。

  途中、通行止めが2ヶ所もあって遠回りもあり、今日の車中泊場所の釧路市道の駅阿寒丹頂の里に着いたのは、16:30だった。とにかく釧路湿原は広かった!

 ここの道の駅は温泉もあるので、まずは、温泉に入って、夕食を食べた。「釧路御膳」(すけそう鱈のフライ、鹿肉、牛肉、豚肉)と生ビール。それからブログに取り組んだので、すっかり遅くなった。

 

今回の旅の食事計画

 今回は、長い山旅同様に、山用コンロの他に卓上コンロも持ち込んだ。朝に無洗米のご飯を1合炊いて、3当分にして、昼用のおにぎりを2個作り、残りを朝に食べる。朝のおかずと汁物は適当に。夕食は、外食かコンビニか、簡単な鍋物。


花狙いの定山渓天狗岳(3回目)

2020年06月20日 | 登山・旅行

 今回の定山渓天狗岳(1145m)は、2年前のリベンジである。その時は、札幌の岳友に案内をいただき、とある絶滅危惧種の花を見に行った。しかし、7月に入っていて、時期的にも遅かったのと、前日に強い雨が降ったこともあり、花は原型を留めていなかった。

 昨年は日程的に無理だったが、先週末にその岳友から「もう咲いていますよ」という連絡をいただいて、早速の訪問となった。

 昨日の夕方に函館を出て、定山渓温泉手前のトイレ付きの駐車場で車中泊。

 2年前の場所の記憶をもとに、ウロウロすることなく、すんなりと、3カ所で、それらの立派な花と対面することができた。ただし、2年前に見た株の塊が1カ所なくなっていた。盗掘されたのでなければよいが・・・。ということもあり、その花の画像はアップしないことにした。それ以外の花をどうぞ!

 〈登り〉2時間40分、〈下り〉2時間15分。

 5:30、登山口をスタート。川沿いの林道を進む。すぐに6人連れの2グループを追い抜いて、先頭に立ったようだ。

 25分で、登山道入口に到着。

 550m付近のロープ場で後ろから来た北広島の男性に先を譲る。

 ここからは、このコース特有の沢や滝を高巻くワイルドな登山道が続く。

 この前後で目にした花々~(左上)エゾノレイジンソウ、(右上)コケイラン、(左下)サイハイラン、(右下)シウリザクラ

 950m付近の切り立つ岩崖の下の斜面一面に咲く、濃い青色のエゾグンナイフウロの群落

 エゾグンナイフウロのアップ

 その上に進むと、いろいろな花が咲く岩尾根の下に出る。

 岩尾根に咲く花々~(左上)ヤマハナソウ 、(右上)ミヤマクワガタ、(左下)イワベンケイ、(右下)シコタンソウ

 頭上に切り立つ岩崖

 ルンゼの手前に咲く花々~(左上)サクラソウモドキ、(右上)ミヤマオダマキ、(左下)ミヤマアズマギク、(右下)シラネアオイ

 この山の核心部の頂上手前のルンゼ(上から見下ろす)

 頂上手前から、かろうじて見えた無意根山

 9年ぶり、3回目の頂上。(2年前はガスで950m上の岩尾根で戻っている)これが多分最後だろう。残念ながら周りはガスで展望は得られなかった。

 山を始めて3年目という、先着の北広島の男性とお喋りしながら、20分ほど休憩して下山した。10:45、ゴール。

 明日から10日ほどの予定で、なかなかゆっくり行く機会のなかった根釧方面をじっくり巡ることにしている。

 下山後、札幌を抜け、樹海ロードの途中にあるむかわ町(旧穂別町)の樹海温泉はくあに寄って、このブログを打つ。

 温泉では、新型コロナ対策のカードを、使い捨て(持ち帰り)鉛筆で記入して提出するようになっていた。

 これから、浦幌の道の駅まで走る予定。

<過去の山行記録> ②11,5,31の記録 94,9,18の記録


映画「フリーソロ」 & 懐かしの草大福・豆大福

2020年06月19日 | 読書・映画

 昨年国内で上映され、HYMLでも話題になっていた「フリーソロ」、NHK BSプレミアムで、6月15日(月) に放映されたので、録画しておいて、ゆっくり観た。

 フリーソロ・クライミングとは、ロープや安全装置を一切使わずに、素手で、単独で岩壁を登ることである。一歩間違えば確実に死に至る・・・その第一人者アレックス・オノルドが、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園にそびえる標高差約1000mほどの巨岩「エル・キャピタン」に世界初のフリーソロで挑んだドキュメンタリー映画である。

 監督もカメラマンもすべて、トップ・クライマーばかりである。臨場感あふれるカメラワークで、極限状態にある人間の姿を映し出している。

 この映画は、第91回アカデミー賞において、長編ドキュメンタリー賞を受賞したほか、2019年英国アカデミー賞(ドキュメンタリー部門)を受賞するなど、全世界で45賞ノミネート、19賞受賞の快挙を成し遂げている。

 なお、アレックス・オノルドはフィッツロイの縦走で2015年にピオレドール賞を受賞している。

 (以下の画像は、TV画面を撮影)

 成功か死か・・・。幾度の失敗と練習を重ね、2017年6月3日、人類史上最大の挑戦に挑む・・・。

 3時間56分で登り切った。映画として完成しているので、死なないと分かっているから安心して見られたが、手に汗握るハラハラ、ドキドキものである。

 このフリーソロで亡くなっているたくさんの有名クライマーも取り上げられていた。真っ逆さまに落ちていく映像も・・・。本人も周りも、監督もカメラクルーも死を覚悟して臨む・・・まかり間違えば、カメラマンは友人でもある彼の死ぬ瞬間を目撃することになる・・・地上で撮影のカメラマンもとても見ていられず顔をそむける場面もある。

 一度は、撮影カメラの存在に平常心を奪われて止めてしまった・・・そのことからカメラマンも、カメラやクルーが彼の視線に入らないように配慮し、本番も、彼の精神状態次第で、カメラクルーにも連絡をしないで登り始めている。  

 彼の子どものころからの成長の様子、恋人との葛藤、トレーニングのこと、練習に付き合た友人のこと、練習中に滑落して怪我をしたことなどなど・・・成功を祝う友人の「死ななくてよかった 心底 ほっとした」という言葉にすべてが凝縮している映画だった、

 美しい虹の懸かる滝のそばの岩壁を登る映像も・・・。

 

◎草大福・豆大福・・・昔懐かしの田植え餅の名残り

 明治40年創業の北斗市本町の「カネスン金丸菓子舗」・・・子供のころは「カネスンさん」という屋号しか知らなかった。今でも地元ではそう呼んでいる。

 今年も北斗市(旧大野町)本町の「カネスン金丸菓子舗」の草大福と豆大福を予約して購入。凄い人気で、毎日作る数に制限があるので、予約しなければ買うことができない。それも、1週間以上もあとの予約だった。

 昨年は、初めて知って、草大福5個セットを買ったが、豆大福もあるというので、今年は草大福2個と豆大福2個を予約しておいた。ちなみに、バラ売りでは1個200円なはずだが。なぜか税込みで784円だった(884円なら分かるが?)。季節限定で、7月10日ごろまでやっているどうだ。

 人気の秘密は、この大きさであろう。直径7.5cmほどある。それでも、昨年より一回り小さくなったような気がする・・・これは、昔の大野の田植え餅の名残りである。当時の田植え餅は10cmほどの大きさだった。大野で育った自分も、友人の家の田植えを手伝っては、良くもらったものだ。それは、決まったようにどの家も、白大福4個と草大福1個のセットだった。豆大福はなかったような気がする。

 

 昨年の記事~「昔懐かしの田植え餅」(2019,5,31)※60年ぶりに会った女将さんが、こちらから名乗ったら、覚えていてくださった。