癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

第20回北海道スキー指導者協会の集い(2日目)

2007年07月28日 | スキー・クロカン
 函館地区での開催を引き受けて10ヶ月、半年前から鋭意準備を進めてきた「第20回北海道スキー指導者協会の集い・2007函館大会」が、本日無事終わった。  

           

 今日のメインは、全日本ナショナルデモンストレーターコーチ我満嘉治氏の「スキースポーツの復興のために私たちができること」という講演であった。これまでの世界を股に掛けて活躍してきた氏の経験を基にした現在のスキー界の切実な課題に対する提案であった。

           

 さらに、「函館らしさ」にこだわって、「道南の生んだスーパースター佐々木明選手を語る」と題しての対談を行った。登壇者は、彼の後援会副会長の花巻昭英氏、彼の幼少時代にスキーを教えた元大野ジュニアスキーレーシングチームコーチの松本俊氏、そして、これ以上の関係者はいない彼の母親である佐々木満智子女史の3人とコーディネーターとしての我満氏の4者による対談であった。
 今だから話せるオリンピック選手佐々木明の幼少時代の秘話や世界を転戦して大活躍をしている現在の彼に寄せる想いなど・・・楽しいひとときであった。

           

 その後は、講師や登壇者を交えての楽しい大懇親会。提供された佐々木明グッズの抽選会もあって、大いに盛り上がった。

           

 最後は、講師の我満氏とツーショットの私。これで、実行委員長の任を解かれ、ひとつ肩の荷が下りた・・・・。

第20回北海道スキー指導者協会の集い(1日目)

2007年07月27日 | スキー・クロカン
 本日と明日、不肖私が実行委員長を務める「第20回北海道スキー指導者の集い・2007函館大会」が開催される。今日の1日目は30名による「親睦ゴルフコンペ」である。藪山大好き人間の私は、きれいに刈り払われたグリーンは性に合わないのでゴルフはやらない・・・というよりは、ゲーム料金の高さが大きなネックかも・・・?

 それでも、実行委員長としては、最後の閉会式までお付き合いをしなければ・・・ということで、5時間以上、ギャラリーとして、あちこち冷やかしながら見て歩いた。プレーしているメンバーより歩いたかも知れない。

 明日は、メインの講演会と対談が湯の川温泉の花びしホテルを会場に行われる。講師は全日本ナショナルデモンストレーターコーチの我満嘉治氏、対談者はオリンピック選手である佐々木明選手にいろいろ縁の深い人に登壇願っている。

 もう眠いので、夢の国へ参ります。!

オオヒラウスユキソウとの再会を期して・・・・

2007年07月26日 | 登山・旅行
 国内でもっともエーデルワイスに近いと言われているオオヒラウスユキソウの咲く島牧村の大平山を8年ぶりに再訪した。かねてからこの花を見たいと話していたマンタンさんを誘っての山行である。

 この山は、比較的ハードな山ではあるが、石灰岩の山ゆえに特異な花が多く、今回も、他の山では余り目にすることのできない珍しい多くの花たちが待ってくれていた。花の写真だけでも、30数種60枚以上も撮った。

 詳しくは、明日の朝アップ予定のHPをどうぞ!

面影探し

2007年07月24日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
          

 所用で、幼・少年時代を過ごした旧大野町(現北斗市)へ出掛けたついでに、いつもは素通りしているが、今回は、自分の子供の頃遊んだ場所や毎日通学で通った道の面影を探してあちこち車で走ってみた。家もすっかり変わってしまって、なかなかそのまま残しているところが見当たらない。

 小学校も2度建て替えられて、校地も含めて自分の脳裏に浮かぶ光景とはまったく別物である。中学校も別の場所に移って、今はスポーツセンターや中央公民館となっている。昔、田んぼや畑だったところは住宅地になり、ドジョウやフナやトンギョ(トゲウオ)捕りをした道路沿いの小川はなくなり、昔なかった道路があちこちにできている・・・。それでも、役場の向かい側の3軒の建物(当時の郵便局長さんの煉瓦造りの家、その南隣の石造りかコンクリート製の倉庫と今は理髪店になっているコンクリート製の建物)は当時のままであった。

 よく近所の子ども達が集まって日が暮れるまで遊びまくった原っぱは、町営のせせらぎ温泉の敷地になっているし、その直ぐそばの大野川も護岸工事で昔の面影はまったくない。自分の住んだ2軒の家はとおの昔になく、別の家が建ち、近所の家もその周りの様子もほとんど変わっている。家の前の道路の広さは変わっていないはずだが、子供の頃そこで野球をしたなんて信じられないほど狭い。
 
 当時、毎日欠かすことなく遊んでもらったひとつ年上の友人が向かいに住んでいた。その場所に建つ新しい家の表札を覗いてみたら、その名前だった。懐かしさに堪えかねて訪ねてみる。しかし、仕事に出て留守だった。もう、35年は逢っていないはずだ・・・。今度また訪ねて子供の頃の話を懐かしんでみたい。
 
          

 唯一、当時の面影が残っていると言えば、意冨比(おおひ)神社の境内である。神社も社務所も改修されているが、大きな杉の木と樹齢350年を越える大きな4本のイチイの木と境内そのものは、おおよそ当時の面影を残している。
            
 その前に立って目を閉じれば、8月末のお祭りの光景が目に浮かぶ。鳥居を潜れば、両側にびっしりと並ぶ露店、神社の右側には演芸会用の舞台・・・。お祭り用にもらった30円の小遣いを握りしめて、一回5円で1本か2本当たる味噌おでん屋の前や大体が5円だったクジ屋の前をうろうろする自分の姿が目に浮かぶ。それらを我慢して、毎年のように買ったのは、火をつけた輪切りのローソクを乗せると、ポンポンと音を立てて、水を張ったたらいの中を走り回るブリキの船である。いくらだったかは忘れたが、それを買えばほとんど残らなかったような気がする・・・。

          

 最後に、郷土資料館に寄った。当時、農家の友達の家で手伝ったときに使った農機具や当時の生活用品、当時の写真などが懐かしかった。相手をしてくれた若い学芸員に、こちらがそれらの説明をすると、感心して聞いてくれるという逆転現象が面白かった・・・。
  

夕焼けとプカプカTV

2007年07月23日 | 日常生活・つぶやき
            

 夕食後、久しぶりの夕焼けを期待して、中央埠頭へ車で走った。もう少し雲が真っ赤に染まると思ったが、下の方の雲が邪魔でそれほどではなかったが、それでも久しぶりの夕陽に染まる雲と海を眺められて満足・・・・・

            

 せっかくいい気分で、ふと岸壁から海面を見下ろすと、なんとTVがプカプカ・・・山での不法投棄のTVはよく目にするが、海では初めて目にした。それも浮かんでいるのにはビックリ!きっと捨てた人も、沈むと思ったのだろう。これを見てどんな思いで立ち去ったのだろうか?

 地デジ時代を控えて、今後、このようなTVの不法投棄がどんどん増えそうな気がする。なんとか無料で引き取ってもらえないものか・・・?我が家にも4台もあるのだ。

 ところで、不法投棄の「投棄」は「投げ捨てる」の意味だ。北海道弁で「捨てる」ことを「投げる」という・・・北海道弁の語源がここにあった・・・???
 

林道探索で思わぬ楽勝登山「百軒岳」

2007年07月22日 | 登山・旅行
 道内では誰も真似できない「北海道内の700m以上の山完登」(全部で700山ほど)を目指し、現在600山近くを踏破している超人・札幌のKoさんが、このたび、函館へ転勤してきた。これまで何度か同行しているが、まさか着任5日目で、早速山のお誘いが来るとは思わなかった・・・。

 彼の未踏のうち道南は37山ほどである。もちろん登山道のない藪山ばかりである。ちなみに、私は19山を残している。今日は、二人とも登っていない上ノ国の大赤岳、赤岳、大岳の3山のうち登れるところを・・・・と目指したが、雨に見舞われ、上ノ国町と松前町に多い、二人とも未踏の10山の林道探索に変えた。

 その中で、地形図に載っていない林道を見つけて、午後に回復した天候の中、大千軒岳の南の中央分水嶺上の百軒岳へわずか40分の藪漕ぎで登頂することができ、思わぬ楽勝モードで1山をやっつけることができた。

 詳しくは、明日、アップ予定のHPを見て欲しい!

駒ヶ岳火山勉強会登山

2007年07月21日 | 登山・旅行
            

 
 本日、火山活動のため、1998年10月以来入山禁止となっていた駒ヶ岳で、初めての一般登山者を対象とした「火山勉強会登山」が実施された。主催は駒ヶ岳火山防災会協議会などで、対象は、森町、七飯町、鹿部町、函館市、その他の市町でそれぞれ50名ずつで、関係者や報道関係も含めて310数名という大規模な登山会となった。数日前に新聞に募集要項が掲載されて、函館市の場合は、その日の10時には定員に達したという人気振りであった。趣旨は、駒ヶ岳はまだ危険な山であるという認識を体感してもらうことであるらしい。

             
          
 6合目駐車場にそれぞれの市町のバスが集合し、そこからの登山となった。残念ながら大沼や噴火湾、剣が峰と砂原岳はガスで見えなかったが、馬の背で駒ヶ岳についてのレクチャー後、昼食を摂り、その後、広い火口原と火口群などを見学した。

 詳しくは、明日か明後日アップ予定のHPを待って欲しい。           

恩師を訪ねる旅

2007年07月17日 | 登山・旅行
 7/15~16、学生時代の地理研究室OB15名(73~57歳)と共に、当時の恩師(84歳)を訪ねる旅を楽しんだ。恩師の専門は自然地理学で、我が国の海岸段丘の権威でもある。今でも役に立っている地形や地形図の読み方等を教えていただき、登山への興味も植え付けてくださった方でもある。初めて羊蹄山へ登ったのもこの恩師に連れられてであり、横津岳などへも我々と一緒によく登ってくれたものである。

 退官後は、故郷である岩手県遠野市へ戻り、実家のお寺を継いで第14代目住職となっておられる。前回同様、その年齢を感じさせないご壮健振りには驚かされる。話の仕方も昔と全く変わらないし、夜の飲み会も12時までしっかりと付き合う(私を含めて3人が先にダウン・・・情けない!)。あちこち見て歩くときの車の乗り降りはもちろん、階段や山道などでも我々よりスタスタ・・・これも、当時と全く同じである・・・この年代のいろいろな人は知っているが、これほどの怪物はみたことがない。この若さに刺激されて、学生時代に戻り、元気をもらえるすばらしい旅となる・・・・。

 この旅は、3年前に引き続き2回目である。前回は、遠野市中心の旅であったが、今回は、盛岡市中心の旅であった。

           

 海峡線を潜り、八戸で新幹線に乗り換えて、盛岡へ・・・いつも旅は車なので、久しぶりの列車の旅がうれしい。マイクロバスに乗り換え、迎えを兼ねて遠野市の恩師のお寺へ向かう。今回初参加のものも数名いて、大感激の対面である。前回同様、一緒にお経を唱えるという貴重な経験をする。

           
           

 再び、盛岡に戻り、まずは、ズバリ試飲目的の地酒メーカー「あさ開き酒蔵」へ。さらに、盛岡ゆかりの金田一京助・新渡戸稲造・米内光政らを中心とした「盛岡市先人記念館」でお勉強後、盛岡の奥座敷・繋温泉へ。一番大きなホテル大観に落ち着く。

           
           

 翌日は、心配していた台風4号もそれたらしく、スカッパレでは無かったが、まあまあ良い天候であった。2台のジャンボタクシーに分乗して、盛岡市観光を楽しむ。

           

 まずは、樹齢800年という「七ツ田の弘法桜」を見て、現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」ですっかり名所になった小岩井農場の一本桜へ。残念ながら岩手山の頂上部は雲に隠れたままであった。さらに、小岩井農場に寄り、市街地へ。まずは、父母を初めとして他の家族とともに四畳半の部屋に住んだという「石川啄木新婚の家」へ。

           

           

 さらに、有名な「石割桜」を見て、最後の「岩山」へ。盛岡市街地とその郊外の展望を楽しむ。一昨年登った姫神山はその姿を見せてくれていたが、その翌日に登った岩手山は頂上部を隠したままで、昨年登った早池峰山は裾からすっぽりと隠れたままであった。

 マイクロバスの中で、大きな被害を出した中越沖地震発生のニュースを知る。昼食の盛岡冷麺を食べて、盛岡駅へ。ところが、地震の影響で、新幹線が40分遅れ、そのため、八戸で接続の特急には乗れず、次の列車に。それも30分ほど遅れて、結局は予定より2時間以上も遅く帰函。

『山と渓谷』8月号に拙稿掲載

2007年07月14日 | 日常生活・つぶやき
          

 昨日、7/15発売の『山と渓谷』8月号が出版社から直接届いた。「全国隠れ名山」(今年からの新シリーズ)に拙稿の「武利岳・武鹿山」の縦走ガイドが掲載されたからだ。

 年に4本の候補を挙げると、その中から、向こうで1~2本(昨年は2本)選んで執筆依頼が届くというシステムである。今年から「隠れ名山」というシリーズになったので、山の選択が非常に難しくなった。ただし、文章が昨年まで苦労したエッセイ風ではなく、ガイド文で良くなったので、少しは楽になった。

 先日の三国山もその取材がてらの再訪であったが・・・・。どこかいい山ありませんか?

 なお、今回の原稿は、下記の記録が基になっている。
 http://sakag.web.infoseek.co.jp/murii2.htm

今日が函館のお盆

2007年07月13日 | 日常生活・つぶやき
 今日は、函館のお盆である。昼でも15℃しか上がらない寒空の下、寺参りと墓参りに行ってきた・・・・・函館以外の方は、「えっ?7月にお盆???」と不思議に思うだろう。

 実は、旧函館市地域が今日の7/13で、合併した旧銭亀沢地区、旧亀田地区、旧南茅部・旧椴法華・旧恵山・旧戸井地区は8/13である。従って、函館山山麓から発展した函館は、お寺や墓地の多い西部地区が、この日一年で一番賑わうときでもある。我が家の菩提寺も函館山麓の住吉町で、墓も立待岬にある。

 その由来を調べてみたら、次のようなことが分かった。
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 大正6年の新聞に「ひと月遅れの8月なら函館一の祭礼である函館八幡宮の例祭日とかち合うというので、各寺院協議の上、本年より新暦の7月13日を、お墓参りとするよう各壇家に通達した」とか、「お正月が新暦なのにそれに対するお盆が旧暦ということもないだろうと、各寺院で7月13日に決めた」というような記事が載っている。
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 昔は、他と同じ8月にやっていたらしいが、新暦7月のお盆への切り替えは、どうやら大正6年から行われ、現在に至っているようだ。なぜか判らないが、根室市も7月にお盆を行うそうである。


 なお、函館近辺独特の風習で、他の地域の人にビックリされることがもう一つある。それは、葬儀の際には通夜の前に遺体の火葬を済ませることである。通夜と告別式では、祭壇に骨箱が安置されることがほとんどである。

 この由来ははっきりしないが、以前「昭和9年の函館大火の際、死体置き場に困り、先に焼いてから葬儀をしたことから・・・?」と聞いたことがあるが、定かではない。しかし、なぜか、北海道内でもお盆も同じ根室の一部もそうらしいし、東北にも同じような県があるらしい。

ガスと強風のニセコアンヌプリ

2007年07月11日 | 登山・旅行
 同窓会登山の最後はニセコアンヌプリである。登山開始時にガスの中からその全容をすっきりと現し、期待を持たせたが、まもなく濃いガスと強風に見舞われ、最後まで展望もなく、頂上ではまさに避難小屋の有り難みを実感する山となった。

 下山後は、ガスのない神仙沼を散策し、富良野方面へ向かう四国組と別れる。東京・大阪組の女性3人と共に湯本温泉の雪秩父で最後の温泉に入浴後、倶知安駅まで送って、帰宅する。

 この同窓会登山、3日間ともガスに見舞われ、すっきりとした展望に恵まれないまま終わってしまったことが唯一心残りであった。

さて、明日からは5日間の山行記のアップに忙しい・・・・?

 

 

ゆったりペースの羊蹄山

2007年07月10日 | 登山・旅行
ホテルを5時に出て、比羅夫コースの登山口へ。山は根元からすっぽりガスに包まれて何も見えず。しかし、予報は悪くない。上に着いたら晴れることを期待してスタート。

自称初心者もいる8人パーティーである。全員揃って登頂したいので、ゆったりペースでリードする。

結果的に8合目から青空も広がり、頂稜はすっきり晴れ渡り、花に掴まりながらも5時間少々で登頂。いつも単独で登る倍近い時間ではあったが、全員揃って頂上の人となる。

下り4時間で下山。明日のニセコアンヌプリ登山口の五色温泉旅館で宴会。



ガスの樽前山

2007年07月10日 | 登山・旅行
(7/9分)本州からのエベレスト街道トレッキングの同窓会メンバー女性3名(東京・大阪)を千歳空港まで迎えに行き、樽前山へ。

ガスで眺望は期待できないが、いまがさかりのタルマエソウを楽しみながら登る。外輪山が近くなって来たら、上空に青空がひろがる。

外輪山に乗ったら、「待ってました」とばかりに火口原と熔岩ドームが姿を現してくれる。しかし、支笏湖も勇払原野もガスの下であった。

下山後、苔の洞門、京極の吹き出し公園に寄って、倶知安温泉ホテルようていへ。

四国からの4名はすでに到着していた。懐かしい顔合わせも、明日の羊蹄山登山に備えて早々に切り上げる。

大三元巡り登山

2007年07月08日 | 登山・旅行
 まだ見たことのなかったチョウノスケソウとホソバウルップねらいで緑岳~小泉岳の予定だったが、4時半にスタートして余裕があったので、小泉岳を中心とした麻雀の役満の手である大三元登山をした。すなわち、「緑」岳、「赤」岳、「白」雲岳巡りである。

 狙いの二つの花は、緑岳と小泉岳を結ぶ広い稜線に、いろいろな花とともに、ややピークを過ぎた感がないではなかったが、十分満足できる状態で咲き誇っていた。

画像は、白雲岳から旭岳を眺めたものだが、残雪のストライプ模様がみごとだ。ここでHYML仲間のHilmanさんに逢った。下山はここからずっと花に詳しい釧路のご夫婦と最後まで一緒だった。

のんびり花見山行だったこともあり、9時間も楽しみ、それでも下山時刻は余裕の13時半であった。

今年はクマの当たり年らしい。登りの第一花畑の雪渓で下から登って来たが、こちらの存在に気付かないので声を掛けたら、じっとこちらを眺めて、やがて上の方へ走り去った。

明日からは、本州から来る人たちを案内かたがた樽前山、羊蹄山、ニセコアンヌプリの予定である。明日待ち合わせの千歳空港へ向かう途中の三笠道の駅のレストランで夕食を摂り、ビールを飲んだので、ここで夜を明かすことにした。